01_幸運な漂流者
大陸の北東、四分の一を支配する広大な人間の王国・ノースランドの南端、獣人のような見た目の異種族・ネオンとの国境から程近くに、緩やかだが大きな川があった。
この川は大陸中央の大山脈から流れ、紛争地帯、ネオンの国を経てくるものであったので、大小様々なものが漂着する。
戦死者や行き倒れが、流れの緩やかになる平原の川辺に漂着することは珍しい事ではなかった。
そして、今まさに、新たな漂着者がノースランドに流れ着いたところだった。
流木を抱えるようにながれていた若い男は徐々に川辺に近づき、そして打ち上げられた。
彼はまだ生きていたが、意識を取り戻すほどの力はなかった。呼吸も浅く、体温も低下していた。
幸運なことに天候は快晴であり、冷えた彼の身体は徐々に温められていった。
そんな彼のもとに、見渡す限りの草原を横断する街道を渡る、蟲車の隊列の音が近づいてきた。
滅んでしまった馬や牛などの代わりに、進化した大型蟲を用いた荷の輸送は大陸全体で盛んだが、今回の隊列のように三台程度を運用しているのは商人ギルドの一団か貴族、もしくは奴隷商であることが多かった。
「……ん?行き倒れか。丁度いい、今回は人数が少なかったからな。
おい、止めろ。
ちょっとあいつの様子を見て、生きてたら連れて来い。」
荷台から身なりの良い、黒いひげを蓄えた男が顔を出した。
彼は紛争地帯で奴隷を引き取り、ノースランドへ売りに行く途中の奴隷商だ。
御者に隊列を止めさせ、控えていた傭兵に様子を見に行かせる。
傭兵は、はい、とへい、の中間くらいの返事をして荷台から下りた。
防具となる装備は荷台に残したが、念のため剣を帯びた。
傭兵はゆっくりと川辺へ近づき漂着者の横に立つと、さやに収めたままの剣で彼を突いた。
しかし彼は一切の反応を示さなかったので、その場にしゃがみこんで口の前に手を当てた。
浅い呼吸を感じ取った傭兵は、奴隷商に向かって大声で言った。
「旦那!こいつぁダメだ。呼吸はしてるが、浅すぎる。
拾っても世話が大変ですぜ!」
「そうか。なら捨て置け!」
奴隷商に対し、傭兵は再び先ほどと同じような返事をすると荷台へ歩き始めたが、数歩進んだあたりで背後に違和感を感じ、ふと振り返った。
なんと、しばらくしたら死ぬだろうと思っていた漂着者が、川から這い上がっていたのだ。
打ち上げられていた上半身とは違い下半身はずぶ濡れで、上半身を起こしながら、なにがなんだかわからないという顔で見上げていた。
「げほっ!がはっ……」
「おいおい、なんて生命力だよ!」
傭兵は驚いて踵を返し、彼を支えた。
何か言おうとしていたが、なんせ漂着から目を覚ましてすぐだ。うまく話せないようだった。
傭兵は革袋から彼に水を飲ませ、深呼吸を促した。
「旦那!こいつ、目を覚ました!
案外、頑丈なやつかも知れねぇ、拾いますか!」
「そうだな。後ろに乗せとけ!」
傭兵に支えられながら荷台に乗せられた彼は体温を下げないように背中から布を被せられた。
彼は十数人の奴隷に囲まれながら、キョロキョロと周りを見渡して言った。
「ここは何処ですか?」
「あ?おめぇ、このだだっ広い平原を見てわかんねえのかよ?
ここはノースランド平原さ。」
不思議なほど無抵抗な彼の両腕を木の枷で拘束しながら、傭兵は答えた。
「あなたたちは?」
「そんなもん、奴隷売りの小隊に決まってるだろう。俺は傭兵で、こいつらは奴隷。そこにいらっしゃるのが奴隷商の、ダンの旦那と見習いのカルロだ。」
枷と荷台を縄でつなぎ、逃げられないようにしながら、再び傭兵は答えた。
「それにしても、行き倒れにしちゃえらく言葉が丁寧だな。どこの生まれで、何をしてたんだい?
出来ることがありゃ、扱いの良い所に売ってやるぜ。」
傭兵に代わって、奴隷商の、ダンと紹介された男が彼に話しかけた。
しかし彼はすぐに答えることはなかった。
すでに動き始めた蟲車の音と、風が草原を流れる音を聞きながら、
彼に注目する奴隷たち、傭兵、カルロ、ダンの顔を順に見回したあと、
「わかりません。どこで生まれたのか。何をしていたのか、何ができるのかも。自分の名前すら思い出せないのです。」
そう言った。