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32話

「……ったく。何なんだ一体」


 藤堂さんに切られた端末を持って俺は呻いた。自分以外の人間がどうなろうと構わないとは結構な暴言だ。俺は苛立ちを吐き出すように大きく腹の底から息を出した。冷静になれ。単なる藤堂さんのヒステリーじゃないか。俺は何をこんなに混乱したり憤ったりしてるんだ。

 深く考える前に首を振り、急ぎ足で校庭に出る。そう。こんなことで時間を取る訳にはいかない。既に周辺は整備され、幾人かの教師が等間隔で並び、現場と門の辺りを見張っている。

 これでは容易に現場に近付けない。俺は作業着に身を包んだ何人もの人間──恐らく鑑識だろう──が行き来する倉庫と、教師の並ぶ門の辺りを交互に見た。両者の距離と近付く手段を図っていると、倉庫の裏の木陰で見たことのある若い男が、シャツ姿の年配の男と言い合っているのを見つけた。若い男はバセンジー……じゃなくて、確か所轄の滝山だったか。年配の男は確かこの学園の教頭だ。

 俺はふらりとやじ馬の集まる昇降口から足を踏み出した。見咎めた教師が俺を制止する。


「ダメだ。生徒は近付いちゃいけない」

「鏡先生に言われて、警察の方にご連絡があるんです」


 鏡の名を出して適当にごまかすと、背の低い教師は少し首を傾げたものの俺を行かせてくれた。

 滝山と教頭のいる位置からは死角になっていて俺の姿は見えないだろう。それでも用心深く近付いた俺は、彼らの声がやっと聞こえる位置までやってくる。


「無理です。生徒達を引き留めておくことなどできません」

「しかし先生、殺人事件が起こっているんですよ。それにお宅の理事長の許可は取ってるはずなんですが」

「理事長がどう言おうと関係ありません。生徒達の素性ははっきりしています。何かあれば家に連絡を入れれば良いでしょう。ショックを受けている子供達を学園内に留めておくなんてとんでもありません」

「しかしですねえ先生」


 その時滝山を制してがたいの良い男が、後ろからのっそりと現れた。あの土佐犬もどきは確か一課の木門だったと記憶している。


「いやいやお騒がせしてすみませんね先生。先生達のお気持ちはよぉく、よぉくわかります。子供達を守るのが先生達のお仕事だ。早く帰宅させて無事な姿をご家族に見せてあげたいですよね」

「その通りです。お預かりした大切な子供達ですから」

「しかしそんな大切な子供達の一人を害した犯人は未だ捕まっていない。まだ付近にいるかもしれない、もしかしたら学園内にいるかもしれない。そんな状況ではおちおち安心していられないでしょう」

「ですから、そこは貴方達警察のお仕事でしょう」

「おっしゃる通りです。罪のない子供達のためにも、我々としてもすぐにでも犯人を捕まえたい。だからこそ、まだ皆さんの記憶が新しい内に、時間の経過と共に証拠が消えない内に情報を集めたいんです。そこはご理解頂きたい」

「それは……勿論わかっていますが」

「ありがとうございます。では」

「でも。殺害されたのはここではないんでしょう!? であれば我々をここに留めておく必要はないんではないですか!?」

「どこでそんなことを?」

「それは──……」

「何をお聞きしたが存じませんが、まだ何も確定していない以上、大変心苦しいが皆さんを帰す訳にはいかないんですわ。そこの所、わかって下さいませんかね」

「わかります、わかりますが……」

「そうそう。まだ誰も帰宅させていませんよね」

「え、それは。はい」

「であれば今しばらくそのようにして頂けますかね。勿論我々も門の所で張らせて頂きます。それで宜しいですかね」

「しかし監視なんて横暴ではありませんか」

「いやいや、監視なんていう大層なものではないですよ。ただ我々も仕事をせんとならんくてね。現場付近への人の出入りを放置という訳にはいかない。そして勿論第一発見者や現場に入った方の帰宅をまだ許可することもできないんですよ」

「ですが……」

「先生。まだ何かあるようなら理事長先生に話してくれませんかね。もし万が一貴方がたの対応によって学園内に潜む犯人を逃がしてしまった場合、誰の責任になるか。考えて頂きたい」

「は、いや……それはその……」

「じゃあとりあえず門とこの学園の周辺一体を引き続き封鎖させて頂きますがね。何かあったらまた言って下さいよ。ああ生徒達に聞き取りをするために、どこか空き教室を一つお貸し頂けるとありがたいですが」

「……はい。それは見繕っておきましょう」


 俺はその話を最後まで聞いていなかった。木門が来た辺りで好機と判断し足早に奴らの死角を擦り抜けると、現場前までやってきていた。非常線の前に見張りのように立っていた警察官に目敏く発見される。


「おい。ここは立ち入り禁止だ。生徒の来るような所じゃない」

「先生に頼まれて、木門さんって人を探しているんですけど、ここにはいないんですか?」

「木門さん? 木門さんなら今……」


 緩く、しかし学生らしい緊張を滲ませながら笑って見せると、若い警察官は少し考えるように倉庫のある後方に顔を向けた。今だ!


「中ですね! わかりました!」


 その声を皮切りに俺は目の前にあった非常線を潜り抜け、体育用具倉庫まで猛ダッシュした。慌てたような声が背後でしたが無視し、開いていたドアから一気に倉庫へ入る。

 入口をくぐった途端にむっと咽るような匂いが襲ってきた。倉庫の中は薄暗く、埃っぽい。作業をしている鑑識係の内、床に這いつくばっていた一人が驚いたように顔を上げる。

 死体はすぐに発見できた。入ってすぐの体育館マットに、僅かに盛り上がった何かがある。それは人の体。木村の、体。チャコールグレーの制服は右脇がどす黒く染まり、木村の体を受けとめたマットは鮮血で真っ赤に染まっている。そこから赤黒いものが点々と床に伸び、見下ろす俺の足元までそれは続く。

 木村の顔は見えない。うつ伏せだからだ。

 パンツの裾から覗く膝や脛に赤黒い斑点が見える。死斑だろう。

 木村の右手は上に伸び、何かを掴むように握りしめられているが、それ以上はわからない。

 近くに行かなければ。

 時間がない。

 手掛かりを。

 何か。


「──ッ! 勝手に現場に入るんじゃない!」


 そうして一歩も踏み出せないでいる内に、怒鳴り声と共に背後から強い力で肩を引かれた。後ろに倒れるまでには至らなかったものの、よろめき外に追い出される。

 外に出た途端、爽やかな空気が鼻孔から入り込んできた。何故かそこで猛烈な吐き気が襲いかかる。


「──ぐっ!」


 地面に膝をついて口を抑える。胃が締め付けられるような衝動に数度襲われ、喉元を酸っぱい物がこみ上げて来るのを必死に押し留める。

 石を踏む音が聞こえた気がするが、それどころでない。俺を外に引きずりだしたのが誰か知らないが、とりあえずすぐにどうこうしようという訳ではないのが今はありがたい。俺が容赦なく襲ってくる吐き気に耐えていると、聞いたことのある声が近付いてきた。


「おいおい、素人さんを現場に近付けるなんて何やってやがる」

「木門刑事! すみません! この子供が」

「全く何やってんだ。鑑識は」

「ほぼ終わっているので問題ありません!」

「ならいい。で、その坊っちゃんはどうした」

「は。どうやら現場の状況にあてられて気分が悪くなってしまったようで」


 木門は仕方なさそうに溜め息をついた。大きい鼻からバフッと出てくる白い息が見えそうな勢いだ。と言っても地面ばかり向いていた俺が直接見れた訳じゃない。

 頭上に誰かの影がかかった気配がした。悪酔いした時のような眩暈を何とか堪えて顔を上げると、木門のぎょろりとした目が容赦ない眼力で見下ろしてくる。


「おい坊っちゃんや、大丈夫かね。身近でこんな事件が起こって正義感に溢れちまったのか知らんが、ここは大人しく俺達警察に任せてくんな」

「……俺は、被害者の情報を、色々持って、ます……。お手伝い、できれば……情報も、増える、かと」

「それは有り難く後で聞かせてもらうさね。でもここにいられるのは捜査の邪魔だ」


 吐き気を抑えて言った台詞は、木門にばっさり切り捨てられる。


「坊ちゃんも今わかっただろ? 推理オタクだか探偵ごっこだか最近やりたがる連中は多いが、現実はそんなもんじゃねえ。もっと生々しくて憂鬱なもんだ」


 リアルの死体現場なんて知ったことか。だが俺はゲーム開発のプロだ。しかもミステリーAVGは特に実績がある。ラブワは視覚や聴覚のみならず嗅覚を含めたあらゆる五感に訴えることができるから、ソフトを開発する際も死体現場ではそれとなく血の匂いに近い香りを出したり、死体の冷たさや固さを感じられるよう作ってきた。そう、俺はプロなんだ。その上で木村の死体を二度も近くで見た俺だからこそ言える。


「お遊びは終わりだ。帰んな」


 KK学園ラブライフ(このソフト)の殺人現場は明らかに異常(やりすぎ)だ。






 帰宅すると、家には珍しく「母親」がいた。


「お帰り理人。聞いたわ学校で事件があったんですって」

「お母さん」


 心配そうな表情を向ける母親に、俺は軽く手を振る。


「問題ない。俺に何かあった訳ではないから」

「でも貴方顔色悪いわよ。それにお友達が殺されたって……」

「そりゃ気分がいい訳ないよ。でも友達、という程仲が良かった訳じゃないから」


 そう。木村とは何度も話す機会はあったが、それほど深く付き合う仲でもなかった。藤堂さんの言葉を思い出す。確かに彼女は俺より深く木村と付き合っているだろう。だが所詮プログラムの一つでしかない。それを彼女はわかっているのか。


「でも心配だわ。近所か、もしかしたら学園に犯人がいるかもしれないじゃない。しばらく学校お休みにしたら」

「ああ。多分休みになると思う」


 言うと安心したように母親が息を吐いた。とりあえず冷たい物でも飲もうとキッチンに向かう俺の背に、彼女が声をかけてくる。


「あ。そうそう。そういえば貴方この間、小さい頃よく遊んだ子がいなかったかって言ったわよね。一つ下の女の子って言ってたから私知らないって答えちゃったけど、あの後写真見せてもらったじゃない。それで思い出したのよね。だから貴方勘違いしているんじゃないかしらって」


 冷蔵庫から冷えたお茶を取ってグラスに注ぎ、溜息をつきたい気分で母親に顔を向ける。


「お母さん、何を言いたいんですか」

「だから、私思い出したのよ。小さい頃貴方の後ろを引っ付いて回っていた女の子いたじゃない。覚えてない? 大きくなったわね。昔の面影があるからすぐにわかったわ。でも貴方が言っている話と違うからあっているのかわからないけど」

「つまり?」


 やや疲労を感じながら促すと、どこにでもいそうな優し気な顔立ちの女性が微笑んだ。


「写真の子って根津(ねづ)さん家の未唯(みい)ちゃんでしょ? 貴方より三つ下だから今中学二年生ね。この間もスーパーの近くでお母様にお会いしたわよ」




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