魔王と聖女の転生日記 6
次の日の朝、早くに目が覚めた俺は服を着替え、静かに庭へと降りた。まだ屋敷の者たちが寝静まっている間に確かめておきたいことがあったからだ。
庭へと着くと今度は屋敷から離れた人目につきにくい場所を探す。あとはそれなりに広さがあることと、燃えやすいものが少ないこと。俺は何かを壊すようなヘマはしないが、念には念を入れることにする。記憶が戻ってすぐに騒ぎを起こしたくはない。
庭はなかなか広かったため、その条件にあう場所を探すのには苦労しなかった。最終的に屋敷からは大分離れた池のところで行うことに決めた。
「そうだ。池といえば」
前世で人間のことで面白そうなことを聞いたのだった。ちょうど良い。試してみよう。
俺は靴を脱ぎ、池水の表面に足をつける。ぐっと力を込めれば、ずぶりといとも簡単に水は俺の足を飲み込んだ。
ほう、と俺は興味深いとしげしげと己の足を見つめた。
「やはり、人間は水の上に立てないのか」
魔族であった頃は何も意識をせずとも、歩こうと思えば池でも湖でも海の上でも歩くことができた。勿論、その中に潜りたいのだと考えれば、そう思った時に水の中に潜れる。
今は水の上に立とうと考えた。しかし、予想とは違って現実では俺の足は水を踏むことはできない。当たり前にできると思っていたことができないというのは、逆に新鮮な気持ちになる。
「最初に聞いた時は何とも俺たちとそう変わらない姿だというのに、不便なものだと思っていたが…思い通りにならないというのもなかなか面白い。しかし、今は…」
これからすることを考えれば水の上の方が何かと都合が良いだろう。
俺は一度水に浸していた自分の足をまた地面へと戻し、そして、今度は意識して足に魔力を流す。
ーーーーー水の精霊よ。水上を自由に歩める脚を貸せ。
「さて、成功するか試すとしよう」
俺は前世ではよく趣味で魔法を作っていた。正確な魔法の知識とその魔法式を組み合わせるセンスさえあれば、魔法を作ることはそれほど難解なものではない。
俺は、池の水に再度足を入れた。今度はその足は水の中に沈むことなく、足の表面には床と同じ固い感触がある。どうやら成功したようだ。
もう一本の足も入れて、数歩歩み、歩けることを確認した。
「前には呪文さえいらなかった行動のために、新しい魔法を作ることになるとは。しかし、人間の身体でも手間はかかるが、できないこともないのだな」
では、他の魔法はどうだろう。
今日はこのために俺は来た。何をやるにしても現時点の実力を知っておくのは重要だろう。前世で使えた魔法がどれだけこの身体でも使えるのかを確かめるために来たのだ。
「水の上だから周りの被害も少ないだろう。炎を出す魔法でも使うか」
その方が炎の勢いで魔力量を計りやすいはずだ。
俺は空へと手を向けた。
ーーーーー黄泉に燃える地獄の業火。我の敵は罪人なり。罪人には相応しい苦痛を。その業の深さに見合う責め苦を与えたまえ。
ゴウッッ…と手の平から全てを焼き尽くすほどの火炎が出現し、空へと放たれる。炎はそれほど広範囲には広がらぬようにという俺の意思の通りに、ある程度の高さまで伸びると風に揺れてかき消えた。
人間の身体にしては上出来だ。少なくとも前世で俺に挑んできた勇者たちの技の数倍は威力があることは確かだろう。
取り敢えずその勇者たちよりは強いのだから、何かあっても人間社会でもどうにか食ってはいけるのではないだろうか。
一通り観察を終えて俺は魔法を止め、今度は自分の手が負傷していないかを確認する。
「火傷は…ないか。数を出せば分からんが」
取り敢えず、この程度の初歩的な魔法ならば、耐えられなくもない身体なのだと分かって安心した。いつもの癖で魔法を使おうとしたはいいものの、火達磨になって自爆する…なんてことは避けたい。
今日はこれくらいでいいだろう。迎えも来たようだしな。
「アリス」
「…!気付いてたの?」
気付くも何も、そんな隠れ方ではな…。そんな腑抜けた魔王ならば即座に首を切られて終わりだぞ。そんな奴がいるなら是非とも会ってみたいが。
木の影から隠れるように立っていたアリスが驚いたような声を出して姿を現す。「朝食。部屋に居なかったから」とアリスは言う。
朝食ができて部屋に俺を呼びに行った所、俺が居なかったから探しに来たということだろう。
「レオ。水の上。どうやってるの?」
あぁ、人間は水の上に立つことはあまりないだろうからな。驚くのも無理はないか。
歩きたいのか?と俺が聞くと、アリスは食い気味に何度も頷いた。