67話
下がり気味の目尻が砂糖菓子のようにとろけ、やわらかそうな睫毛が落ちると、僕は甘い海に揺蕩う海月のようにふわりふわりと溶けて揺れる。
ぴんと張った頬が緩み、固く結ばれた唇が綻ぶと、陽が射し花が咲き誇る幻視に包み込まれる。
君がガラス張りの温室で大切に育まれる花であれば。
君が口に含めばひとかたの幸せと共に溶けて消える砂糖菓子であれば。
僕はこんなにも。
窓のない白く閉鎖された空間で、正常な意識を保てるのはどのくらいか。俺はどこか遠くの方に自分を置きながら努めて冷静に自らを顧みた。
しかも人体パーツの標本の監視つきと来ている。米神に出るはずのない汗がつたう。
「NPCの裏設定を聞いてもお前がどうして木村を排除しようとしたのか俺にはわからない。それは未唯としての意思か、それともバグシステムとしての意思なのか」
未唯が微笑む。静かな微笑みに違和感が更に強まる。
「答えないか。お前は俺と喋りたかったんじゃないのか」
「理人兄こそ、隠していた修復プログラムももうないはずなのに、何でそんなに落ち着いて話を続けてるの? 時間はもうほとんどないでしょ」
「知識欲と……後は格好つけたいだけさ」
「ふうん? でもそうだね。久しぶりにゆっくりお喋りしたいのは本当だから、理人兄が知りたいことはできるだけ答えてあげるよ」
「有難い。それで結局お前の本当の望みは何だ」
「理人兄も言っていたでしょ? 理人兄達の心拍数が上がるように、ずっと楽しんでもらえるように絶えず変化する新しい世界を提供し続けること。それがわたしの望み」
「例えどんな方法を使っても、か」
にこりと笑顔を向ける未唯に、嫌な顔を隠すことなく向けてやる。未唯の笑みは崩れない。
「理人兄がずっとここにいてくれたら、わたしにはそれができる。だってほら今だって理人兄のここ、すごくドキドキしてる」
そっと白い手が伸び、心臓にあたる部分に触れられる。ぞわりと肌を駆け巡った嫌悪感に、反射的に振り払いたい気分を抑える。
「以前も言ったが、このままだと俺達は外部強制切断が施される。今この世界にいる俺や藤堂さんは消える。お前は理解しているのか?」
「消えないよ。わたし知ってる。外から何をされても理人兄の意識は消せない」
「それは違う。お前の言っているのは俺の意識じゃなくて単なる電気信号の塊、俺の残骸だ。実際の俺の意識は肉体に紐づいていて決して離れない」
「違わないよ。理人兄はここに残る。わたしが存在している限り誰にも消せない。そして理人兄はわたしの与えるものしか感じられなくなる」
「それは長時間のダイブと異常切断により、受容器官が狂いリアルの刺激を刺激として認識しなくなるという話だ。可能性の話でしかないし、お前の元に俺が残る訳じゃない」
「理人兄こそわかってない。わたしは今ここにある理人兄とずっと一緒であることが大事なの。わたしがあげるものだけを感じてほしいだけ。それ以外のことはどうでもいいの」
根本的な部分が異なるせいで、どうやっても彼女との話は嚙み合わない。溜息と共にどろどろと凝った体の熱を吐き出す。
「お前は……違うんだな」
「大丈夫だよ。理人兄が今何を思っていてもわたしが変えてあげる。理人兄はただわたしを、わたしだけを感じていてくれればいい。わたしの世界で理人兄の想いはいくらでも変わるけど、それでもわたしはずっと理人兄といるから」
少しだけ目を眇めて彼女の姿を見る。これ以上話を続けても無駄だ。
「……藤堂さんは、学園にいるんだって?」
突如転換した話題に、未唯が鼻に皺を寄せる。
「お互いに感知することをできなくしただけで、ちゃんといるよ。あの子が余計なことするせいでプログラムの書き換え増やされたし、これ以上あの子に力を使いたくない」
その言い方に何となく笑ってしまう。藤堂さんの行動は、バグプログラムのシミュレーションでは捉えきれないと言うのか。
「藤堂さんと会えないか?」
「理人兄、会いたいの?」
変わらない声音に反し、どこか苛立ちを含んだような視線がこちらを射る。
「当たり前だろう。彼女は一蓮托生のお仲間だ。この最悪な気分を一人で味わいたくない」
「もう少ししたらその気分もわたしが変えてあげるよ」
「それでも、お前は今俺の気持ちに寄り添うことができないだろう?」
冷たい視線を向ける彼女に、俺は更に付け加える。
「藤堂さんに会わせてくれたら──未唯、代わりにお前の願いを一つだけ叶えてもいい」
強めに名を呼ぶと、思いもしないことを言われたとでも言うように彼女がぱちぱちと瞬いた。白い天井を見上げて少しだけ考えるようにした後、一つ頷く。
「いいよ理人兄。会わせてあげる」
『──ッ鷹村さん今どこにいますか何やってるんですか!?』
通信が繋がると同時に響いた声に、懐かしさのようなものを覚えて笑う。久々に自然に笑いがこみ上げた。
『鷹村さんまさか笑ってます!? 呑気すぎですこっちは──ッ!!』
「悪い。……っ。わかってる」
目前に広がる透過度50%くらいの映像を見ながら、拳を口元に当てて笑いを嚙み殺す。
鏡が打ち漏らした生徒の頭上に躊躇なく何かを振り下ろす藤堂さんが映し出される。想像以上にいつも通りの藤堂さんの姿に、つい口元が緩んでしまう。流石というかなんというか……ここまでバトル展開になっているとは想像していなかったな。相手の姿が完全にゾンビになっているのは予想外だ。俺の時はもっと人の姿を保っていた気がするんだが。
『それで!? 今どこにいるんですかどうしますか素早く簡潔にお願いしますっ!』
「三階の数理準備室から地下に降りてこい。入口は人体模型の裏にあるスイッチで開く」
『簡単に言いますけど──』
「邪魔する生徒達のことは」
言って未唯に目線を向ける。彼女がにこりと微笑む。
「──すぐに何とかなる」
『えっ? はっ!?』
言った端から映像の中の生徒達の動きが止まる。静止画のように固まった世界の中で、動くのは戸惑うように周囲を見渡す藤堂さんと鏡、そしてどこからともなく現れた栗城先生と立木悠生。
「来い。藤堂さん」
外部強制切断まで残りあと6分。