49話
初めてセオの死の報告を聞いてから、何回目だろうか。
ざわざわと騒ぐ生徒達を机で頬杖をつきながら眺めていたわたしは、無機質に脳裡でカウントした。一、二……ああ、確かこれで五回目だったかな。
同日にセオ以外の生徒が殺されたのは今回が初だ。周を追うごとに影響を受ける人──被害者、自傷者、行方不明者等が増えているように感じるが、偶然だろうか。
ついに泣き出した二人組の女生徒を見て、わたしは机に顔を伏せた。今のわたしの顔は、この子達に見せられない。
お昼。一人教室でもそもそとパンを食べていたわたしは、半分も食べない内に食欲をなくし、廊下に出た。紗枝ちゃんの視線が追ってくるが、これ以上セオの話題が飛び交う教室にいたくなかった。
少し歩いた所で、階段を下りる一条雅の背を見つける。右へ左へと揺れながら歩く姿は、後ろから見ていても不安定で危うい。
と、その時一条雅がぐらりと大きく傾いた。咄嗟に駆け出したわたしは、バランスを崩し滑り落ちる所だった一条雅の腕を間一髪で掴むことに成功する。ゆっくりと一条雅が振り仰ぐ。
「藤堂、さん……?」
乱れた長い髪の向こうから驚いたように見上げてきた一条雅は、ひび割れた声でわたしの名を呟くと、そのまますうっと気を失った。バランスを崩したわたしは慌てて手摺を掴み、どうにか階段の上部に座り込むことで事なきを得る。ほうと息を吐いたわたしは、腕に抱えた一条雅の姿を見た。
一条雅の瞼から、一筋の滴が流れて落ちた。
一条雅は、わたしにとってリアルだったらオツキアイのない相手だ。大人しく、芯の強い優等生というイメージの強い彼女は、適当に生きているわたしにとって苦手とまでは言わないものの、一対一だとどういう会話をすればいいかわからない所がある。
その彼女が今、わたしの前で声を殺して泣いていた。白い保健室のベッドの上で、更に蒼白い顔色をした少女が、うつむき体を震わせている。その姿は心細く、見る者を哀れに誘う。
でも今のわたしには、そんな彼女を気遣える余裕なんて残っていない。
「先輩は、何をそんなに泣いているんですか」
一条雅は答えない。わたしの声など聞こえないかのように、ただただ涙を流し続ける。
「泣いていても何も変わらない。わたしは貴女の涙を拭うための力を持たない。ただ……貴女が何かに苦しんでいて、それがもしセオに関することだと言うのなら、貴女が抱えきれないでいる何かをわたしが代わりに……一緒に受け止めてもいいと、そう思っています」
一条雅は答えない。今のわたしにはこれ以上何を言えばいいのかわからない。わたしは溜息をつくと保健室の白いカーテンを開き、窓を開けた。外から涼しい風が吹き込み、無邪気に遊ぶ生徒達の声が直接届くようになる。その時、ともすれば喧噪に紛れてしまいそうな程小さな声が背後からかけられた。
「藤堂さんは……木村君と仲が良かった、わよね」
わたしは窓の外を見たままその声に応える。
「そうですね。それなりに」
「何で、こんなことになっちゃったのかしらね。どうして木村君だけでなく、佐久間さんまで……」
堪えきれない嗚咽が漏れ、言葉が詰まる。彼女の悲しみやショックはわたしの想像以上に深いようだ。そこには何かわたしには想像もつかないような理由があるんだろうか。
「一条先輩は、何かご存知なんですか」
「何も。私は何も知らないわ。私が知っているのは、私に関わることだけ」
「セオは先輩を気にかけていました。そして何かを伝えに、もしくは聞きに行ったはずです。彼とどんな会話をしたんですか」
「木村君が私を? ふふふ」
一条雅が笑う。涙を流しながら、自嘲的に。皮肉気に。そんな彼女の言い方は珍しくて、思わず振り向き、彼女の顔をまじまじと見詰める。
「何かおかしいことがありました?」
「ええ。おかしいわ。とても。だって木村君は私なんか見ていない。彼が見ていたのは、恋焦がれるように追い求め続けた誰かだけ。彼が学園にやってきたのもそのため。……そんな彼がやっと目を外に向けたその先にいるのは──そう。藤堂さん、貴女だわ」
「……」
「鷹村君も、秋月君もそう。皆私に優しくしてくれるけど、本当は私のことなんて見ていない。あの人達の目は私を素通りして、別の人を見るの」
ベッドから裸足で降りた彼女は、謡うように、舞うように、くるりと回る。体重を感じさせないその動きは、蝶のように軽やかで捉えどころがない。
一条雅のその姿に、どこか危うさを垣間見たわたしは、ふるりと首を振った。いけない。流される。
「先輩がどう思っているかはわかりましたが、セオの気持ちはセオに聞きます。その言葉はセオに直接聞いたんですか? もし貴女がセオや、鷹村さんや秋月先輩の気持ちが知りたいのなら、怖がらずに聞いてみればいい。傷つくのは、それからでいいでしょう」
ぴたりと止まった一条雅が、無表情でわたしを見る。
「貴女は、強いわね」
「……そうでしょうか」
喧噪だけが流れ、沈黙が徐々に重く苦しくなる頃、無言でわたしを見詰めていた一条雅がやっと唇を動かした。
「いいわ藤堂さん、教えてあげる。木村君が聞きたがったことを。何の足しにもならない、ただ私の醜い心根に隠されただけのちっぽけな事実を。あの日、九月十日。オズの合同演習の翌日、私は放課後高坂さんに呼び出されたの。場所は校庭とは逆にある裏門の辺り。校舎裏の人目がつかない所よ」
やはり高坂未琴、いや根津未唯絡みか、と思いながら学園の地図を思い浮かべる。正門とはほぼ逆にあたる位置の出入り口だ。大通りに出るにはぐるっと迂回する必要があるので、そちらを使用する生徒は滅多にいない。また樹木が立ち並んでいることから、校舎からは見辛い位置でもある。
「高坂さんは鷹村君と私が仲良くなるのが嫌だったのかしらね。私の言葉なんて一切聞いてくれなくて……そう、まるで子供のように泣きながら私に食って掛かってきたわ。言葉を重ねれば重ねるほど彼女は興奮していって、彼女の剣幕がどんどん恐ろしくなってきた私は──掴みかかってきた彼女を思わず突き飛ばして逃げたの」
ぶるりと震えた一条雅が、すとんとベッドに腰を落とした。両手で顔を覆いうつむく。
「そう。逃げたのよ。怖かったの。高坂さんが。でも高坂さんは倒れたまま動かなくて。放っておいちゃダメだって──おそるおそる様子を見に戻ったわ。怖かったけど、無事な姿だけでも陰から確認して、もし何かあったのなら人を呼ぼうって。でも彼女の姿はなかったの」
一条雅が顔を上げて、歪な微笑みを浮かべた。
「……私の話はこれでお仕舞い。大した話じゃないけれど、女の子同士の話を鷹村君に話すのは抵抗を感じたから話さなかったわ。でもそれだけ。木村君の事件とは何の関係もないの」
風が背後から吹き込み、首裏を擽り髪を揺らす。わたしは素直に疑問に思ったことを口にする。
「それで終わりなら……先輩は、何故そんなにショックを受けているんですか。亡くなったのは高坂未琴じゃない。先輩はまるで、セオの死が自分のせいだと思っているように見えます」
「だって私のせいですもの!」
一条雅が涙にぬれた瞳でわたしを睨みつけた。ぎらつく瞳がわたしを射抜く。
「──いえ、いいえ藤堂さん。私だけじゃない。貴女のせいでもあるかもしれないわ」
「……どういう、ことでしょう」
「木村君の事件とは何の関係もないと言ったけど、本当は少し嘘。木村君にはもう少しだけ詳しい話をしたの。そうしたら彼には何か思い当たる節があったみたい。木村君は言ったわ。高坂さんと、彼女によく似た人物に気を付けるようにって」
「それは──待って。待って下さい。何でそんな話になったんですか。一体先輩はセオに何を話したんですか? 彼女……高坂美琴とどんな話をしたんですか!?」
感情的な彼女の話は、それ故にか時系列や細かな部分がめちゃくちゃだ。混乱したわたしは、やや大きめの声で制止した。
すると一条雅が蒼白な顔で体を震わせた。かさついた唇が酸素を求めるように開き、閉じる。二度三度視線を床下に彷徨わせた彼女は、ややして小さな声で囁くように言った。
「高坂さんは言ったわ。私は、私達は……紛い物だって。鷹村君が気にしているのは私じゃない──私、私は、ただ姿形が似ているだけの存在で。一緒にいることすら許されないって。彼と一緒の世界で生きていけるのは──いけるのは……藤堂さん。貴女だけだって」
「────!!」
それは──この閉じられた世界の住人が発するものではない。
「わからない。私には全くわからなかったわ。だってそうでしょう? 何を言っているの? 紛い物? 違う世界って? 一緒にいられないって? わかる訳がない。彼女の思い込み、傷つき思い詰めた高坂さんの妄想。そう思ったわ。でも……」
『ミヤビ、僕を見て。僕はここにいる。君は紛い物なんかじゃない。僕の前にいるのは、優しくて傷付きやすいひとりの女の子だ』
「木村君には、思い当たる所があったみたい。止めなきゃって言ってたわ」
『彼女は知ってしまった。手に入れてしまった。それはとても危険なことだ。このままだと大変なことになる』
「なに、を」
「わからないわ。でも怖かったの。高坂さんの言うことも、木村君の言うことも、理解したくなかった。怖かった。だから考えないように考えないようにしていたのに──していた、のに。木村君、死んじゃった」
『覚えておいてミヤビ。もし今後何があったとしても……それは君のせいじゃない。僕が選んだことだ』
「────」
「あの時、私が何も言わなければ良かったの? そうすれば木村君は死ななかった? それとも高坂さんに向けられた鋏を大人しく受けていれば良かったの? でもできない。だって怖かった。怖くて、高坂さんを突き飛ばしたら、思ったより激しく倒れて。血が。赤い血が。いっぱい、で。それで私、私逃げて──でもいなくなったって、お休みしてるって聞いて、怪我が悪化したんじゃないかとか、ま、万が一のことがあったらどうしようって、もっともっと怖くなっちゃって、誰かに話したくて。怖くて。怖くて怖くて怖くて。──でも、鷹村君には知られたくなくて」
「──」
『このままだとあの子は戻れなくなる。リヒトもまどかも。そんなことは僕がさせない。誰も幸せにならない道なんて絶対に選ばせない。だから、ね。もうミヤビは悲しまないで。少しずつでいいから笑おう』
「木村君は、高坂さんが取り返しのつかないことをしようとしているって言ってたわ。危ないって。でもそれは自分が何とかするから、大丈夫だから、もう気にしなくていいよって。そんな訳にはいかないのに、私彼女の怖さを見て知っていたのに、木村君の言葉に縋らずにはいられなかった」
『うーん。じゃあミヤビ、ひとつだけお願いしていい? まどかを──』
「きっと木村君は……本当は貴女を守りたかったんだと思うの。藤堂さん達は自分とは違うから、帰るべき場所に帰してあげたいって言ってたもの。だからその後木村君が──藤堂さん?」
一条雅がはっとしたように言葉を止めた。
「藤堂さん、貴女顔が真っ青よ。大丈夫? ねえ藤堂さん、藤堂さん?」
根津未唯は、セオは何に気付いたの? 違う世界? 帰るべき場所? セオが危険を感じていたのは、高坂美琴じゃなくて根津未唯?
「藤堂さん、私──ごめんなさい。私自分のことしか考えてなかった。こんな話を貴女にするなんてどうかしていたわ」
殺人犯でも何でもない、年下の女の子でしかない根津未唯の、何を危険視したというの? 根津未唯は……その心の大部分を鷹村さんで占めていた。でも鷹村さんは一度も彼女をまともに攻略しようとせず、女性として好きにはなれないと公言もしていた。特に最初の頃は、攻略の時すらぞんざいな態度を崩そうとしなかった。でもそれは今周じゃない。
「違うの。私木村君のことを貴女のせいにしたい訳じゃない。ただ木村君が貴女のことを大切にしてたって──」
そう。周回されればキャラはリセットされる。何もかもゼロの状態からスタートだ。今周の彼女が、鷹村さんの酷い対応を知るはずがない。だから根津未唯が、それこそ鷹村さんの対応で一条雅やわたしを逆恨みするなんてある訳がない。
でもその前提が誤りだったら? 根津未唯が、何らかの方法で過去の周の記憶を持っていたら?
『あいつに似てると思ったんだよな。でもそれは見た目だけだ。……俺は一条雅を通して、あいつとやり直ししている気分になっていたのかもしれない』
『美琴、悪いが俺はお前を女として好きになれない。恋だ愛だの感情を抱いたことはないしそう言ってきた。藤堂さん、戻ろう。俺はさっさと終わらせて本当の世界に戻りたい』
「藤堂さん、お願い。私そんなつもりじゃなかったの。私を見て藤堂さん!」
高坂美琴という殺人犯と繋がりを持つ根津未唯、世界が違うと嘆く根津未唯。
元の場所に帰そうとするセオ。根津未唯を止めると告げたセオ。殺されたセオ。
『僕は他の大切な物を捨ててでも、後悔しない道を選ぶ。だからまどか──君は僕のことを気にせず自分の道を行って』
彼らがもし、ここがゲームの世界だと知っているとしたら。
「セオは、殺人犯を捕まえようとしたんじゃなくて──」
根津未唯が最も邪魔に思うのは、鷹村さんと同じ世界に住むわたしだ。
「本当は、わたしのため、に、死んだの?」
『ばいばいまどか。まどかだけは──』
ねえ、セオ。狙われているのはわたしなの?
セオはわたしが別の世界の存在だってわかっていたの?
それでもセオは、この世界に居続ける気もない、無責任なわたしの言葉に耳を傾けてくれたの?
何度も何度も命をかけて、わたしを守ろうとしてくれたの?
「藤堂さん!!!」
ぱちんと何かがわたしの中で弾けた気がした。
悲鳴のような声に呼ばれた気がして顔を上げると、目の前に一条雅の姿があった。
『泣きそうな表情の一条雅』が、わたしの前に形成されていた。




