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71話

 彼女の笑顔を見た時、おぞましいなにかが背中を這い上がった気がした。

 それは幸せな狂気。

 決して人と相容れないもの。




 戸棚が倒れ割れた皿が散乱する荒れた室内で、網を破り出た少女がうふふと可愛らしく笑う。彼女の肌は出会った時のように健康的な色じゃない。彼の前で少しでも可愛く見せようと、いつも努力の跡が見えたあのふわふわの髪じゃない。

 でもその一途な瞳だけは、それだけはずっと変わっていなかった。わたしには目もくれず、いつも鷹村さんだけを追い続ける純粋な瞳。


「理人兄、今のはリアルの時間を知らせるものでしょ? やっと、やっとゼロになったんだね」


 まるでダンスでも始めそうな弾んだ問いかけに鷹村さんは黙して答えない。彼はただ虚ろな瞳で彼女を見詰めている。

 外部強制切断が、施される──。


「ねえ理人兄、これでずっと一緒にいられるね。わたし達を切り離すものはもう何もない。嬉しい。本当に嬉しい。理人兄といるといつも突然いなくなっちゃうんじゃないかって不安だった。適当な嘘で騙してわたしを置いていくかもって。それだけわたしは軽い存在なんだっていつも思ってた」


 未唯がゆっくりと立ち上がる。その動きは酷くぎこちないが、彼女は気にするそぶりも見せない。

 ずっとここに──。


「やっとだね。理人兄はもうわたしのことを妹だなんて言えない。だってキスもしたんだもん。ね、わたしにもちゃんと優しくしてね。わたしこの時をずっとずっと待っていたんだから」


 ずるりずるりと足を引きずり刺々しい破片を踏みしめ、頬を染めた彼女が鷹村さんの元へ向かっていく。

 わたし達はもう──。


「この後はどうしたい? やっぱり一番初めからやり直さなきゃだよね。学園での最初の出会いに戻ったら、今度は理人兄わたしのことを思い出してくれるかなあ。昔遊んだ未唯ちゃんだって」


 彼女の言葉は酷く夢見心地で、虫が這い回るようなぞわりとした感触がわたしの肌を粟立たせる。

 初めから、また繰り返し──。


「ここからが本当のラブゲームだよ。楽しみだね。理人兄の魅力に色んな女の子が群がる。わたしはちょっと嫉妬したり拗ねたりして、そんなわたしに理人兄は振り回される。あは。そうだよ。それがわたしの望んだ世界」


 でもわたしはまだ──まだここにいる。


「……なにその子供っぽいハーレム」


 鷹村さんの腰に手を回して幸せそうに抱きついた彼女に、つい口にする気もなかった言葉を溢してしまう。すると未唯が初めてきつい視線をよこした。


「貴女、何か言った?」


 わたしは溜息を吐く。覚悟は決めた。折角だから心底呆れているようにでも見えるといい。


「子供っぽいって言ったの。自分の作ったおもちゃ箱で、お人形遊びをしたがる淋しい子供ね。おままごとの役割を演じるだけの世界? そんな面白みのないもの誰が望むって言うの」


 未唯が鷹村さんの胸に頬を寄せながらわたしを睨みつける。


「貴女が面白いかどうかなんて知らない。どうせ、みんなみんなわたしに従うしかないんだ。貴女もそうなんだから」


 鷹村さんは反応しない。だからわたしは、嫣然とした笑みを浮かべてやる。そう。恐らく彼女の癇に障るであろう、余裕たっぷりの大人の笑みを。


「あら。貴女誰も思い通りになんて動かせてないじゃない。それともなあに? わたしが先生や秋月先輩の助けを借りてここまでやってきたことも、その結果貴女がそんな姿になったのも全て貴女の思い通り予定通りの結果だとでも言うのかしら?」

「うるさいっ!!!」


 中央にあった手術台がみしりと軋む。ばきりばきりと固い物が壊れるような音が立て続けに鳴る。目を見張るわたしの前で、手術台が地鳴りのような音を立てて根本から千切れ、宙に浮かんだ。予想外の事態に米神に冷や汗が浮かぶ。


「貴女なんて──貴女なんていなくなっちゃえッ!!」


 怒りを孕んだ未唯の声と同時に手術台がわたし目掛けて飛んでくる。眼前に迫る巨大な鉄塊に、成すすべなくわたしは立ち尽くす。

 避ける余裕はない。でも周回する訳にはいかない。目をぎゅっと閉じる。


 ──まどか、と懐かしい声で呼ばれた気がした。


 突如物凄い力で後ろに引き倒される。硬い何かにぶつかったわたしは、訪れる衝撃に身を竦めた。重い物が床に叩きつけられる轟音と地面に響く振動。だが予想した衝撃はない。わたしはそっと目を開ける。


「なによなによなによ! 知ってるんだから! 貴女怖がってるくせに! 怖くて心臓バクバクのくせに! 隠そうとしてもわたし知ってるんだからぁっ!」


 未唯の癇癪なんて気にする余裕はなかった。温かいものに囲われたわたしは足元から僅かに逸れた横倒しの手術台を見た。その下に、白い床に、じわじわと広がる朱を見て全身から血の気が引く。


「──ゆうせいッッッ!」


 わたしを右腕で抱えた彼の右腿付け根から下がなくなっていた。悠生の腿から手術台には赤く太い筋が帯のように繋がり、そこから先は見えない。

 わたしには怪我一つない。わたしは大丈夫なのに。痛みもないのに。だけど悠生は、悠生は。もう左足だって半分しか残っていないのに。


「ゆうッせいぃぃぃぃぃぃ!!!」


 彼の腕から両腕を無理矢理引き出し、下敷きにした彼の顔を掴み覗き込む。彼の額には汗の粒がびっしり浮きあがっている。顔色はわたし以上に悪い。だけどその表情はいつも通りで。


「……うるせぇ」

「悠生、だってゆうせい、貴方あし、あしが」

「気にすんな」

「ムリ言わないで!」


 わたしの頭に血で汚れた悠生の手が乗せられる。すぐに離されそうになったその手を両手で抱える。彼の無事残った右腕も黒くあちこち穴が穿たれていて酷く動かし辛そうだ。


「ふざけんなふざけんな! みんな何で勝手に動くの!? おかしい! 変だ気持ち悪い離せっ!」


 喚いている未唯からの追撃はない。彼女はいつの間にか背後に回った爽子に両腕を取られ取り押さえられていた。暴れる未唯の後頭部に悲し気な視線を向けた爽子は、しかし全く拘束を緩める気配はない。

 顔の左半分を失くした鏡が悠生の左腕を抱えやってきた。体のあちこちを失った鏡もまた、動きが酷く不安定だ。だが鏡は気にする様子もなく、床に散らばる雑多な物の中から三角巾を取り出し悠生の腕と足を縛り付ける。悠生を支えたわたしは、それをただ呆然と眺めることしかできない。


「せん、せい?」

「いいから。貴女はそのまま彼を抱いていて下さい」

「理人兄っ! 理人兄たすけて! この人変なの! みんなおかしいの。わたしは理人兄の大事な女の子でしょ!? 早くわたしを助けて!」


 その間にも未唯の必死な声は続く。髪を振り乱し言い募る未唯の視線を受け、不気味な程沈黙を続けていた鷹村さんが初めて口を開いた。


「ここはお前の世界だ。本当の意味でお前に勝てる奴はいない。それは最初からわかっていた」

「そうだよ! 修復プログラムはもうない。理人兄はもうここにいるしかない。このわたしの世界に、わたしと一緒にいるしかないの! だからねえ早く!」

「俺は最初から俺自身の手でお前をどうにかしようなんて思っていなかった。俺はただ……最後にお前と少し話したかった」

「そう。だからわたしも応えたんだよ。ねえ理人兄! 理人兄!」

「お前は三つの修正プログラムと一つのダミープログラムへの対応を迫られた。二つは絶対に発見されない所へ隠蔽し、ダミーは秋月という自立プログラムを切り離すことで対応し、更にもう一つは自身の力で克服した」

「そうだよ。もう理人兄にできることはない。猶予時間も終わった。今外では理人兄の精神をできるだけ傷つけないやり方で神経を切り離そうとしてる。わたしわかる。理人兄達の感覚コネクトは今外からアクセスを受けてる」

「お前は俺と藤堂さんを接触させないために、新たなプログラムを構築する必要があった。またお前と異なる独立プログラムで動く一条や清水、秋月や立木を自分の思う通りに動かすもしくは排除するために、彼らの持つ独立プログラムを改竄したり新たに組み直す必要があった」


 どれだけ暴れても思い通り動けない未唯が、背後にいる爽子に怒りのこもった燃える視線を向ける。


「──ッ! なんなのあんた!? 単なるいちプログラムのクセに! あんたに触られてるとやり直しが──周回ができないッ! なんで最初に戻れないの!? なんであんたにそんな力あるの!? なんでなんでなんで!?」

「結局お前は、先生達や立木を思う通りに動かすことはできなかった。秋月もそうだろう。一条や清水だって、完全にお前の意思に従っていたとは思えない。つまりそれがお前の限界だ」


 限界。バグプログラムの処理能力の限界。

『プログラム負荷が増大し、防壁に隙ができたようです』


 静かに目を伏せた鷹村さんがそっと掌を開く。現れたのは小さく光る刀のマスコット。その上にわたしの元から密かに鷹村さんの元に辿り着いていた小さな猪のマスコットが飛び乗る。


『我は世界の歩みを遂行する者也。記録帳(ログブック)にプレイヤー鷹村理人、藤堂円架の行動記録を転記、界の番人の代行者として0 world(ラブ・ワールド)の門扉をここに繋げる』


 厳かなユニゾンが響き渡り、彼らを中心に白い光が溢れ出す。


『扉よ開け』


 目の眩むような光の洪水の中、鷹村さんが静かな声を紡ぐ。


「外への扉は開かれる。お前に防ぐ力はもうない」


 辺りを染める白い光が収まり、クリアになった教室で目にしたのは、子犬サイズになった猪を足元に従え、白く発光する刀剣を手にした鷹村さんの姿だった。



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