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34話

 結局、未唯には会えなかった。もし未唯が帰宅したら連絡をくれるよう基樹にお願いし、根津家を去った俺は深々と息を吐く。

 基樹は、未唯が家を出たのは学祭に行った後だと言った。ということは周回してすぐに根津家に来れば、未唯と会える可能性はまだある。徒労を感じるような状況じゃないはずだ。

 そのまま周回後の動向について考えを巡らせていたせいで、それに気付くのが遅れた。自分の物ではない影が、俺の足元まで迫っていた。


「一条先輩」


 道端にぽつんと佇んでいたのは一条雅だった。白いシャツに淡いグリーンのロングスカートを着た彼女はどこか上の空で、まるで心の一部を何処かに置き忘れてきたかのようにぼんやりしていた。


「一条先輩」


 もう一度呼びかけると、彼女はようやっとこちらに目を向けた。だがぎょっとしてしまう程空虚な瞳にぶちあたり、俺はかける言葉を失う。


「鷹村君、こんな所で会うなんて奇遇ね」

「……一条先輩こそ、こんな所で何しているんですか」


 戸惑いを隠して答えると、一条はふわりと微笑んだ。


「そうね。少し考え事してたらこんな所まで来ちゃったみたい」

「一人で危ないですよ。あんなことがあったばかりなのに」

「ふふ。そうね気を付けるわ」


 そう言いながら、彼女は動く気配がない。ただぼんやりと空を見上げている。


「一条先輩、もしお時間あるのなら、俺の話を聞いてもらえますか」

「……ええ、いいわ。何かしら?」

「オズの合同演習の翌日の九月十日、貴女は部活を休んでらっしゃいましたね」

「そう、だったかしら」

「この日、貴女は高坂美琴と会った」


 一条が首を傾げる。


「そんなこと言ったかしら?」

「貴女が彼女に呼び止められている所を目撃した人がいます」

「そう。それで?」

「貴女はこの日部活に行く予定だった。しかし突然高坂美琴に呼び出され、部活前に彼女の元へ行った。そんなに時間がかかるとも思わなかったから、わざわざ部活に連絡を入れることもなかった。しかし高坂美琴と会った際、トラブルが発生した。これにより高坂美琴は頭部に怪我を負い、動転した貴女は部活のことを失念してしまった」

「怪我をした人が目の前にいたら、お医者さんか栗城先生の所に連れていくものね。そんなことをしていたら、部活のことなんて後回しになるかもしれないわ」

「しかしこの日栗城先生の元に、それらしき怪我人が来ていないことは確認済です。そして帰宅時の高坂美琴は治療済だったと聞いています」

「病院へ行ったということね。良かったわ」

「そう。病院で適切な治療を施したことを知っていれば、貴女は安心できるはずだった。しかしその後の貴女の行動を見るとそうではない。その日は部活を無断欠席し、更にその後も部活を休みがちになっている。代わりに何故か俺の周囲によく姿を現すようになった。貴女は言っていた。俺はいつも高坂美琴と一緒にいると。貴女は高坂美琴が怪我を負い、その後どうしたのか、何故休み続けているのかを俺から聞き出したかったんでしょう」

「……」

「俺は以前この日の貴女の行動について聞きました。『病院へ行きましたか』と。貴女は否定した。もし高坂美琴の件で病院へ足を運んでいれば、貴女は何らかの反応をしたはずです」

「私、そんなこと聞かれたかしら」

「いえ失礼。直接貴女に聞いたのではない。だから一条先輩、改めて伺います。貴女は九月十日、病院へ行きましたか?」


 一条が微笑みを浮かべたまま俺を見詰める。


「ねえ鷹村君、貴方は何を知りたいの?」

「俺は、一条先輩とあいつの間に何があったのか真実を知りたい。そして、あいつにもう一度会って話したい」

「あいつって高坂さん? 今更どうして? 高坂さんがお休みに入ってからもう一ヶ月はたつでしょう?」

「それは……木村の事件に高坂美琴が関わっていると考えるからです」

「木村君の? どういうことかしら?」

「俺の憶測なんでこれ以上は言えません」

「そう。……鷹村君が関心があるのは、彼女自身ではなく、木村君の事件の裏にある真実なのね。それなら……ええ、鷹村君らしいわ」

「何が言いたいんですか」


 一条が微笑む。晴れやかに。この場に不釣り合いな程華麗に。


「鷹村君、私貴方に勝手に期待していたみたい。貴方にとって私が少しだけ人より大きな存在なんじゃないかって。でもそれは勘違いだったわ。貴方は私のことなんて興味ない」

「一条先輩、突然どうしたんですか」

「ねえ鷹村君、もし貴方の言う通り私が高坂さんを傷つけてしまったとして、その彼女がずっとお休みしていたら私はどう思うかしら。いつも彼女の近くにいる貴方を見て、どんな思いでいたのかしらね」

「先輩は事実、あいつが長期休みに入ってから、いつも以上に俺に近付いてきた」

「あら。ふふふ。そう。じゃあ鷹村君は前以上に近くで私を見てて、どうだった? 私がどんな気持ちで貴方の傍にいるか、貴方にわかったかしら?」

「……」

「鷹村君の言う通りなら、私はとっても怖くて毎日発狂しそうな心持ちだったでしょう。鷹村君は高坂さんのことを知っているのかしら。何も言わないだけで、本当は私のせいだって思っているのではないかしら。いえ、今知らなくてももし知ってしまった時、軽蔑されるんじゃないかしら。とても、とても怖くて不安に押しつぶされそうな毎日ね。それなのに鷹村君が自分の知らない間に何かを知ってしまうことが怖くて、高坂さんのことがわかるかもしれないという期待を捨てられなくて、離れることもできない」

「……」


 彼女がそんなキツイ思いを抱えているんじゃないかと、俺は少しでも想像しただろうか。

『理人、貴方は私が隣にいても、私のことを見ていない』

『結局鷹村さんは人の──わたしや、セオや、一条雅や高坂美琴の気持ちがわからない。知ろうとすらしない。わたし達のことは見向きもせず、どんどん先へ進もうとする』


「ねえ鷹村君、木村君の最期の姿を見た?」

「……はい」

「教えて。木村君は穏やかな最期を遂げられたの?」


 体育倉庫に投げ出された木村の、力の抜けた体を思い出す。そしてこの手に抱いた冷たく血塗れの体を。苦悶の表情を。

 だがそれをそのまま口にするのを躊躇っていると、察したのだろう。一条が悲しそうに目を伏せた。


「そう。そうよね。そんな訳ないわよね。木村君は無念だったでしょう。だって彼が倒れたということは、彼が全てをかけて進んだ道が閉ざされたということだもの。わかってたわ。だから……だから私は、亡くなった彼に会いに行けなかった」

「一条先輩?」

「鷹村君、私ね。ずっと怖かったの。鷹村君に、皆に軽蔑されるのが。だから木村君にも全ては言えなくて。なのに木村君、わかったって。私はもう気にしなくていい、危ないからって私のことばかり気にかけてくれて。私、自分のことしか考えてなかったのに。木村君、そんな私を気にかけてくれて、とってもとっても優しかったのに。なのに、私の言葉が、私のせいで……木村君、死んじゃったの」


 一条のせいではない、と無責任に言うのは躊躇われた。一条が何を言ったのか、それによりどう木村の行動に影響を与えたのか、俺にはわからない。そう、俺は何も知らない。

 眉をしかめた俺が詳しいことを尋ねようと顔を上げると、一条がとても綺麗で、まるで未練や執着やそういった今この時に存在するための何かを全て振り払ってしまったかのような透明な微笑みで、俺に告げた。


「だからもういいの」


 そしてそのまま彼女は、俺が口を開く(いとま)もなく、右手に持った光る刃物を躊躇いなく腕に滑らせた。

 赤黒い血液がまるで岩間から吹き出る清水のように溢れ出る。黒──マズイ動脈か。何故。こんな。どこに刃物なんて。

 俺は駆け出し、ふらりと倒れこんだ一条の体を抱き留め叫んだ。


「一条先輩! 一条先輩っ! ──ちっ!」


 素早くポケットからハンカチを出し、傷口を強く抑える。細い一条の腕を握りつぶすくらいの力で強く、強く。ハンカチはすぐさま真っ赤に染まり、そこからぽたりぽたりと滴が地面に垂れる。抑えきれない。仕方なく一条の体を抱き締める片手を離し、地面に横たえると、あいた左手でネクタイを引き抜いた。ぐっしょりと濡れたハンカチごときつくしばりつける。


「キル! 救急車だ!」

「……鷹村君?」


 キルに怒鳴りつけると同時に、道路脇から戸惑うような声がかけられた。ちょうど夕陽を背にした影になっているため、表情は見えない。だがこの声は──秋月遼。


「先輩! 救急車を呼んで下さい! 出血が酷い! ガーゼやガムテープがあればそれもください!」

「君……まさか、一条さん……」

「先輩! 早く!」


 一瞬表情を歪めた秋月遼は、すぐに通信端末を片手に踵を返した。コンビニでもどこでもいいから、ありったけの布が欲しい。救急車が来るまで後何分だ。

 腕からの出血が止まらない。何故こんなに深い傷を躊躇なくつけられる。

 俺は赤く血濡れた腕を高く上げながら、一条の体を抱き寄せた。体が冷たい。呼吸も浅く早い。体が小刻みに震えている。マズイ。出血によるショック症状が起きている。


「一条……」


 呼びかける俺の声が震えている。血の気を失いつつある一条の白い横顔は、何も応えない。


「一条先輩、何で……」


 俺は何を間違えた。何故一条がこんな行動に出る。


『貴方は私のことなんて興味ない。──もういいの』


 俺は、一条に何を(・・)してやれなかったんだ(・・・・・・・・・・)






 白く無機質な建物が俺を見下ろしている。どこか人を拒絶するような清廉さを纏うその建物は大路一条総合病院といって、一条グループの系列病院らしい。そう。一条雅はこの世界(・・・・)では有名な一条財閥の社長令嬢だったのだ。

 彼女は救急車ですぐに病院に搬送され、治療を受けた。聞かれるがままに出血量や前後の状況を答えた俺は、眠る一条に会うことなく病院から追い出された。放り出された、と言ってもいい。大切なお嬢様に害ある存在とでもみなされたのか。


「鷹村君」


 振り返ると、珍しく身頃を崩した秋月遼が立っていた。疲労の滲む顔で薄く笑って鞄を差し出してくる。


「君の荷物だ。道端に置きっぱなしになっていただろう」


 受け取ろうと左手を差し出すと、上着の袖が赤黒く染まっているのが目についた。何とはなしにその赤を見ていると、俺の左腕に重みがかかる。秋月がボディバッグを乗せたのだ。


「ほら。持って帰るんだ。病院から鷹村君のご家庭には連絡が行っている。親御さんが心配なさっているだろう」

「……ああ」


 言われて気付く。この格好ではいくら話を聞いている母親でも動揺してしまうかもしれない。だが恐らく下のシャツにまで血液は到達している。だったら色の濃い上着のままでいた方がまだ目立たないかもしれない。

 中々動こうとしない俺に、秋月は特に何も言わなかった。だからという訳ではないが、俺は一つだけこいつに聞いてみることにした。


「先輩……一条先輩は何故、あんなことをしたんでしょう」


 一条と秋月は同じクラスだ。そして秋月は生徒会長でもある。俺が知らない何かを知っているかもしれないという、ぼんやりとした理由だった。答えが得られると、期待していた訳ではない。


「……本当のことは、彼女じゃないとわからない。でも多分、君がいたからだよ」

「え?」


 秋月はロウのように血の気を失った白い顔に、いつもより更に感情の読めない能面のような微笑みで、しごくあっさりと俺に告げた。


「一条さんが自傷したのは、君のせいだ」






 いつ秋月と別れたのかわからない。気が付けば俺は家のすぐ近くに突っ立っていて、パンツのポケットに入れた端末が腿に与える細かな振動で我に返った。

 頭が霞がかったように鈍い。体が重い。まるで深い海の底でもがくようにのっそりとした鈍い動きで画面を見る。表示された名前は『藤堂さん』。


「……どうした」


 そういえば藤堂さんからも何か怒られたっけかなと思いながら声を発する。今はそんな簡単な動作すらも億劫だった。


『鷹村さん、今すぐログアウトを試してみて下さい』

「藤堂さん? 俺は今外で──」

『いいから! お願いします』


 噛みつくような鋭い声に反論する力もなく、溜息を殺し言われるがまま刀のキルを促す。


「キル、帰還する」

『再ログイン時にはターンを消費した状態で自宅からのスタートとなりますが、宜しいきる?』

「ああ」


 おざなりな俺の首肯に宙を一度跳ねることで応えたキルは、端末と自らの体を繋ぐ鎖から離れると、ふわりと体を浮かせた。


『我は世界の歩みを遂行する者也。記録帳(ログブック)にプレイヤー鷹村理人の行動記録を転記、界の番人の代行者として0 world(ラブ・ワールド)の門扉をここに繋げる』


 決まり文句と共に刀身が淡く発光し、まるで演武のように右へ左へと宙を斬る。


『扉よ開け』


 キルの声が響き、白い光が弾ける。だがそれだけだ。目の前の光景は変わらない。


「キル、どうした」


 切先を下げた体勢のまま停止していたキルが、くるりと反転し柄を回す。厳かな祝詞のような言葉と共に、決められた型のように再度それは行われたが、結果は変わらない。


「キル?」

『帰還の扉が開かないきる』

『……鷹村さん、聞こえますか』


 困惑したようなキルの声に、藤堂さんの固い声がかぶさる。


「──どういうことだ」

『プレイヤー、貴殿は帰還できないきる』

『鷹村さん、鷹村さんもログアウトできないんですね?』

「何を言っている? ──いや、いい。LL030412・050925。開発者モードを起動しろ」


 低く宣言すると、俺の動きにあわせて振り子のように揺れていた刀身がぴたりと動きを止め、青白く発光した。


『コマンド認識。開発者モードへ移行』


 続けて宙に展開される半透明のウィンドウ。今までとは違う、飾り気も何もない素っ気ない画面に、洪水のように文字列が並んでいく。


『鷹村さん、わたしもやってみました。でもダメなんです。強制コマンドも……!』


 増殖を止めた文字列の最後にカーソルが点滅しているのを確認した俺は、自らの社員IDを告げる。


『認証完了。コマンドを実行して下さい』

「強制帰還コマンド オールユーザー タイム0」


 すぐさま俺は、現在ログイン中の全プレイヤーを強制的に即時ログアウトさせるコマンドを命令する。再び文字列が走り、最後に一文を表示させた後、それは止まった。


『帰れないんです! 何をやっても! わたし達ラブワに閉じ込められてしまったんです!!』

『レベル三コマンド実行不可』


 悲鳴のような藤堂さんの甲高い声を聞きながら、俺は無情な文字列を眺めた。

 同時に鳴ったはずのアラート音は、聞こえなかった。




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