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64話

 イタイイタイ。腕が脚が千切れそうだ。

 炎に焼かれたかのようにアツイ。汗が滝のように吹き出る。

 うっすらと開いた視界の真ん中に、地面に伸びた役立たずの腕が映る。

 アア、もうダメなのか。

 何も掴めなかった。結局ナニも。




 ※ ※ ※

 ぶんと振り回す度、鈍い音と共にゾンビ生徒(見た目でわたしが命名)が倒れる。

 わたしの手にあるのはストッキングに大量の小銭と消しゴムを詰めた、いわゆる即席ブラックジャックだ。与える外傷は少ないものの内部へ与える損傷は大きいという、攻撃する側の精神にも優しい一品。

 斜め前にいる鏡が左右の腕で二人のゾンビ生徒を押し留めている。大丈夫かしらと思った直後に背後からもう一人のゾンビ生徒に抱きつかれた鏡が、後ろ向きに昏倒した。即座に駆け寄り、掲げたストッキングを一気にゾンビ生徒の腕に振り下ろすと、ぐしゃりと気持ちの良くない音がして鏡の肩から細い腕が外れる。鏡が慌ててその腕を振りほどく。


「きゃあ。ダメじゃないのーもう」


 背後で気の抜けた爽子の声があがる。彼女は意外にも軽やかに生徒達の魔手を潜り抜け、持参したスプレーをゾンビ生徒達の顔に吹き付け鮮やかに撃退している。スプレーの中身は家庭科室から持ってきたワサビか唐辛子を溶いた物だろうか。目を掻き毟るゾンビ生徒達の惨状を見て、絶対に爽子には近づかないようにしようと心に決める。

 わたしに向かってくるゾンビ生徒がいなくなった頃合いでふうと息をつくと、「すみません」と言って鏡が脇を擦り抜けていった。その後ろ姿を見てふと思い出す。




「僕もついていきます」

「いりません」


 保健室で事情を説明した後、すぐさま発せられた彼の言葉にわたしは迷いなく即答した。恐らく彼はとても真面目なんだろうな、とまっすぐな瞳を見返す。


「こんな状況下に貴女を一人放り込むことはできません」

「大丈夫ですよ。わたし先生達と違うんで」

「それでも教師として見過ごせません」

「例え刃物を持ち出されたとしてもわたしの命が脅かされることはありません。心配ご無用ですって」

「そういう問題ではありません。僕がついていくことで何か困ることでも?」


 わたしは笑顔を張り付けたまま内心溜息を吐いた。何と言えば諦めてくれるかしらね。


「申し訳ありませんが、先生は邪魔です」

「何故でしょう」

「わたしが怪我を負うことはありませんが、先生は別です。もし一緒に来た先生が重症を負った場合、動揺で心拍数が上がったわたしは周回してしまう。元の世界に戻る時間制限を考えると、わたし一人の方がいいんです」

「自分の身くらい自分で守りますよ」

「わたしも、恐らく先生も一定以上攻撃を受けた場合数分間体を動かすことができません。なので基本は先制攻撃です。鏡先生にできますか? 相手は一切容赦なんてしてくれない。わたしを見過ごすことすらできない優しい先生が、変わり果てていても生徒には違いない相手を躊躇なく先に攻撃できるなんて思えません」


 鏡が言葉に詰まり、苦々しい顔で横を向く。「ややこしい方向に元気になりやがって」と舌打ちと共に漏れた呟きは、多分わたしにしか聞こえなかっただろう。

 しかしこのまま鏡が納得してくれるとは思えない。わたしは爽子に目を向けた。


「先生、ストッキングの替え持っていますか?」

「ええあるわよ。何枚必要かしら?」

「とりあえず一袋いただいてもいいですか?」


 机の引き出しから爽子が出した袋を破り中身を出す。きれいなベージュのストッキングを引っ張り出し横に引っ張ってみる。うん。簡単に破けたりしないイイお値段の物だわ。


「それと硬貨を頂くことってできますか。できるだけ尖っていない金属なら他の物でも構いません」


 爽子が小銭入れをそっくりそのまま手渡してきた。中身をストッキングの中に詰めていると顔を顰めた鏡がストップをかけてきた。


「何となく不穏な物を感じるんですが一応聞きましょう。何をしているんですか?」

「丸腰だとどうしようもないので、武器でも作ろうかなと」

「……その膨れたストッキングで何をするつもりですか」

「ブラックジャックもどきです」

「詳細な説明を求めます」

「えーと、振り回すと遠心力も手伝って結構いい武器になるんですよこれ。竹刀やバットも考えたんですが、わたしそういった物を扱い慣れていないので、こういった単純に殴るだけの武器の方が扱いやすいんです」

「……僕が中に入れる物を持ってきますから、金属はやめなさい」


 顔を引き攣らせてわたしの言葉を聞いていた鏡が保健室を出ていく。武器を持つなと言われないのはありがたい。そして隣の職員室なら色々ありそうだ。家庭科室も色々あるけど……包丁、スリコギ? フライパン辺りなら使えるかしら。

 さて。わたしはにこやかに腰かけたままの爽子を横目で見遣った。彼女一人なら。


「あらダメよ藤堂さん」


 何気なく保健室を出ようとしていたわたしを爽子がやんわりと止める。くるりと振り向くと爽子が人差し指を赤い唇の前に立て、可愛らしく小首を傾げた。


「まだ鏡先生が戻ってきていないわ」

「そんなに危険ないんで大丈夫ですよー。先生達は後から追いかけてきて下さい」

「ダーメ。一人でなんて行かせません」


 だって、と爽子がさらりと続ける。


「相手の目的が時間切れであれば、一番簡単な方法は貴女を行動不能にすることでしょう? 例えばどこかに閉じ込めておくとか」

「……かもしれませんね」

「今の所貴女を閉じ込めるという手は取っていないみたいだけど、行動不能にするなら他の手段だってあるわよね? 貴女をずっと攻撃し続けるとか」


 わたしは顔の筋肉を固定させたまま、内心臍を噛んだ。先程行動不可のルールについて口を滑らせてしまったのは失敗だった。

 そう。敵が時間を稼ぎたいと思ったら、プレイヤーを周回させるより永遠に失神させておく方が楽なのだ。わたしなら周回でプレイヤーを再度探すような状況を作るより、一度捕まえたら永続的に攻撃を続けて失神から復帰させないようにする。それが一番面倒がない。


「大丈夫ですよ。先手必勝! 敵が射程距離に入った瞬間にぶちのめす、そのための武器だってあります」


 高校生らしく無邪気に笑ってみせたが、爽子は誤魔化されてくれなかった。


「何を言っているの。貴女は一人、相手は複数。そんな状況下で一切攻撃を受けないことなんてできる訳ないでしょう。一度まともに攻撃を受けてしまったら一定時間藤堂さんは動けないのだから、一人で対処できないじゃないの」


 意外にも食い下がる爽子を持て余していると、更に面倒なことに鏡が戻ってきてしまった。


「藤堂さん!」

「うっわ予想以上にお早いお戻りお帰りなさいです」


 扉を勢いよく開けて仁王立ちした鏡は、ずかずかと室内に踏み込むとわたしの手首を掴んで上向いた掌に箱を五つ乗せた。


「重いです先生。これは?」

「消しゴムです。中に詰めなさい。これくらいなら相手に致命的な怪我を負わせることもなさそうですから許容します」

「はあ、ありがとうございます」


 受け取った後も鏡はわたしの手首を離さない。


「あの先生?」

「貴女は──貴女は何故そうやって全て一人で片付けようとするんです。何故、頼らない。そんなに僕達は──」

「先生?」


 いつも飄々としている鏡が何か今にも泣きそうに見えて、わたしは困惑する。


「とにかく、貴女を一人で行かせることは許しません。先程栗城先生がおっしゃっていたように、下手すると貴女はずっと──それこそ時間切れまで身動きできないまま攻撃を受け続けるんでしょう。その間貴女の意識は? 何もできず自らが攻撃されるのをただ見続けるのですか? そんな、そんな状況にさせる訳にはいきません」


 鏡の絞り出すような声音に困ったわたしは微笑んだ。とても綺麗に笑えたと思う。


「ご心配ありがとうございます。でも大丈夫です。失神する程の攻撃を黙って受け続けたりなんてしませんよ」


 言いながらわたしの脳裡に思い浮かんだのは朱。何かを掴む形で止まった、土と濃い朱に汚れた手。だらんと垂れた頭。さかさまになった顔。


「そう、わたしは(・・・・)大丈夫なんです。だから──だからお願いです。先生達は、ここにいて下さい」


 これ以上、わたしの前で誰も傷つかないで。それはわたしの勝手な我儘でしかないけれど。

 わたしはもう限界なのだ。

 彼らが作り物だと自分に言い聞かせ、傷付き損なわれる生徒達を無視するのも、これは決められたストーリーでしかないのだと目の前の出来事から意識を逸らすのも。

 鏡がわたしの手首を更にきつく握る。


「ダメです。僕にだって譲れない物がある」


 平行線。でもこのやり取りは時間に余裕のないわたしの方が不利だ。仕方ないとわたしは心を決める。次は先生達に会わないようにしよう。


「先生」


 意を決して鏡を見上げると、わからないながら何かを察したのだろう。鏡が凄く嫌そうに顔を顰めた。

 無意識にか彼の体が後ろに下がる。それを追うようにわたしが一歩前に出る。

 手首を掴む鏡の手が離れかける。許さないとわたしがそれを上から掴む。

 わたしの唇から僅かに吐息が漏れ──


「ダメよ藤堂さん」


 そこに柔らかな声が突如割り込んだ。ぱちんとその場の空気が割れる。

 わたしは鏡に伸ばしかけていた手を止め、声の出所を見た。爽子は今も腰すら上げていない。ただ座って微笑みながらわたしを見ている。


「私達はもう貴女を見つけたの。例え周回してもまた貴女を捕まえる。次は今よりもっと早く捕まえるわよ。賭けてもいい」


 なんの根拠もない言葉なのに、何故かわたしは爽子の言葉を否定できない。理屈でない部分が彼女の言葉は真実だと訴えかける。

 鏡から手を離すと、彼からあからさまに安堵の空気が届いた。構わず爽子を見る。


「……先生、わたしにとってここは夢の中のようなものなんです」

「そう」

「だからわたしの言うことも何もかも、ただの戯言と思ってもらって構わないんです」

「そう」

「先生、全て妄言だと切り捨てていいって言ってるんですよ?」

「あらそんなこと言わないわ。藤堂さんの言葉ですもの」


 わたしは笑顔を作ろうとして、中途半端な所で止めた。今どういう顔をすればいいのかわからない。


「わたしは、自分のためだけに動きます。この先、先生達の害になるかもしれない。わたし達の向く方向は、この世界に住む先生達とは違う。それでも……わたしを放っておかないと言うんですか」


 爽子はゆったりと微笑んだ。それはわたしと違ってとても綺麗な、一点の曇りもない心からの笑顔のように見えた。


「ええ。だって私先生ですもの」


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