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72話

『鷹村さん、藤堂さんお待たせしました。半崎です。開発者権限を取り戻し状況も確認できましたので、外部強制切断の決行を停止しました。現在プレイヤーログアウトを最優先事項として改修を進めています』


 猪のうりちゃんが、いつもの声でいつもとは違った口調で言葉を紡ぐ。

 未唯が呆然とした表情で唇をわななかせる。


「え……なに?」

『サポートキャラクターである猪と刀は、独自ネットワークを通じて改修済です。その刀でバグ本体を破壊すれば道は開けます』


 その言葉にわたしは悠生を抱き締める手に力を込め、鷹村さんを見上げた。鷹村さんはずっと静かだ。わたしが半崎さんの指示通り未唯の注意を引いている間も、うりちゃんが鷹村さんの元に訪れた時も、未唯を破壊するための刀身を握る今だってずっと変わらない。


「未唯」

「──いや」


 鷹村さんの呼び掛けに未唯が首を振る。


「いや、いや、理人兄なにする気なの? ねえ理人兄」


 鷹村さんが未唯の元に近付く。一歩、また一歩。


「やめて。来ないで理人兄」


 黒く染まった顔から更に血の気を失った未唯を、ちょうど見下ろす位置で鷹村さんの足が止まる。あとほんの少しで手の届く距離。


「やだ。理人兄怖いよ。わたし理人兄を怒らせちゃった? でもわたしだって必死なんだよ。理人兄が好きだから、本気でずっと一緒にいたいって思うから」


 彼女は必死に彼を見上げ乞う。そこに求める何かが必ずあると言うように。

 鷹村さんの表情は陰になりわたしからは見えない。


「理人兄──」

「ああ」


 鷹村さんが応えてくれたことに未唯が今にも泣き出しそうな安堵を浮かべ、そして凍り付く。自らに向けられた表情に。


「ごめんな、未唯」


 彼女の顔が絶望に染まりきる前に、鋭利な白い刀身が細い身体に吸い込まれた。





 パリンと硝子の割れるような音がした。

 と同時に脳髄まで響くような耳に痛い軋み音をあげて床の亀裂が広がり、落ちたガラスの破片が光を失う。

 倒れた棚の端がさらりと崩れ、床に零れ落ちる寸前に消える。

 天井を走る柱が砂糖菓子のように粉となり、きらきらと宙に舞う。

 崩壊が静かに始まっていた。


 未唯は膝立ちのままぽかんとした表情で微動だにしなかった。

 その様子は酷く幼く見え、腹部に刺さったままの刀身とあわせてアンバランスなオブジェのようだった。

 鷹村さんの足元から子猪が飛び出す。


『扉が開きます』


 衝撃と共に猪を見ると、未唯の背後に回り込んだ猪は突き出た刃先の先を見上げた。

 淡々と粛々と崩壊していく室内で、明らかに異質な穴が開いていた。それは徐々に大きくなり、やがて人ひとり通れるまでに広がる。

 半崎の言葉を紡ぐ猪が暗い穴の前で振り返り、つぶらな瞳でわたし達を見た。


「行くぞ藤堂さん」


 こちらに向くことなく告げられた鷹村さんの言葉に、わたしは戸惑いを隠せない。


「ちょっと待って下さい。行くってどこへ」

「半崎も言っていただろう。扉は開いた。ここからリアルに戻る」

「本当に戻るんですか」

「ここは改修される。俺達のやることはもうない」

「やり残したことはないと言うんですか」

「バグを消してリアルに帰る、そう決めた結果だ」

「それは何もしない理由になりません。もう一度だけ聞きます。本当に彼女をこのままにして帰っていいんですか?」


 淡々と話す鷹村さんにわたしは必死に言い募る。何度も聞いたのは未唯のためなんかじゃない。鷹村さんはこの場で唯一わたしと同じ存在。だからわたしは彼の真意を問いたかった。彼がどう思い、どう決めたのか聞きたかった。自分のために。

 彼が未唯に目を向ける。少しだけ見えた彼の横顔は、やるせなさと苦しさと、そしてわたしにはわからないいくつかの思いが入り混じって見えた。


「いいんだ。言いたいことはもう言った」


 りひとにぃ? とあどけない声が耳に届き、わたしは反射的に背を震わせた。鷹村さんは少しだけ目元を緩め──そして身を翻す。

 その背を幼い声が追いかける。まるで親の背を追い求めるかのように。


「りひとにぃ、りひとにぃ? 待って。待ってよ。ねえ待って……! どこ行くの。ねえなんかおかしいの変なのねえ待って」


 立ち上がろうとした彼女は、身動きできない自身を顧みず必死に手を伸ばす。伸ばした白い指先が第一関節からさらりと崩れ消える。腹部に刺さった刀身が、床にあたって硬質な音を立てる。下半身が既に彼方に消えつつあることに彼女は気付いているのだろうか。

 わたしの腕の中にあった重さがふと軽くなった気がして、心臓が嫌な音を立てた。慌てて見下ろすと何でもないような顔をした悠生が身を起こしていた。左腕で肩を押される。え。左腕?


「行け」

「ねえ……悠生貴方その左腕……取れた方って……え?」


 悠生が更にわたしを押して顎をしゃくった。


「もう平気だから。さっさと行け」


 言いながらわたしを押し退けた彼はふらりと体勢を崩す。すかさず鏡がそれを支え、悠生が何とか左足で立ち上がる(・・・・・・・・)


「悠生、貴方その足……!」

「だから平気だ」

「平気って……え!? 何がどうして」


 混乱するわたしを見かねた鏡が、悠生に肩を貸しながら口を挟んだ。


「立木君の左腕と左足は元々彼のものではありません。本来なら拒絶反応が出てもおかしくない移植を行うため、免疫系をはじめとする様々な体の機能に、必要以上に手を加えられています。桁外れの回復力もその一つです」

「人体改造ってヤツだ」

「は!?」


 さらりと告げられた言葉に頭が真っ白になる。脳裡に浮かぶのはつぎはぎだらけの不死身の異形。そういえば未唯も何やら言っていたと思い出す。確かに彼の体が今出血している様子は見られない。戻らない片足は手術台の下敷きになって潰れてしまったからか。

 目を伏せた悠生が、左腕を眺め笑みを浮かべる。


「まあ、こいつ(・・・)ともいい付き合いしてる」

「藤堂さん、もう行きなさい」


 顔が半分になった鏡が優しく促す。顔だけじゃない。彼らを構成するものは少しずつ少しずつ粉のようになり光を放ち散らばっていく。彼らの周囲をきらきらと鮮やかな光が舞う。その光景は、まるで彼らの生きた証まで消し去っていくかのようで……酷く不安を誘う。


「鷹村君が待っていますよ。貴女は選んだ(・・・)のでしょう? 立木君のことも根津さんのことも何もかも、後のことは先生達に任せて下さい」


 わたしがまじまじと鏡を見ると、彼は不敵な笑みを浮かべた。


「言ったでしょう? 生徒の歩みを守るのが僕の仕事です。さあ行きなさい!」


 その声に背中を押され、わたしはよろよろと鷹村さんの方に歩を進めた。鷹村さんが少し先でわたしを待っている。更に先には小さな猪の姿もある。先の見えない暗い穴が、ぽかりと口を開けてわたしを待っている。

 一歩、二歩と進んでから、わたしはもう一度だけ背後を振り返った。恐らく消えかけた鏡の身体では支えきれなかったのだろう。ちょうど悠生がずるりと床に座り込む所だった。


「──ゆッ」

「あんたを待ってるヤツがいるんだろう」


 思わずあげた声を、悠生がよく通る声で遮った。


「可愛くて頑張りやで……俺にも似てる、だったか?」

『可愛くて頑張りやな子。寡黙な所は悠生にも少し似てるかな』


 ねえ待って。わたしがそれを話したのは。


『──もし君が、捨ててしまった物を再度手にする覚悟を持てたならば、俺は今度は君に手を差し伸べると約束しよう』


 突如脳裡に甦る秋月先輩の声。


『約束』


 キルちゃんの姿を借りて、わたし達を、わたしと悠生を助けてくれた先輩。

 先輩が、助けると約束した相手は。

 じわじわと何か途方もない考えが浮かびつつあったわたしの視界の端に、赤く小さなものが映った。

 悠生の足元にぽつんと落ちたそれは、血に濡れたミサンガ。それは。


「……セオ?」


 りひとにぃぃぃぃぃぃ!!

「藤堂さん!」


 突然大きく響いた絶叫に、爽子の警告が届く。黒い靄のようなものがわたしの周囲を覆う直前、音なき音が闇を切り裂き強い力で腕を引かれた。


「何をやっているッ!」

「鷹村さん……」


 間近まで来た鷹村さんが、珍しく焦りの表情を浮かべてわたしを怒鳴りつけた。


「鷹村さん、でも……セオが」

「木村?」


 不思議な表情を浮かべた鷹村さんが、悠生達に目を向ける。鏡の体に身を預け床に足を投げ出した悠生が、鷹村さんの視線に気付くと少しだけ億劫そうに左拳を突き出した。鷹村さんがまじまじとそれを見詰める。


「鷹村、今度こそ目を離すんじゃねえ。約束──守って、くれんだろ?」


 一拍置いて、鷹村さんが目を見張る。だが彼はすぐに唇を引き結び頷いた。


「ああ。──感謝する」


 短い言葉と同時に、問答無用でわたしの腕を引っ張って鷹村さんが歩き出す。わたしはそれを振り払おうともがく。


「待って……待って下さい! 悠生が、セオかもしれなくて! わたしまだっ!」

「そんな暇はない! 周囲を見るんだ!」


 言われて気付く。室内は既に半壊どころかほとんど原形を留めていなかった。天井は既になく夜よりも暗い闇がぽっかりと広がっている。白い床に散らばっていたものはあらかたその姿を消し、床すらも消えかけ、あちこちで暗い深淵が覗いている。

 周囲を取り巻くのはきらきら光り舞う欠片たち。過ごした時を刻んだ数々の記憶、その結晶。それらが光を放ち暗闇に消えていく。きらきら。さらさら。わたし達がここで過ごしたことを示すものが、ここを構成するすべてのものが音もたてずに崩れ消えていく。

 そこに一つ異質なものを見つけ、わたしは目を見開いた。広がる闇より更に黒い、質量を伴う何かが時折宙をうごめいている。わたし達を探すかのように。鷹村さんがそれを警戒しているのは明らかだった。


「あれは未唯だったものだ。恐らく未唯の一部──バグが崩壊に抵抗し、俺達を逃すまいと暴れている。栗城先生が何とか直接攻撃を防いでくれているが、帰還ゲートからは引き離された」


 そういえば先程声がしたはずの爽子の姿が見えない。未唯の姿も見えない。


「見ろ。さっきまで数歩分の距離しかなかったはずのゲートが今はどうだ。ここはそれほど広い室内ではなかったはずだ。明らかに空間が歪められている。このままだとマズイ」

「でも彼女は」

「もう済んだことだ」

「でも……でも最後なんです」


 振り返ろうとした両肩を掴まれ、正面に向き合わされる。激情を圧し殺した燃え滾る視線とぶつかる。


「だから! そんな暇はないと言っているだろう!?」

「だって、わたしまだセオに、悠生にっ!」


 鷹村さんの拘束から抜け出そうと身を捩り彼らのいる方へ手を伸べる。彼らとわたし達の距離は数歩分しかないのに、彼らは決してわたし達に近付こうとしない。

 わたしと悠生の目が合う。彼の名を呼ぼうとして唇を開き止まる。言葉が出ない。わたし何と呼べば。

 そんなわたしを見て、悠生が僅かに苦笑する。


「泣くんじゃねえよ。笑え馬鹿」


 悠生のそれほど大きくない声が、消えゆく空間に響き届く。悠生の瞳が緩く溶ける。


「笑ってくれ。それが俺達二人(・・)の願いだ。──行け」

「そんな……そんな、の」


 鷹村さんが痛いほどの力でわたしの肩を引き寄せた。引きずられる。


「もういいだろう。行くぞ藤堂さん」

「鷹村さん、鷹村さん……」


 鷹村さんの手が肩からわたしの頭に上り、キツく押し下げる。更に前へ。力づくで押し進めようと。


「行くんだ。ここは俺達の世界じゃない。そしてあいつらはこの世界で生まれたプログラムでしかない」

「そんな……!」

「───ッ! 格好つけさせてやれと言ってるんだ!」


 吐き出すような鷹村さんの本気の怒鳴り声に、わたしは息を呑み顔を上げた。

 鷹村さんの横顔がとても近い。怒りの業火を燃やす彼の瞳は、意地でもわたしを見ようとしない。ただひたすら前だけを睨みつけている。


「あいつらはプログラムだ! 元々感情なんてものはない! だが俺達と一緒過ごすことで作り上げられてしまったんだ! 唯一無二の存在として。

 ──ああそうだ。一緒に成長してきた今のあいつらなら、わかってるだろう。ここで消えたらもう俺達が出会い、一緒にやってきたあいつらはいなくなる。消えてなくなる。二度と同じものが生まれることはない。

 もっとわかりやすく言おうか!? 今のあいつらは俺達と同じ、喜びも怒りも悲しみも感じることのできる唯一無二、一度きりの存在(いのち)だ! じゃあ今この時に、消滅を待つ今この瞬間にどんな想いでいるのか想像つくだろう!?」


 鷹村さんが歯を食い縛り、喉の奥から絞り出すような声を出す。彼の激情に突き動かされるように、わたしは口を開く。


「だったら……あんな、あんな風にわたしなら……」


 鷹村さんの瞳がわたしを射抜く。


「だからッ! 見せたくないんだわかれ畜生! 恐怖に怯える姿も別世界への羨望も嫉妬も、こんな事態を引き起こした悔しさも歯がゆさも沸騰するような自分自身への忌々しさも全部、全部全部! お前には、お前にだけは見せたくないんだよ!」


 それは、一体誰の想いなんだろう。

 鷹村さんの掌から震えが伝わる。わたしはただ彼の顔を見上げることしかできない。


「 ──────……最後なんだ。最期だから、お前は笑顔を見せてやれ。それができないなら振り向くな」


 きっぱりと告げると、それを皮切りに鷹村さんは再び歩きだした。鷹村さんの足がさっきより早い。


『本当の最後の最後になったら、笑顔で送り合いましょう』


 でも鷹村さん、わたし約束したんです。このままじゃわたし、できていない。まだ。


 痛いくらいに頭を掴まれる。多分髪の毛はぐちゃぐちゃになってる。

 頬が震える。唇がわななく。

 わたしが自分で言ったのに。最後って。自分から。なのにわたしは。

 頭を掴む手に、指先を伸べる。あつい。鷹村さんの手。火傷しそう。

 鷹村さん、どうかもう一度だけ。後ろにみんなが。悠生が、セオが。


「────まどかッ!!」


 …………今のはセオ? 悠生?

 いやぁぁぁ! と切り裂くような悲鳴が響く。触れた先の手がぴくりと動く。


「イヤッ! イヤイヤイヤ! 行かないで理人兄傍にいてぇ!! わたしを置いていかないで!」


 頭に乗せられた手の力が強まり、わたしは振り返れなくなる。


「理人にぃりひとにぃりひとにぃ~~~! やめて連れてかないでわたしをひとりにしないでいやぁぁぁぁぁ!」


 ギリっと擦れる音。ぼんやりと滲む視界に映る、唇を引き結んだ鷹村さんの横顔。とっても痛そう。口も、手も、ココロも。

 誰も傷つきたくない。誰もが幸せになれる道なんてない。

 わたし達の出会いは最初から最後(おわり)が決まっていた。全てたった一つの舞台の演目。それが何故こんなに痛いの?




 先導する小さな猪の背中を追う鷹村さんとわたしは、まるで敗残兵のようだった。血の気を失った表情に瞳だけをぎらつかせて、ただ無言で歩き続ける。



 きらきら光り消えゆくもの達が踊る中、

 上も下も右も左もわからない、果てしなく続く不思議な空間を、

 後ろを振り返ることだけは決してせずに、



 ただ、ただ歩く。

 歩く。






 歩く。


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