68話
「鷹村さん!」
警戒しながら地下室の扉をくぐる鏡の後ろから、急くようにやってきた藤堂さんの姿を見て、俺は目を見開いた。
彼女の纏うブレザーのボタンは一つ二つ糸で辛うじて繋がっている有り様。制服の左袖は肘から破れ、顕になった細腕はぷらんと力なく垂れ下がっている。履いているのはスカートですらなく男物のズボンだ。
「……悪かった」
映像では気付かなかったその惨状に口をぱくぱくと開け閉めした後、謝罪の言葉だけをやっと口にした俺に構わず、藤堂さんは部屋の奥に佇む未唯の姿を認めて表情を険しくした。
「鷹村さん、 彼女が全ての元凶ですか」
「ああ」
首肯すると同時に感じてしまった安堵に後ろめたさのようなものを感じて目を閉じる。ああ本物の藤堂さんなんだな。
藤堂さんの後ろから残り二人の連れがやってくる。扉の前に立つ立木悠生の肩を優しく押し入ってきたのは栗城先生だ。
「これは……」
一番最初に部屋の光景を目にした鏡が掠れた声を絞り出した。数々の人体のパーツが飾られた部屋だ。衝撃を受けるのが自然な反応だろう。俺は藤堂さんに再び目を戻す。
「大丈夫か、藤堂さん」
「大丈夫な訳ないですよフザけないで下さい鷹村さん。ゾンビゲームから一転こんな悪趣味な部屋に招待しておいて精神疲労とか汚染とかどの口が言いやがりますかという感じですよ。でも──」
畳みかけるように言った彼女が未唯の姿を睨み付ける。
「これがボス戦だってのはわかります。呼んでくれてありがとうございます」
ポケットに入れていた端末が振動を伝える。一瞬視線を向けた藤堂さんに手短に事実だけを伝える。
「外部強制切断まで残りあと五分だ」
「リアルタイムですか?」
「そうだよ。もうすぐ理人兄の全てがわたしのものになるの。その前に貴女と会いたいって言うから呼んであげたんだよ。嬉しいでしょ?」
割り込んだ甲高い未唯の声に藤堂さんが僅かに眉根を寄せる。
「……貴女の言っている意味がわからないわ」
「今貴方達の感覚はすべてわたしの思うがままなんだよ。突然理人兄の姿が見えなくなって狼狽えたでしょ? それはわたしが貴方達の感覚の繋がりを絶ったから。互いを関知できなければそれはもう別世界にいるのと同じ。違う?」
「それでも、何も変わらない先生達もいたわ」
未唯が肩を竦めて歩きだした。鏡が竹刀を構え、じりと靴裏を滑らす。
「貴女の方はね。NPCはそれぞれ独立したAIを持っているから行動変えようと思うと面倒なんだ。一条雅のようになられても厄介だもん」
「一条雅?」
未唯が部屋の中央にある手術台の上に両手をかけて身を乗り出す。
「ところで貴女の疲労値と汚染値はどのくらいまで行ったの? もう廃人になるまで上がった?」
期待に瞳を輝かせる未唯に嫌な顔をした藤堂さんは、溜め息をつくと顔を上げた。そこにあるのはとても見事な笑顔。
「ご期待に沿えず申し訳ないけど、元気いっぱい全く問題なしよ」
「なぁんだがっかり。壊れた後はわたしが代わってあげようと思ったのに」
「……どういうことだ」
聞き捨てならないと未唯の背中に問うと、顔だけ振り返った未唯は嬉しそうに笑った。
「理人兄だって言ってたでしょ。ここにある自分は電気信号の塊だって。だったらその電気信号が壊れて空っぽになった肉体に新たな電気信号をインストールしてあげれば、また肉体は動くことができるよね」
「どういうことだ」
自然厳しくなった声音に、未唯が困ったように首を傾げる。
「理人兄、わかってるのになんでわざわざもう一度聞くの。根津未唯というプログラムを藤堂円架の肉体にインストールしてあげれば、わたしはリアルでも理人兄の傍にいられるんだよ。流石に既存の電気信号が生きている時にわたしを上書きすることはできないけど、廃人になるって電気信号が壊れることでしょ。それなら簡単。オズのように取り換えられる」
「オズ?」
がつんと固いものがぶつかる音がした。床に膝をついた立木悠生が、未唯を睨みつけながら床に拳を叩きつけ立ち上がろうとしていた。藤堂さんが目を見張る。立木悠生の顔色が酷く悪い。額には脂汗が浮いている。
「悠生!? 貴方どうしたの!?」
「立木君……!」
「ああ。貴方、そういえばそういう設定だったね」
未唯が一人得心がいったというように頷くと、手術台に頬杖をついて立木悠生を見下ろした。
「ここは立木悠生が作られた場所だったよね。失った左腕と左足をテイラー博士につけられて、自由自在に動かせるように体を作り変えられた。だからここに来ると立木悠生は過去の記憶がフラッシュバックして本来の力が出せなくなるんだよ」
「黙りなさい!」
鏡が竹刀で打ってかかる。ふと眉を顰めた未唯が、鏡を押し留めるように掌を前に向けた。
「うるさい」
同時に不可視の壁にぶつかったかのように鏡が反対方向に吹っ飛ばされる。藤堂さんのほんの数センチ先を通り抜けていった鏡は、背中から勢いよく壁に叩きつけられた。
「鏡先生うるさいよ。先生は知っていたことでしょう。今更なに? テイラー博士は貴方のお祖父さんの友人なんだから」
「──っ!」
「悠生」
再び飛び掛かりそうな鏡を制するように、少しだけ固い藤堂さんの呼び声が響く。彼女の目は正面に立つ未唯を見詰め、後ろにいる彼らを振り返ることはない。
「わたしは貴方にここにいてほしいけど、無理はしなくていいわ」
「──大丈夫だ」
「おかしいな。藤堂円架。貴女シミュレートではそろそろ臨界点を超えているはずだったのに。セオの死を見て心拍数が上がってたよね。すぐに正常値には戻らないくらいに。何度も見せる内に刺激に慣れるのはわかっていたから、演出変えたり秋月先輩に追い詰めてもらったりしたんだけど、意外と誤差が大きいな」
手術台から降りた未唯が藤堂さんの方に近付く。今までの苦し気な様子など微塵も見せない俊敏な動きで立木が間に割り込み、目を瞬かせた未唯が歩を止めた。
「すごいね動けるんだ。仕方ないな。貴方達にも協力してもらおう」
「おい! 未──」
何かを察した鏡が、竹刀を手に未唯に斬りかかる。
立木が獣のように吠えて飛び掛かる。
栗城先生が大きく口を開く。
だがそれらは一歩遅かった。
「うわぁぁぁぁ!」
「ぐ──ッ」
鏡が竹刀を取り落とし倒れた。肩から受け身も取れず床に倒れた嫌な音が響く。その鏡の左目と両脚を中心に、虫食いのように細かい穴が空いていた。ドット落ちともいうような細かな空白が服も肌も関係なく一気に広がっていく。
未唯の身体を逸れた拳で床に大穴をあけた立木悠生もまた、左腕を抱えて蹲っていた。その肩にはぐるりと一周筋状に鏡と同じような穴があき、左足もまた膝から爪先にかけて空いた筋状の穴でぱくりと割れていた。
ごとり。不吉な音が響く。白い床に転がったのは瑞々しい手。鍛え上げられた、しかしまだ若さを感じさせる高校生の生命にあふれた二の腕。それが芸術品のような綺麗な形のまま白い床に無造作に。
立木悠生の左肩から下は、ない。
「うわぁぁぁぁぁ!!!!」
「藤堂さんッ!!」
静止する間もなく藤堂さんが未唯に飛び掛かる。だがその手が未唯に触れる直前、藤堂さんの姿が消え、瞬き一つ後に手術台の奥に現れ戸棚に激突した。まるで未唯を擦り抜け瞬間移動したかのようだった。
呻き起き上がろうとする藤堂さんに駆け寄ると、差し出した手が千切れそうなくらい強い力で握られた。
「鷹村、さん……!」
「無茶をするな。ここで気絶や周回はマズイ」
「わかって、ます」
藤堂さんは酷く喋り辛そうだ。プレイヤーは痛みを感じない。感じるのは衝撃だけだ。だが気絶する程のダメージを負わなくても、その前に行動に規制がかかる。藤堂さんはここにくるまでにかなりのダメージを負っている。
「鷹村さん、わたし……っ、キルちゃんに会いました」
痛みや苦しさはないとわかっていても、傷つきとぎれとぎれに話す藤堂さんを見るのはキツイ。
「連れてきてくれたのは……多分あきづき、先輩です」
「そうか」
俺の手を頼りに藤堂さんがゆっくりと立ち上がる。左手に固い感触。
「キルちゃんを、お返しします。先輩は消えました。……鷹村さん」
「なんだ」
藤堂さんの炎を孕んだような熱い視線が俺を貫く。
「これ以上好き放題されるのは許せません。わたし達は、帰るんです」
「……そうだな」
動きがまだ心許ない藤堂さんを栗城先生に預ける。栗城先生には何故か今の所目に見える変化がない。穏やかに目許を弛めた栗城先生が、何もかも受け入れるかのように微笑む。頑張って、と言われた気がした。
俺は未唯に目を向けた。彼女はさっきの場所から一歩も動かず、にこにこと楽しそうに笑っている。
俺は藤堂さんの熱が残る拳を開いた。白い刀身がきらりと光る。
ポケットの端末が振動を伝えた。
外部強制切断まで、残りあと4分。




