無愛想な天才魔法使いの夫が今日も饒舌
事前に解決を入れますと、
『』→ヒーローと話していることを意識した上での念話セリフ
『()』→ヒロイン的には心の中で言ったと思っていたのだけれど、実はヒーローに伝わっていた念話セリフ
という感じです。
どうぞよろしくお願いします。
政略結婚をしてから早一年。
夫婦仲、未だ良くならず。
「はあ……」
結婚一年目の記念日。
ささやかながらも祝おうと豪華な料理を用意していたデライラ・トゥリクルだったのだが、多忙な夫は今日も帰ってこなかった。事前に連絡をしてあったにもかかわらず、だ。
(無理ならば、最初から言ってくださればよかったのに……)
そもそも、この結婚生活そのものが破綻していた。
多忙を理由に家を空けがちな夫。そのせいで、夫婦の営みなど数えるほど。
子どもも未だにできないということもあり、デライラは自身が貴族の妻としての役割を十全に果たせていないことに対しての負い目を感じていた。
それ以外の方法で何か役に立てたら、とも思うのだが、デライラの扱える魔術は少し特殊で、体への負担が大きい。
なので、結婚する前の段階で、夫から「結婚をするのであれば、その魔術を使うのはやめて欲しい」と言われていた。
それもあり、せめて夫とは仲良くしたいとあの手この手でアプローチをしてきたのだが、それも上手くいかなかったらしい。
政略結婚などそんなものだと言われればそれまでだが、それでも。胸に虚しさと寂しさがこみ上げてくるのは、事実だった。
一人で夕食を取ったデライラは、いつも通り風呂に入って寝る支度を整えた後、ベッドのふちに腰かける。
使用人たちも皆とても優しくしてくれるが、それもいつまで続くのか分からない。だって、肝心の屋敷の主人に、デライラは愛されていないのだから。
今日も仕事が忙しいと言っていたが、もしかしたらそれは嘘で、愛人とこっそり会っているのかもしれない。そう考えると、自分の立場も行動もすべてがより虚しくなり、デライラはまた溜息をこぼした。そして銀髪を指に絡める。
「もう諦めて、離婚を考えたほうがいいのかしら……」
思わずそう呟いたときだった。
『奥様、今宜しいでしょうか?』
そう声をかけられた。
許可を出すと、侍女頭のカミラがトレー片手に入室する。
「奥様、こちら、旦那様からの贈り物にございます」
「メレディス様から?」
「はい。どうやら、魔導具のようでして……」
デライラの夫であるメレディス・ギレットは、宮廷魔術師だ。その上、最高位かつ特異な固有魔術を待つ者には『魔法使い』としての称号の称号が与えられるのだが、メレディスはそのうちの一人である。
通称『瑠璃の魔法使い』。
王家から色の名を与えられた魔術師は両手で数えられるほどいない、という点からも、彼がどれほど優れた魔術師なのかが分かる。
また見目も大変麗しく、長い黒髪に瑠璃の瞳をしているのだ。普段から人を寄せ付けないような無表情をしている点も、女性陣たちにとっては高嶺の花のような感覚があり、大変人気が高いのだという。
特に最近は魔導具開発に精を出しているらしく、巷では『発明の魔法使い』なんて呼ばれているそうだ。
ここ最近で一番の功績は、『浄化装置』の発明だろう。
それもあり時折こうして魔導具を贈ってくれるのだが、デライラはいつもそれを「贈り物でご機嫌取りをしてきているだけ」だと思っている。
しかしだからといって開けないわけにもいかず、デライラは小さな小箱の蓋を開いた。
「……ピアス?」
そこにおさめられていたのは、瑠璃と翠玉がはめ込まれた、比較的シンプルなデザインのピアスだった。
思わずどきりとしたのは、その二つの宝石の色がまるで、瑠璃と翠玉を表しているようだったからである。
(……まさかそんなわけ、ないものね)
カミラに礼を言って下がらせたデライラは、試しにピアスをつけて姿見の前で見てみる。これなら普段使いできそうだ。
気持ちは少しばかり浮かれていたが、となりに夫がいない夫婦の寝室はひどく物悲しい。
「……もう寝ましょうか」
すっかり癖になってしまった独り言を呟き、デライラはピアスを外そうとした。
『――デライラ?』
「――――ッッッ!!!?」
そのときだった。
脳裏に直接語りかけてくるような声が聞こえたのは。
思わず辺りを見回したが、誰もいない。
デライラが激しく混乱していると、再度声が響いた。
『すまない、驚かせてしまったな。わたしだ。メレディスだ』
「……メレディス、さま?」
『ああ。そしてこれは魔導具による念話だ。だからピアスに意識を向けて、心の中で語りかけるだけで会話ができる』
そう言われ、デライラは少しばかり平静さを取り戻した。
しかしそれでも混乱していたのは、今までにないくらいはっきりとメレディスの声を聞いたせいだろう。
『(というより、一度にこんなに話されたのは、初めてなんじゃ……)』
そしてどうやら、その声はきっちりメレディスに聞こえてしまっていたらしい。
間。
『……今まで本当にすまなかったというより今日も本当に帰れなくてすまないだがしかし山積みの仕事を押し付けられて致し方なくいやそんなこと言い訳にならないなこの一年貴女とまともに話せなかったのはわたしの意気地がなかったためでありつまりあああああああ』
『メレディス様!?!?』
怒涛の如き勢いとだいぶ混乱した様子のセリフ。それらに、デライラは思わず悲鳴を上げたのだった。
完全にパニックに陥っていた夫を宥め、なんとか詳しい話を聞き出した結果。
夫の多忙さは事実であることが判明した。
それと同時に、メレディスが想像以上に口下手なことも発覚した。
そもそもこの魔導具を作ったのも、デライラをいざ前にすると緊張して話せなくなってしまうことから作ったらしい。
『そ、の……頭では色々と思い浮かぶのだが、いざ口にしようとすると、上手く話せなくなってしまうんだ……』
そう脳内に響く声は、ひどく申し訳なさそうで、かつ疲労を滲ませている。
今も山のような書類の山と格闘しているらしく、今日は帰れないのだと申し訳なさそうに告げた。
それを聞いたデライラは慌てる。
『お気になさらないでくださいませ。お仕事でしたら仕方ありません』
『しかし……結婚してから一年の記念日だ。できれば貴女と一緒に過ごしたかった……』
それを聞いたデライラは、ひとまず深呼吸をした。
(大丈夫、大丈夫、落ち着いて、私……そしてピアスを意識しないように……)
でないと、また心の声がメレディスに筒抜けになってしまう。
『(その一言で、舞い上がるくらい喜んでしまっていることに気づかれてしまう……!)』
流石にそれは恥ずかしい。
魔導具による念話とはなかなか難しいものだと、デライラは思った。
何より、メレディスに対して少しばかり申し訳なくなる。
(浮気しているかもしれないだなんて……どうして考えてしまったのかしら。恥ずかしい)
誤解の原因は、お互いに言葉を交わしてこなかったから。
そして話ができなかったのは、メレディスが口下手すぎたからだ。
しかし夫はそれをなんとかするために、忙しい中魔導具を作ってまでデライラと話をしようとしてくれている。
もちろん今まで放っておかれたことに対しての不満こそあれ、これから始められそうな状況をこのまま見過ごすわけにはいかない。ならば次は、デライラの番だ。
そう思ったデライラは、拳を握り締めてピアスに意識を向けた。
『そ、その。メレディス様。でしたら一つ、お願いがあるのですが……』
『な、なんだろうか……欲しいものがあるなら、いくら使ってもらっても構わないのだが……』
申し訳なさそうな声が脳裏に響く中、デライラは首を横に振る。
『違います。私、明日、メレディス様のお仕事場に向かいたいんです』
『…………………………え?』
『明日、昼食を持ってお邪魔しても構いませんかっ?』
(メレディス様が帰って来られないなら、私が行けばいいんだわ……!)
そう告げたデライラに、メレディスは動揺しながらも『ああ』と返事をしたのだった――
*
翌日。
バスケットに昼食を入れたデライラは、トゥリクル家の紋章付き馬車に乗って宮廷にやってきていた。
昨日宣言したこともありやる気は十分だったのだが、いざ宮廷に着くと少しばかり気持ちが落ち込む。
それはなぜか。
迎えにきてくれたメレディスの態度が、いつになく固かったからだ。
(や、やっぱり、いきなり来てしまったことを怒っていらっしゃるのかしら……)
しかしメレディス自身が言うには、彼は口下手で緊張しやすい性格らしい。それを考えると、今は怒っているのではなく緊張しているのではないか? と思うのだが、圧が強いせいでデライラの中にあった勇気が縮こまっていく。
横顔をちらりと見てみたが、いつになく険しい顔をしていてびくりと震えた。
(道中、念話も届かないし……やっぱり迷惑だったのでは)
そう思い、思わずピアスをいじって俯いていると、どうやらいつの間にかメレディスに与えられている部屋についていたらしい。
「入ってくれ」
「は、はい……」
扉を開けてもらい、中へ入るよう促される。
まるで狼の餌場に自ら飛び込むウサギのような気持ちになりながら、デライラはおそるおそる入室した。
中はどうやら、執務室のようだった。
一応ある程度整えられているものの、書類の山が机の上に乗っている。
きょろきょろしながらバスケットを両手に持ち立ち尽くしていると。
『よ、ようやく辿り着いた……どうしたらいいだろうかやはり紅茶? 最初は紅茶か? 道中は頭真っ白になるし、完全に浮かれて何も考えていなかった……くそ、徹夜明けで頭が……』
それを聞いたデライラは、バスケットを執務机前に置かれた来客用のテーブルに置き、メレディスの手を引いて椅子に座らせた。
「デ、デライラ?」
「メレディス様はここで座っていらしてください」
デライラはそう言うと、バスケットの中からピクニックセットを取り出した。
紅茶のカップと受け皿、それが二脚。そして紅茶の入った魔法瓶。これは、メレディスが開発した魔導具のうちの一つだ。入れたものをそのままの温度で数時間キープしてくれるという優れものだ。
それ以外に取り皿二枚、フォークやナイフといったカトラリー。
最後に、料理長が作ってくれた昼食が入った小さいバスケットを開く。デライラはそれをせっせと取り分けた。
『(そもそも、私がここへ来たのは、お仕事でお疲れのメレディス様に少しの間でもお休みいただきたかったから。それなのに肝心のメレディス様に無理をさせてしまうなんて……だめだわ。しっかりしないと)』
そう思いながら全てのセットを終え、「さあ、食べましょう!」と言うと、何故か分からないがメレディスが顔を片手で覆っていた。
「メ、メレディス様?」
『わたしの妻がこんなにもかわいい、かわいい……』
「……食べよう」
「………………は、はい」
(メレディス様、心の声が筒抜けです……)
思わず面食らってしまったデライラだったが、可愛いという言葉にぽぽぽ、と頬が赤くなる。
意外と冷え切った仲でもないのでは? と思ったのだが、それを口にするのは憚られるのでそっと胸にしまい込んだ。
そんな今日の昼食メニューは、スモークサーモンとクリームチーズときゅうりのサンドイッチと、ハムとレタスとチーズのサンドイッチ。それから桃やぶどうといった季節のフルーツに、ラム酒につけたドライフルーツがたくさん詰まったパウンドケーキだ。
それに魔法瓶から注いだ紅茶を添えれば、完成だ。
料理は「どれもメレディスの好物だから」と、料理長が張り切って作ってくれた。
その見た目からも分かるように、どの料理も大変美味しそうだ。
サーモンのサンドイッチを一口含めば、塩気が効いたスモーキーなサーモンとまろやかなクリームチーズ、そしてみずみずしいきゅうりのシャキシャキした食感の後に、ほんの少しだけ辛味のある粒マスタードがアクセントがやってくる。美味しい。
ちらりとメレディスのことを見てみたが、彼は黙々と食事をしており、美味しいと思っているのかどうかの判断ができなかった。ピアスの方にも反応がないので、顔色を窺うことしかできない。
それでも、以前ほどこの無言の時間を苦しいと感じなくなっていた。
全て食べ終えた頃、ようやくメレディスが口を開く。
「そ、の。来てくれて、ありがとう」
「いえ、お気になさらずに。むしろご了承いただけたことに驚いています。お邪魔かな、と思いましたので……」
「そ! んなこと、は、な……い」
つい大きな声を出してしまったためか、メレディスはひとつ咳払いをしてから、言葉を続けた。
「……仕事自体は、貴女がいらっしゃる前に片付けてある。なので邪魔などということはない」
「そうですか。よかった……」
「ただ……今日も研究室にこもるつもりだ。帰りは遅くなるだろうから、先に寝ていてくれ」
「……はい」
いつもよりかは話せてはいるが、それでもどこか事務的なやりとりが続く。
『(ほ、他にも、お話ししたいことがあるのに……お忙しいときでも、お食事はちゃんと摂ってくださいね、とか、多くの人の幸せのために、ご自身を犠牲にばかりなさらないでください、とか……)』
しかしそれを言ってもいいのか、デライラには分からない。
何故って、メレディスのことをあまり知らないから。
彼がどんな人で、どんな無茶をして、どんな思いでいま仕事をしているのか、知らないから。
この一年、本当に何も触れ合えていなかったのだなと、デライラは改めて実感する。
(このままだと、またいつもみたいに終わってしまう……)
そう思ったデライラは、ばっと顔を上げた。
「そ、の! メレディス様!」
「な、なんだ」
「また……また、昼食をもって、お尋ねしても構いませんか!? その……お邪魔ではなければ、ですが……」
瞬間、メレディスの瑠璃色の瞳が見開かれた。
彼は少し逡巡した後、ゆっくり言葉を発する。
「……もちろんだ」
「! あ、ありがとうございます!」
これで、メレディスが食事を取らないで倒れるようなことはないだろう。
そう思い、デライラは少しばかりホッとしたのだった。
*
それからも、デライラは頻繁にメレディスに会いに行った。
嘘とか建前ではなくメレディスは日々忙しそうで、しかしデライラが来たときは心の底から喜んでくれた(主に念話で)。
こう言ってはなんだが、メレディスは念話の中だとひどく饒舌だ。
そしてその念話のおかげで、メレディスの微妙な表情の変化にも少しだけ気づけるようになってきたのだ。
たとえば、嬉しいときは少しだけ目を細めるだとか。
あくまで少しだけだが、それでも立派な前進である。
(本当は、私の魔術で癒して差し上げたいのだけれど……)
しかしそれはやめて欲しいと、結婚時に言われている。
そのことにもどかしさを感じながらも、デライラは少しずつだが一緒にいる時間を増やして行っていた。
そんな日々が続き、早二週間。
デライラは今日もメレディスに会いに行っていた。
最初のうちはメレディスに迎えにきてもらっていたが、今では一人で歩いていけるくらいになっている。
(この念話の魔導具のおかげで、メレディス様が何を考えているのかも分かってきたし……私たち、もう少し前に進めるかもしれないわ)
メレディスが言うには、そろそろ忙しい日々も一段落つくらしい。
ならばその辺りにでも、もう少し夫婦としてのあり方について話していけたら。
そう思っていたときだった。
(……今日は、なんだか騒がしいのね)
デライラが、それに気づいたのは。
声はどうやら、研究所の奥から聞こえているらしい。
デライラは、その馴染み深い感覚に背筋にぞわりと悪寒が走るのを感じた。
(燃える、臭いと……そして、血の臭い)
故郷ではよく嗅いでいた、あのやるせない気持ちになる臭いだ。
そう思い、思わず立ちすくんでいると、いつの間に出てきたのかメレディスが目の前にいた。
「どうかしたか、デライラ」
「あ、その……何か、事故でもあったのでしょうか? 血の、臭いが……」
「……ああ、なるほど。おそらく、実験中に何かあったのだろう。ここまで派手なのは、滅多に見ないが……」
そうやりとりをしていたとき、廊下の向こう側から慌てたように走ってくる男性が現れる。
「申し訳ありません、トゥリクル卿! 力をお貸しいただけたらと……!」
「……何があった」
「実験に使用していた魔石が暴発しまして……被害が……! 怪我人も多数出ています!」
それを聞いた瞬間、デライラの体は思わず動いていた。
『(助けなきゃ)』
――傷ついた人間がいたら、助けなければならない。
それが、領主の娘として領民にできる唯一のことだから。
そう、実家にいたときのことが甦り、デライラが無意識のうちに足を進めようとするのを、メレディスが制した。
「デライラ。どこへいく」
「あ……そ、その、怪我人の救助のお手伝いができたらと……」
「貴女には行かせられない」
はっきりとした拒絶の言葉と、いつになく険しい表情に、デライラはびくりと肩を震わせた。
掴まれた手にも力がこもっていて、痛いくらいだった。それが余計デライラに圧をかける。
(怒って、いらっしゃる……)
デライラが怯えているのを、表情から悟ったのであろう。いつになく焦った顔をしたメレディスが、顔を歪めている。
しかしメレディスに頼みにきた男性はそれどころではないのだろう。「トゥリクル卿……!」と切羽詰まった声をしていた。
それを見たデライラは、笑みを浮かべる。
「いってらっしゃいませ、メレディス様。昼食は置いておきますので、お時間あるときにでもどうぞ。私は、お邪魔にならないように帰りますね」
「あ……」
少しの間逡巡した後、メレディスはそのまま事故現場へと向かった。
それを見送り、メレディスの部屋に昼食のバスケットを置いてから、デライラは足早に宮廷を後にする。
馬車に乗りながら、デライラはメレディスに掴まれたほうの手首を見た。
少し赤くなっていたが、言うほど強く掴まれてはいなかったらしい。
そこを指先で辿り、デライラは思う。
『(今まで、ずっと隠してきたけれど……メレディス様はどうして、私の魔術を禁止したのかしら)』
こう言ってはなんだが、大変便利な魔術だ。だからこそデライラは、自身がメレディスに見初められたのだと思っていた。実際、その魔術の話を聞いて、彼が地方にあるデライラの実家にやってきたのだ。
しかし彼は、この力を使うなという。
この、少し変わった――治癒の魔術を。
この国において、治癒魔術は希少だ。特に重傷者を治せるくらいの力を持つ者はそう多くない。
そしてデライラは、そのうちの一人だった。
『(私には、これくらいしか取り柄がないのに。これくらいしか、メレディス様のお役に立てることがないのに……)』
どうすればいいのかしら、と、デライラは一人途方に暮れた――
*
その日から、デライラはメレディスの研究所に行けなくなってしまった。
もらったピアスも、つけられていない。
メレディスが怖かったから、というよりも、自身の存在意義が分からなくなってしまったからだ。
(実家にいた頃の私の存在意義は、近年頻発していた魔物たちに傷つけられた領民たちの治療をすることだった)
喜んでもらえる。
ありがとうと言ってもらえる。
何より、必要としてもらえる。
天使だとか聖女だとか崇められたこともあった。
それは、デライラの存在意義を決定づけるものになっていた。
しかし結婚してからは、むしろ使わないでくれと言われた。
その上、子どもも成せていない。
嫌われてはいないが、愛されてもいない。
(なら私は、一体どう生きればいいの?)
この一年、積もりに積もった疑問が膨れ上がり弾けたのが、メレディスからはっきりと拒絶された瞬間だったのだ。
デライラは、生きる意味を見失ってしまった。
デライラがメレディスの元へ通わなくなり、一日一日を無下に過ごしてから三日経ったとき。
メレディスが久方ぶりに帰宅した。
一緒に食事でもどうですか、と侍女頭のカミラに誘われたが、断った。そんな気分ではなかったからだ。
(それに、メレディス様にお会いするのが怖い)
生きる意味を否定されたくない。
ただその一心で、デライラは私室の窓辺の椅子に腰掛け、ぼーっとしていた。
そんなときだった。
「……デライラ」
扉の向こう側から、そう声が聞こえた。メレディスの声だ。
たった三日だけなのに、妙に懐かしく聞こえる。
しかしデライラは答えなかった。
否、怖くて答えられなかったのだ。
(メレディス様だもの。きっと、呆れて立ち去るはず……)
そう思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
再度「デライラ」と声が聞こえ、彼女は俯いていた顔を上げた。
「返事をしなくて、いい……扉を開けてくれなくて、いい。ただ少し、話をさせてくれ……」
その悲痛な声に導かれるように、デライラはふらふらと扉のすぐそばへ近づいた。
「まず……三日前は、すまなかった。いや、それ以外の、結婚後の生活に関しても……すまない。謝っても、許されないと思っている。それくらい、私は貴女の気持ちに寄り添えなかった」
念話の魔導具なしで、メレディスがここまで話すのは、おそらく初めてだろう。少したどたどしいが、それでも本心だということは、分かる。
デライラは、そっと指先で扉をなぞった。
「理由は、ある。けど、今の貴女からしてみたら……言い訳にしかならないだろう。でも、聞いて欲しい……私は、貴女に、その魔術を使って欲しくなかったんだ。その治癒魔術が……怪我を自身の体に移した後、自己回復するというものだと聞いたから」
それを聞いたデライラは、びくりと肩を震わせた。
(どうして、メレディス様がそれを……)
「貴女の両親に、貴女を宮廷へ連れて行きたいと願い出たときに、教えてもらった。貴女の治癒魔術は、ひどく痛みを伴うものだと。だからどうか、娘を連れて行かないで欲しいと……」
(ああ……嗚呼)
両親の顔が、目に浮かぶようだった。
力が発現したのは、三年ほど前。
だって最初、この魔術を使ったとき、使うのをやめるように言ったのは二人だったから。
しかし娘を庇おうとした両親は、領民たちによって石を投げつけられた。娘の可愛さのあまり俺たちを捨てるのかと、暴言を吐かれた。
両親はそれでもデライラを守ろうとしてくれたけど、彼女自身が止めたのだ。
痛みくらいなら、鎮痛剤を使えばなんとかなるから、と。
そう笑って言ったけれど、けど鎮痛剤などでは耐えられないくらいの痛みで毎夜過ごすことになった。
治癒をしたすぐ後でなく、少ししてから痛みがやってくることが唯一の救いだ。痛みに喘ぎ、のたうち回る姿を人に見られることがないから。
それでも、両親を守るために頑張った。
本当は領民の賛辞などどうでもいい。
むしろ、デライラは怖かったのだ。領民たちの笑みが、怒りや憎しみに変わって、その矛先が自分と家族に向くことが。
だから自分で自分に暗示をかけたのだ。
『これは、とても尊いおこないなのだ』と。
その記憶が一気に呼び起こされ、デライラは唇を噛み締める。
それでもなお、メレディスは続けた。
「だから私は、貴女を娶ることにした。そして代わりに……魔導具の発明を進めることで、そもそもの原因である魔物を減らすことにしたんだ」
そこから聞かされたことは、あまりにも衝撃的だった。
魔物を減らすための浄化魔導装置作り。
それ以外の生活魔導具を作り、比較的安価で販売することで、領民たちの生活水準を上げ、不満の矛先がデライラの両親のような善良な貴族に向かないようにするための、施策。
それで得た金銭を使っての、各地への支援。
メレディスが一年かけて奮闘してきたこと全てが、デライラのためだった。
その話を聞かされ、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「そして……これが本命だ。貴女が治癒魔術を使う際の痛みを、代替えできる人形を作った。私がどんなに隠しても、いつか貴女が必要とされたときのことを考えて……」
先日の実験は、その人形作りのときに起きたものだった。
そう聞かされ、ぼろりと、デライラの頬から涙がこぼれ落ちた。
衝動のままノブをひねれば、そこには今にも泣きそうな顔をしたメレディスがいる。
その手には、先ほど言ったであろう小さな人形が握られていた。
「……言ってくだされば、よかったではありませんか」
これら全部、デライラのためなのだと。そう言ってくれたらよかったのだ。そうしたらこんな思いをせずに一年過ごさずに済んだ。
思わず口をついて出た不満の声に対し、メレディスはそっと顔を逸らす。
「……すまない。だが……貴女の顔を見るとどうしても、緊張して……一目惚れ、だったから」
「……え?」
顔を真っ赤にして絞り出した言葉に、デライラはあんぐりと口を開いた。
「領民たちを救う姿を見て、見惚れた。そしてその裏に隠された苦悩を知って、救いたいと思ったんだ……本当は貴女に『魔法使い』としての称号を与えるべきなのかどうかの、判断を任されて赴いたはずなのにな」
「そ、んな、そんな、こと……」
「……答えなくて、いい。むしろ、私を利用してくれ。だがどうか……そのときまで、私に貴女を、守らせて欲しい」
そんなことを言われて、胸がときめかないとでも思っているのだろうか。
その証拠に、先ほどまで湧き上がっていた怒りはしぼんで、今は恥ずかしさと嬉しさと焦りとをごちゃ混ぜにした感情が浮かび上がってくる。
少しばかり逡巡していたデライラは、ふう、と息をはくと口を開いた。
「条件が、あります。……これからはちゃんと、仰ってください」
でないと、デライラは何も分からない。感謝もできない。それは嫌だ。
そう伝えると、メレディスはこくりと頷く。
しかし慌てた様子でデライラのことを見た。
「あ、そ、の……」
「なんでしょう?」
「……念話魔導具を、使わせて欲しい……」
それを聞いたデライラは、面を食らう。
しかしすぐに破顔した。
「ふふ……分かりました、許しましょう、旦那様。それと……人形、作ってくださり、ありがとうございます」
そう言い、デライラはメレディスのことを抱き締める。
一瞬メレディスの体がこわばったが、恐る恐ると言った様子で抱き締め返してくれたのを見て、デライラはまた笑ったのだった。
それから、デライラが心の中で言ったと思っていたことがメレディスに伝わっていたことを知って悲鳴をあげたり。
『緑の魔法使い』としての称号をもらい、『最強の魔法使い夫婦』として世間の評判をさらっていくことになるのだが、それはもう少し先のお話。
「も、もう少し分かりやすい使用方法に……!」
「だがそうなると、またわたしが上手く話せなく……」
「そ、れは……困りますね……」
なんてやりとりがあったとかなかったとか。
念話魔導具、口下手なメレディスが自分のために開発したものでしたが、デライラもデライラで割と気持ちを押し隠してしまうところがあるので、お互いにとってちょうどよい魔導具でした。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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