9話
「鷹村、勉強会しようよ」
清水律のその言葉で、清水家でのテスト前勉強会が決定した。
「鷹村、アイスティーでい~い?」
「ああ。お構いなく」
清水家のリビングに居心地悪く腰を下ろし、キッチンから聞こえてくる清水の声に答える。白い毛長のカーペット、革の重厚なソファ、凝ったデザインのテーブル、全体的にお金がかかってそうな広いリビングで飲食するのも気が引ける。家の大きさや外観は普通なのに、調度類がどれも高級感あるのだ。家族のセンスだろうか。
「あ。怜奈来たかな?」
物音がした玄関に向かう清水の背を見送った俺は、鞄から素早く端末を引き出した。通信相手はサポートキャラの日村衛。
『手土産は食べやすい物に』
後から来る予定の日村にメッセージを送る。間違っても崩れやすい物とか買ってくるんじゃないぞ。
「はい。どーぞ。日村何だって?」
目の前のテーブルに水滴のついたグラスと、クッキーの入った皿が置かれる。
「サンキュ。連絡はまだだ。水戸来たんじゃなかったのか?」
「どういたしまして。気のせいだったみたい。もう少しかかるかなー」
部屋着に着替えた清水がすとんと斜め前に座り、クッキーをつまみ始めた。ピンクとグリーンの太ボーダーのティーシャツに、デニムの短パン姿は、スポーティーな清水の雰囲気によく似合っている。健康的な太腿もがっつり見れて眼福だ。
「親御さんは仕事か?」
「うん。共働きだから夜までいないよ。お陰で自由にやってます」
ん? これは振りか? 勉強会が特別イベントだろうとは想定していたが、清水と二人きりの時間が設けられるとは思わなかった。もしや好感度を上げるチャンスなのか。
「も~試験勉強なんてイヤだぁ!」
突如雄叫びをあげた清水が、横長のソファにダイブした。俺はソファを背に座っていたから、背後に回った彼女の上半身はほとんど見えなくなる。
「まだ始めてもないだろ?」
揺れる生足が視界の端をちらちらするのを横目に、俺は答えた。
「わかってるー。わかってるけど、やらなきゃーって思うと面倒なんだよー」
俺は敢えて後ろを振り向かない。清水はしばらく往生際悪く足をバタつかせていたが、ふいにそれを止めた。
「そーいや鷹村、鷹村って美琴ちゃんと一条センパイとどっちが本命なの?」
「はっ!?」
予想外の言葉に結局振り返ってしまい、予想以上に近くに清水の顔があることにたじろぐ。清水が口許を綻ばせる。
「好意丸出しで追っかけてくる後輩と、脆いガードを翳して待つだけの人気者の先輩と、どっちが好みなのかなって」
突然の言葉と態度に若干動揺したが、表には出さずに冷静に返してやる。
「色んな方面に失礼な言い方じゃないかそれ。ったく本当に女ってそういうの好きだな」
「だって気になるじゃん。鷹村、何だかんだ言って美琴ちゃんを強く拒絶しないし、その傍らでどう見ても一条センパイのストーカーやってるし」
「おい。ストーカーって言い方やめろ」
流石に気になって指摘すると、清水は驚いたように俺をまじまじと見た。
「え? 鷹村自覚なし? だって休み時間の度にセンパイ探し回ってるわ、色んな人にセンパイのこと聞き回ってるわで、それのどこがストーカーじゃないの? 皆言ってるよ」
それを聞いて俺は愕然とした。そうか、ここはミステリーAVGの世界じゃない。事件なんて起きていないのだから、探偵のように堂々と情報収集していたら、単なる不審者扱いされるのか。
俺はぐったりと後頭部からソファに凭れ掛かった。
「鷹村? 鷹村? ショックだったの? おーい」
ソファに乗せた頭をつんつんつつかれたが、無視する。皆か……ということは、藤堂さんやログ見てる監視員からもそう見えるのかな。まさかな。これはテストプレイだからってわかってくれるよな。お願いだわかってくれ。
ぐだぐだと見えない相手に言い訳してると、突如目の前か暗くなり、ふわりとアーモンドのような甘い香りに包まれた。
「何だ?」
目を覆った温かい手を持ち上げると、上下逆になった清水の顔に覗き込まれた。彼女がくすりと笑う。
「鷹村って意外と弱メンタルだよねー。見た目強気って感じなのに」
「うるさい。別に普通だ。見た目は関係ない」
「だって結局どっちの子にも強く出ないしー」
くすくす笑う清水の細い髪を、もう一方の手で一房摘まんで引っ張ってやる。つられて清水の顔が俺の方に近付く。
バレーという室内競技の部活のせいか、彼女の肌はあまり日に焼けていない。首筋や肩のラインに程よく筋肉がついており、掌も大きめな所がらしいと言えよう。
握ったままの手の方に僅かに力をこめると、思ったより柔らかい弾力が返ってきた。摘まんでいた黒髪がするりと抜けたので、代わりに細い首裏をさらってやる。そして──
コツリという上方の物音と共に、唐突に硬質な可愛らしい音楽が鳴り響いた。
「──!」
手の力が緩んだ隙に、清水がするりと俺の元から抜け出し起き上がる。キャビネットの上から端末を取ると、音楽が止まり端末の上に少女姿の三次元ホログラムが浮き上がる。
「あ。怜奈そろそろ着きそう? うん、大丈夫だよーそんなの気にしないで」
半透明の少女がくるくる回る。小さな少女に対峙する清水が、会話をしながらふとこちらを流し見て、意味ありげに笑った。
俺の心臓がどくんと音を立てる。浮かんだ考えが飛沫のようにするりと手を擦り抜け、ただ一つの想いだけが俺の元に残る。
そうか。イベントは対象を攻略する機会じゃなく、プレイヤーが落とされる機会でもあったんだな。
『プレイヤー鷹村理人、陥落しました』
いつもの声が響き渡る。グラスが、テーブルが、そして少女の姿が徐々に遠ざかり、俺の視界が白に染まる。
※ ※ ※
「──鷹村さん、お疲れ様です」
「……藤堂さんも。お疲れ様」
「何か疲れてます?」
「いや……まあダイブ初日だし、少しくらい疲れても不思議じゃない。ところで藤堂さんはエンディングいくつ制覇した?」
「えーと、一つ重複しちゃったんで三つです」
「奇遇だな。全く同じだ。重複したのは誰のどのルートだ?」
「……担任の鏡圭司ストーカーエンドです」
「藤堂さん、ああいうタイプが好みなのか?」
「一度! 一緒にいましたよね!? ドナドナのわたしを鷹村さん見捨てましたよねっ!?」
「いや、二度目も行ったってことは、気に入ったのかなと」
「わたしああいうタイプ、趣味じゃありませんので。鷹村さんこそ、重複してるのってまさかロリ垂涎高坂美琴エンドじゃないですよね?」
「……」
「え。ホントに? また? 鷹村さんこそやっぱり彼女みたいなのがタイプなんじゃ……」
「違うっ! 俺はもっと巨乳で清楚なタイプが──じゃなくてだなあ!」
「あーやっぱ巨乳がいいんですね。ついでに女教師とか好きだったりします?」
「は? そりゃそんなの普通の男ならそれなり、に……なあ、話を変えていいか?」
「はい♪ ゼヒお願いします」
「……再確認する。エンディングパターンは一プレイヤー三十二だったか。エンディングを網羅するとしたら、重複考慮したとしても単純計算で二週くらいか」
「でもゲーム難易度は進行すると大抵変わってきますから断言できなくないですか?」
「ああ。しかもプレイヤーは同じゲームを繰り返すと脳が慣れて、同じ現実時間でもよりゲーム内時間が長期化する傾向にある。つまり俺達も明日の方が長くゲームにいられる可能性が高い」
「脳がダイブで使った回路を保持してて、処理速度が早くなる、んでしたっけ。そうすると今日エンディング四つ遂行しましたけど、明日いくつ行けるか見てからの方が様子わかるんじゃないですか」
「……藤堂さん、念のための確認だけどラブワの基本技術者資格取ってるよな?」
「当然じゃないですか。応用も取得済みですよ」
「だよな。ちょっとあまりにも大雑把な言い方に不安が……まあいい。明日の方針は決まってるか?」
「とりあえず手当たり次第進んでいって、壁にぶち当たった時に探りを入れるっていう方針で進んでいこうかと」
「行き当たりばったりかつ大雑把なのは性格か。ちなみに俺はもう少しリサーチしたいと考えている。プレイヤーやサポートキャラの死亡等、取り返しのつかない事態になったらどんなペナルティがあるかわからん。それだけは避けたい」
「ミステリーAVGじゃないんだから、そうそう簡単に人死に起こりませんって」
「わからないぞ? RPGだってぼこぼこ死ぬだろ?」
「ぼこぼこ蘇生できますから」
「これだからRPG畑のヤツらは……とにかく。特に拘りなければ、木村セオを集中的に攻略してみてほしい」
「一年のセオ君ですか? 理由は?」
「どうやらNPCには何らかの組合せがあるらしい。攻略を進めようとすると、特定の男キャラから妨害を受ける。その検証をしたい」
「へえ。恋敵システムですか。いいですよ。結果だけは教えて下さいね。ちなみに木村セオはどの女の子キャラを攻略対象とした時に妨害してくるんですか?」
「三年の一条雅だ」
「……ああ! 清楚系……巨乳?」
「それは忘れろ」
「いや制服だとわからないけど、脱いだら……あっ! まさか鷹村さん脱がせ……」
「脱がせても触れ──てもないわっ!!」
「今一瞬詰まりませんでした? やっぱり──」
「藤堂さんの気のせいだっっ! また明日なお疲れ様!」
「お疲れ様でしたー」