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48話

 慣れた自室で、洪水のように流れる文字の羅列を右から左へ追っていると、脇に起きっぱなしになっていた通信端末が震えた。待っていた相手からの連絡に飛びつく。


『やっぱり同居、定期的に遊びに来るような親族、ペットまで全ていないよ。それより朗報。ついにお探しの目撃情報を見つけた。鷹村君の言う通り、例の相手で間違いないみたいだ』

『具体的に目撃証言があった日時は』


 打ち込んだ問いかけに返ってきた文面を見て俺はしばし考える。


『わかった。お前は時間ある日はそこに張り付いて、次にまた動きがあったら俺に連絡してくれ』


 即座に返ってきた不満の数々をスルーし、宥めすかして最終的には了承させる。

 これで一つ準備が整った。後はもう一つの方だが、恐らくこちらは藤堂さんの協力が必要になる。

 そこまで考えて、俺は端末を操作する指を止めた。


『鷹村さん、心配しないで下さい。わたしはもう大丈夫です。それより鷹村さんこそどうしました? これって鷹村さんの大好きな推理パートですよね。一条雅や秋月遼への問い詰めが足りないんじゃないですか』


 小首を傾げ不思議そうな藤堂さんの姿が脳裏に甦る。彼らを追い込むことが目的じゃないし、既にそれで失敗しているのだから、同じ轍を踏む訳にはいかないと言うと、彼女は目を見開いた。


『やり直しできるのがわたし達の最大の利点だって鷹村さんも言っていたじゃないですか。何故今頃翻すんですか。もしかしてわたしの言ったこと気にしてます?』


 そういう意味じゃなかったんだけどな、と嘯く藤堂さんに否定を返したが彼女は納得がいかないと顔を顰めた。


『鷹村さん、わたし悟ったんですよ。このゲームは人を篭絡し、向かい来る事態を解決するのがクリアする道です。今のわたし達の目的と一致していますよね。だったらリアルのことを一旦忘れて楽しく攻略に勤しんだ方が効果的なんじゃないでしょうか。その方が精神疲労の回復にも繋がります』


 確かに一理ある。楽しむというスタンスは、精神汚染度の悪化防止に繋がる。


『でしょう? であれば鷹村さんは大好きな推理ゲームを楽しみましょうよ! 確かにセオの殺害や一条雅の自傷行為は心傷める事柄ですけど、でも大丈夫です。何度間違えても、わたし達ならきっと最終的にうまく解決できます。一旦煩わしいことは全て忘れて、鷹村さんの思う通りバンバン聞き込みして、ガンガン捜査して、罠を張り犯人を追い詰めましょう!』


 奮起する藤堂さんは確かに精神疲労度が一時期より回復しているように見えた。だが俺は、それが本当に正しいやり方だと、頷くことはできなかった。




 俺は何となく隣に佇む少年を見上げる。あまり色彩のない俺の部屋で、中央に佇む十代半ばくらいの少年は、意志の強そうな太い眉をぴくりとも動かさずに正面の壁を見詰めていた。ベッドでモニタを展開していた俺は、改めて彼を観察する。

 白い前合わせの厚手のシャツにゆったりした濃紺のパンツを着こなした少年は、細いウエストにごついベルトを回し、そして最も違和感があるのが──腰に長い刀を差している。それは今時美術館に行ってもお目にかかれないような過去の遺物で、加えて藤堂さんの大好きなRPGですら出てこないような旧型の前衛的な代物である。もしかしたら彼女が見たら興奮するのかもしれない。

 俺は溜め息をついて、プログラムを改修する手を止めた。いちいちウィンドウを見てやり取りするのが億劫になってこの形態を取らせたが、無言で佇まれるのも気になる。


「キル、今日のログアウトリトライの進捗は」

「二十三回目のエラーをカウントした所きる」


 俺の声にわざわざこちらを向いた少年は、几帳面さを感じさせる固い声で答えた。

 やはり思ったより時間がたっていない。自動リトライプログラムを組んだのがおおよそゲーム時間で言う三日前、一定タイマごとにログアウトコマンドを延々と命令するだけの簡単な仕組みだが、プログラムタイマはゲームタイマでなくリアルタイマでカウントされる。そこから逆算すると今ゲーム内の一日に約三十分程度しかかっていないこととなる。揺らぎや脳の高速処理を考慮するとしても早い。過度なスピードは脳への負担が大きい。しかも──

 冷たい汗が米神を流れ落ちた気がした。もし今想定しているよりもっと遅かった場合、最後にダイブしてから半日以上たっていることもありうる。当然ダイブ中は自主的に飲食することができない。そうなるとリアルではPsychiatric conditioner──精神調整医師、及び医療資格保持者に応援を依頼し、プレイヤーの生命維持、救助体制を整えている。いや、外部強制帰還すら検討されているかもしれない。


「キル、外部からのコンタクトは」

「特にないきる」


 キルの淡々とした回答に密かに落胆する。外部強制帰還、それは何らかの事情によりリアルに帰還できなくなったプレイヤーを外部監視者が強制的にリアルに引きずり出すことである。該当プレイヤーの脳に何らかの支障を残す可能性があるため、通常は実施しない。

 だがテストプレイヤーは通常より様々な権限が許されている都合上、最終手段として外部強制帰還を実施する可能性が否めない。よってダイブ前にこれらを了承する同意書にサインすることが義務付けられている。

 突然脂汗がどっと流れ、胃の腑がせりあがってくるような恐怖を感じた。そう、今この時既に、強制排出をされてしまう可能性だってありえるのに、俺はそのことに気付けない。俺が感じるこの感覚は、創られたものでしかない。真実今、俺の体がどうなっているのか。まだ静かにダイブチェアに座っているのか、既にアビス(境界を越えた者)として取り扱われているのか、それすらもわからない。

 俺は袖をまくり自らの腕を見た。健康的に見えるこの腕に、全く綺麗で何の感覚もないこの腕に実際はチューブが繋がれ、生命を維持するのに必要な栄養分が機械的に補給されているのだろうか。

 頭部にそっと触れてみる。柔らかい。連続ダイブ時間が長く、高速処理による負荷が大きくなったプレイヤーは頭が異常なくらい固くなるが、その傾向もない。ないように感じる(・・・・・・・・)

 だがこれも結局リアルの感覚から乖離した偽物でしかない。生命を脅かすようなシグナルを体が出しても、脳が、自分が感知することができない。それはもしかしなくてもとても危険なことだ。

 穏やかな死、という言葉がふいに脳裡をよぎる。淡い憧れのような奇妙な気持ちを抱くそれに、俺は今、知らず陥りつつあるのではないだろうか。そう。穏やかに、ゆるやかに。


 ────ダメだ! しっかりしろ。それは考えるべきことじゃない。俺がパニックになってどうする。冷静になれ。混乱は人に伝搬する。藤堂さんにこれ以上ストレスをかけるのは危険だ。今なすべきことをしろ。そのために必要なことにのみ脳を割け。今必要なのは取捨選択だ。


 大きく頭を振ったその時、ばちっと火花が飛び、俺は反射的に身を引いた。

 何だ? 静電気の訳はない。

 何気なくモニタに目を遣り、目を見開く。異常な速度でプログラムが改修されている。いや改修というより破壊と修復? とにかく俺の作ったプログラムなんて比じゃないくらいの大規模な改ざんが今目の前で行われている。


「おいおい、ちょっと待て……」


 思わず俺は呟いた。何故俺はちまちましたリトライプログラムしか作らなかったか。もちろん環境の問題もあるが、それ以上にリスクが高いからである。

 考えてみてほしい。今二人のプレイヤーが接続しているプログラムを力ずくで改ざんしたらどうなるか。それこそ患者の腕に繋がれていた栄養剤入りのチューブを切断し、全く別のチューブに強制的に繋げ直すようなものだ。先程の穏やかな死なんていう可愛いものじゃない。背後(バック)から突然暗殺者に首を刈られるに近い。

 俺は焦って手を伸ばした。これは外部からのアクセスか? それこそここまで高度かつ高速な処理に俺が今この場で介入するのは危険行為だ。だがそんなことを言っていられない。とにかくもっと詳しい状況をと更に深い階層に移ろうとした、その時だった。


 じじ、と耳障りなノイズが耳を打った。

 俺は手を止めて周囲を見回す。白い壁、簡素なテーブル、人形のように動かない白と黒の少年。何も変わりない。変わらない。

 き、と耳に届かない、だけど不快な何かが耳朶を打つ。

 そう。まるでモスキート音のように。

 再び動きを止めた俺は、そのまま耳だけを澄ませる。

 き、きき。じじじ。

 やはり何かが聞こえる。この部屋に、いる? どこだ。どこからこの音が聞こえる。耳障りな、背筋を細かい虫が這うようなぞわりとした不快感。

 俺は目線だけをきょろりと動かした。

 体は動かさない。探るように。逃げられないように。音を立ててそれを遮ってしまわないように。


『………ぁ……ん』


 聞こえた。声だ。きれいとは言えない、まるで複合化に失敗したかのような酷く割れた聞きづらい声がどこかから聞こえてくる。

 俺の視線が壁、床、ドア、通信端末に移る。そして。

 俺は佇む少年を見上げた。少年は瞬きすらせず、唇すら動かさず、置物のようにそこに鎮座している。

 だが、音はそこから聞こえていた。


 俺はゆっくりと立ち上がり、少年に近づいた。耳を、慎重に少年の胸元へくっつけるようにした後、少しずつ上へ上へとあげていく。


『………ぃ……』


 口元から後数センチ先に耳が近付いた、その時だった。


『たか……ん』


 それは、確かに声として俺の耳に届いたのだった。


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