42話
「──ということで、木村の警護をお願いできませんか鏡先生」
「はあ?」
数理準備室で鏡教師を捕まえて木村のことを頼むと、鏡に心底不可解という反応をされた。語尾がどこぞの柄悪男のように上がっている。そこまで変なことを言った覚えはないんだが。
「いや、ちょっと待って下さい鷹村君。突然何を言い出すんですか」
「簡単に言うと、とある殺人事件の容疑者を追う一年一組の木村セオを見張っていてほしいんです」
「突っ込みどころしかないですね。一つ、殺人事件とは何なのか。一つ、容疑者のことを何故木村君が知っているのか。一つ、何故木村君の警護が必要なのか。一つ、それらを何故鷹村君が知っているのか。一つ、何故警察ではなく僕に頼むのか!」
「五点ですか。多いですね」
「それだけ訳がわからないと言っているんですよっ!」
自分のあげた大声に我に返ったのか、大きく息を吸った鏡は頭を下に向けてから吐き出した。廊下から生徒のざわめきが聞こえる。まだ休み時間は充分ありそうだが、終わる頃にはこの会話は打ち切られるだろう。長引かせる訳にはいかない。
「訳がわからないと言いながら、容疑者は誰か、とは聞かないんですね」
鏡の表情から熱が引き、冴え冴えとした瞳で俺を見遣る。
「それを聞いても仕方ないですし、僕としては正直深入りしたくないんですよねー」
「先生は既にこの件にどっぷり浸かって逃げられない立ち位置ですよ。容疑者は高坂美琴です」
「うわっ! 酷い! 有無を言わせず言った!」
焦ったような芝居臭いポーズを取る鏡を見据え、俺はもう一度ゆっくりと言った。
「木村セオと同じ一年一組の、高坂美琴はとある殺人事件の容疑がかけられています。先生もご存知ですよね?」
沈黙を挟んだ鏡が涼やかな目元を細めてにこりと微笑んだ。俺より一段高い目線から見下ろされると、あやされている気になって大変気分が宜しくない。
「鷹村君、僕は一教師でしかありません。君の言うような殺人事件等は僕の知る所ではないですよ」
「では理事長ならどうでしょう。学園にそのような危険人物がいれば把握していることでしょう」
「さあ? 僕には何ともー」
「理事長のお身内の鏡先生ならご存知だと考えたんですが」
さらりと切り込むと、笑みの形を浮かべていた鏡の口元がぴくりと上がった。素直な反応だな。普段飄々としているのはポーズで、実は意外と感情豊かなヤツなのか?
「鷹村君、例え僕が生徒の個人情報について何を知ってても、君に何かをお教えする訳にはいきません」
「でも殺人容疑者が同じ学園、クラスにいることを秘匿するのは、それこそ生徒の個人情報がどうとか言ってはいられない問題ですよね」
「学園が殺人の容疑者の登園を許すことはありません。だから鷹村君もデマを吹聴するようなことはやめて下さい」
「そう。殺人容疑をかけられた者が在園することを学園が良しとするとは思えない。でも調べてみたところ、高坂美琴は現在退園扱いになっていない。これは学園側が高坂美琴が殺人容疑者であることを把握していないか、そうでなければ退園させられない理由があることを示します」
腕を組んだ鏡が片眉を上げる。話を聞いてくれる気はあるようだ。ありがたい。
「この学園の内規を確認しましたが、生徒の退園には保護者の同意が必要となる。逆に一定期間保護者との連絡が取れない場合、これらがなくても生徒を退園させることが可能です。だがやむにやまれぬ事態が発生したと判断した場合、運営元の了承の上、強制的に退学させることができる。
仮に高坂美琴のことを把握していた場合、運営元に彼女の強制退学を了承させるなら、そもそも何故入園を許したのか等、根掘り葉掘り追及されることを覚悟しなければならない。それを避けるには、もう一つの方法──保護者合意の上での自主退園という穏便な方法が一番です。だがそれができない。彼女が登園しなくなって一ヶ月以上たっているにも関わらず。つまり考えられる結論は一つ。学園は、高坂家から退園の了承が得られていないということでしょう」
「……君の中で、その女生徒が殺人事件の容疑者であることは確定事項なんですね」
「刑事さんに聞きましたから」
今周ではないが嘘は言っていない。年若い刑事から高坂美琴の名前を引き出すことは流石にできなかったが、総合的に判断すれば明白だ。加えて木村の件もある。
「前者の学園側が殺人だの容疑だのを知らない、とは考えられないですか?」
「それを否定する要因があるんです。高坂美琴は入学して数日間しか登校していません。六月から登校していたのは、高坂美琴のはとこの根津未唯だ。学園側がそのことにいつ気付いたのか正確には知りません。ですが気付いたタイミングで警察には連絡を入れるでしょう。少なくともそこで高坂美琴が殺人事件の容疑者であることを知りえます」
「高坂さんとは別の人が無断で登園していたら問題ですねえ。でも学園側が把握していなければどうもできない」
「それはありえません。高坂美琴は──いえ、正確に言いましょう。六月以降高坂美琴として登園していた根津未唯は、九月半ばより長期間無断で休んでいます。ああ。既に頃合いを感じ始めていた根津未唯側から連絡を入れる必要もありませんし、事実休みの連絡は入れていないと根津家のご家族から確認しています。また娘は入園直後から学園を休んでいるという認識の高坂家が、学園に連絡を入れることはありえない。よって学園側にとって無断欠席です。その場合当然の如く学園側は高坂美琴のご家族と連絡を取ろうとするでしょう。連絡がとれたなら、その時点で六月から登園していた生徒が高坂美琴本人でないことは明らかになる。逆に連絡が取れなかったら、事件性を疑い冒頭の通り警察に連絡するのが通常の流れでしょうから結果は一緒です」
「入れ替わりが事実だとしたら、まあ妥当ですね」
「入れ替わりは事実です」
俺は通信端末を取り出して画像を展開する。宙に栗色の長い髪を靡かせた、黒目がちな少女が映し出される。
「これが本物の高坂美琴です。彼女をご存知ですか先生」
鏡は透き通った少女の姿をしばらくの間眺めていたが、ややして室内にあるキャスター付の椅子を引くとそこに腰掛けた。どさりと重い荷物を落としたような音が響く。
「失礼。鷹村君、一服してもいいですか?」
頷くと、机の引き出しからグレーの細長い筐体を取り出した鏡は、かちりと電源を入れると口に咥えた。白い煙が立ち上り、独特の香りが室内に充満する。それを無造作に眺めていた鏡は、三度白煙を吐き出すと再び電源を落とし、再び半透明に浮かぶ少女に目を遣った後、椅子を俺に向けて回転させた。
「いいでしょう。言いたいことはわかりました。理論の筋道はやや強引ですが間違いだと断ずる程のカードを僕は持っていない。さて鷹村君。君の目的を改めて聞きましょうか」
鏡の瞳がいつにも増して鋭くなった。恐らくこちらが彼の本性なのだろう。普段のふざけたようなのらりくらりとした雰囲気が一層され、切り込むような鋭い空気を纏っている。
「俺の目的は二つ。最初に言った通り、木村セオの護衛と抑止。そして根津未唯と高坂美琴の情報です」
「木村君ね。まあそちらは良いでしょう。と言っても僕が見られるのは学園終了後と休日くらいですよ。それもずっと張り付いていることはできない」
「わかってます。木村には動く前に事前に連絡を入れるように言ってあります。連絡が来たら、先生にも伝えます」
「わかりました。生徒の頼みですし君の懸念もわからないでもない。協力しましょう。ですが二人の女生徒については、残念ですが本当に何の情報も持っていないんです。最初に言った通り、ここでの僕はしがない一教師でしかありませんから」
「学園側から根津未唯と高坂美琴について、全く何の情報も降りてきていないとでも?」
未だ白を切る気かと言えば、鏡は指を二本上げて軽く押し留める仕草をした。
「いえ。学園側──鷹村君は知っているようですから正確に言いますと、理事長である祖父から一部教師陣に告げられたのは高坂美琴の監視、そして長期休みも含めた彼女に関する一切への詮索禁止及び箝口令です」
「学園側は、知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりということですか」
鏡が組んだ両手に口元を埋める。
「僕にも祖父が何を把握していて、どういう意図なのかわかっていない。ただ一つ言えることは、この学園はそれほど単純にはできていない、ということです」
「先生は、学園がどこまで高坂美琴の件に絡んでいると考えますか?」
鏡が開きかけた口を止めると、顔を上げて微笑んだ。
「すみません。余計なことを口にしました。鷹村君の知りたいのは、彼女達の情報ですよね。恐らく学園側も高坂美琴の件には、君が思っている以上の情報は持っていないでしょう。念のため僕も探ってみますので、鷹村君は学園側のことは気にせず、学業に精を出して下さい」
「そう言われても、俺にも高坂美琴や根津未唯の件を後回しにできない事情があるんですよ」
帰還が第一優先である以上、最早普通の学生生活や好感度を稼ぐ行動を取っている訳にはいかない。
僅かな苛立ちを吐き出しながら言うと、鏡は少しだけ首を傾げた。
「君にとって彼女達はどういう存在なんですか?」
「高坂美琴には会ったこともないですが、根津未唯に関しては一応友人と言える存在ですし、記憶にはないですが幼馴染という存在です」
「じゃあ鷹村君は、仲良しの根津さんの居所を知りたいんでしょうか。でもご近所さんならご自宅もご存知なのでは?」
「あいつは……家を出て、どこかに消えました」
「消えた? 家出ですか。何故?」
鏡が心底不思議そうに、そして僅かに不可解だというように眉を寄せる。
「全てが君の言う通りだとしたならば、容疑者として追われる高坂さんが姿を眩ますのは理解できます。では根津さんは? 身分詐称が明るみになることを恐れ、学園を去って、その後は? 何故家からも出なければならなかったのでしょう」
「それは……何か学園や警察から、自分が殺人犯の身代わりをしたかもしれないと聞いてしまってショックを受けたのかも」
「彼女が消えたのは学園とは無関係です。学園は根津さんの情報をほとんど掴んでいない。警察は関係者として彼女に事情聴取をしたかもしれないですが、それだけでしょう。彼女が消えた理由にはなりません。何か事件にでも巻き込まれたんでしょうか? しかし高坂さんという容疑者を警察が掴んだ以上、その関係者である根津さんの周囲がノーマークとは思えないですし、彼女をどうにかするのは容易ではないでしょうね」
俺は基樹から送られた未唯からのメッセージを思い出す。
『ごめんね。もう好きになってなんてワガママ言わない。だからずっと一緒にいて理人兄』
最後に俺に向けて作られたメッセージ。その言葉を俺に残して消えた未唯。
「鷹村君、もう一度聞きます。君の目的は何ですか?」
「それは……高坂美琴がもし凶行に及ぶようなら止めて……木村や、巻き込まれる人が出るのを防ぐこと、です」
「じゃあ根津さんのことは?」
確かに木村の事件が発生した時も、未唯の影は一切なかった。これ以上あいつのことを探ることに意味はあるのか。
答えられないでいる俺に、鏡はどこか優しげな表情を向けた。
「鷹村君、根津さんは何故いなくなったのか、彼女が何を一番心に留めていたのか、君は考えたことがありますか?」
「あいつが一番気にしてたのは……俺、かもしれません」
認めるのは、若干抵抗があるが。
「では彼女が消えた理由もまた、君にあるのかもしれませんね。鷹村君、もし君が再び彼女と会いたいと思うなら、消えた彼女の気持ちと、会いたいと思う君の気持ちと、もう一度真摯に向き合わないとならない。そうでなければ、彼女は君の前から消えたままとなるでしょう」
鏡が指を一本唇の前に立てて、挑戦的に笑う。廊下のざわめきが消える。鏡の声が宣託のように降ってくる。
「先生から助言を一つあげましょう。──あまり頭でっかちになるなよ、青少年」