夏、さよなら
今年の夏も例年通り殺人的に暑い。ここのところの暑さは思い出すのもはばかられるような、そんな暑さだ。今日もそんな夏の例に漏れずうだるように熱く、射す日差しは体に刺さるような強さで辺りを照らしている。日陰からぼうっとそれを眺めていると、私はふと昔のことを思い出した。昔の、夏がこんな暑さではなかった頃の。あるいは、夏の暑さが辛くなかった頃のことを。
蝉が今日もやたらとうるさくて、僕はやむなく目を覚ました。僕は毎日コツコツ宿題を進める真面目君なので、今日もやるべきことを片して、予定通りに宿題が全部終わって、悠々と昼寝をしていたのに。ちょっとくらい静かにしていてくれてもよくないだろうか。仕方ないな、漫画でも読もう。そう思って立ち上がると、呼び鈴が鳴った。
「・・・君、いますかー?」
あ、シノだ。どうしたんだろう。
「よっ、なにしにきたの?」
「暇だったから来た。なんかしよ」
シノは相変わらずだった。気づいた時には一緒にいたからこいつのことはよくわかってる。シノは変なやつなのだった。宿題は期日通りにやったことなんてないし、でもテストは満点だし、急に来てはなんかしよ、と誘ってくるやつなのだ。しかも、なんかしよ、の中身があったことは一度もない。
なかったので、次に続いた言葉に僕はすごく驚いた。
「いや、間違えた。なんかしよ、じゃなかった。夜、散歩しよ」
「夜って何時くらい?」
「日付変わってから。面白くない?」
僕は真面目君なので、10時くらいには寝ていたので、戸惑った。
「え、でも・・・」
「怖いの?」
「・・・」
夜散歩することになった。
12時を過ぎて起きていたことも、こんな夜に外に出るのも初めてだったから、僕の目はすっかり覚めてしまった。
「こんばんは、・・・君。眠い?」
「こんばんは。眠くない。どこか行くの?」
「どこも。夜に適当に歩いてみたかっただけ。じゃあ行こう」
シノはそういって懐中電灯を片手にすたすた歩いていく。僕もおっかなびっくりついていく。よく知っているはずの道なのに、暗闇の中ではまるで知らない場所のようだった。
「夏休みが終わる日にも、知らないことしたかったんだ。真っ暗闇の中歩くのってドキドキするね」
シノは振り返ってそういった。あんまりにも突然だったので変な声が出た。
「怖いの?」
「べつに・・・」
シノはなんだか楽しそうに笑うと、僕の手を握った。
「なんだよ」
「これで怖くないでしょ」
「なにそれ」
よくわからないけれど、シノがなんだかうれしそうなので、僕も力が抜けた。
僕らはそうしてあてどなくそこらを歩いて回った。歩きながら、いろいろな話をした。僕が話して、シノが聞くなんて、いつもと違って新鮮だった。どれだけ歩いていたのか、だんだんと日が昇ってきた。そろそろ解散かな、というとき、シノがぽつりとこういった。
「私、引っ越すんだよね」
「え」
「今日はここにいる最後の日だから、・・・君に会っておこうと思って」
「うん、最後に・・・君に会えてよかったな。今までありがとね」
そう言って去っていくシノに僕は頭が真っ白で何も言えなくて。
「あ、そうだ」
シノが振り向いて近づいてきて。
「好きだよ、アキラ君。多分初恋」
頬にキスをして、今度こそ去っていった。
そんな、遠い遠い夏の思い出。私は確かにアキラくんだったな。
ずいぶん経って、おじさんになってもなお褪せない、鮮やかで淡い記憶。
「なにしてんですか三浦さん、早く行きますよ」
部下の声に適当に答えながら、私は三浦として社会に復帰する。アキラ君だったころの、多分初恋の、夏の思い出に手を振って。