シャークムービー☆パニック 〜気付いたらサメ映画によくいる金髪美女だったんですけど!?
ざーんざーん、と波が打ち付ける音が聞こえる。ひどく明るい日差し。肌を撫でるぬるい風は潮の匂いをはらんでいた。
「あれ……私、なにしてるんだっけ」
思考がぼんやりしていて、いま自分がどこにいるのか、なにをしているのか、よくわからなかった。確か仕事が終わって……金曜だから家で映画を見ようと思ったんだ。いくつか注文していたDVDがちょうど配達されて……開封して……
強い風が通りぬけ、私の髪が宙に舞った。でもそれを見た瞬間、強烈な違和感を覚える。私の髪は黒だ。染めてないから地毛のまんま、日本人特有の黒髪。なのに風になびいている髪が、みごとな金髪だった。細くて柔らかで、髪質からしてまったく違う。
「えっ」
とっさに伸ばした指先はネイルの施されたキレイなものだった。これにもびっくりして目が釘付けになる。ほっそりしていて、まるでモデルみたい。私こんなキレイな手してないのに。
そこから視線が自分の体に移った。ぼいーんとした胸部。ぺったんこなお腹。すらりとした手足にぷりっぷりのお尻。青竹を割ったような私の寸胴ボディ、どこいった。
パチクリとまばたき一回。
思考フリーズ。
十秒後、再起動。
ちょ、まっ、えええええーー!!
なにこれなにこれ!!
わたし水着じゃん! 黒ビキニじゃん!
ていうかなにこの胸大きくない!? 手からはみ出るんですけど! 手からはみ出るんですけどっ!!
「ねえリサ、なにやってるの。早くヨットに乗りましょうよ。あなたが来ないと始まらないわ」
自分の胸を抑えながらショックを受けていると、黒髪のすごくセクシーな女の子に声をかけられた。彼女も水着で、そのありがたいナイスバディをこれでもかと陽の下にさらしている。
え、誰がリサだって?
誰だそれ、と思ったのだけど、不思議とこの体に刻まれている記憶が脳内で再生される。
……そうよ。そう、私はリサ。
リサ・ジョーンズ。
顔よし、スタイルよしの天然ブロンド美人。チアリーディングのセンターをやってて、彼氏はアメフト部のクォーターバック。学校内ヒエラルキーはほぼ頂点。取り巻き多数、向かうところ敵なし。そこらの底辺男子は私に話しかけることさえ許されないの。だって私はリサ・ジョーンズなんだから。
「んなワケあるかぁぁい!!」
なにがリサだ! 私はしがない日本人だっつーの!
なんなら鈴木ありさだよバカやろー!
落ち着け私。ほら、呼びに来た子が……そうよセスよ、セスが怯えているじゃない。まず思い出すのよ。私はなにしてた? そう、新しく買ったDVDを家で観ようとしてた。個人的にマイブームな大味B級映画鑑賞会。サメとかゾンビとかコミック実施とか買ったじゃない。でも思いのほか疲れてたのか、本編前の予告集を見ながら眠たくなってきて、眠気にたえながら見た本編のビーチはここにそっくりで……
「——金髪美女、水着、ビーチ」
目に入る景色をひとつずつ確認していく。英語しかない看板、燃費ガン無視の左ハンドルアメリカ車、日焼けに精を出しているビーチの人々。どう見たって外国、それもアメリカっぽい。
海辺を見ていると向こうからえらく体格がいい青年がやってくる。短い巻き毛、顔と筋肉がカッコいい。腕にはタトゥーがあった。でもなんでかな、ある単語がふわっと頭に浮かぶ。
「いけ好かないジョック」
ジョックっていうのは、スクールカーストのトップに君臨するイケてる男子のことだ。アメフト部キャプテンな彼は自信家で、ちょっと性格に難ありだけど超がつくほどカッコいい私の彼氏だ。
「水着のお姉さんたち、もとい、エサ」
周りを見れば、普通よりはるかに顔面・スタイル偏差値が高い水着女子が何人もいた。隣には怯えているけど黒髪のセクシーな子がいて、なんだったら私も不遜ながら水着のお姉さんだ。
「さえない主人公」
少し離れた場所に目をやれば、木陰で本を読む男の子がいる。この派手なメンツの中であきらかに浮いている。いわゆるナードってポジションだ。ジョックの対極であるカースト底辺の男子のことで、なじみのある日本語なら非モテ陰キャ。しかし時として彼はその行動範囲のせまさから危機を逃れ、主役補正をもって誰よりも生き残る可能性を持っている。
「ここって、サメ映画の世界……?」
新作のサメ映画を見てたじゃない。なんてタイトルだったかな、ああもう忘れちゃった。けど雰囲気が似てる。もしかしたら見てる途中で寝ちゃって、それで夢を見てるのかも。妙に感覚がリアルだけど。
自分の水着姿を見て考える。
もし、仮に、ここが映画の世界だとしたら。
私もこの子も、サメに食べられる金髪美女のお姉さんじゃない? 主人公をバカにしつつ、イチャイチャしてリア充を見せつけ、観衆のヘイトを一身に集めたのちにサメのエサになっちゃう系お姉さんなんじゃない!?
「どうしたんだよ、リサ」
沸騰しそうになる頭を冷ましてくれたのはイケメンだった。スクールカーストの頂点であり、私の彼氏であるレイニーは、とろけるような笑顔で近づき私の腰へ腕を回した。その事実に鼻血を吹き出しそうになるのを必死にこらえ、そっと胸を押して距離をとる。
「なんだよつれなくしちゃって。ほら、行こうぜ。みんな待ってる」
「……具合が悪いから、ヨットには乗らない」
私はリサ・ジョーンズ。
リサとしての記憶もあるけど、THE日本人ありさとしての意識がある。そしてサメ映画をはじめいくつかのパニック映画を観た者ならば、必然的に襲われやすいイベントはわかる。ヨットなんて危険極まりないわ。というか海そのものが死亡ゾーンよ。
私が行かないのならとビーチに残った黒髪セクシーこと友人のセスと彼氏のレイニー。しばらく海を見ていたらウェイ系パリピ族をのせたヨットが発進した。何事もなければいいの。この奇妙な憑依体験をめいいっぱい楽しむのもありだ。
……でも予感がする。
それも肌寒いくらいの、悪い予感が。
パリピたちがウェイウェイしながらこちらに手をふっている。本来だったら私たちも乗っていたヨットはふよふよと波に漂っていた。
「……ん?」
一瞬揺れた気がしたけど、誰もなにも反応しない。波は穏やかなままだ。でも迫りくるフカヒレが見えないからといって油断は大敵。映画の冒頭ってまずは最初の見せ場であるから、やるなら派手にするはずだもの。そして派手な演出の前には、不気味なほどの静けさが必要で。
一度だけまたたきをしたその瞬間だった。いきなり海面が水しぶきをあげ、ヨットが真上に吹っ飛んだ。そこに見えたのは大きなシルエット。巨大なサメの尾びれが見えた気がした。
「うそ! ちょっと、なによアレ!」
セスが口を押さえながら声を上げる。
遠くの木陰で主人公であろうダニエルがよろりと立ち上がった。本を片手に持つ姿は今までならオタクウケると一蹴していたけど、地味ながらもスッキリした容姿は今後ヒロインと心を通わせるくらいの説得力がある。
ああ、物語がはじまった。
大きく巻き上げた水しぶきで視界が不明瞭なまま、人間の悲鳴とバキボキという破砕音が響く。そして現実世界ならあり得ない獣のような咆哮が聞こえた。
恐怖でこわばる体に喝を入れる。
「……海から離れなきゃ。ほら行こう!」
「え、ちょっと、リサってば」
「レイニーも早く!」
セスの手をつかんでホテルへ向かって走り出した。私たちは夏のバカンスを利用して遊びに来ている学生だ。ああもう、ここもありがちな設定だよチクショー!
「まずは着替えよ。こんなハレンチな格好、食べてくださいって言ってるようなもの! 即刻やぼったい服を着なきゃ」
「はあ?」と怪訝な返事をするセスは無視してできるだけ足を動かした。つないだ手を離さないようにしっかり力を入れるが、そこではたと気付く。
「しまったあああ! 百合展開を匂わせたら危険だわああ!!」
サービスシーンと称し女の子同士でイチャついた場面があると次のシーンではガブりはお約束のひとつだ。ちょっとツンケンしてるけどセスだって良い子だし、こんな所で死なせたくない。
「おいおい、どうしたんだよリサ。いつものキミらしくない。それとも新手のお誘いか?」
「だまらっしゃいイケメン! あなたとのフラグが一番危険なのよ、死にたくないなら大人しくしてて!!」
呑気なレイニーを叱り、私は心を決める。
どうにかして生き延びてやる。
例えエサ枠だろうとも、金髪美女も黒髪セクシーもイケメンジョックも、みんな生きてる人間なんだ。人生があって、思い出があって、友情や恋があるんだ。
ここがサメ映画の世界なら危険なのは海だけじゃない。川にも陸にもやつらはいるし、竜巻にのって街へもやってくる。モンスター化していたら、それこそどこにだって現れる。トイレの中すら気を抜けないのだ。だってそのクレイジーさがサメ映画の醍醐味。
この世界のサメがどんなものかは分からないけど、死にゆくムーブなら分かる。知っている。
「絶対、絶対、エサにはならないんだから……!」
さあ、気をつけるのよリサ。
フラグを立てたヤツから死んでいく。