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26話

「それで何で藤堂さんまでついてくるんだ」

「何言ってるんですか。あんな言い方されて、ついてこない訳ないじゃないですかー」


 夜の闇の中、俺と藤堂さんは二人で美琴の家の前に立っていた。住宅街であるこの辺りは、夜になると人通りも少なく、街灯の光と周囲から僅かに漏れ聞こえる会話や湯気が人の気配を伝えるのみとなる。本当なら俺一人で来る予定だったんだが、家を出たら玄関先に藤堂さんが待ち構えていて、引き留めることもできず今に至っている。

 俺は藤堂さんの姿を横目に見た。黒パーカーにインディゴブルーのデニムパンツと、今日の藤堂さんは夜の闇に溶け込みそうな出立(いでたち)だ。


「高坂家、灯りがついていませんね。不在でしょうか」

「藤堂さんはどうするつもりでついてきたんだ」

「どういう意味ですか?」

「どんなペナルティがあるかわからないし、本当は二人で行動するのはリスクあるんだが……仕方ないか」

「は?」


 構わず高坂家の玄関に向かうと、訳がわからないと不満気な表情の藤堂さんがついてくる。俺は玄関横にある掃出し窓の前を通り過ぎ、隣家との間に立つ塀の隙間に体を潜り込ませた。足元で白砕石が軽い音を立てる。


「鷹村さん、どこへ?」

「しっ。……ここがいいか」


 俺は隣家の陰になり、通りからもちょうど死角となる位置にある窓の下で立ち止まった。ショルダーバックからぴったりとした黒いグローブを取り出し彼女に放り投げると、自分の手にも装着する。念のため窓を開けようとしてみるが、鍵がきっちりかかっていて開かない。まあそう都合良くはいかないよな。

 不審気な表情のままグローブをつけた藤堂さんは、続いてバックから取り出した物を見て目を丸くした。


「鷹村さん、それは?」


 彼女の困惑した声を無視して、俺はマイナスドライバーを思い切り窓枠とガラスの隙間に叩きつけた。鈍い音と共に一撃で窓ガラスに放射線状のひびが入る。続いて攻撃を加えると、僅か4回でガラス面に穴が空き、そこからドライバーを突っ込んでクレセント付近のガラスを取り除くことに成功する。

 大した音を立てることもなく数十秒で開錠に成功すると、俺は開放した窓枠に手をかけてよじ登った。背後を振り返り、藤堂さんに手を差し伸べる。


「急げ。見つかったら『やり直し』だ」


 唖然としていた藤堂さんはその言葉に目を見開くと、意を決したように俺の手を取った。思ったより軽い体を引き上げ、室内に降り立つ。土足で上がることに妙な罪悪感を覚えて靴は脱いで手で持つことにする。こんな侵入の仕方をしておいて何だが、まあ気分だな。




 そこは広めのリビングだった。正面にダイニングテーブル、右手にソファとテレビ、ローテーブル、キャビネット等があり、左手側には食器棚が見えるからキッチンだろう。

 暗くてほとんどの物はぼんやりした影でしか把握できないが、ある一画だけうすぼんやりと照らされている場所があった。キッチン脇に設置されたモニターだ。そこには斜め上のアングルで木製のドアが映されている。玄関モニターは恐らくその下で黒い画面のまま黙してかかっている方だろう。どこを映しているのだろうか。


「鷹村さん」


 リビングを抜けるドア付近を恐る恐る覗いていた藤堂さんが、聞こえるか聞こえないかの小さい声で俺を呼んだ。彼女の後頭部越しに覗き込むと、そこには見慣れないボタンがあった。ボタンに書かれた文字は『緊急』。


「キッチン脇のモニター横にも似たような物があった。ホームセキュリティだろう」

「ホームセキュリティって、一般家庭でも設置するんですね」

「まあ結局俺達のような不審者の侵入を許している訳だが」


 言いながらふと疑問が沸く。ホームセキュリティを導入している割には、窓の防犯は緩かった。

 二重ロックはしてなかったし、防犯ガラスにもなっていない。もし防犯ガラスだったらああも簡単には侵入できなかったし、場合によってはあのやり方でも派手な音を立てて、誰かに気付かれてしまっただろう。しかも一般的なホームセキュリティサービスならセンサーで窓からの侵入も検知し、通報される。


「藤堂さん、急ごう」


 俺は藤堂さんを促してリビングを出た。窓にセンサーはなかったようだが、もし万が一ホームセキュリティサービスに通報されていた場合、おおよそ十分前後で警備員が到着するはず。それまでに用事を済ませなければ。


「わたしは何をすればいいですか?」


 藤堂さんが囁き声で聞きながら俺の後をついてくる。


「美琴の過去や現在がわかる手掛かりを探してくれ。過去の写真、行動履歴、データで管理されている物はロックされているだろうから、物理的に保管されているものから徹底的に探す」

「わかりました。家には誰もいないんでしょうか」

「恐らくな。だが一応注意した方がいい。もし見つかっても俺達はやり直しができるが、次も侵入が成功するとは限らない」


 藤堂さんが「やり直し……」と呟いていたが、気にせずそのまま二階へ向かう階段に足をかける。

 ぎしり、と木目の踏板が音を立てた。静寂が重く、汚泥のように体に絡み付く。ジジ、とデジタル音が耳鳴りの如く不快な気分を増幅させ、粘度の高い不可視の汗が米神を流れる嫌な感覚に陥る。

 階上に上がると左右に廊下が伸びており、どちらにも扉が見える。二部屋だとするとかなりの広さが想定されるが、恐らく収納も兼ねているのだろう。


「鷹村さん」


 藤堂さんの囁き声で、廊下の先にあるボタンに気付く。仄かに明かりの灯る電気のスイッチ、そしてその下に『緊急』と記載されたボタン。

 俺はボタン脇の扉に手をかけた。ギギと蝶番の軋む音が、妙に大きく感じる。開けてすぐに見えたのは中央に置かれたクイーンサイズのベッドとチェスト、テレビ、左手には観葉植物とスタンドライト、ミニテーブルとソファ、右手にあるのはウォークインクローゼットだろうか。そこは夫婦の寝室のようだった。

 藤堂さんがベッドサイドに置かれた小型装置を取った。上部はモニタになっており、やはり斜め上から撮影されたドアが映っている。下部には『緊急』と記載されたボタン。

 藤堂さんが眉を顰める。言いたいことはわかる。あちこちに設置された装置は明らかに過剰防衛気味で、家族の誰かに強迫性障害でもあったのではないかという考えがよぎる。

 俺はチェストの上段の引き出しを開けた。細々とした書類、文具、眼鏡、そして英文字が記載されたスプレーと十五センチくらいの黒い棒等がある。俺が黒い棒を矯めつ眇めつ見ていると、藤堂さんが横からスプレーを手に取り小さな声をあげた。


「うわぁお。これ催涙スプレーですよ鷹村さん」

「こっちは──警棒だな」


 振って四十cm程まで伸びたそれを、俺は厳しい目で見詰める。強迫性障害という言葉で片づけていいのだろうか、これは。


「ねえ鷹村さん、鷹村さんは高坂美琴の幼馴染なんですよね?」

「美琴の言だとな。事実はどうだかわからん。どうした?」


 警棒を元の場所に戻して振り向くと、彼女は今度は小さなプラスチックの薄い額縁を手に見詰めていた。俺は近寄って横からそれを覗き込む。

 それはデジタルフォトフレームだった。ディスプレイにはやや粒度は粗いものの、抜けるような青さの空と一面に広がる緑の中央に、三十代くらいの女性と少女が笑顔で立つ画像が表示されている。


「美琴と母親だろうな。目元が美琴に似てる」


 女性の笑顔を見ながら言うと、顔を上げた藤堂さんが何かを言いかけ、やめた。


「何か気になる点でもあるのか」

「いえ」


 首を振った藤堂さんは、猪のマスコットがぶら下がった端末を取り出し、写真をスキャンした。小さな電子音がスキャン完了の合図を示す。

 俺は引き続きチェストを物色し、藤堂さんはベッド下やらクローゼットにかかった洋服のポケットやらを漁っているようだ。特段目新しい物はなかったが一つだけ有益な情報は得られた。


「やっぱり栃木だな」


 過去の郵送物を引き出しに戻して言うと、藤堂さんが反応した。


「何がですか?」

「いや、後で話す。とりあえずここにはもう何もなさそうだ。次へ行こう」




 俺は廊下の反対側に位置する扉を開けた。一際大きい蝶番の音が鳴る。どこからか聞こえる電子音が羽虫のように纏わりつく。

 扉を開けると、そこは狭く家具も何もない空間だった。正面と右手に一つずつ扉があり、どちらも閉まっていて中は見えない。

 右手のドアノブを掴みゆっくり開けると、中は洗面所になっていた。奥に見えるのは風呂場とトイレだろう。中に足を踏み入れて洗面台を見る。曇り一つない磨き抜かれた三面鏡、水垢の影すらない白い陶器の洗面ボウル、木目調のモザイクタイルの張られた壁面はお洒落な空間を作り出している。どこかのホテルのレストルームにでも来たような気分だ。


「綺麗過ぎないか」

「生活感ないですね」


 ドアからこちらを覗きこんだ藤堂さんと、台詞がかぶる。水回りにも関わらず、ほとんど使われている形跡がない。他の部屋と比べても際立っている。

 ふいに響いた硬質な音に顔を上げると、藤堂さんの顔が引っ込みドアが閉まっていた。意図が読めずにそのまま木目の扉を眺めていると、もう一度硬質な、今度は少し高めの施錠音が響く。鍵を閉められた?


「藤堂さん、時間がない。遊んでる場合じゃない」

「鷹村さん、そちらから開けれます?」


 向こう側から返ってきたくぐもった声に、ちらりと扉回りを見た俺は軽く溜め息をついた。ついでにドアノブを軽く捻ってみるが、ガチリという音と共に回転を阻まれる。


「こちら側に鍵らしき物はないから無理だ。開かない」


 すると解錠音と共に扉が開き、何やら腑に落ちない表情をした藤堂さんが現れた。


「すみません。脱衣場の鍵を家で使ったことないんで気になってしまって」

「いや。──こちらにもあるようだな」


 脱衣場から狭い空間に戻り、もう一方の閉まったドアを確認した後、ふと何の気なしに上を見てそれを発見した。


「ああ。どうやらモニタに表示されていた映像は、ここで撮られているらしい」


 天井の隅から、小型カメラが生き物のようにこちらを覗いていた。

 藤堂さんも気付いたのだろう。上を向く気配がした後、何とはなしに沈黙が流れる。恐らく彼女と俺は同じことを考えているのだろう。ここにカメラのある意味を。

 だが俺は一旦思考を頭から振り落とし、もう一つのドアに手をかけた。内側から施錠されている懸念もあったが幸いなことにそれはなく、抵抗なく扉は口を開け、内部の光景を目前に晒す。

 初めそこは物置かと思われた。何らかの事情により窓が小さく、採光等が充分でない納戸を収納部屋として利用する家はある。それほど室内は暗く、閉塞感があった。

 しかしそれが間違いであったと気付くのにそれ程時間はかからなかった。狭いと感じたのは背の高い本棚がいくつも並んでいたから。暗いと感じたのも当然だ。この部屋は顔すら出せない小さな窓が二つ壁に貼り付いているだけなのだから。

 ゆっくりと室内に足を踏み入れると、奥にシックな勉強机と北欧スタイルのシングルベッドがあることに気付く。更に暗さに慣れてきた目は、ペンすら置かれていない机上と、乱れもなく整えられたグレートホワイトのツートーンの布団の姿を捉える。

 引出しを開けると、小型のタブレットと先の丸いペンが収納されていた。他にもないかと調べていると、後から入ってきた藤堂さんが入口付近でぽつりと呟いた。


「彼女も家の人も、本当にいないんですね」


 俺は手を止め、肩を竦めて見せた。


「じゃなきゃこんな空き巣めいたことしない」

「でも、何故誰もいないんですか。それに何か……」


 言い淀んだ藤堂さんがふと、先程まで陰になっていて見えなかったクローゼットに目を向けた。部屋を小走りで横切ると、アコーディオンタイプの扉をなるべく音を立てないようスライドさせる。

 その時だった。


「その辺で仕舞いにしときましょうや」


 第三者の低い声と共に、パッと電気がついて室内が明るくなる。急激な明暗の変化に目が眩んだが、うっすら細めた目の端に入口付近に立つ男の姿が映る。闘い慣れた土佐犬を想起させる──刑事の男だ。くそっ。時間切れか!

 藤堂さんが猫のように素早く後方に飛びずさった。入口から入ってきたのは土佐犬の男一人、だが扉前にもう一人立ちはだかる。この間もいた細身の若い男だ。細いと言っても俺から見れば充分ゴツイ体格だから、腕力勝負じゃ勝てないだろう。


「まだ若いカップルさんじゃないか。夜逃げ資金でも探しているのかね」


 ゆっくりと近付いてくる男に、体が自然と後退る。


「……どうしてここへ?」


 強張り動かしにくい唇を無理やり動かして問うと、男が首裏を掻いてとぼけたような声で答えた。


「不審者が留守宅付近をうろついているという通報があってね」

「不審者は、貴方達じゃないんですか。通報されたにしちゃ来るのが早すぎですよ」

「言うねえ」


 藤堂さんの近くまで歩み寄った男は、彼女の腕を掴んだ。自らの体を抱き締めるようにしていた藤堂さんが小さく叫んで、体を大きく震わせる。


「触るな! 俺達はこの家にいるはずの友人を心配して訪ねてきただけだっ」

「口の減らねえヤツだな! 住居侵入罪の現行犯だぞ!」


 入口から怒鳴り声を上げたのは若い男の方だ。それを片手で黙らせると、土佐犬のような男は震える藤堂さんの腕を掴んだまま俺に薄ら寒い笑顔を向けた。


「悪いがこっちも仕事でね。話は署で聞くから大人しく同行してもらえるかい」


 何とか会話から情報を得られないかと考えていたものの、元より抵抗する気はない。頷いた俺は藤堂さんと男の前を通り、入口に立つ若い男の元まで歩いた。手錠でもかけられるかと思ったがそれはなく、若い男は俺の背に手をやり狭い入口を先導する。

 扉は狭いので若い男、俺、藤堂さんの順に並ぶことになったが、ちょうど先頭の男が廊下への扉を押し開けたタイミングで、俺と藤堂さんだけが家具のない、カメラに監視された小部屋に入る状態になった。

 それを狙っていたのだろう。ちょうどそのタイミングで、藤堂さんが動いた。

 プシュ、という噴射音、次いで籠った「ぐっ」という声。振り向くと目を抑えた男の脛を、藤堂さんが思いっきり蹴り飛ばす所だった。

 威力は大したことなくとも、流石に不意をつかれたのだろう。バランスを崩した男が後方にたたらを踏む。その隙に藤堂さんが扉を閉める。ガチャン! 施錠した。


「木門さんっ!」

「鷹村さん!」


 若い男が声を上げるが、流石に刑事だ。不用意に俺の傍から離れようとしない。

 俺は藤堂さんが投げて寄こした催涙スプレーを男の顔面に遠慮なく噴射した。警戒はしていたが避けようのない距離にいた男はあまりの痛みに目を閉じた。その隙に俺は男との間にあった扉を閉めてしまう。ガチャリ。


「おいっ! ふざけるなお前ら! 何を考えている!」


 男の怒鳴り声と鍵の閉められた扉を叩く音が響く。かなり苛立っている様子だ。そりゃそうだ。


「──君達、こんな所に閉じこもって次はどうする気だい?」


 藤堂さんの背後にある扉の向こうから、静かな、しかし無視できない力のある声が響く。

 おっしゃる通りだ。俺は扉で区切られた狭い空間で大きく息をつくと、同じ空間にいるただ一人の相手である藤堂さんを見下ろした。


「で。どうす──」

「鷹村さん」


 俺の言葉を遮った彼女が、細い両腕を伸ばしてきた。それが意思を持った生き物のように俺の首元に絡み付く。


「弁解は後程」


 そしてそのまま後頭部に手をかけると、真っ赤な柔らかい唇を重ねてきた。


 ぬるりと唇の隙間から侵入する舌先。

 遠慮のない動きでそれは俺の口内を蹂躙する。

 俺のものを見つけたそれは、逃げる俺の舌先を絡めとり、捕らえられた先端は痛いほどキツく吸い上げられる。


 俺は何かを言おうとして、

 そのまま言葉を見失い、

 真っ白になった頭に血が、体温が上って、

 白い彼女の肌が、生き物のように震える長い睫が、目の前に、

 白く。白く。白く。


 そう。すべてをしろく。


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