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60話

 三度(みたび)大鏡を壊して、わたし達は進んだ。多分本人も気付いていないだろうけど、鷹村さんは崩れて消える一条雅の姿を見る度に必ずその手を一度浮かせ、そして下ろす。まるで消えゆく彼女を繋ぎ止めたいとでも言うように。

 階段を昇り、改めて生徒指導室や音楽室を覗く。悠生とは二年四組付近で会ったから、そこからなるべく死角になる位置をこっそり素早く移動する。ずるりと急ぎ足のまま滑ったわたしの腕を咄嗟に掴んだ鷹村さんが、顎で道を指し示した。

 だけど、二階にいたのは悠生だけじゃなかった。


「あれえ鷹村ぁ、どこへ行くの? あたし待ってるって言ったじゃん。他の女の子とこっそりどこか行こうとするなんて、いくらあたしのことアウトオブ眼中だとしても、ちょっとヒドイんじゃない」


 階段裏、ちょうど購買前、普段の休み時間なら生徒で賑わう辺りで清水律が待ち構えていた。彼女がちょうど階段へ続く道を背に立ちふさがったため、わたし達はそれ以上進むことができなくなる。彼女に向き合った鷹村さんが抑えた口調で対峙する。


「お前のことをそんな風に思ったことはない。おまえには助けられた。だが悪いが今は時間がない。用があるなら後で聞くから、そこを通してくれないか」

「ッあははははは!」


 突然清水律が壊れたように笑い出した。心底可笑しいとでもいうようにお腹を抱えた彼女がひたすら笑い、嗤う。


「あはは。あははは。おっかしーの。ねえ鷹村、人のことなんてどーでもいい鷹村。その癖人から嫌われるのも嫌で非情にもなりきれない狡い鷹村。中途半端な優しさなんて残酷なだけなのに、まだそんなこともわからないの? ねえ鷹村は今何しようとしてる? 今更美琴ちゃんを追いかけてどーすんの?」

「俺は美琴を追っている訳じゃない」

「ああ、未唯ちゃんだっけ」


 かちり、かちり。笑いをおさめて壁にもたれた清水律が、手の中のものを弄ぶ。硬質な音を立てたそれを見て、鷹村さんの背中が僅かに強張る。


「鷹村あたしに言ったよね。あの子に特別な感情を持ったことはないって。そんな鷹村が未唯ちゃん?の気持ち知ってて追いかけるのって、すっごくあの子を傷つけることにならないかなー」


 突然大げさに両手を広げた清水律が、その手で顔を覆う。


「ああっ可哀想な未唯ちゃん。鷹村の行動はあくまで自分本位なのに、それでも自分を追ってきてくれるのを知ったら喜んじゃう。だから未唯ちゃんは鷹村を止められない。そうやって鷹村は甘やかされてる。未唯ちゃんだけじゃない。一条センパイにも、秋月センパイや鏡先生にも──そこの彼女にも」


 清水律の視線がわたしの方に向く。そこに攻撃的な色はなかったけれど、何かがわたしの胸をざわつかせる。


「清水」

「鷹村は知らないかもしれないけど、あたしはさ、これまで鷹村のコトいーっぱい甘やかしてきたんだよ。知ってた?」

「それは──」

「じゃあ折角だし教えてあげるね。ちゃらーん! 律ちゃんのネタバラシ~」

「清水」


 鷹村さんの言葉を遮り、清水律が廊下を一歩一歩横切り話し出す。押し退けてでも先に進みたい鷹村さんは、けれど彼女の手にした物を警戒して強引な一歩が踏み出せない。


「親とも友達ともいい関係で毎日何不自由なく暮らしていた律ちゃんは、毎日空っぽなココロを抱えていました。理由なんてわかりません。笑ってても怒ってても、ただただ決められたことを決められた通りに動いている、そんな窮屈な思いがずーっと付き纏っていたんです」


 舞台の上の演者のように大げさな身振りで、彼女が廊下の中央で身を翻す。


「ある日彼女は不思議な女の子に出会いました。明け方まだ薄暗い中で出会った女の子は、どこにでもいるふつーの子に見えたのに、とてもとても強烈な力を感じたのです」


 鷹村さんが足裏を滑らせて清水律に少しだけ近付く。微笑んだ清水律が、両手を胸の前で組む。かちり。


「次に会った時、その女の子は血まみれのビニール袋を持っていました。彼女は女の子を自分の家に案内し、シャワーを貸してあげました。何故そんなことをしたのかわかりませんが、それ以降女の子は彼女の家族がいない時にだけ度々家へ来るようになったのです」


 ここまで来ればわたしにもわかる。清水律の言う女の子が、高坂美琴なんだろう。


「……何故、そんなことをした」


 鷹村さんが静かに尋ねる。それは興味関心で聞いているというより、ただ話の流れで何となく口にしたのだとわたしにもわかった。それがわからなかった訳ではないだろう。清水律はシルバーの小型容器をくるりと指で回転させてから肩を竦めた。


「さあ? ただその子なら生きていると実感させてくれる、平坦な毎日を変えてくれる、そう思ったのかもしれないし、もしかして単に一目惚れとゆーヤツだったのかも?」

「一目惚れ?」


 オウム返しに呟く鷹村さんの意識は、清水律との会話にない。だから清水律も薄く笑うだけでそれに答えようとしない。


「確かにその子は世界を変えてくれた。一続きだった日々を断ち切り、当たり前だったモノが実は当たり前じゃないことを教えてくれた。その子にとってあたしはその他の大勢と同じく虫けらのような存在だとわかっていたけど、それでも近くでその姿を、女の子の生き様を見ていたかった。でも──」


 清水律の視線が強まり、徐々に距離を詰めていた鷹村さんの足が止まる。ちょうど階段が頭から数十センチ右上の高さにあり、行き来する人がいればその足が見える位置だ。


「あたしにとって、鷹村も他と一緒じゃなかった。だから鷹村には彼女に繋がる未唯ちゃんのことを知ってほしくなかったし、同じく未唯ちゃんに鷹村を近づけたくない秋月センパイにも協力した」


 清水律が常に状況を引っ掻き回すような役割をしていたのは、そういう意図もあったのだ。


「だがもう、俺はここまで来た」

「そだね。折角忠告までしたのにムダになっちゃった」

「俺は、先に進む」

「うん。わかってるよ。だからもう終わり」


 唐突に、前触れなくぽんと無造作に、彼女がそれを放り投げた。誰も止めることはできなかった。赤く小さな灯が弧を描いて床に落ちると、すぐにそれらが導火線のように細い筋で周囲に広がり、大きな赤となっていく。


「清水──ッ!?」


 瞬く間に広がったそれは、清水律と鷹村さんの間に大きな炎の壁となって立ちふさがる。追いすがろうとしたものの襲いくる熱に反射的に身を引いた鷹村さんは、進めないと見るや否やすぐに周囲を見回した。


「何故こんなに火の回りが早い! 消火器はどこだ!」

「ダメです鷹村さん! あちら側です!」


 階段の下一瞬の間に大きくなった炎壁の向こう、そこに見える消火器を見て鷹村さんが声を張り上げる。


「清水! このままじゃお前も危ない! 火を消す! 消火器を貸せ!」


 不思議な微笑みを浮かべた清水律は、炎に煽られながらも微動だにせず鷹村さんを見詰めている。熟れきった果実のように蠱惑的な微笑みで、妖艶な炎の女神のように。

 彼女に動く気がないと見た鷹村さんは大きく舌打ちした。


「清水! 逃げろ馬鹿! ──行くぞ藤堂さん!」


 身を翻し走り出した鷹村さんの背を追い、わたしも走り出した。艶然と佇む清水律を置いて。


「どうしますか鷹村さん!?」

「各部屋に消火できそうな物がないか探す! ガソリンの類の匂いはしなかったのに火の回りが早い」

「そういえば廊下がやけに滑ると──」

「引火しやすい物を撒かれたのかもな。とりあえずそこへ入るぞ!」

「はい!」


 室内に飛び込むと同時に後方の扉を閉めに鷹村さんが走る。わたしもすぐに扉を閉めようとして、そして止まった。


「藤堂さん! そこの──」


 わたしに指示しようとした鷹村さんが、口を止めて苦い物を飲み込んだような顔になる。


「立木……」


 わたしが手をかけていた扉を、悠生が後ろ手で静かに閉めた。背後に見えていた朱が扉に阻まれ見えなくなる。無表情の悠生がゆっくりと中に入ってくる。


「立木、その手を離せ。今のお前に言っても仕方ないかもしれないが、お前とどうこうやっている状況じゃない。外を見ただろう? 早急に消火作業が必要だ」


 悠生は答えない。ただひたすら掴んだわたしの手首を見詰めている。


「! 藤──」


 何が契機だったのかわからない。突如わたしは横凪にふっとばされた。悠生に荷物か何かのように放り投げられたのだと気付いたのは、床に背中を打った衝撃が体中を襲った後だった。幸いにも机と机の間に倒れこんだので即座に顔を上げて悠生を探す。

 悠生が鷹村さんに向かって駆ける。鷹村さんが慌てて近くにあった机を盾に回避する。倒れた机は悠生の向こう脛に当たり、その足を一瞬鈍らせる。続いて鈍い破壊音。

 鷹村さんがギリギリで避けた拳は、壁に黒々とした穴を穿った。引き抜かれた悠生の拳から赤い血液がたらりと垂れる。彼の拳には壁の破片がいくつも刺さっていたが、彼は拳を一振りしただけで頓着せずに再び鷹村さんに目を向けた。鷹村さんの顔が引き攣る。


「やっぱり武器は必須だったな」

「──鷹村さんッ!」


 わたしが叫ぶ。悠生が走る。鷹村さんが腕を前に出す。悠生の拳が今度こそ正確に狙いを定め、そして──






 わたし達はまた校舎を見上げていた。清水律と立木悠生のどちらにも見つからず回避する手段が中々見つからず、あの後も二階で何度か周回をしてしまっている。


「行くぞ、藤堂さん」


 それでも鷹村さんの瞳は、前だけを見据えている。

 少し険しくなったその横顔を見て、わたしはそっと目を伏せた。





 わたし達の姿を見るとすぐに火をつけようとする清水律、暴行に移る立木悠生、この二人はプログラムされた通りに二階を移動しているだけだと気付いた鷹村さんは、何度目かの周回で移動の規則性を見付けた。うまく回避することができたわたし達は、何とか三階まで行くと慎重に各部屋を調べ始めた。

 三階にあるのは三年の教室と数理準備室、国文準備室、多目的室、そして生徒会室だ。そして三階と言えば秋月遼、数理準備室と言えば鏡先生。一条雅だけが何故か一階にいたが、他の二人は三階にいる可能性が高い。


「こんな所で何をやっているんですか。戻りなさい。君達の求めるものはこの先にない。さあ早く。僕は先程、わが校の生徒じゃない者が裏門の辺りをうろついていると聞いたので、これから確に──ぶっ!!!」


 わたし達を強引に帰そうとする鏡先生を、問答無用とモップの柄で殴り飛ばした鷹村さんは、倒れた鏡先生に走り寄るとその足に駄目押しの一撃を浴びせた。鏡先生の痛々しい叫び声が暗い廊下に響き渡る。肩で息をしながらそれを聞いていた鷹村さんは、顔を歪め姿勢を正した。


「行こう、藤堂さん」




 数理準備室はきちんと整頓されていたが、どこか寒々しかった。

 窓際に並べられた机にそれぞれパソコンが置かれているが、それらは暗く沈黙している。脇に置かれた背の高い本棚にはびっしりと専門書が著者ごとに区分けして並べられており、部屋の主の几帳面さを垣間見ることができる。中の見える棚が更にその隣に並び、透明なガラスの向こうには漏斗やビーカーが所狭しと収められている。

 数学と理科の荷物置き場とも言われるその部屋が、一見雑多なようでどこか規則性があるように見えるのは、すべての物が綺麗に収まるべき場所に収められているからか。

 その一角にある等身大のヒトガタに鷹村さんが手を伸べた。


「『笑う人体模型』」


 体のあちこちを剝き出しにした成人男性の身体を模したそれは、愛想もなく無表情で特に笑っているように見えたりしない。顔半分は骨が丸出しなので正直よくわからないけれども、半分は唇を引き結び半分は歯が剝き出しのこれを笑顔と言わないだろう。


「なあ藤堂さん、あいつを見てどう思った?」


 人体模型の外面である顔半分を二本の指で撫でながら、鷹村さんが聞いてくる。先程殴り倒してしまった鏡先生のことだろう。わたしは溜息を吐く。


「普段と同じ、とっても有能で生徒の信頼も厚い、尊敬できる先生のように見えました。いつも通りだとしたら先生は本当に助言をくれたのではないでしょうか。その言葉を無視してしまっていいんですか」

「……ああ、確かにあれは助言かもな」


 おざなりな首肯が返ってくるが、鷹村さんが戻る気がないことは明らかだ。やっぱり鷹村さんの気持ちを変えることなんて誰にもできない。わたしでも(・・・・・)


「鷹村さん、人形に擦り寄って何してるんですか」

「ああ、ちょっとな」


 鷹村さんは半裸……半肉?の男性の背面を右手で弄り、左手は腿の部分を掴んでいる。怪しいことこの上ない。しかもまた思考の渦にでも潜っているのか、わたしの言葉への反応も鈍い。いつもなら妙な言い方するなと叱られている所なのに。

 ふいにカチンと何かが外れるような音が鳴り、人体模型がゆっくりと前にスライドしてきた。傍から見ると男の体を抱き締めているようにしか見えない格好の鷹村さんは、そのまま作り物の体を限界まで引き寄せると、息をついて手を離した。


「秘密の通路とは、また本格的だな」


 人体模型のいた床がぽっかり空いたそこには、下へ続く階段が現れていた。






 外部強制切断まで残りあと10分。




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