56話
木村と未唯がバグであること、彼らの発見を第一目的とすることを藤堂さんと合意し、キルを空き教室に待機させ、戻った先の授業は退屈の一言だった。じりじりする想いを抱えたまま授業終了を待った俺は、時間になると同時に席を立つ。
「清水」
「どうしたの鷹村?」
椅子から身を乗り出すようにして二人の男子生徒とお喋りしていた清水に声をかける。最近は事件にかまけていてばかりでまともに会話するのが久々だからか、清水の顔は妙にのっぺりしたものに感じられた。
「清水歴史得意だったよな。いくつか教えてほしい部分があるんだが、図書館だと会話しづらいし、ファーストフードだと落ち着かないから、清水の家に寄らせてもらってもいいか?」
清水は男子生徒達に顔を戻し、軽く片手を上げると身軽に立ち上がった。
「今教えてあげるよ。どの辺?」
「──いや、今度のテスト範囲全般的に教えてほしいから、できれば放課後時間をもらいたい」
「放課後はあたし部活だよ。休み時間で良くない?」
「俺の都合だから、いくらでも待つさ。清水の都合が悪ければ休日でもいい」
腰に手をあてた清水がペンギンの嘴のように口を尖らせる。
「休日も部活があるんですー」
「確か日曜は休みじゃなかったか?」
「日曜は女同士で遊ぶ予定があるんですー」
二の句が継げずまじまじと清水を見詰めていると、彼女が呆れたように嘆息した。
「鷹村ぁ、女の子を誘うならもっとスマートなやり方じゃないとダメだよー」
「そうだー出直せ鷹村―」
「ってかナンパは外でやれ鷹村―」
清水と会話していた男子生徒達から楽し気なヤジが飛ぶ。それらには目もくれずただ清水だけを見ていた俺は、ややして頭を掻いた。
「ああ……確かに不躾だったな。悪い清水。出直す」
「あれホントにいいの? じゃあ教えてほしくなったらまた言ってねー」
「いいんだ。ありがとな」
「またはないぞ鷹村―」
「出直さなくていいぞ鷹村―」
「うるさいわっ!」
置き土産代わりに男子生徒達に嚙みつき清水に手を振った俺は、教室から出るなり唇を嚙み締めた。
甘かった。今までのようにただ気まぐれに声をかければ協力が得られると過信していた。そう。ゲーム開始時点に戻っているということは、清水もまた、初期の低好感度に戻っているということなんだ。
あの後手当たり次第NPCに接触してみたが、一条には柔らかいけれど酷く余所余所しい対応を取られ、序盤から変わらない態度の栗城教諭には何故か窘められ、ダメ元で会いに行った秋月や鏡に至っては不審さを綺麗に押し隠した──でも透けて見える表情で当たり障りのない対応をされた。
いや本当になんだよあの可哀相な者を見るような目は。妄想の女を追い掛ける夢見がちな思春期男子にでも見えたか?俺が?
心底疲れ切った俺は、四組に着くやいなや藤堂さんの前の席に後ろ向きに座り、机上に立てた両腕にぐったりと顔を沈めた。
「お疲れですね鷹村さん」
「……進捗が思わしくない。序盤の情報収集がここまで面倒だとは思わなかった。好かれても嫌われてもいないと何かを引き出すことすら容易ではないな。誰もかれもが知らぬ存ぜぬ。挙句の果てには不審者扱いだ」
「嫌われていないのは良いことでは?」
半眼で彼女の顔を見上げる。傍から見ると睨みつけているようにも見えたかもしれない。
「ばりばりに警戒してこう来たらこう! とシミュレーションまでして秋月に挑んだ俺に、ヤツが何て言ったと思う? にっこり笑って『悩み事があるなら乗るよ。君の探す理想の女性は学園にはいないかもしれないけれど、きっとどこかで見つけることができる。案外身近な所にいるかもしれないよ』とのたまったんだぞ!?」
藤堂さんが人差し指を立てて、こてんと首を傾げる。
「根津未唯が学園外にいると示唆されたのでは」
「学園内で騒ぎを起こしそうなヤツを厄介払いしようとしてるようにしか聞こえんわっ!」
反射的にがなってから反省し、更に深く、深く腕に顔を埋める。落ち着け。行動が制御できないのは、長時間ログインによるストレスで精神疲労度が高くなっているからだ。冷静になれ。でなければリスクだけが高まり、解決への打開策を導くことなどできない。
「結局、二人の情報は得られなかったんですか?」
落ち着いた彼女の声に短く息を吐く。
「……誰に聞いてもそんな二人は知らないと言う。奴らにとっては、木村セオも根津未唯も、会ったこともない全く知らない存在なんだ。サポートキャラですら同様だから、調査を依頼することもできない。現状手詰まりだ」
「学園外で調べられないんですか?」
「登園前に既に母親に確認した。幼い頃に付き合いのあった根津家のことは把握していた。住所も変わっていないようだ」
「じゃあ根津家に行くんですね」
「……そうだな」
学園に来ていない根津未唯は、未だに家に引き籠っているのだろうか。それとも俺を楽しませるための新たなルートを作って待ち構えているんだろうか。
それは、本当に俺の知る彼女と同じなのか。
「プログラムは同じ状況になれば、同じ行動をする。なのにあいつは今ここにいない。俺の知るあいつなら、学園に来ないだなんてありえない……例え、家に根津未唯がいたとしても、俺に会いにこないあいつは……あいつじゃない」
聞かせる気もなかった最後の囁きは、喧噪に紛れて彼女の耳には届かなかったはずだ。だが汲み取ったかのように、ふわりと頭上に温かく柔らかなものが乗せられた。俺は目を眇める。らしくない。俺達二人とも。
俺は一度強く目を瞑ると顔を上げた。
「悪いな藤堂さん、そっちの状況を聞かせてくれ」
藤堂さんの方も状況は同じだった。だが俺は諦めきれない。勿論放課後は根津家や木村家に足を運ぶつもりだが、どうしても彼女達の手掛かりはこの学園内にあるという思いが捨て去れない。
『学園に戻りなさい。君達はまだ不完全です。全てを得ていないし出しきってもいない。次なるステージへの鍵は君達自身が持っているのです』
ふいに脳裡を過る言葉──そう、鏡だ。ヤツの言葉が残っているから俺は学園に固執するのか。いやそうではない。このゲームの舞台はあくまでここ。この学園。だから未唯も木村も──バグの大元も、結局はここに戻ってくる気がするのだ。理屈ではなく。俺は苦笑した。
「理屈じゃないなんて、俺らしくない」
だがしかし理屈だけを是としていたら、大切な物を取りこぼすはめになる。それを俺は身をもって知った。だから俺は自分の感覚に賭ける。一つずつ根拠を集めている時間も、ない。
「鷹村君、調べてきたよ」
柔和な顔立ちと親切そうな態度、最初から何一つ変わらない日村衛を見て、俺は頬を緩めた。
「七不思議、か」
日村に調べてもらった中にあった言葉を反芻する。
血だらけの女生徒、無人の音楽室から聞こえるピアノ、人体実験の行われる地下室、深夜徘徊する幽霊、笑う人体模型、鏡から現れるドッペルゲンガー、そして存在しない九組。
「何か気になることでも?」
「いや。ここまであからさまだとデコイの可能性がない訳じゃないが、他に手掛かりがない以上、これらを調べておきたい」
「何があからさまなんですか?」
「NPCとの関連性だ」
藤堂さんが小鳥のように首を傾げる。
「例えば血だらけの女生徒、これは殺人鬼高坂美琴のことを示唆しているように思われる。ああ。わかっている。普通に考えれば時系列的におかしい。七不思議というのは過去から数ヶ月でできるものじゃない。だが彼女は毎回ナイフを使い大量の血痕を残す。親和性が高い。もしかしたらこの噂を追っていくと、校内で高坂美琴と出逢うイベントが開始するのかもしれない。
また無人の音楽室から聞こえるピアノ。時系列を無視すればこれは一条雅だな。彼女はピアノが得意だ。だが学園ではテニス部に所属し、家では各種英才教育に追われ、ピアノを練習する時間はないそうだ。だからこっそり学園内で練習していたとしても不思議はない。
人体実験の行われる地下室以降は今一わからないが、人体模型があるのは鏡のよくいる数理準備室だろう? 七という数がNPCとあわないのは気になるが、どれも彼らのイベントに直結するというのが俺の考えだ」
「では今上がらなかった人体実験の行われる地下室、深夜徘徊する幽霊、鏡から現れるドッペルゲンガー、存在しない九組の噂の詳細を調べますか」
しばし考えた俺は、気配を消してひっそり佇む少年に目を向けた。
「キル、GPS時から割り出した残り時間は」
「二十八分きる」
「今の俺のゲーム内での行動時間から換算すると、全部回っている時間はないな。藤堂さん、手分けしたい」
「それはいいんですが……鷹村さん、リアル時刻がわかるんですか?」
戸惑った表情の藤堂さんを見て、俺は口端を上げて笑った。
「ああ。タイマーによる帰還警告が行われなかった時点で藤堂さんも察していると思うが、このゲーム内では時刻情報が意図的に狂わされている。だが一つだけ絶対に改竄できない情報がある。それがGPS情報だ。屋内設置を基本とするラブワが基地局情報でなく、何故屋外特化のGPS情報を最優先利用しているのかは諸説あるが、少なくともこのゲームがラブワのソフトである以上、必ず正確なGPS情報を利用せざるをえない。そのために我が社の屋上には専用の受信機が設置されており、社内にいる限り正確なGPS情報を受信してプレイができる。であればこれを利用して時刻を算出するしかないだろう」
「……つまりプログラムを組んだということですね」
「改竄防止の防壁プログラムと一緒にな。そっちは時刻算出プログラムに手を出そうとするものをとにかく攻撃する単純なものにしたから割りと簡単だった」
言葉を切った俺は、藤堂さんに笑いかける。俺は、少しでも彼女を安心させることができるだろうか。木村のように。
「リアル時刻がわかったからと言って、焦る必要はない。自らの置かれた状況を正確に知ることが大事なんだ。藤堂さんなら、どう行動すればいいかわかるな?」
やや垂れ目がちな瞳が俺を見詰める。その瞳を真正面から覗き込んでいると、周囲が見えなくなり、どこまでも吸い込まれそうな不思議な、もぞもぞとした居心地悪い気分になる。
「はい」
俺はほっと息を吐いた。
「ありがたい。じゃあ場所を分担しよう。七不思議の中で藤堂さんが気になる物はあるか? ああそうだ、キル。俺はこのまま授業に出ないで校内を探索する。端末は持ってきたがその他の荷物は教室に置いたままだから取りに行ってくれないか」
「承知きる」
「え!? 授業サボるんですか!?」
「ああ。時間が惜しいからな」
「でもそんなことしたらペナルティが……」
「教師に捕まらなければいいんだ」
「それは──」
「だろう?」
「でも授業中ずっと逃げ回るなんて不可能です」
「大丈夫だ」
不安そうな藤堂さんに俺は不敵に笑ってやる。今度は表情を作る必要はなかった。
「栗城先生は、鈍くさいからな」
その言葉が終わるかどうかというタイミングで、空き教室の扉が空気を震わす轟音と共に吹き飛んだ。