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38話

「随分思い切った行動に出たね」


 セオの家からの帰り道、なんとなく秋月先輩と連れだって帰っていると、彼からそんな言葉をかけられた。人家が並ぶ細い通りは人や車の姿もほとんど見えず、澄んだ彼の声がよく通る。


「デリカシーがないという非難は甘んじて受けます」

「確かに配慮に欠けた厚かましい発言だと思うけど、非難はしないよ。それは俺が言うようなことじゃない」

「じゃあ……秋月先輩は他に、わたしに言いたいことがあるんですね?」


『君のせいだ。──君のせいで木村君は死んだ』


 以前同じ状況で彼に言われた言葉を、わたしは覚えている。思い出すだけで心臓を握りつぶされたかのように痛くなる言葉。本当は、受け止められる自信なんてない。今すぐこの場から逃げ出したい。

 秋月先輩が一瞬だけわたしを見て、黙った。何だろう。そこにある空気は、以前と違うように見える。


「先輩……もし先輩ならセオに何て言いますか?」 


 先輩が何も言わないから、彼の纏う雰囲気が怖くなかったから、わたしはつい尋ねてしまった。


「セオは……少しだけ先輩と似てたんです。大切なものを一つ決め、それ以外の物を切り捨ててひたすら前に進み続ける所が。強い想いが、行動が似てる気がしたんです」

「そう」


 どんな強い陽光の下でも、いつも涼しげで崩れない彼の表情が、少しだけ動いた。


「そう。木村君も譲れないたった一つを持っていたんだね。だから俺は彼を憎みきれなかった」


 通信端末を玩ぶわたしを横目に見て、彼は顔を空に向けた。抜けるように青い空に細い煙のような雲が浮かんでいる。


「俺は木村君が目障りだった。人のことを考えず突っ走っていく所が。身勝手に人を傷つける所が。闇を恐れない真っすぐな目が。でもそれらが全て木村君が抱くたった一つのためだったのだとしたら、俺の抱いていた感情は単なる同族嫌悪だったのかもしれない」


 先輩が眩しそうに手を上にかざす。掌ひとつ分の影が、先輩の目元を覆い隠す。


「もし木村君に再び会えるのであれば、俺は問いたい。今この現実に満足をしているのかと。彼は走って走って走り続け、そして一人自分勝手に去った。夢半ばだとしたら無念だっただろう。でも走り続けた彼は達成感もあったかもしれない。その時の彼の想いは俺にはわからないし、去ってしまった彼がその後の未来を見ることもない。だからこそ、今ここにいたら聞きたい。この顛末を見てどう思うのかと」


 彼は道の先に目を戻した。まるで目の前に話しかける相手がいるかのように、まっすぐ前を見詰める。


「君は知らないだろう。君のせいで後戻りのできない暗闇へ足を踏み出してしまった子のことを。一生消えない後悔を心と身体に刻みつけてしまった子を。変わってしまった彼女達と、彼女達が引き起こした今、そしてその先を君が見た時、君は何て言うんだろうか。……どうしても君を諦められず意味のない足掻きを繰り返し、傷つきぼろぼろになっていく君の守りたかった彼女の姿を見て、それでもまだ足を止めずにいられるだろうか」


 手元に点る赤い灯は、奈落に灯る不滅の篝火のようだ。


「聡明な君のことだ。お祖父さん達ご家族の声を、傷を、涙を想像していたかもしれない。だがそれは想像でしかない。本当の意味で君が知ることができたなら、君は何て言うだろう。それでもたった一つだけを胸に、全てを振り払って進むことを選べるだろうか。皆の前で平然とその決意を口にできるだろうか。もしそうであれば、俺は君を許さない。君の抱くたった一つより他のすべてが劣ると口にしてしまえるなら、その心がわかるからこそ俺は、君を一生許すことはない」


 そして彼は短く息を吐いた。


「意味のない仮定だ。だがもし──もし君が道を正して、捨ててしまった物を再度手にする勇気があるのであれば、俺は今度は君に手を差し伸べると約束しよう。唯一つに向かって走った者として。同じく道を誤ってしまった者として。だから──」


 先輩の声が途切れる。いつまで待ってもその先の言葉は続かなかった。

 いつの間にか足を止めていたわたし達の脇には、ちょうど小さな公園が広がっていた。わたしは一人そこに足を踏み入れベンチに座った。陽光に晒され続けた木から、ほんのり温かさが伝わってくる。

 ややして先輩がベンチの前にやってきた。見上げると先輩はどこか泣き出しそうな表情で微笑んだ。


「君の期待に応えることはできたかな?」

「ありがとうございます」


 お礼を言うに留めると、先輩が隣に座った。甘い木とシャボンをあわせたような独特な香りが風に乗って伝わる。先輩の香りだ。随分とこの香りにも慣れた。

 さやさやと風が草を撫でる。二羽の小鳥が追いつ追われつ空を舞う。


「……さっき、君に言いたいことはないかって言ったね」

「はい」


 緊張に身体が強張り、膝に置いた両拳に知らずの内に力が入る。


「君がそれほどまでに痛々しい様子になっている理由を、教えてほしい」

「え?」


 予想していた言葉と違ったことに驚くと、秋月先輩の真剣な目とぶつかった。珍しく笑顔を作ろうとしていない、素の顔と。


「君が最近何かに打ち込んでいることは見ていればわかる。それが木村君に関することだということも。それはいつまで続くの? 解決する問題なんだろうか? 君は日に日に憔悴していっているように見える。このままだと君は壊れてしまう」

「先輩、わたしが抱えている問題は、解決するかどうかじゃなくて……やらなければいけないことなんです」

「本当に?」


 すぐに切り返されて戸惑う。適当にごまかされてはくれない雰囲気を感じた。


「俺も、恐らく木村君も一つのことに無我夢中で進んできて、そのために様々なことを切り捨ててきた。どうしてもやらなきゃいけないことだから。それが自分の望みだと口にして。だが最近俺は思ってしまうんだ。実はそれが、それこそが誤った考えなんじゃないかと、違う道の前で一度立ち止まることこそが真に正しい道だったんじゃないかと。だけど来てしまった道を戻ることはできない。過去の自分を否定することが怖くて、前へ進むしかないんだと自分に言い聞かせる。君もまたそうでないと言える?」

「先輩とは違います。わたしは……わたしは道を戻れます。間違っても何度もやり直せるんです。ただ同じ道を辿って、同じことをしている訳じゃない」

「じゃあ何故君はそれほどまでに傷ついている? 違う道を選んでも出逢ってしまうその何かは、君にとってきっととても辛いものなんだろう」

「……辛くないと言ったら嘘になります。無力感もあります。でも諦めたらダメなんです。何度でもやり直せるのに、諦めたらそこで終わっちゃうから」

「終わることの何が悪いの?」


 わたしは愕然として彼の顔を見返した。思ってもいない方向から殴られたような衝撃だった。


「──ッ終わっちゃダメに決まっているじゃないですか! 終わったら、失われたものはもう二度と戻らない……!」

「それが自然なんだ。木村君のお祖父さんも言っていたね。決まった運命に囚われてはいけないと。未来は前へ進まないと辿り着けない。今の君は周りが見えなくなった木村君と一緒、いや、よりタチが悪い」


 わたしはうっすらと笑って見せた。


「何がですか? どこが一緒でどこが悪いって言うんですか。先輩は……先輩にだって、どうしても実現したい未来はありますよね? そのために足掻くことの何が悪いのかわたしにはわかりませんし、先輩に言われる筋合いもありません」

「そう。俺にはわかる。だから足掻くことが悪いなんて言わない。ただ……俺はもう、囚われ傷つき、堕ちていく子を見たくないんだ」


 先輩の両手がゆっくりと伸びてきてわたしの肩を掴む。熱い。真正面から覗き込んでくる先輩の視線が重い鎖のように絡まる。


「何をやっても変わらず残酷な現実を突き付けられることは辛いだろう? 自分の無力を感じる度に襲ってくる更なる絶望に、もう向き合いたくないだろう?」

「やめてください」

「だがそれは君のエゴから生まれた副産物だ。君は君のエゴのために動いているに過ぎない。その行動は誰も幸せになんてしやしない。木村君も、君自身さえ」

「先輩、やめて」

「だが君はまだ堕ちきっていない。君なら間に合うんだ。たった一つだと思っていたことを手放すだけでいい。諦めるだけでいい」

「やめなさいと言ってるの! もう離して!」


 彼が憐れむようにわたしを見る。まるで駄々をこねる幼子(おさなご)相手のように。

 そうして彼にとっての真実を、

 わたしに宣告する。


「今の君にはもう、絶望に向き合える程の余力は、ない」

「──そんなことないわ!!」

「傷つき、疲れ切っている今の君が再び絶望に相まみえたら、君は壊れて戻ってこれなくなる」

「違う。わたしはまだ、やれるもの」

「自分に言い聞かせ続けるのも限界だ。ここから先へ行ってもただ堕ちるだけ」

「……そんなことない」

「君は十分に頑張った。もう、無理に足を動かそうとしなくていい」

「やめて。……わたしは、まだ何もできていない」

「それでいいんだよ。後は君が大切に大切に抱えているものから手を離すだけだ」

「お願い、先輩お願い……もうやめて」



「怖い……嫌。もう、見たくない。でも帰れない。わたしは何もできない。わたしがすることに意味なんてない。怖い。やめて。わたしに絶望を見せないで。言わないで。嫌。もう、嫌……嫌なの」






『プレイヤー藤堂円架、陥落(かんらく)しました』


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