55話
「最初から整理しよう。高坂美琴は元々他者を害する性質を持っていた。それはこの町に引っ越してくる前から事件を起こしているらしいことからもわかる。幼い頃の誤飲というのも事故ではなく、彼女の悪意が絡んでいるんじゃないかと俺は考えている。
彼女は昨年度三月、KK学園に通うために引っ越してきた。だが何らかの事情により登園ができなくなったか、もしくは登園をする意志がなくなったんだ。高坂家の様子を見る限り、前者だろう。
どういう心情の動きか知らんが、高坂美琴は根津未唯を自分の代わりに登園させることを考えた。根津未唯はそれを受け入れる。入れ替わりが成立したのは恐らく六月。高坂美琴の入園直後の長期休みは、入れ替わりまでに要した期間と推測する」
「高坂美琴が一度でも登園したのなら、担任やクラスメイトは入れ替わりに気付くんじゃないですか? ──秋月遼を除いて」
まあ普通はそう考えるな。だが。
「前にも言ったが、誰も入れ替わりに気付いていないからこそ、学園内に何の騒動も起こっていないんだ。高坂美琴は入園後すぐ休みに入った。顔見知りになる程時間はなかったはずだ。しかも藤堂さんも写真を見ただろう? 彼女達は全体的な雰囲気が似ている。もしかしたら高坂美琴は、入れ替わりを念頭に極力顔を見せないようにしていたんじゃないだろうか」
実際どうだかわからないが、あいつのクラスメイトの様子を見るに、入園してすぐにウマが合ったとは思えない。ましてや他クラスと仲良くなるには、ある程度期間が必要だ。そんな時間も意志も高坂美琴にはなかった。
「雲隠れした高坂美琴に代わり、六月から根津未唯が登園し始める。前後して転園してきた木村は、根津未唯を見て自分が追ってきた犯人像との違いに混乱し、衝突する」
『違う、どうして』と木村は言ったという。つまりそういうことだ。
「何かが変わったのは、九月辺り。学祭前、根津未唯は一条雅と衝突し、怪我を負った。恐らくそれをフォローしたのが秋月遼。奴は根津未唯のことを把握し、以降一条雅へのフォローを徹底した。この件に関する目撃情報がなく、一条雅からの告白すらつい最近まで聞けなかったのは全て秋月遼の根回しの結果だ」
『貴方は私を見ていなかった。私がどういう様子で、どんな気持ちでいるかなんて貴方は気にしていなかった』
だが一条雅から情報を聞き出せなかったのは、きっと秋月遼のせいだけじゃない。俺は頭を一振りして続けた。
「根津未唯は家族にすら居場所を告げずにいなくなった。家出と言えば聞こえはいいが、期間や状況を鑑みると失踪に近い。家族から生活費が振り込まれているという様子もない。この状況下、普通に考えたら根津未唯はどこにいると思う?」
突然振られた藤堂さんは、驚きもせず人差し指を立て僅かに首を傾げるに留めた。
「誰かの元へ転がり込んでいる、もしくは監禁・殺害されている」
物騒な単語だが、俺は頷いた。
「そう思うのが自然だな。だが家族はそうは思っていない。失踪の件だけじゃない。根津未唯に対する彼らの対応は、はっきり言って年頃の娘を持つ家族として不自然極まりない」
『本人が事故だと言っていたし、本来無関係の学園や、ましてや警察になんて連絡しないさ』
『家出の件? 未唯が美琴ちゃんでなくなった以上、学園は全く関係ないから学園に連絡しないよ』
『今どこにいるのか、オレも家族も誰も知らない。一応家族だからね。テキストだけでも大体様子はわかる』
「娘が大きな怪我をしても学校に連絡すらしない、居場所もわからない娘を放置する。いくら引きこもりだったことで腫れ物に触るような扱いになっているとは言え、偽装可能なテキストメッセージだけで居場所の確認どころか通報すらしないのは、はっきり言って呑気というレベルじゃない。俺は彼女の家族に薄ら寒い想いすら抱いたぞ」
「その不自然な状況すらもシナリオ通りという線は考えないんですか?」
多分俺は嫌な顔をしたに違いない。
「弊社お抱えのシナリオライターにそんな無能なヤツがいると思いたくない。とは言え、一応ゲーム都合上の簡略化という線も考えたが却下した。他の流れは自然なのに、明らかにここだけ『心情的に』不自然なんだ。だがそれは人の手によるものと考えるからこそで、人の心の機微がわからないシステムによる作られた事象──即ちバグだと言うなら頷ける」
「わかりました。それで?」
「根津未唯がバグに絡んでいるなら、根津未唯に深く係りを持つ高坂美琴はかなり怪しいし、根津未唯失踪後、突如殺害されるようになった木村も気になる。特に木村の事件がバグと全くの無関係だとは思えない。そこで俺は木村に対して気になっていたことを改めて検討してみた」
「セオのどこが気になったんですか?」
それには答えず、俺は藤堂さんの目を見返した。藤堂さんが不思議そうに瞬く。
「藤堂さんは思ったより童顔だな。リアルで知っている藤堂さんと年齢が違うのもあるが、眼鏡がないと雰囲気も変わる。実は最初の頃、俺も若干その姿に戸惑った。だからというのは言い訳になってしまうが、当然気付かなければいけないことに、すぐには気付けなかった」
『僕は可愛いまどかを隠す物なんて一つもない方がいい! まどかはすぐに透明なガラスで心を隠そうとするけど、ありのままの姿でいて。僕はどんなまどかも大好きだから』
「文化祭時居合わせた木村の発言を覚えているか? 木村は今の藤堂さんの方がいいと言った。『透明なガラスのない藤堂さん』の方がいいと。透明なガラスとは眼鏡のことだろう。あまりにもストレートな言動に気を取られがちだが、問題はそこじゃない。
藤堂さんはその周の初めから裸眼だった。だから木村は藤堂さんが眼鏡をかけている姿を目にしていないし、知りようがないはずだ。なのにあたかも『以前眼鏡をかけていた藤堂さん』を見たことがあるかのような発言。これはおかしい。
わかっている。藤堂さんの動作から眼鏡をかける習慣があることを察した、単なる比喩、どちらも可能性としてはゼロではない。
だが俺は、木村が周回前の藤堂さんを記憶しているのではないか、と疑いを持った」
一息つくと、藤堂さんが小首を傾げた。
「それだけですか? 根津未唯が周回記憶を持っているとわかった訳ではないですよね。木村セオもバグだと判断するには根拠が薄いですし、高坂美琴は根拠ですらないですよ」
「そうだな。とりあえず木村について話を進めよう。一旦木村に疑いを持つと、気になる点がいくつも出てきた。例えば木村は以前俺に藤堂さんのことを頼む際、代わりの相手として鏡や立木の名を上げたが、秋月の名は抜いた。理由がわかるか?」
「先輩のことを信用できないから、でしょうか」
「かもしれない。だがここで理由は重要じゃない。俺がそのことを木村に告げたタイミングと木村の反応がポイントなんだ」
『お前は以前も藤堂さんのことを頼む相手から秋月生徒会長の名前を外した』
『センパイがまどかにどうこうするなんて思っていない。でも万が一にでも僕のことを邪魔する可能性のある人に、近くにいてほしくない』
「木村が藤堂さんのことを頼んだ──正確には、藤堂さんに頼るように指示したのは、木村が最初に殺害された周、そして俺が木村にそのことを告げたのは別の周だ。つまり本来なら木村は俺に『そんなことはしていない、何のことだ』と怪訝そうにするのが正しい反応だった」
「──記憶があったのではなく、単に適当に対応したんじゃないですか?」
「その可能性もあるな。──ところで藤堂さん、藤堂さんは攻略のために狙った対象を探す時、どういう手段をとった?」
突如変わった話の流れに、今度こそ藤堂さんが目を瞬かせる。
「え……相手がよく行く場所に行ってみるとか?」
「そうだな。しかも周回しても攻略対象は同じ日同じ場所にいるから、記憶してさえいれば狙いやすい。好感度による変化やイベント発生等が加味されるため、百パーではないが、藤堂さんも周を重ねるごとに狙いやすくなっただろう。
さて。ここで木村が殺害された状況を思い出してほしい。木村が殺害される日時、場所は初回も二回目もほぼ同じだ。木村は、学園周辺を徘徊しているヤツに殺害されている。だが三度目の木村の殺害場所はどこだった? 日時は? どれもこれも変わっている。ついには五回目、全く学園からかけ離れた場所で木村は殺害されることとなった。
もう一度言うが、NPCはプレイヤーやイベントが関わらない限り周回しても基本的に同じ場所にいて同じ行動をする。なのに木村は行動を変えた。自発的に行動を変えるのはバグだけだ」
「それはわたし達の行動によって変わったんでは?」
「木村の二度目の殺害後、藤堂さんは木村の行動を変えるよう試行錯誤していたが、結果は伴わなかった。違うか?」
「……いいえ。その通りですが……」
「木村の行動は他のNPCと比べて、周を経るごとに変化しすぎている。他の疑わしい点も鑑みると俺は木村がバグ、もしくはそれに類するもので周回記憶を保持していると俺は考える」
「……そもそも鷹村さんは、バグというものを何だと思っているのですか?」
俺は片眉をあげて藤堂さんを見た。
「そうだな。バグの定義を擦り合わせよう。バグの元になっているのはプレイヤーの心拍数を上げる自己学習プログラム──いわゆる人工知能であり、そこからプレイヤーの安全を守るというリミッターが外れた状態だ。これは半崎の言葉からわかっている。
特性としてはこんな感じだな。
①プレイヤーの行動を学習して進化する。
プレイヤーの反応を見て、いくつもある既存プログラムから適切なものを選択し、簡単なプログラムも組む。但しこれはバグそのものの特性というより、元々あった機能だ。
②プログラムを改編する。
他プログラムの改編を行い、バグの範囲を広げることができる。よって元になっているバグプログラムをどうにかしない限り、新たな改編が進むだけだと半崎は言っていた。なお現在は権限まで改編され、開発者のアクセスすらままならなくなっているらしい。
③プレイヤーの安全性を無視する
プレイヤーの安全性を担保するためにかけられた様々なロックが作動しない。ここが今回のバグのバグたる所以と言える」
一息ついて藤堂さんを見ると、藤堂さんが頷いた。ここまでは認識の相違なし、という所だろう。
「木村もしくは根津未唯がバグの可能性ありと言ったが、その根拠は異なる。木村は周回記憶ありきの行動から、未唯は失踪時の状況の不自然さからだ」
「論理が飛躍していませんか? 周回記憶を持っているからと言ってバグだと判断するのは釈然としません。根津未唯に関しても、彼女自身が不自然な行動を取った訳ではありません」
「確かに説明不足だったな。まず周回記憶持ちがバグと言うかどうかだが、ゲームの性質上、周回記憶をベースにNPCを行動させるとは思えない。これは恋愛ゲームだろう。周ごとに攻略対象も異なる。先生を攻略した次の周に同級生を口説いている状況を皆が知っていたらどうなる」
「鷹村さんが袋叩きにあいます」
藤堂さんの即答に俺は一時言葉を失った。もう少し穏便な結果を与えてくれないんだろうか。
「……俺が望んでそんな行動を取っている訳でなくても、ここにいる奴らにとっては関係ない。だからまあ、袋叩きとまでは言わなくても、何らかの支障が出るだろう。もう少し突っ込んで言うと、過去周のことをNPCが知っているかどうかが重要ではなく、過去周の情報を元にNPCが行動できることはこのゲームに不要なんだ。だから木村はプログラム改編されたバグであると判断した」
藤堂さんが神妙な顔で頷いた。彼女は彼女で思う所があるんだろう。
「次に根津未唯だが、確かに彼女自身が不自然な行動を取ったとは言えない。だが家族の反応はバグによって作られた不自然なプログラムだ。その起因となる失踪行動が既定のものであれば、家族の反応をバグが作り出す必要はない。よって未唯の失踪もバグであり即ち未唯もバグであると言える」
藤堂さんの様子を伺ったが特に矛盾を感じている様子はない。実際は俺と同じように考えていて、頭の整理のために敢えて説明を求めたのかもしれない。
「異論がなければ、木村と未唯はバグだという前提で話を進める。高坂美琴は一旦保留だな。折角だから奴らが何を目的としているかまで考えてみよう」
「鷹村さん、先程バグはプログラムの安全性を無視してでもプレイヤーの心拍数を上げるとおっしゃってませんでした?」
「根本的な特性はそうだ。だがもっと細かい部分で異なると俺は思う。まず木村だが、ヤツは何かを追い、変えようとしている。それがバグを広げようとする行動なのか、それとも別の目的があるのかはわからないが、まだ達成できていないと見える。そして奴は酷く藤堂さんの身柄を気にかけていた。──ところで藤堂さん、最近心拍数が早くなったのはどういう時だ?」
口を開きかけていた藤堂さんが言葉を飲み込み、ややして首を軽く傾げた。
「セオの殺害現場を目撃した時でしょうか。それと帰還できないとわかった時」
「俺も似たようなものだな。後は一条に目の前で自傷された時や未唯の入れ替わりがわかった時か」
「鷹村さんは、事件が起こってからずっと心拍数上がっているんじゃないですか?」
「違いない」
笑う藤堂さんに苦笑を返して吐息を吐く。少しだけ苦さが勝っていたかもしれない。
「木村は事件から藤堂さんを遠ざけようとしていた。藤堂さんの心拍数を上げるならむしろ自らの死の現場を見せ付けた方が効果的だというのに。過去の行動から見ても木村の行動指針は藤堂さんを守ることのように見える。その木村が帰還を──藤堂さんの行動を妨害するとは考えづらい」
『まどかを守ってあげてリヒト』
藤堂さんが制服の袖を指先で弄びながら俺を見上げた。
「不思議ですね。鷹村さんはプログラムはプログラムでしかない、という考え方ではなかったんですか? 今の言い方だとまるで彼らと鷹村さんが同じ存在かのようです」
「プログラムが一定の指針を持って行動している以上、その指針にそって行動を予測するのが正だ。指針は彼らの今までの行動実績から推測できる。それはリアルな人でも変わらない。いやいっそ、リアルな人より指針にぶれがない分、予測しやすいかもしれない」
「つまり鷹村さんは、プログラムという訳のわからないモノを相手にしているのではなく、今まで接してきたわたし達と似たような個として対応して良い、とそう言いたいのですか?」
「そう捉えてもらっても構わない」
「それならもう一人のバグ、根津未唯の目的は何なんでしょう」
俺は口を噤み、よくわからない何かを飲み込んだ。
「バグは周回記憶を元に行動できる。恐らく根津未唯も。その前提を元に振り返ってみると自ずと見えてくるものがある」
心拍数を上げるために行動するNPC。周回記憶を持つバグ。何かを追いかけ、藤堂さんを守ろうとする木村。
『いつまでたってもリアルに帰れませんよ』
『ねえ、二人は何を言ってるの……?』
『傷つき疲れ、行き場を失った気持ちは次第に他人に、そう周囲の全てに向かってしまうのが必然だ』
『理人兄を勝手に連れてくなッ!!』
一条雅の腕の傷痕、秋月の言葉、木村の警告。
『もう好きになってなんてワガママ言わない。だからずっと一緒にいて理人兄』
「俺達をここに閉じ込め、永遠に楽しませることを目的とし、俺をリアルに連れていきかねない藤堂さんを排除しようとするバグプログラム──恐らくそれが根津未唯だ」
藤堂さんは目を瞬かせた後、ゆったりと微笑んだ。