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69話

 未唯に伝えたいことがあった。

 それは多分未唯のためではなく、俺がこの先自分の世界を切り開き進むための──単なるエゴでしかないとわかっていた。


「未唯、少しだけ俺の話を聞いてくれるか。俺はお前に謝らなきゃならない」


 白い部屋で、吊りあがり気味の瞳が闇夜に浮かぶ猫の目のようにきらりと光り俺を見る。

 俺は一歩足を踏み出す。


「俺はお前に酷いことを多々言った。それは俺がお前の気持ちを真剣に捉えなかったせいであり、人は人、自分は自分と距離を置く関わり方しかせず、慮る努力をしなかった俺の怠慢でもある」

『悪いが俺はお前を女として好きになれない。俺にとってお前は一番身近な攻略対象であり、ただそれだけなんだ』

「お前の反応に興味を持って……わざと傷つけるようなことも言った」

『俺が絆されたと思ったのか? それとも俺の気持ちなんてどうでも良かったのか。もしそうならそれは恋に恋するお子様と同じだ』


 これがゲームだからという免罪符のような感情もどこかにあったかもしれない。

 また一歩足を踏み出す。


「だが何だかんだ言って俺は、お前の気持ちを本気で考えようとしてなかった。……色々理屈つけて踏み込むことから逃げていたんだ」

『悪いな、俺はお前の元に留まっていられない。俺はさっさとこの茶番じみた虚構を終わらせて、真実(まみ)と向き合わないとならないんだ』

「そして俺は……勝手に自分の中でけりを付けた。お前との関係を」

『お前が決めたことなら……俺は何も言えないよ真実』

『わかっていても踏み込んでくる一歩が欲しい時ってあると思うんだ。もう少し突っ込んでいくというか、いっそのこと望んでないかもしれないけど何かやってあげるとか、してみてもいいんじゃないかな、兄貴』


 更にもう一歩。


「俺はまた同じ間違いを犯したんだ」

『貴方は少しだけ臆病なのね。人の心に踏み込むことを、人より過剰に恐れている。諦めないで。貴方の思うことをそのまま伝えてあげればいいと思うわ』


 まだ間に合うのだろうか。このギリギリのタイミングで、未唯に俺の言葉が伝わるだろうか。


『ずっと一緒にいて理人兄』

『理人兄達の心拍数が上がるように、ずっと楽しんでもらえるように絶えず変化する新しい世界を提供し続けること。それがわたしの望み』


 何度考えても、俺は結局未唯の本当の心がわからない。

 今初めてお前と向き合おうとしている情けない俺だけど、お前は俺の声を聞いてくれるだろうか。

 この一歩は少しでも彼女との距離を縮めてくれるだろうか。


「なあ未唯、もう一度聞く。お前の本当の望みは何だ?」


 未唯の瞳をまっすぐに見る。その唇が開きかけると同時に、もう一度その名を紡ぐ。


未唯(・・)


 彼女に届くように。俺はお前を何度でも呼ぶ。お前の呼ばれたがった、お前の本当の名を。


『昔みたいに『みーちゃん』って呼んでよぉ。『みい』でもいいよ』


 未唯の唇が動きを止め、眉が困惑気味に顰められる。


 「俺は俺としてずっとここにいることはできない。外にいる俺の肉体と切り離された後、例えここに何かが残ったとしても、それはもう俺じゃない。だから未唯、俺は今お前の心からの願いを聞きたい。それが俺の誠意でもあり、お前にできるただ一つの償いだと考えている。俺にできることなら何でも叶えたい」


 俺の言葉に彼女が頬を弛める。小首を傾げてふわりと俺の傍に降り立つと、上目遣いで悪戯っぽい笑みを見せた。ああ違う。そうじゃない。


「理人兄、ホントだね? ホントに何でも聞いてくれるんだね?」

「──清水律」


 突如俺が出した名にきょとんとした彼女は、ややして口を突き出し怒ったような表情をした。


「なぁに。こんな時に他の女の名前を出すなんて、失礼よ」

「栗城爽子」


 ぱちぱちと瞬いた彼女が俺から身を離し眉を下げる。ふわふわと流れる髪を耳元で押さえながら。


「ねえ何を言っているの。意味がわからない。やめて」

「一条雅」


 彼女の明確な変化に、流石に気付いたのだろう。藤堂さんの気配が動く。


「やめて。やめなさいと言ってるの!」

「……藤堂円架」


 彼女が口をぱくぱくと開閉する。言葉は出てこない。そんな彼女に向かって一歩踏み出すと、逆に彼女は一歩後退した。


「やめて」

「未唯」

「来ないで。お願い」

「未唯、俺は」

「やめて下さい。やめなさい。やめてやめて。わたしが言っているのに何故? 何故そんなことを言うの!? 貴方はわたし達(・・・・)の言うことなら聞くんじゃなかったの!? 何でなんでなんで! 何でそんな……ッわたしを虐めるのぉ!?」

「これは俺のエゴだ。俺は未唯に会いたい。俺が好きだと言ってくれた未唯に。だがお前は未唯じゃない。藤堂さんを模しているのとは違う。一条や清水や栗城先生の欠片を寄せ集めた紛い物だ。俺が話したいのはお前じゃない」

「だって……だって貴方が悪いんだ! 鷹村理人は未唯の言葉なんて聞いてくれない……!」


 悲痛な声音に目を伏せる。


「そう。すべては俺のせいだ(・・・・・・・・・)。だからこそ今『未唯』と会いたい。他の誰でもなく、今この時この場所で根津未唯と向き合って話したいんだ」

「勝手なことを言うなッ! 今更……お前は勝手過ぎる!」

「そうだな」

「開き直ってもお前のやったことが変わる訳じゃない!」

「わかっている」

「お前のせいで未唯は……ッ!」

未唯(・・)


 もう一度その名を呼ぶ。彼女の中にいるはずの未唯に向けて。


「お前の願いは、俺を罵倒することか? それなら聞こう。俺が俺としてお前と共にあれる時間は残り少ない。だから未唯の本当の願いを最後に聞かせてくれ」

「だって……! だって、そんなこと……」


 端末が空気を震わせ、未唯の体も大きく震えた。同時に室内で抑えた低い呻き声が二つあがる。


「俺が持っている時間は後二分だ」

「ダメよ。鷹村理人は油断がならない。聞いちゃダメ……何か企んでいる可能性が……」


 自らを抱き締めるようにして未唯が俯き呟く。


「でも……未唯ならきっと……じゃあわたしは? 今この場にいるわたしは誰。わたしは、わたしはどう行動するのが……いえ最も優先するべきは個別のプログラムじゃないわたしのわたし達の目的を達成するために最良の選択は……」

「未唯」


 髪を大きく振り乱し、顔を上げた彼女の視線を正面から捕まえる。もう離しはしない。


「俺は、お前に会いたい。お前の言葉が聞きたい」


 乱れた前髪の隙間から覗く、濡れたガラスのような瞳に俺が映る。

 透明な涙が一筋するりと頬を伝って落ちた。


「未唯、に?」

「ああ」

「…………りひと、にぃが?」

「ああ」


 気を抜くと取りこぼしそうな、脆い砂糖菓子のようなそれを大切に、大切に掬い取る。


「わたし、は……」


 どこまでも白い部屋で沢山の目に見詰められながら、寄る辺ない幼子のような少女が瞳に涙をいっぱいに溜めて口を開く。

 俺が聞ける、最初で最後の未唯の願いを。


「……キスを」


 その小さい呟きの意味を理解するのに、ひと呼吸必要とした。

 一瞬でいくつもの場面が映画のワンシーンのように脳裡を去来する。

 保健室で触れようとした熟れた赤い唇、記憶にあるそれと異なる感触、愛くるしい電子音と共に離れた甘い香り、そして口腔内に侵入した暴力的なまでの誘惑。


『わたしもちゃんと女なんだよ』


 見上げてくる、ひたむきな一対の瞳。


「……そうか。それがお前がずっと抱いていた願いなんだな」


 甘いような苦いような感情を吐息と共に吐露してから、どこか呆けた様子の未唯の前に進み出る。

 かさつく自らの唇に一度だけ触れ、その手をそっと彼女の白い頬に伸べる。赤ん坊のように温かく柔らかいそれに、こんな状況だと言うのに少しだけ笑みがこぼれる。


「り……とにぃ」

「ああ」


 反対の手を彼女の細い腰に添える。自分のできる最大限の優しさで。

 そっと顔を近付ける。

 茶味がかった細い睫毛が帳のように大きな黒目を覆い隠す。


「未唯……」


 吐息が絡む。甘すぎない未唯の香りが俺を包む。


「ありがとう」


 そうして俺は未唯の柔らかな唇を塞ぐと、口腔に含んだ異物を舌で彼女の中に押し込んだ。





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