8話
「もうさー。わたし疲れたのよ。ホント何でこんなことやってるんだろうってたまに思っちゃう。いやまあ、やらなきゃならないから、やってるんだけどね」
薄茶色の短髪が陽の光を弾いてきらきら光るのを眺めながら、休み時間にわたしは教室の机に頬杖をつきながら喋り続けた。視線を頭から首筋、肩、腕に落としていく。健康的な輪郭や二の腕は既に固くしっかりしているが、それでもやはりどこかまだ丸さが残っている。いいわー。癒される。
「あー。こうやって現実逃避してる間にまた休み時間が終わっちゃうー。流石に昼休みまで消費してまた注意とかになったら馬鹿みたいだから、そろそろ行かないとだわ。あー。ヤル気出なーい」
ぐじぐじ言いながら、ゆっくり立ち上がる。いつまでも教室にいても仕方ないのはわかっているんだけど、どうしても外に出る足が重くなる。
「あ。煩くしてごめんねー。ありがとね」
最後にお礼の言葉をかけてみたが、立木悠生はちらりともこちらを見ず、ただ机に頬杖をつき無言で座っていた。
さて。やっと迎えた四周目の時間です。三周目の結果? 悪いけど思い出させないで。もう金輪際! 二度と! 生徒指導室には入りません!!
そういえば結局鷹村さんは誰に陥落したのだろう。先にゲームオーバーになっちゃうと、他のプレイヤーの結果がわからないのがこのゲームの困った仕様だ。
ちなみにわたしの今周の方針は、最後の攻略対象の探索だ。今更だが、やはり先に敵を抑えておくべきだろう。
先生、後輩、同級生と来たら……普通に考えたら残りは先輩が妥当。わたしは三年の教室に向かう。クラスメイトのサポートキャラ、泣田紗枝に調査依頼をするのも考えたけど、とりあえず足で情報収集した方が早い気がするから、彼女には別のことを依頼してある。鏡圭司の弱点、入手できるかしらね。
三年の教室が立ち並ぶ廊下を歩く。通り過ぎる生徒達の姿は、やはり最上級生というだけあってどこか皆大人の輪郭を帯びてきている。それらの様子を目で楽しみながら、一クラス一クラス通り過ぎていく。情報収集の基本は足からとは言え、こんなただぶらついているだけで見付かったら都合よすぎ──あ、いた。
わたしは廊下で友人とお喋りに興じる、明らかに他とは違う容姿を持った男の子を見て笑ってしまった。RPGでもよくあるけれど、行く先々で主要登場人物があっさり現れるのは、恋愛ゲームになっても鉄板なのかしら。
「こんにちは。先輩」
とりあえず話しかけてみると、柔和な顔立ちをしたスマートな男の子が友人とのお喋りを止めて軽く目を見開いた。
「こんにちは。君は……えーと、二年の立木君……と同じクラスの藤堂さん、だったかな?」
いきなり名前を当てられたことに、流石に驚く。
「先輩とお話するのは、これが初めてだと思うんですけど、わたしのことをご存知なんですか?」
「いや。俺は一応生徒会長だし、全校生徒の顔と名前を覚えるのが特技なだけだよ。それで、俺に何か用かな?」
そうか、生徒会長なんだと、とりあえず一つ得た情報を頭に刻む。
「先輩に少しご相談したいことがあったんです。ただちょっとここでは……」
辺りを伺い言葉尻を濁すと、生徒会長という彼は目をぱちぱちとしばたいた。
「相談? 俺に相談があるなら、いつでも聞くよ。もしここでは話しにくいと言うのなら、生徒会室を開けるけれど」
「いえ、そこまでして頂く訳には。すみません。何か……ちょっと気持ちだけ先走っちゃいました。また今度にさせて下さい」
「そう? 俺は今すぐにでも聞けるし、聞きたいなと思うんだけど、君のペースで話してくれるのが一番だからね。でも本当に大丈夫?」
「はい。ありがとうございます」
とりあえず攻略対象を確認することが目的だったし、そもそもどういう風に話を持っていくかも、何も考えてない。今適当にでっち上げた相談の名目なんて例の妖しい担任か、生徒指導室という何にでも使えてしまう密室への問題提起くらいしか思い浮かばない。仕切り直したい所だ。
だけど、うーん。
「じゃあ、何かあったら遠慮なく言ってね」
柔らかに微笑む彼の攻略は、どういう切り口がいいのか正直悩む。この子、笑顔だけど目の奥が笑ってない。今話している間も、とても冷静に観察されている気がする。生徒会長でそれなりに聡そうだし、下手な対応はマズイだろう。装備とアイテムと情報を集めて戦いに挑まないと。
「生徒会長に有効な武器って何かしらね」
──と思って地道に好感度を上げた結果が、こちらです。
「円架ちゃん、会えて良かった。俺最近バタバタしてたから今日も会えないかと思ったよ。さあ入って。この時間、他のメンバーは来ないんだ」
秋月遼が嬉しそうにわたしを生徒会室に招く。三階にある生徒会室は、普段は人の出入りがないがイベント近くなると常に誰かしら詰めていると聞く。今はたまたま閑散期らしい。
鼻歌でも歌いだしそうな彼の様子を見て、わたしは笑った。親しくなって感情が少しずつ表に出るようになってきたのは、素直に可愛らしいと思う。
「秋月先輩、申し訳ないけど今日はすぐ戻らないといけないんです」
「……何故?」
生徒会室の扉を抑えていた秋月遼の動きが止まる。ついでに表情筋も固まる。笑顔で。いやそれ怖いから。
「試験前なんで、休み時間に勉強をしなければならなくて。悪い点取ったらどうなるかわからないので」
そう。担任の指導とか、担任の補習とか! 嫌なイベントが想像ついてしまうから、できるだけ良い点を取っておきたい。
「試験か。三年は免除されているから、失念していたな」
「クラスメイトと勉強会やろうかって話も出てて、とりあえず休み時間と放課後はしばらくかかりきりになりそうです」
「勉強会?」
多分これもイベントなんだろう。何故か立木悠生、そしてサポートキャラの泣田紗枝も含めた男女グループで勉強会を開くことが決定していた。友達と試験勉強なんて久しぶり過ぎだから少し楽しみでもある。
秋月遼がにこやかに目元を細める。
「うん。それなら俺が勉強教えてあげるよ。級友と勉強会もいいけれど、中々集中できないんじゃない? 俺なら通ってきた道だからよくわかっているしね」
「え? まあ、それはありがたいですけど」
「決まり。とりあえずお入り」
背中を優しく押されて部屋に入る。うーん。よく話すようになってわかったけど、この子少し強引なのよね。口調が柔らかいから誤魔化されがちだけど。
「ちなみにどの教科が心配なの? 全部教えてあげるのは構わないけど、優先順位をつけよう」
「時事、文学辺りです。でもこれって記憶力勝負の詰め込みがメインですよね」
「そうだね。ただ出題傾向を知っておいて損はないから、ポイントを教えようか」
「ありがとうございます」
どうやら今から教えてくれるつもりらしい。部屋にコの字型で並ぶ長机に促され座り、教科書を出し広げる。机は書類やら筆記用具やらで区画ごとに微妙に別れているようだ。役員メンバーが座る所も決まっているのかもしれない。わたしが座った所はわりかし整理されていて、机の主の几帳面な性格を垣間見ることができる。誰の席かは不明だ。
そんなことをつらつら考えていたら、独特の甘みを持つ海外の樹木のような香りが鼻孔を掠めた。
「じゃあいいかい。今の時期だと範囲がここだから……」
座るわたしの背後に立った秋月先輩が、わたしの肩上から腕を伸ばして机に置いた本を捲る。触れてはいないが背中に伝わる体温。そのまま腕の中に閉じ込められそうな体勢だ。少し近い。一瞬胸が弾む。
「そういえば円架ちゃんって、一組の鷹村君と仲良いの?」
「ああ、鷹村さんですか」
本にチェックを入れながらわたしは思い出す。
『藤堂さん、次辺りで初日は終了だ。向こうに戻るぞ。戻ったら振り返りさせてくれ』
今周で接触したのはあの時くらいだ。先輩に見られていたとは気付かなかった。
「仲良いという程ではないですが、それなりに喋りますね」
「そう。彼は良くない噂を聞くから気を付けて。もし円架ちゃんにも妙なちょっかいかけてきているようだったら、俺の方で手を打つから──あ、そのページの三つ目のヤツが多分出題される」
「ありがとうございます──?」
ちょっと待って。手を打つって何をするつもり?
「ん? ああ俺が直接どうこうするつもりはないよ。目に余る行動をしているようだったら、生徒指導を行ってもらうんだ」
「先輩! 生徒指導室は、教師と生徒が二人きりになってしまうという構造上、色々な意味であまり良くないってお話したばかりじゃないですかっ!」
振り仰ぐと、間近に覗き込んでいた彼の顔が驚いたように僅かに離れ、次いで目元だけが笑みの形を描いた。
「うん。確かに君の危惧していた通り、好きな教師と近付きたい一心でわざと入ることを画策する女生徒もいるみたいだね。でも実際あそこに入った生徒は、高確率で改心して二度と同じ過ちを犯さないんだ。その実績を無視することはできないよ」
わたしの脳裡に、密室で巨乳美女の教師に迫られる鷹村さんの姿が思い浮かぶ。ダメ! わたしのせいで鷹村さんが教師アウトのループに嵌ったらマズイ怒られそう! でも鷹村さん的に巨乳美女に迫られまくってオイシイ思いするのはあり? わたし怒られない? むしろ感謝される?
「先輩! わたしは特に鷹村さんから被害を受けていませんから! 彼はとてもいい人なので、その噂というのも何かの間違いか誇張されている可能性が高いです! 何かあったら言うので早まった判断はやめましょう! ね!?」
「そう? ……うん。わかったよ大丈夫」
大丈夫って何が? どう大丈夫なの? 秋月遼の表情は読みづらいというか、腹に一物ありそうで全く安心できない。
「ところで先輩、以前お話していた無料テーマパークの検討は進んでいますか!?」
とにかく話を逸らそうと話題を振ると、先輩は今度こそ嬉しそうに笑った。少し幼さがにじみ出る笑顔。うん。こっちの方が安心する。
「そうだね。やっぱりスポンサーの選定が重要かな。入場料という収入が得られない以上、スポンサーからの出資、園内での飲食・物販が運営費となる。正直どんなに地価が安い所に建設しても資金繰りが厳しいから、当然スポンサーにも出資額も多く募らなければならない。必然的にそれに見合うだけの企業側のメリットが必要となる。広告だけでなく、テストモニターも可能とするつもりだけど、やっぱりボランティアというか、出資を宣言するだけで箔付けとなるブランド性を持たせて、ついでに個人スポンサーも得たいんだよなあ」
この話をする時、先輩はいつものポーカーフェースが崩れ、本来の優しさや未来への希望が覗く。ご家庭が貧しいという彼は、昔幼い弟妹が遊園地等に行けなかったことを憂慮し、いっそのこと自分で作ってやれ、という発想となったらしい。それ自体は可愛らしい夢だけど、実際に起業や収支といった具体的な部分を、学業の合間に検討し、動き始めているというのだから尊敬する。
若いっていいなあと微笑ましく聞いていたら、突然彼と目が合った。不思議に思う間もなく、ふわりと優しく抱きしめられる。いや。縋りつかれる、といった感じが正しいのかもしれない。
「円架ちゃん、ありがとう。俺の話を真面目に聞いてくれて」
いや笑うような話でもないでしょう。むしろ中身は社会人のいい大人のくせに、有効な提案もできずごめんなさいだ。
先輩が顔をわたしの頬に擦りつけてきた。何か動物みたいな動きで笑ってしまう。彼も生徒会長という役割と学業、そして家でのあれこれで疲れているのかもしれない。
頭をぽんぽんと叩いてあげると、彼は嬉しそうに笑った。振動が肩に響く。
「この話をしたの、君が初めてなんだ。君は俺にとって、とても大切な人だよ」
「何言ってるんですか。大げさですよ」
「そうかな。俺も初めてだからよくわからないんだ。でも、この穏やかな時を離すのは惜しいな。──だからそう、君を奪うようなヤツがいたら絶対に許せないと思う。鷹村理人も、木村セオも、立木悠生も、鏡先生だって」
「ちょーっと待ちなさい! 待って! どこからどうしてそんな話になるの!? わたし今回彼らとそんな接触していないはずだけどっ!?」
また肩に振動が響く。笑う所? 違うわよね!? ホント訳わからないんだけどッ!?
「大丈夫。君が心配するようなことはないよ。少し邪魔だから君にしばらくの間接触できないようにするだけ」
「ヤメテわたしの癒しまで奪わないで! ──じゃなくて、本当に困るからやめて! 何するつもり?」
「……」
しばらく沈黙が続いた。先輩はわたしの肩に顔を埋めたきりなので、表情が見えない。
「先輩? あの」
「うん。君が困るなら変なことはしない。──ところで誰が君の癒しなの? 教えて」
「ぜぇったい教えるもんですかぁぁぁぁぁっ!!!」
『プレイヤー藤堂円架、陥落しました』
こうしてわたしの四周目は、何かよくわからない恐怖と怖れの動悸により終了した。
あの、恋愛ゲームってこういうものだったかしら?