54話
何度目かの周回の後、俺は再び自室で目覚めた。ベッドの上で起き上がって何となく違和感を覚える。何だ?
「理人ー、学校に遅れるわよー」
階下から母親の声が聞こえる。……学校?
俺は次々と生徒達を飲み込む正門を見詰めて呆然と立ち竦んだ。勘違いでもない。平日だ。じゃあこれは一体いつだ?
楽しそうにお喋りする生徒達が、俺の左右を追い越していく。漏れ聞こえてくる言葉の数々はあまりにもありふれていて他愛なく、現状を推測できるような材料はない。いや待て。ないこと自体がおかしいんじゃないか?
「おはようございます鷹村さん」
耳慣れた声に俺は振り向いた。少しだけ低い位置に、さらりと黒髪を揺らす藤堂さんの姿があった。垂れ目がちな瞳を細めて彼女が俺を覗き込み微笑む。
「どうしました? ぼーっとしていると遅刻しちゃいますよ」
訳のわからない衝撃をやり過ごす羽目になった俺は、藤堂さんの顔をまじまじと見た。笑った彼女が身を翻すと、膝上のスカートがふわりと舞い上がり白い太腿がちらりと覗く。
「行きましょう鷹村さん」
「……ああ」
「それで話って何ですか? こんな人気のない密室にわたしを連れ込んで、一体ナニするつもりなんですかねー?」
「既視感覚えるなそれ」
休み時間になるや否や彼女を空き教室に連れ込んだ俺は、疲れと共に大きな息を吐き出した。室内を歩き、壁際に設置されたよくわからん額縁をまじまじと観察していた藤堂さんは、飽きたのかそのまま顔だけを俺に向けた。
「それで?」
「藤堂さん、今日がいつなのか確認したか?」
「周回後のスタート地点ですね」
「そう。正確には初回のスタート地点だ」
木村の殺害事件が発生して後、周回後のスタート地点は学祭後の振替休日だった。それが今回は違う。最初のゲーム開始地点に戻されている。
「六月の、攻略対象と出会う前ということですか? まさか」
「生徒の口から一切学祭の話が出てこないのを不思議に思わなかったか? 学祭以前であることは間違いないだろう。他にもいくつか確認したい。──来たな」
「お待たせしましたきる」
「?」
突然室内に入ってきた男子生徒に、藤堂さんが首を傾げる。お仕着せのブレザーを身に纏った太眉のきりりとした少年は、一見どこにでもいそうな生徒の姿だが、静かな佇まいやどことなく和の雰囲気を感じさせる鋭利な雰囲気等、攻略対象とはまた異なる独特の存在感を放っている。
「何とか学園内に忍び込めたな。キル」
「次の休み時間も成功判定されるきる。成功率が低く、大失敗と判定されるとペナルティが加算されるので注意が必要きる」
「え!? まさかと思いましたがこれ本当にキルちゃんなんですか!? キャー! カワイイ腕の筋肉かぶりつきたい細い腰回り抱きつきたいーっ!」
「は?」
「キャーキャー」
「……藤堂さん?」
「あれ鷹村さん引いてます? 大丈夫ですよもちろん。わたしは理性ある大人ですし? ちゃんと自分を制してやることやりますよイヤだなー」
「藤堂さん」
「はい。お時間もないことですし、先に進めましょうか」
「……仕事の時の藤堂さんのイメージは一体。いや、まあいい今更だ。完全に出鼻を挫かれた感があるが、見ての通りキルを人型にした。藤堂さんのサポーターは?」
「いますけどマスコット型ですよ。帰宅後、人型にすべきですか?」
「忘れずにやってほしい。それよりキル、早速で悪いがメニューを表示してくれ」
「承知きる」
俺はメニューをざっと流し見た。時期はやはり六月で間違いなかった。最初のスタート地点だ。つまり……と考えを巡らせながら次のページに目を向けた俺は、眉を顰めた。
「鷹村さん?」
「藤堂さん、そっちも何か変わったことがないか確認してくれ」
首を傾げた藤堂さんがスカートのポケットにいるらしいサポーターに呼び掛ける。ややして宙を彷徨っていた瞳が大きく見開かれた。
「鷹村さん、これって──」
「俺の攻略対象からは高坂美琴が消えている。藤堂さんの方は?」
「わたしは──木村セオが、消えています」
予想していた答えであるにも関わらず、俺は盛大に舌打ちした。
「鷹村さん?」
「藤堂さん、俺はログアウトの手段がわかったと言った。この学園内でバグの大元に修復プログラムをインストールすると。バグの大元に関する明確な情報はないが、俺は木村セオか根津未唯、もしくは高坂美琴がそうだと睨んでいる」
「えっ?」
目を瞬かせて驚きを顕にする藤堂さんに、近くにあった机に腰かけた俺はひとつ頷いた。
「最初から話そう」
先日自宅にある自分の部屋で、少年の姿──学園に侵入させる時は見た目年齢を引き上げさせた──のキルの口からノイズ混じりの声が流れ出した時、キルが一日の終了を告げようとしているのかと考えた。
だがいつまでたっても定型文が発せられることはない。
俺は一つ咳払いして話しかけてみることにした。
「あー。どちら様ですか?」
『た……か。……あ……繰り返します。ソフトウェア開発部第一アプリケーション開発第一開発担当、鷹村理人さんでお間違えないですか」
突如クリアになった声に戸惑いつつ首肯すると、無表情のキルがパクパクと口を開け閉めした。
「どうやらメインCPUに過剰な負荷がかかり、今ならルート保持できるようです。今の内にいくつかご説明します」
その後の言葉を簡単に言うとこうだ。キルの口を借りて俺に話しかけたのは、このKK学園ラブライフの開発を第一線で手掛けた半崎鳴弥。ソフトウェアの不具合によりプレイヤーの帰還が正常通り行われない事態が発生したため、モニター担当者に代わり張り付いて分析と改修を進めているとのこと。
半崎によると現在は最終ダイブスタート時点からおよそ五時間後。帰還タイマーはとうに過ぎており、通常であればサポーターによる三度目の警告が通告されている頃だが、サポーターは何も告げた様子がなく、プレイヤーが帰還する様子もない。また警告と共に始動する強制終了プログラムも動いている気配がない。
これはおかしいと寝る間を惜しんで──この状況で担当者がおちおちと寝られる訳がない──調べた半崎は、キャラクターの行動を決定するプログラムの一つが、帰還プロセスを妨げていることを発見した。
すぐさまロックを外してはみたものの、不具合はその一点だけではなく他にも点在したため、半崎は苦戦。その上プレイヤーに影響を及ぼさないよう最大限に配慮して改修を進める傍ら、自動再構成されたプログラムが半崎の行為を外部からのハッキングとみなし、防壁を厚くしはじめた。
下手に手を出せば更に影響箇所を広げていくだけという状況に半崎は両手を上げた。不具合箇所が広まるのが速すぎるのだと言う。まるでウィルスか癌細胞のように。
即時改修不可と判断した半崎は、取り急ぎ不安に襲われているであろう内部のプレイヤーと接触することを優先させた。
「ルートを作る端から潰され、接触が遅れました。申し訳ありません。ですが貴方の組んだログアウトループプログラムが効を成したのか、プログラム負荷が増大し、再構成が追い付かず防壁に隙ができたようです」
「ありがたい。これが何らかのバグだろうとは思っていたが、行動方針が見えなくて正直困っていた。それで俺達はどうすればいい?」
少年が表情を変えずに頷き、掌を差し出した。何もなかったはずのそこに、突如何かが現れる。
「これを。先程申し上げた修復プログラムです。バグの大元を見つけた後インストールして下さい。全てのプログラムを初期化し、帰還プログラムを作動させます」
小指の先程の大きさのカプセルを渡される。
「修復プログラムを学習し対処されることを見越して、それらは異なるパターンを組み込んでいます。全てインストールすることが望ましいです。単独で修復できるかもしれないし、二つ使っても修復しきれないかもしれない」
「わかった。ところでバグを発見する手懸かりはあるか」
「……プログラムはプレイヤーの行動を学習し、よりプレイヤーを楽しませる──正確には心拍数を上げるためのプロセスを作り上げます。つまり簡単なプログラムを自ら組み上げるのですが、その機能を利用して二つの重要機能まで改編されました。一つはプレイヤーの安全を最優先するプログラム、もう一つは開発者権限のあるアクセス以外を完全に拒絶するセキュリティ」
「──ありえない。その二つは通常とは異なるルート権限にしてある部分だ」
「はい。通常ではありえません。ただ実は今回はより人と近い行動を模倣させるための新たなプログラムを組み込んでいます。いわば試用運転なので、想定外の影響を及ぼす可能性はゼロではありません」
「聞いている限りだと、バグと通常のプログラムの区別をつけるのは難しいようだが」
「確かにバグもまたプレイヤーの心拍数を上げるという特性に変わりありません。ただその方法に明確な違いがあります。プレイヤーの安全性を考慮せず手段を選ばないモノ、それがバグです」
俺は頭を掻いて苦笑する。
「そりゃあ難儀するな。漠然としすぎていて対象が絞れん。プレイヤーにはバグの存在がどう認識されるのか? 何らかの場所か? アイテムか? それとも人や動物の形でもしているのか? 少しでも情報が欲しい所だが」
「すみません。引き続き分析と改修を進め、わかり次第ご連絡します。しかしプレイヤーが中にいる以上、慎重にならざるをえないことをご理解下さい」
「わかっている。それでバグを発見したらこれをどうインストールさせればいい」
「バグプログラムに接触すれば自動的に始まります。但し子プログラムにインストールしてしまうと、本体に辿り着く前に切り離されてしまう可能性が高いので、くれぐれもご注意下さい」
俺が差し出した赤い平缶に、腰をかがめた藤堂さんが顔を寄せて言った。
「じゃあ、この中にその修復プログラムがあるんですね」
「ああ。藤堂さんにも一つ渡しておく。だが帰還のことを考えるとここから先は一緒に行動する方がいいだろうから、これは保険だ」
俺は缶を藤堂さんに差し出した。カランと固い物が缶の縁に当たる音が響く。耳元で振って音を確認した彼女は、制服のポケットにそれを仕舞った。
「それで鷹村さん、リアルでのわたし達は今どんな状態なんですか」
来たか。敢えて触れなかった部分を突かれ、俺は次に口にする言葉を逡巡した。最終ログインから五時間経過したということはつまり。
「鷹村さん」
「いずれわかることだから隠さず話す。落ち着いて聞いてほしい。もうすぐ最終ダイブから六時間経過し、外部刺激による帰還フェーズに入る。つまり俺達は──後三十分後に医療・救助チームの元、外部強制帰還が行われる」
「外部強制帰還」
「俺も実際に処置されたという話は聞いたことがないが、藤堂さんも知識だけなら知っているだろう。……知っているよな? ラブワに繋がれた神経系を物理的に切断するやり方だ。実際に切られるのは俺達じゃなくてラブワ側だが、自分の五感が切断されていく感覚を味わうんだ。幻痛や後遺症が発症する恐れもあるし、下手すると精神だけ戻れなくなる可能性だってありうる」
「戻れなくなる」
オウムのように繰り返す藤堂さんに、若干投げ遣りに言葉を吐き捨て、肩を竦めて見せる。流石に自分の身に降りかかるとなると落ち着かない。
わかっている。言い訳だし八つ当たりだ。今藤堂さんにこんな風に言うべきではない。だが思ってしまう。なぜ。なぜ俺達がこんな事態に陥っている。今まで何度もダイブを経験してきたし、自分よりもっとダイブ数の多い者だって知っている。なのに何故俺が。
俺は深く、深く息を吐いた。
「──悪い。口にする言葉を間違えた」
「いいえ」
藤堂さんは静かに首を振ると、唇に手を当てて思案気に目を伏せた。
「あと三十分、ここの時間間隔で言うと約二時間くらいか、それまでにバグの本体を見つけて修復プログラムをインストールする必要がある、さもないと精神がラブワに囚われる可能性がある」
「ラブワに囚われる」
「可能性の話だ」
「痛みも安楽も、感じる全てがラブワの思うまま」
「正確にはラブワから与えられる感覚以外のものを受け付けなくなる、という可能性だ。──藤堂さん、一つ聞きたい。最後の通信で木村に会うと言っていたが説得はできたのか」
藤堂さんが僅かに眉を寄せて首を振った。
「ダメだったのか」
「いえ。わかりません。説得できたのかそうでないのか、はっきりしないんです」
「そうか」
俺は肩を落として宙を仰いだ。木村の件が解決するか、せめて接触だけでもできれば良かったんだが。
「鷹村さん、わたしからも聞かせて下さい。先程バグの大元が木村セオ、高坂美琴、根津未唯のいずれかであると判断した理由は何ですか」
「ああ」
ここまで来たら彼女に隠すことではないだろう。俺は覚悟を決めて、努めて軽い調子で次の言葉を告げた。
「簡単だ。そいつらは周回の記憶を持っている」
外部強制切断まで残りあと30分。




