25話
翌朝、俺はモダンな赤壁が特徴なKK学園校舎が前方に見える通りに立っていた。左右を同じ制服に身を包んだ生徒達が通り抜けていく。平日初日、ここからはいつ木村が殺されてもおかしくない。
進む道すがら、前方に艶やかな黒髪を風に靡かせた女子生徒の姿が見えた俺は足を速めた。一条雅だ。
「おはようございます。一条先輩」
「え……あ、鷹村君。おはよう」
背後から声をかけただけなのに、びくりと肩を震わせた過敏な反応に、俺は気付かれない程度に眉を寄せる。
「今日は珍しくゆっくりなんですね。朝練はないんですか?」
「ない訳ではないわ。ちょっとね、お休みなの」
淡く微笑み、目を伏せた一条の隣に並びながら俺は思い巡らす。そういえば彼女が部活を休みがちになったのは美琴が長期休みに入ったタイミング後くらいだ。
「ねえ鷹村君、」
「たっかむらー! おっはよー」
「うわっ!」
背中を強く押され、前方へ二、三歩たたらを踏む。俺を思い切り叩いたのは清水律だ。相変わらず元気過ぎる。昨日のあの様子はなんだったのかと小一時間問い詰めたい。
「とろとろしてると遅刻するよー。あ。センパイおはようございまーす」
「おい! ちょっと引っ張るなお前っ! 待てって」
清水に腕を取られ半ば強引に門の中に足を踏み入れることになった俺は、慌てて一条の方を振り向いた。
「一条先輩! ちょっと話したいことがあるんで、一時間目の休み時間に伺わせて下さい!」
驚いたように目を見開いていた彼女は、俺の言葉を聞くと長い睫毛をひととき頬に落とし、微笑んだ。
「うん。国文準備室の隣の空き教室で待つわね」
授業をかつてない程適当に終わらせ、チャイムと同時に席を立つ。清水が動くより早く教室を出れた点については、自分を評価して良いだろう。去り際のあいつの意味ありげな笑みは気になったが。
「一条先輩」
陽の光の射す窓際に立った一条が微笑む。透明感に溢れたその笑みは、どこか儚げで危うく、簡単な衝撃でぱりんと砕ける飴細工のような印象を受ける。
「清水さんとは一緒じゃないのね」
「やめて下さい。あいつはクラスが一緒なだけで別にいつも一緒にいる訳じゃない」
「そう? 鷹村君はいつも女の子と一緒なんだと思ってたわ」
くすりと笑った一条に、俺は肩を竦めて見せる。
「先輩まで何を言ってるんですか。俺は別に女を連れ回すような趣味はない」
「あら。でも登下校はいつも──」
一条の言葉が途切れる。俺は片眉を上げて彼女を見た。
「そうですね。学祭前までの登下校時は大抵、一年の高坂美琴が隣にいました。でもある日を境に彼女はいなくなった。先輩もご存知ですよね?」
一条の長くけぶる睫毛がこんもりとふくらんだ頬を打つ。
「高坂さんのことは……そうね、少しだけ」
「九月十日金曜日」
「突然どうしたの?」
「オズの初合同演習日の翌日です。この日一条先輩は何をされていましたか?」
「よく覚えていないけれど、いつも通り学校へ来て、部活が終わったら家に帰ったんじゃないかしら」
「いえ、一条先輩はこの日部活を欠席しています」
「そう? よく知ってるわね」
「先輩は前日演習があったため部活を休まれました。更に金曜まで、しかも突然の休みと聞いた後輩の子がよく覚えていました」
「……そう。その時期あまり調子が良くなかった気がするわ」
「この日は何をされていましたか?」
一条が緩く首を傾げる。柔らかい髪がさざ波のように肩を滑る。
「真面目な先輩が二日も続けて部活を休むくらいですからね。病院でも行きましたか」
「……いいえ。様子を見ただけよ」
「病院へ行かれていないんですか?」
「ええ。もう大丈夫だから」
「なら良かった。じゃあ最近も部活動を休まれているのは、体調不良が原因ではないんですね。どうしたんですか。俺で良ければ聞かせて下さい」
一条が口を開けて、閉じる。微かに漏れた吐息は声にならずに空に消える。そしてそのまま、くすりと笑いを含んだ声に変わる。
「ねえ鷹村君。貴方は一体何を聞きたいの?」
「え。一条先輩の話を……」
「ふふ。ダーメ。鷹村君ホントのことを言わないとダメよ。私の部活のことなんて一カ月以上も前の話よ。今更そんなことを聞くなんてどうして? 鷹村君、今まで私の様子なんて気にもしなかったでしょう」
「そんなことは……」
言い淀む俺に微かに微笑んだ一条が、窓際を離れてくるりと軽やかに舞う。ふわりふわりと、まるで花弁のように左へ右へと舞い踊る。
「私はずっと貴方の近くにいたわ。でも貴方は私を見ていなかった。私がどういう様子で、どんな気持ちでいるかなんて貴方は気にしていなかった。高坂さんの名前が出てきたわね。彼女のことならば貴方の心は動くのかしら。いいえそれも今更ね。ずっと傍にいた彼女がいなくなっても、貴方は変わらなかった。じゃあ一体今鷹村君を動かしているのは何かしら」
目の前でぴたりと止まった一条が、俺の顔を覗き込む。
「ねえ鷹村君聞かせて。今貴方の目に映っているものは何?」
『理人、貴方は私が隣にいても、私のことを見ていない』
「貴方の心はどこにあるのかしら?」
『貴方の心が、私には見えない』
「──やめろっ!!」
思わずあげた怒声に、はっと顔を上げる。目の前にあるのは淡い微笑みを浮かべる女子生徒の姿。そう、あいつはいない。いる訳ない。当然だ。ここはラブワ。相対しているのはゲームのいちキャラクター。
俺は大きく吸った息を吐いた。背中に嫌な汗がじっとりと滲む。
「大声を出してしまってすみません先輩。俺はただ本当のことを教えてほしいだけです。あの日高坂美琴と何を話したのか、そしてそのことを木村とどう話したのか」
「木村君……」
一条の表情が少し固くなった気がした。だがすぐに彼女は顔を上げる。
「ごめんなさい鷹村君、木村君との話はプライバシーに関わることだから言えないわ。知りたければ本人に直接聞いて」
「じゃあ美琴とのことは……!」
食い下がる俺に一条が優しく微笑む。それだけで俺は答えがわかってしまう。
「高坂さんのことが知りたいなら、鷹村君が直接お話した方がいいと思うの。貴方が本当に知りたいと思うなら、きっと彼女は応えてくれるはず」
でも鷹村君、本当に彼らのことを知りたいのかしら、と他人事のように呟きながら彼女は笑った。
それはどこか影のある笑みだった。
「藤堂さん!」
放課後やっと藤堂さんを見つけた俺は、教室から出る所だった彼女の腕を捕まえた。藤堂さんが驚いたように振り向く。
「鷹村さんどうしました? 高坂美琴周りで何か動きでもありましたか」
「すまんが、動きは全くと言っていいほどない。美琴と木村の担任へ美琴の現状や長期休みの理由を聞いたし、クラスメイトにも聞き込みをしてみたが新たな情報は得られていない」
「そうですか。一条雅とは話せました?」
「一条とは話せたが失敗した。俺が持って行き方を間違えたせいで、完全に口を閉ざされた」
「そう、ですか」
行き交う生徒達の邪魔にならないよう廊下の端に移動し、壁に背を預けた状態で隣り合う。笑いさざめく生徒達の姿が陽炎のように通り過ぎる。
「だが一条は恐らく何かを知っていて隠している。今回無理なら周回した時に再度聞けばいい。藤堂さんは木村に接触できたか?」
「話せはしましたが……芳しくありません。情報を引き出すことも、彼の行動を止めることもできませんでした」
「行動を止める?」
「はい。彼が殺害されることを止めるのが第一目的ですので、何より彼の行動を変えることが重要と考えました。恐らく従兄の殺害事件に関して調べている内に何らかのトラブルに巻き込まれたのだろうと思いますので、それをやめさせる、もしくは方向性を変えることができればと」
「そう、か。美琴との絡みがわからなくても、木村が殺害されること、ひいてはそれに繋がる木村の行動を変えるという目的が達成すればいいんだな」
藤堂さんが可笑しそうに笑う。
「彼らの背景を全て把握できないと鷹村さんは不服ですか」
虚を衝かれて言葉に詰まる。先程の一条の言葉が脳裏を過る。
「いや。別にあいつらの全てを知らなくてもいいんだ。美琴の居場所は木村の事件を防いでからでも問題ないし、最優先するのは事件解決のエンディングに到達することだ。だが背景がわからなくても木村の行動を変えることが可能か?」
これは捜査や推理を続けたいがための悪足掻き、ではないと思う。
藤堂さんが腹の底にある澱みを吐き出すかのように長い溜め息を吐く。
「藤堂さん?」
「わかりません。セオはわたしが最も攻略に時間をかけた相手です。ご家族にも会ってるし、好感度を最高値まで到達させた実績もある。勿論趣味嗜好や行動の癖も把握しています。……でも彼の従兄のことなんて今回初めて聞きましたし、高坂美琴や一条雅のことで好悪以外の背景があるなんて聞いたことありません。──わたしは彼のことを何も知らない」
「そうか」
「事件が起こって以来、何度も説得にチャレンジしてるんですよ。でもセオには全然効かない。わたしの言葉が届かないんです」
「……ああ」
多分これは俺が初めて聞く藤堂さんの弱音だ。珍しさに内心驚きながらも大人しく耳を傾ける。心の内を吐き出すことで、気持ちが整理できればいい。
だが藤堂さんは流石に藤堂さんだった。それ以上続けることはせず、顔を上げて綺麗な笑顔を見せた。
「まあこんなことをぐだぐだ垂れ流していても仕方ないんで、次は色仕掛けでも物理攻撃でもやってみます。鷹村さんも一条先輩や美琴ちゃんのこと、もう一度見詰め直したら新たな発見があるかもしれませんよ。当たって砕けましょう!」
「確かに俺も今回の件で、奴らの一面しか見ていなかったことがわかった、が……」
「鷹村さん?」
「いや。何でもない。ちなみに砕けるのは避けたい」
「えー何度でもリトライできるのがわたし達の強みだって言ったの鷹村さんじゃないですか」
「理論的にはそうだが精神疲労が溜まるからな。ああそうだ。藤堂さんセルフチェックは」
「少し前に実施しました。三十-三十八です。そういえばもう少ししたら帰還タイマーが鳴る頃合いですかね」
彼女の述べた数値は、精神汚染度と疲労度の自己判定数値だ。精神汚染度が高まるとリアルとアンリアルの混同が起こり、復帰困難、最悪の場合廃人になるリスクがあると言われている。また精神疲労度が高くなると、所謂失神のような状態に陥ってしまい、場合によっては重度の後遺症が残ってしまうこともある。
これらの数値の使い方は色々あるんだが、まあ簡単に言うと五十が見えたらさっさとログアウトした方が良い、という感じだな。
そして帰還タイマーとは事前に設定しておいたログイン経過時間のことで、この時間になると帰還を促すアナウンスが流れる仕様になっている。
「よし。じゃあ俺は腹を括る。藤堂さん。木村と美琴、一条、この三人はお互いに何か持ち合わせている。それは今までの感じからして間違いない」
「はい。じゃなくてえ? なに一人で勝手に何やら括っているんですか?」
「木村から情報を引き出すにはカードが足りない。一条は今回失敗したから次の周にならないと厳しい。だったら残るは美琴本人に聞くのが手っ取り早いと俺は思う」
「それはそうですけど、美琴ちゃん休んでて出てこないじゃないですか。ちなみにわたしは括られて楽しむ趣味はないです」
「そうだ。連絡しても返事すら返ってこないし、家に行っても応答がない。これは彼女に何らかの事態が起こっているか、あるいは応答する意思がないことを表す」
「だったら腹も括り紐もなく、手詰まりですね。聞いてますか鷹村さん」
「大丈夫だ聞いてる。家になら入れる」
「いや、えっと。は?」
「木村と一条の口をこじ開ける方法は現状見つからないが、美琴の家に入る方法なら案はある。藤堂さんは得意なんじゃないか。RPGでは常套手段だろう?」
「えー、まさか鷹村さん」
俺はにやりと笑って見せてやる。
「学園で手がかりが得られないなら捜索場所を変えるしかない。美琴の家に侵入する」