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22話

「藤堂さん、呼んでるよ」


 授業修了の合図が鳴り、鞄からうりちゃんを出している時、クラスメイトからそう促されて入口を見遣る。教室の外でにこやかな笑顔の秋月遼が立っていた。

 ……鷹村さんと話したかったんだけど、仕方ない。わたしは溜め息をつくと、席を立った。




「どうしたんですか秋月先輩」


 入口から少し離れた廊下の窓際で、秋月遼と対峙する。開け放たれた窓から射し込む光が眩しくて、わたしを見下ろす秋月遼の表情は今一よく見えない。

 でもきっと彼はいつも通りの笑顔を浮かべているんだろう。わたしと同じように。


「うん。円架ちゃんに会いたかったんだ」


 ……下の名前で呼び始めるのは、もっと好感度が上がってからではなかったかしら。

 不審に思って彼の上背を見上げると、首を傾げた彼の目元に長めの黒髪がさらりとかかる。彼の瞳に温度はない。やっぱりこれは低好感度の時の秋月遼だ。


「わたしやることあるんで、用事がないならこれで失礼します」

「つれないな。ちょっと待って」


 さっさと切り上げようと体を反転させると、トンと壁に手をつかれて行く手を塞がれた。いつの間にか壁と両腕に囲われている。

 しらじらと顔を見上げてやると、少しだけ淋し気な微笑みを返された。


「僕が円架ちゃんに会いたいと思うのは迷惑かい?」

「わたしは用があると言いました。それは何より優先させたいことなんです。可愛い友人や、楽しい学生生活より。だからこんな所でのんびりしている暇はない。()()()()()()()()()()()?」


 わたしの言葉を笑顔のまま飲み込んだ秋月遼が、言葉の意味を理解すると同時に瞳を見開いた。その隙に彼の腕の囲いから抜け出そうとしたが、彼が気付く方が一足早かった。ほんの僅かの差で囲みをずらされ抜け出せない。


「円架ちゃん、今の言葉の意味を聞かせてもらってもいいかな」

「こんな所でする話ではありません」

「じゃあ移動しよう。君の手を今離してしまったら、二度と君の口を開かせることはできない気がする」

「わたしには先輩とお話する気はありません」


 言い争いの様相を呈してきた男女の会話に、生徒達の耳目が集まる。好奇心にまみれた視線に、うまくあしらえない自身に、わたしは焦燥の念を抱き始める。


「まどか」


 ぽんと何気なく差し出された第三者の声に、わたしと先輩は同時に顔を上げた。

 廊下の真ん中に、白い肌にヘーゼルアイを持つ少年の姿があった。


「セオ」


 助かった気持ち半分、今は会いたくなかったという気持ち半分で溜息をつく。前門の虎、後門の狼。虎と狼ならどちらが可愛いかしら。どちらも笑って牙を剥き出しにしてきそうだけど。

 セオはちらりとわたしの背後を見ると、首を傾げた。


「ごめん、お取り込み中だった?」

「いいえ別に。どうしたのセオ」

「さっき僕の所に来てたでしょ? 直接話しにきたんだ」


 わたしは少し考えて頷いた。鷹村さんが言うように、今は積極的にセオと話して情報を引き出すべきだろう。


「わかったわ。じゃあ──」

「ねえ木村君。君は少し無神経過ぎじゃないかな」


 背後からかけられた冷ややかな、冷酷とも言えるその声に、一瞬反応が遅れた。

 ゆっくりと振り返ると、秋月遼が温度のない微笑みのまま、わたしを通り越えてセオを見ていた。


『──……だ』


「センパイ。僕のことはセオでいいよ。それで何をそんなに怒っているの?」


 そう。こんなにわかりやすく喧嘩腰な秋月遼は珍しい。

 彼はただ唇だけを動かす。微笑んだままで。


「君の最近の行動は聞いているよ。あちこちで人を困らせているみたいだね。特に生徒のプライバシーに土足で踏み込むような行為が多くて、生徒会長としては見過ごせないレベルだ」


 セオが口元に手をあてて少し考えるようにした後、静かに問う。


「ふうん。でもそれ、まどかのことじゃないよね」

「当然彼女のことも含める」

「でもまどかは、先輩から逃げようとしているように見えたけど?」

「それは君が決めることじゃないよ。それに彼女を傷つける怖れがある要注意人物の君の元に、はいどうぞと彼女を送り出す訳にはいかないな」

「僕はまどかを傷つけるつもりはない」

「今までの君の行動を見ていると、それは信用できない。君だって自覚しているだろう? 君の無神経な行動のせいで彼女()は傷ついている。全ては君のせいだ(・・・・・・・・)


『君のせいだ』


 秋月遼の声がダブる。わたしの目の前にここではない静寂に包まれたリビングが広がる。

 白いカーペット、額縁、セオの綺麗な笑顔、映る炎の灯、どこかセオと似た金髪のお祖父さん。彼が笑おうとして、失敗した歪な笑顔でお礼を言ってくれて、わたしはそれにうまく返せなくて、先輩が、


『木村君が何を追っていたのか知らない。でも彼は自らの分をわきまえていた。そこへ君の存在が加わった。君は気軽に背中を押してしまったね』


 いつも聞き惚れてしまういい声が、何故か酷く聞き取り辛くて、抑揚も何も感じられなくて、


『そんなつもりはないと君は言うだろう。わかっている。いつも君は無責任に無思慮に人と関わる。君が与える影響を考えもしなければそれによる結果を自分のせいだと思いもしない。だけど木村君は、君がいたから、そこに君がいたからこそ……向こう側へ足を踏み出してしまったんだよ』


 悲しそうで、諦観の瞳で、心が爆発して気持ちがからっぽになったかのように、ただ静かな声で、わたしに


『木村君が死んだのは、君のせいだ』


「はい。そこまでー」


 パアンと弾けるような大きな音と共に、驚く程クリアな声が響き渡った。耳に周囲の喧噪が戻ってくる。視界に沢山の人の姿が戻ってくる。

 わたしと、そして未だに険悪な応酬を繰り広げていた二人の視線が一斉に音の出所へ向かった。

 そこにはいつの間にか四肢の長い長身の男、数学教師の鏡がいた。彼は打ち鳴らした両手を下ろすと、場違いな程爽やかな笑顔を浮かべた。


「皆さーん、そろそろ授業なので教室に戻りませんか? 特に秋月君、木村君。君達の教室はここから離れています。違反実績を積みたくなければ戻りましょうね」


 そして彼はそのまま先輩とセオの間に割って入ると、長い手をわたしの体に伸べた。トンと肩にかかる暖かな重み。目のあったセオが驚いたような表情を浮かべた後、何故か頬を歪める。


「さ。男子の喧嘩は仕方ないものですが、これはあまり格好良くないですよー。君達ならわかりますよね? はい解散解散」


 切り替えが早かったのは秋月遼だ。彼は逡巡することなく頷いた。


「失礼しました。ご忠告ありがとうございます先生」

「……僕は、僕はまどかを傷つけたいんじゃない。なのに……ごめんまどか」


 セオが今にも泣き出しそうな顔でわたしを見ている。

 でもわたしの唇が彼の名を紡ぐ前に、彼は体を反転させると秋月遼の後に続いて廊下の向こうへ行ってしまった。わたしの言葉は音となることなく消えてしまう。

 ふと肩にかかる重みが増し、そういえばまだ手を置かれたままだったなと思い出す。大きな手、紺のスーツに包まれた長い腕、細身だが広い大人の肩、きっちり第一ボタンまで留められた襟元、鋭利な顎、そして涼やかな目元。順に辿っていくと、その目がすぐ近くから真っ直ぐにわたしを見詰めていた。

 彼の視線は、苦手。


「藤堂さん、どうしますか?」

「……え?」

「貴女が辛いなら、このまま教室に入らずにどこかで休むことも可能です。逆に違反を犯して木村君や秋月君を追うこともできる。選ぶのは貴女です。どうしたいですか?」


 彼の目はただただ静かにわたしに注がれていて。それはわたしの全てを受け入れてくれると錯覚しそうな程で。

 彼の声は、どこか縋りつきたくなるような色を孕んでいて。だから。

 ────だからこそ。もう二度と(・・・・・)そうしたくないと思わせるのだ。


「──嫌だなー先生。ちゃんと授業に出るに決まってるじゃないですか。安心して下さい。真面目な一生徒としてちゃーんとやりますから」

「……そうですか。わかりました」

「でも意外だなー。先生がそんなこと言っちゃうんですねー。ルールに則った行動をしなさいってお決まりの台詞を言われるかと思ったのに」


 笑いながら空虚な台詞を紡ぎ続けるわたしに対し、背を押して教室へと促した鏡先生は目元を弛め、労わるような、少しだけ苦みを混ぜた淡い微笑みを返した。


「生徒の歩みを守るのが、僕の仕事です」






 その日の授業が全て終わると、わたしは即座に教室を飛び出した。

 後ろでわたしの在室を問う聞き覚えのある声がしたような気がしたけど、きっとわたしの気のせい。

 下駄箱を抜けて校庭の端にあるコート場に向かう。校庭にはまだ人の姿がまばらなものの、行動の早い運動部の生徒が自主連を始めているのが見られる。

 テニスコートはまだ開けたばかりのようで、ボールが山盛りになった籠を抱えた少女が、いそいそと入口から入っていく所だった。


「あ! ちょっと待って! すみません!」

「はい?」


 一年生らしいその少女は、後頭部で括った黒髪を尻尾のように揺らして振り返った。


「わたし二年の藤堂と言います。三年の一条さんに用があるんだけど、まだ来ていないかしら?」

「雅先輩ですか? 今日は体調不良でお休みですっ」

「そう。明日ならいる?」


 少女は少し考え込むように唇を結んだ。


「うーん。最近雅先輩調子悪いみたいで。休みがちなんでわからないです」

「……それはいつ頃から?」

「えと、二週間前くらいからだったかとっ」

「わかったわ。ありがとう」


 急ぎ足でコートから離れながら思う。二週間前というと、高坂美琴が休み始めて少したった辺りだが、関係性を見出すのは穿ち過ぎだろうか。


「藤堂さん」


 校庭を抜けて正門に着く前の砂利道を歩いていると、背後から声をかけられた。鷹村さんだ。彼は急ぐでもなく悠々と歩み寄ってくると、わたしの隣に並んだ。


「鷹村さんも帰宅ですか。学校での行動は終了ですか?」

「ああ。家でやりたいことがあるんだ。さっき日村──サポートキャラから美琴の長期休み前までの約二週間の行動や様子に関する調査結果を聞いてきた。ついでに各NPCの最近の関係性や変化について調査依頼をかけた」

「ありがとうございます。何かわかりましたか?」

「──そうだな」

「鷹村さん?」


 正門を出て歩く道すがら、言い淀んだ鷹村さんの顔を下から伺うと、ちらりと彼が横目でわたしを見下ろした。三歩分不自然な間をあけ、鷹村さんが口を開く。

 だがその時、彼の瞳が驚愕に見開かれた。


「───一条?」


 数メートル先の脇道から、ふらふらと一条雅が後退るように出てきた。道の先を見ているようで、ここから顔は良く見えない。しかしどこか様子が変なことだけはわかる。


「鷹村さん」

「ああ」


 走り出した鷹村さんの後を追う。危なっかしい不安定な足取りの彼女が、躓き倒れるのを寸前で追い付いた鷹村さんが支える。


「藤堂さん! 変わってくれ!」


 鷹村さんが怒鳴ると同時に手放した一条雅の体がぐらりと揺れる。崩れ落ちる寸前に体を捻じ込み、何とか彼女の転倒を防ぐ。


「ちょっと! 鷹村さん!?」


 危ないではないかと抗議しようとしたわたしの唇が、そこで凍り付いた。あれは、なに。


 ────朱だ。道の先で。鷹村さんが向かった先で、どろりと鮮やかな朱色が、大地を染めている。


 そして人が。大地に。ああそう、倒れているのは人だ。


 栗色の柔らかな糸が大地の朱を吸って、染まる。先端が朱に。

 土と濃い朱に濡れた、指。そう指が、大地を差していて。


 鷹村さんが、手をその首に、押し当てるように。

 鷹村さんは、何かを叫んで、ばさりとソレを反転させて、

 だらんと垂れたその頭が、さかさまになった顔が、

 それは、それは


「…………せ、お」


 ちがう。セオじゃない。

 だってわたし、会ったばかり。

 セオの目はこんなに濁った色じゃない。

 セオの肌はこんなに青白くない。

 白くて、ただかさついた唇から垂れる朱が。たった一つ。鮮やかな、


「あ、あ……あぅ……」


 しわがれた声。

 鷹村さんの手が、セオの体を這う。

 鷹村さんの手が、真っ赤に染まる。

 わたしは何もできない。

 わたしは何も。


「わた、しの……せい」


 金切声が響く。わたし? わたしが叫んでるの?

 ちがう。わたしは


 周囲の全てが薄くなる。

 セオが消えてゆく。


 ダメ。わたしは、だって

 わたし








『プレイヤー藤堂円架、陥落(かんらく)しました』

『プレイヤー鷹村理人、陥落(かんらく)しました』


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