11 えこひいきです
ビアンカが学園にもどり二週間後に中間試験があった。彼女なりに頑張ったが、三ケ月の遅れが、致命傷となり、結果は惨憺たるものだ。それに父公爵は激怒した。
「サティアスをみろ。サティアスは二ケ月以上、お前を探していて、学園を休むこともあったが、成績は一位だぞ? なのにお前はどうだ。五十位にもはいっていないではないか」
ビアンカは父の理不尽な叱責に涙目になる。
「三か月分の遅れがありますし、私は記憶を失っています。お兄様が一番なのは単に優秀だからです」
「馬鹿な、何を言っているんだ! 別にあいつはそれほど優秀ではない。お前なら、サティアスを越えられるはずだ。今日から休みはないと思え、上位十位以内に入るまで勉強だ」
その言葉にビアンカは絶望した。もはや言っていることは矛盾しているし、そもそもなぜここまで父はむきになるのだろう。というか成績一位の兄を超えろとか意味が分からない。
どうせ娘を政略結婚させるつもりなのに、そんなに勉強させてどうするのだろう。
しかし、サティアスには父に逆らわないようと口を酸っぱくして言われている。言いたいことは山ほどあったが、ひたすらうなだれて、嵐が去るのを待った。
執務室を出ると扉の前にサティアスが立っていた。
ビアンカはこれ幸いと長兄に不満を漏らそうとしたが、シーっと人差し指をたてられてしまった。
「ビアンカ、後で聞くから、今は自分の部屋へ」
そういうと彼はビアンカと入れ違いに部屋に入っていった。仕方ないので、兄の言う通り部屋へすごすごと戻る。
貴族の生活がこれほど大変だとは思わなかった。ビアンカの思考はずぶずぶと沈んでく。
しばらく落ち込んでいると、こんこんと部屋をノックする音が聞こえた。
「ビアンカ、はいるよ」
兄だ。扉を開けて入ってきたサティアスにビアンカは飛びついた。
「お兄様! ひどいのよ。お父様ったら」
ビアンカは兄に泣きついた。父の吐いた暴言を逐一報告する。兄は口を挟まず黙って聞いてくれた。
「それで、ビアンカはどうしたいの?」
「私ですか? 修道院に帰りたいです」
きっぱりと言い放つビアンカに、兄はため息をつく。
「そうじゃないでしょ? いま、何をしなければならない」
「……勉強です」
俯きながら、消え入りそうな声で言う。兄は妹の言葉に頷くと立ち上がる。
「じゃあ、頑張って」
「待ってください。お兄様!」
ビアンカが、サティアスのシャツをひしっと掴む。サティアスはやっとビアンカの泣き言から、解放されると思っていたが、そうではなかった。
「でも、おかしいです。なんで私がお兄様よりいい成績をとらなければならないんですか?
お父様ったら、すぐお兄様を引き合いにだすのですよ。おかしいですよね? お兄様は常に学年トップだって家庭教師の先生方からも聞きました。そんなお兄様と比べることじたいどうかと思います。
それなのにですよ? ジュリアン兄様は、中の上の成績で「まあまあだな」とか言われて叱責を受けないんです? おかしいではないですか」
唇をとがらせ兄に訴える。
「ジュリアンは、ちょっと違うんだ」
対するサティアスの答えは歯切れが悪い。
「違う? 同じ学園に通っているではないですか! 何が違うのです。依怙贔屓です。狡いです」
「隣同士だが別の学校だ。敷地が違うのだ」
「はい?」
ビアンカはきょとんした。そんな話は初めて聞く。
「両校の間に渡り廊下があり、カフェテラスやサロンは行き来できるし、共用部分もある」
「どういうことですか?」
目をぱちくりさせるビアンカを見てサティアスが苦笑する。
「平たくいうと、ジュリアンが通っている学校は魔力がなくても大丈夫、僕らが通っている学校は魔力がなければ入れない。だから学ぶことが少し違うんだ」
「えーー! ジュリアン兄さま、魔力がないのですか!」
サティアスが慌ててビアンカの口をふさぐ。高位貴族にとって魔力がないのはほぼ致命的だという事をビアンカは学園で教わった。
「声が大きいぞ。ビアンカ!」
ビアンカはもごもごした。
「今、手を離すが、絶対に大声をだすなよ。使用人がドアの向こうにいる。
それから、ジュリアンは魔力がないわけではなく。魔力が弱いんだ。僕たちの通っている学校の基準に満たないから入学が認められなかった」
こくこくと頷くと、サティアスがやっと手を解いてくれた。
「お兄様、私が記憶喪失だという事は皆、ご存じですよね」
ビアンカは兄にまた口を塞がれないように、声を潜めた。
「ああ」
「ならば、なぜ、誰もそのことを私に教えてくださらないのですか!」
「ジュリアンはというより、母上はそれを恥と思っている」
そんなものだろうか、とビアンカは首を傾げた。
「だから、この家でその話はタブーなんだ」
「わかりました。言ってはいけないのですね。気を付けます。それともう一つ、私はなぜ、お兄様と比べられなければならないのですか?」
「まだ、そこにこだわっているのか。同じ学校だからだろう」
兄の返事は簡潔だった。
「ジュリアン兄さまが羨ましい」
ポツリと愚痴がでる。
「ビアンカ! 間違ってもそんなこというなよ」
兄が怖い顔をしてビアンカを睨みつける。
「はい」
怒った兄は怖い。ビアンカは小さくなって返事をした。今度こそ兄が立ち去ろうとする。
するとビアンカがまた彼のシャツを引っ張った。
「ビアンカ、いい加減にしないか、服が傷むだろう」
「お兄様と私が仲良くすると何か不都合でもあるのですか?」
ビアンカの問いに、ふとサティアスの表情が翳ったような気がした。
「……なぜ、そう思う」
「お兄様、家ではすぐ私のそばから離れようとするから」
「別に逃げてなどいない。気のせいだろう」
答えるサティアスの表情は読めない。ビアンカは不満だった。
「お前は余計なことは考えなくていい。父上の言う通り、しっかり勉強するんだ」
兄がそういうならば仕方がない。
「それともう一つ」
「まだ、あるのか」
うんざりしたような顔をする。一刻も早くこの部屋から出たいようだ。
「お母さまは、どうして、ジュリアン兄様ばかり可愛がるのでしょう? 別に私、お母様に苛められているわけではないからいいのですが……」
兄がしばらく沈黙する。
「今は知らなくてもいい。あわてなくてもそのうち思い出すだろう。ゆっくり知って行けばいい。とにかくもう勉強してくれ。分からない所があったら、学園の図書館に来い。時間がある時はおしえてやる。これでいいか?」
ビアンカは不承不承頷いた。兄ともう少し話したかったが、彼は自室に戻りたがっている。困らせているようなので諦めた。
この家はビアンカの生家のはずなのに、他人の家に仮住まいしているようで居心地が悪い。
――サティアス兄様、味方になってくれないのだろうか……。
ビアンカはその日心細い気持ちで床に就いた。




