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50話

 保健室から出たわたしは、すすり泣きの声が一際目立つ教室の傍を通りかかり、何となく顔を上げた。ああ、セオのクラスだ。

 教室の中で、女子生徒達が固まって泣いている。女子生徒だけじゃない。男子生徒もだ。泣いている子や、机で俯いたまま動かない子、無言で窓の外を見詰める子等、形は違えど悲しみに暮れる子があちこちにいる。セオは、とても好かれていたんだろう。

 これでは授業にならないが、確かもうすぐ先生が授業の短縮を告げにくるはずだ。及川少年は大丈夫だろうか、とわたしが視線を動かすと、窓の桟に頭を凭れかけてどこか虚ろな表情で座る少女の姿が目についた。誰だったか。

 何となく見ていると、彼女の目がふいに動いてわたしの方を向いた。赤い眼鏡の奥の瞳がわたしを捉え、徐々に焦点を結ぶ。その瞳が大きく見開かれるのをぼんやり眺めていて唐突に気付いた。ああ。『佐久間楓』の友達だ。彼女の瞳が大きく歪む。


「──何しに来たんですか?」


 彼女──確か桑原泰子、の鋭い声が教室に響く。それほど大きくないそれは、室内の雰囲気を切り裂くような鋭さで、生徒達の口を閉ざす。わたしと彼女に視線が集まる。


「センパイ、私言いましたよね。センパイの影響力は大きいんだって。なのに何で今、木村も楓もいなくなったこの場所に来たんですか?」


 今この時まで、わたしはセオと一緒に殺された『佐久間楓』が、以前このクラスで会ったセオのクラスメイトということを忘れていた。思い出しもしなかった。殺された女子生徒は、わたしにとってただの記号でしかなかったのだと気付く。


「ねえセンパイ、楓と木村は死にました。殺されました。聞きましたか?」


 桑原泰子がわたしを睨み付けながら迫ってくる。わたしとほぼ同じ高さにある瞳が、熱量を持ってわたしを射抜く。


「センパイ、楓は薄暗い路地裏でゴミのように捨てられていたそうです。死ぬ時すら木村と一緒にいられなかったなんて、要領の悪いあいつらしくて笑っちゃいますよ。ねえセンパイ、ちゃんと聞いてますか? 聞こえていますよね? 思考を閉ざして逃げないで下さいね。二人は死んだんです。これは誰のせいですか? ええ。きっと、恐らく、その選定に誰かの悪意や恣意や思惑なんてものはなく、実際の所単なる不幸な巡り合わせなんでしょう。ええええ。ただね、ご存知の通りあいつらは完全無欠な性格をしていた訳ではありませんが、殺されなければならない程恨まれるような奴等じゃなかった。勿論私の願望も入っていますよ。でもそれは、そのことならセンパイも同意してくれるんじゃないですか?」


 口端にうっすら笑みすら浮かべながら異様な程流暢に喋る彼女をぼんやり眺めていると、彼女は突然わたしの胸倉を掴み自らの方に引き寄せた。

 桑原泰子の燃える瞳が、目と鼻の先に迫る。ああ。この子はあつい。嫌だ。


「センパイ、目を背けてんじゃねえですよ。わかってますか? それでも貴女なら(・・・・・・・・)止められた(・・・・・・)と私は言ってるんですよ。貴女なら、貴女だけが、最悪最低の底無し沼のようなこの状況をどうにかできたはずなんです。回避する可能性を唯一持っていたんです。だから私は断言しますよ。誰に謗られようと言い切ります。これは(・・・)貴女のせいだ(・・・・・・)と」

『君のせいだ』


 ああ、まただ。


「木村の世界には貴女だけが入ることが許されていた。貴女だけが木村の世界を変えることができた。なのに結局、結局辿り着いたのがこの現実です。さあいつまでも呆けてないで刮目して見て下さいよ!」


 掴まれていた胸倉を力いっぱい押されて背後によろける。すると今まで桑原泰子の細面しか見えなかった視界に、教室の様子が映り込んできた。そこにあるのは視線、視線、視線。淀み、膿んだ、怨嗟にも近い感情。


『全てはお前のせいだ』


 その中に及川少年の姿を見つける。彼の視線だけは温度も感情も何も含まず、ただわたしに向けられている。まるで観察でもされているかのように。


『お前がいるから、死が生まれる』

「センパイ」


 中心に立つ桑原泰子が、彼らと変わらぬ表情で口を開く。


「ごきげんよう、さようなら。二度と会わないことを切に願います」


 この世界はわたしを拒絶する。




 ああ。アイビーだ。

 それと気付いた時に、わたしはやっと自分がどこかの表札を見ていることに気付いた。アイビーとそして鳥のモチーフがあしらわれたそれに記載されている文字は『根津』。わたしは内心首を傾げる。根津未唯の家を知らないわたしは、ここに辿り着くことはできなかったはず。

 二階の窓を見上げる。まだ明るい陽射しの中、どの窓にもきっちりカーテンが閉められている。根津家は共働きなんだろうか。平日の昼間というのにカーテンの奥に、動く人影は見えない。

 そういえば随分歩いたような気がする。道すがらうりちゃんが絶えず何かを言っていた記憶がうっすらある。そこで自分の姿を見て気付く。鞄すら持ってきていない。手にした端末にぶらさがった猪のマスコットが無言で揺れる。わたし何をやっているんだろう。


「うりちゃん」


 かさつく唇は動かしづらく、声は酷くひび割れていた。猪のマスコットに反応はない。首を傾げたがまあいいかと制服のポケットに突っ込む。

 折角来たのだからと表札の下にあるインターフォンを押してみる。可愛らしい、妙に場違いさを感じる高い音が鳴るが、家の中に動く気配はない。やっぱりダメか。

 わたしは溜息をついてその場を離れた。住宅街の真ん中で、静かな空気に包まれ鮮やかな陽光の下をわたしは歩き考える。

 わたしが最優先でしなければならないことは何だろう? ──セオ殺害を止めてゲームクリアすること。

 でもセオ殺害は既に起こってしまった。ならば今わたしがすべきことは? ──犯人に関する手掛かりを得て、周回後に殺害を未然に防ぐこと。


『木村君は……本当は貴女を守りたかったんだと思うの。藤堂さん達は自分とは違うから、帰るべき場所に帰してあげたいって言ってたもの』


 左に白い外壁煉瓦色の屋根の家、右に三階建ての鉄筋アパート。

 セオの目的がわたしを帰すことだったら、わたしにも止められる?


『僕は他の大切な物を捨ててでも、後悔しない道を選ぶ。だからまどか──君は僕のことを気にせず自分の道を行って』


 人の気配のない家。飛ぶ鳥の姿さえ見えない、どこまでも青く眩しい空。

 ──セオこそ、わたしのことなんて気にしなければいいのに。


『僕は諦められない。忘れられない。きっと一生囚われ続ける。だから僕は他の大切な物を捨ててでも僕が後悔しない道を選ぶ』


 留守宅を守る犬はいない。車の下から顔を出す猫もいない。

 あるのはただ、無機物と光と影だけ。

 ──わたしのことがなくたって、セオはきっと犯人を追い求め走っただろう。二度と同じ想いをしないように。彼がその胸に後悔を抱く限り。

 光と影が交互に降り注ぐ。くるくるくるくるダンスを踊る。光、影、光、影。

 薄い皮膜を通したような世界が、何度も何度も移り変わる。それは変化なのに不変。きっとこの世界は変わらず続く。


『彼女は危険だ。このままだと大変なことになる』


 赤いセオ。色を失った白い肌、だらんと投げ出された身体。白い手。べったりと赤く濡れた髪。ぱかりと開いた赤い口。赤、赤、赤。赤に彩られたセオ。

 ──高坂美琴が消えれば、セオは助かるかしら。根津未唯が消えれば、セオは帰ってくるかしら。……それとも、わたしが消えればいいのかしら?


 ふいにわたしの肩に熱い衝撃が走った。それは冷えたわたしの身体を貫き、機械人形のように動いていたわたしの足をその場に縫い留める。

 わたしを止めたのは節榑だった大きな手だった。そして視線、まっすぐ向けられる強い視線。逃げることを許さない熱くて強い、


「ゆうせい」


 立木悠生と認識した瞬間、周囲の膜がぱつんと消えた。それは透明なウィンドウ。いつの間にか展開されていたいくつものメッセージだった。表示された内容を読む前にそれらは全て消えてしまう。


「悠生、どうかしたの? 何でこんな所に」


 滝のように汗を流し、見たこともない険しい表情をした悠生は、何かを確かめるようにわたしの姿に目を走らせた。


「悠生?」


 無言のまま今度は周囲に目を光らせている。先程まで宙に展開されていたウィンドウは全て消えている。そもそもウィンドウはプレイヤーにしか見えない。周囲にあるのは家々だけだ。特に際立った何かがある訳でもない。


「どこに行く」

「え?」

「そっちには何もない」


 言われてわたしは気付いた。そういえばわたしは何で歩いていたんだろう。うりちゃんに行先も告げずにただ足を進めるなんて、いつまでも景色が変わらないのも当然だ。そこで気付いたわたしは首を傾げた。


「悠生こそ、何でこんな所にいるの? 授業時間よね?」

「──お互い様だろ」


 そう言われると返す言葉もない。悠生はやっとわたしの肩から手を離したが、視線は鋭いままだ。何をそんなに警戒しているんだろう。


「このまま帰るのか」

「……わたし、このまま帰ってもいいのかしら」


 悠生が横目でわたしを見下ろし、憮然とした表情で言った。


「帰りたくなければ帰らなきゃいい。あんたが帰りたければ、帰ったらいい」


 わたしは帰りたいのかしら。答えの出ないまま口を開く。


「帰りたい……帰るつもりはあるの。でもほら見て。わたし何も持ってきてない。色んな物(・・・・)を置き去りにしてきたの。だから帰ってしまっていいのかしらって」

「置き去りにするのが気になるならもう一度戻ればいい。それを拾いに戻るか、捨てて帰るか、それを決めるのはあんただ。人に聞くんじゃねえ」

「……そうね」


 わたしのしたいこと、しなければいけないという義務感を取ったら、そこに何が残るかしら。

 路地裏から隙間風が吹いてきて、足元を通り抜ける。砂埃が舞い上がり、スカートの裾が揺れる。


「わたし、どうしようもないからっぽの人間なのね。やっとわかった。わたしがどうしても変えたいと思ってた現実がわたしのせいだってわかって、今どうしたらいいのか何もわからない」


 セオはわたしのせいで殺された。考えてみれば当然だ。プレイヤーによって未来は決まる。けれど決してプレイヤーの思い通りにはならない。


『君のせいだ』

「──ッ言われなくても……! ──そう、そうよ。誰に何を言われなくても充分わかってるし思い知らされたわ。わたしが当然のように好き勝手楽しんで、それがどういう結果を及ぼすかなんて考えもしなくて。それがわたしにとっての普通で。だからこんなことになって。慌てて動き出したってダメ。否定しても何をしても過去は変わらない。そうよ何度も何度も何度も現実として突きつけられれば、嫌になる程思い知るわ! だから皆に呆れられるのも見捨てられるのもわたし自身の自業自得よ! そんなことわたしだってわかってる!」


 太陽が低い位置に落ちると、空気が少しずつ冷えてくる。頬が冷たい。

 根津未唯、高坂美琴。彼女達の本当の関係や心は、実際はよくわからない。でも彼女達を動かしたのは、間違いなく鷹村さんであり、わたしだ。


『貴女なら止められた』


 制服の襟元が滴で濡れる。雨じゃないから、わたしはそれを顧みない。必要なのは省みることじゃない。


「わたしは帰れない。帰る訳にはいかない! 自分で引っ掻き回した結果を見て、勝手に傷つくだけ傷ついて放置して去ってしまったら、今までと何にも変わらないじゃない! わたしはまだ何もしていない。できていない。今ここで逃げ帰っちゃったら、元の場所に戻ったってきっと、何もできない……!」


 悠生は何も言わない。子供のようにぼろぼろ泣いて喚くだけのわたしの言葉を、静かに聞いている。


『ごきげんよう、さようなら。二度と会わないことを切に願います」

『邪魔だ。──失せろ』

『ばいばいまどか』

「──例えわたしがこの世界から拒絶されても、皆から呆れて見放されても、いらないって、もう顔も見たくないって言われたとしても、わたしは。わたしは──!」


 その時、端末が着信を告げた。その場に不釣り合いな、軽快な機械音がひんやりとした空気に乗って耳に届く。激情に身を任せていたわたしは端末をしばし眺めた。乱れた息が落ち着くのを待ってから、それでも鳴り続けたそれを手に取る。


「……はい」

『藤堂さんか? 今どこにいる?』


 相手は鷹村さんだった。みっともなく泣き喚いていたことを知られたくなくて、固い口調になったわたしに気付かず、鷹村さんは急くように問うてくる。周囲を見渡したが、目印になりそうなものはない。


「具体的な位置はわかりません。根津家からそこまで離れていない、と思いますが……どうしましたか?」

『根津家? さっきまで連絡不可能になっていたのは……まあいい。それよりログアウトの手段がわかった。俺達は学園に戻ってバグの大元に修復プログラムをインストールする必要がある』

「!? 修復プログラムって。どうやって──」

『詳細は会ってから話す。まずは周回、そしていつもの空き教室だ』


 今にも切られそうな通信に、慌てて叫ぶ。


「鷹村さん待って下さい! わたしまだやらなければならないことがあるんです! セオに会わなきゃ──このまますぐ帰るなんてことできません!!」

『そんなことを言っている場合じゃないだろう!?』


 叩きつけるように返された叱責に、負けじと声を張り上げる。


「わかってます! 後一度だけ、最後に一度だけでいいからチャンスをください。周回してセオと話したら、結果がどうであれすぐに鷹村さんと合流して帰還行動に移ります。だからお願いします。わたしにもう一度だけチャンスをください!!」


 短い沈黙が流れた。ジジ、と耳障りなノイズが耳を打つ。次いでゆるい吐息が耳に届く。


『藤堂さん、以前俺が言ったことを覚えているか』

「はい精神汚染度、疲労度には気を付けます。廃人も心神喪失するつもりもありません」

『……わかった。藤堂さんを信用する。ならば……』

「鷹村さん?」


 ノイズが鷹村さんの声を覆い隠し、どこか遠く離れた場所で話しているようにくぐもった

 音になる。


『藤堂さ……、時間がない。いいか、木村……だ。……警戒しろ(・・・・)

「鷹村さん、聞こえません。何て言ったんですか? セオがどうしたんですか?」


 遠くで鷹村さんが声を張り上げている雰囲気が伝わってくる。だが何を言っているのかわからない。


『……! ……』

「鷹村さん、何ですか? わたしにどうしろと? 鷹村さん?」

『……うだ。……ろ。───藤堂さん、全てを疑え(・・・・・)


 その言葉を最後に、ぶつんと通信が切断された。





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