画家 17
見覚えのない天井だった。染みのある、古い建物の天井。
寝惚けて覚醒しきっていない頭で、ぼんやりと、俺の城ではないな、誘拐でもされたか、誘拐であるとして次にとるべき行動は、と考える。「起きた?」声をかけられた。やっと目が覚めてくる。
あぁそうだった。城も何も俺は一度死んだのだった。
「アリスか」
「うん」
記憶を引き出していき、アーラの家に来て幽霊に魔法をかけたところまで思い出すと、ソファに寝かされていた身体を起こした。
アリスが隣に立っていて、彼女の後ろには何故か床に倒れたまま放置されたアーラ。スヤスヤと気持ちよさそうに眠っている。…何故、床に?
「あれは何だ」
「倒れたアーラ」
「分かっている。どうして倒れてるんだ?」
「寝たから」
「床で?斬新な寝方だな」
そこまで話して、ふとアリスに違和感を感じた。
「何か不機嫌じゃないか?」
「別に」
ふいっ、と顔を横に向け、視線を合わせないようにするアリスが、へそを曲げているのは目に見えて明らかだった。アーラが固い床に放置されていることも関係しているのだろうか。
彼女の性格を考えれば、どうにかベッドで寝かせてやろうとするだろうに。
機嫌を損ねた理由が検討もつかず、首を捻っていると「君たちが勝手に倒れたからだよ」と男の声がした。椅子に立て掛けられた絵がこちらを向いている。
「幽霊か。説明をしてもらっても?」
「オーケー」
「助かる」
「まず君が気を失ってから、画商が来た」
「…画商が?」
「そう。タイミング悪くね。それで血だらけの君と妹を見せる訳にはいかないってことで、俺たちは隠れて、アーラ一人で対応することになったんだ。忘れ物を取りに来たとか言ってたけど、無理に家の中に入ってきた」
「続けてくれ」
「で、多分アーラが自分が犯した殺人のことを知ったんじゃないかって怪しんだみたいで、ほのめかして尋ねて、アーラの挙動不審さに何か知ったと確証を得る。そして持ってきていた酒を飲むように強いた」
「では、このアーラは死体か?」
「いいや、寝てるだけだよ。君が渡していた液体で、薬物は無事に無毒化。だけど睡魔に負けたんだろうね、画商の目の前で寝落ちしたんだ。運よく画商は薬物のせいで死んだ、または意識を失ったと思ってそのまま退散。傑作だったよ。騙されたアイツにざまぁみろと思ったね」
「なるほど。状況は把握した」
俺がいない間に、アーラたちは命の危険にされされていたらしい。これは俺の落ち度だ。幽霊の魂を使った実験を優先し、画商からアーラを守るという役目を果たせなかったのだから。
これは責任を取らねばな。
俺はソファから立ち上がり、アーラの近くまで歩いて、彼の肩を揺する。
「アーラ。一度起きてくれ」
「んにゃんにゃ…へへ…ぐへへっ、僕は鳥だぁ。七面鳥になるぅ…ぐふふふ、僕、美味しい…んにゃ…」
「鳥になった自分を食ってるところ悪いが、そろそろ起きてくれ」
「ぐへへへへ…僕のレバーって美味しいんですねぇ…んにゃ」
「肝臓はアルコールを分解する際に必要だ。食べずに体内に戻しておけ。というか起きろ」
「んにゃ…」
起きる気配がない。「私も何度もやった、でも駄目だった」とアリスが不満げな顔をしながら言う。ふむ、普通の起こし方では駄目か。
「おっと、こんなところに新種の鳥が」
「新種?!どこですか!!…って、へ?」
「おはよう。俺も先ほど起きたところだ」
「おはようございます?」
新種の鳥がいると聞いて、寝ていたはずのアーラは飛び起きた。どこだ、どこだ、と視線を彷徨かせ、自分の家であることを確認してから俺たちがいることに不思議そうにする。そして、はっとした顔をした。
「お酒!僕、お酒飲みましたよね?生きてます?」
「幽霊の仲間入りはしていないようだぞ。アリスの至聖水が上手く働いたそうだ」
「君の妹さんも無事ですか?」
「この通り」
元気にしているアリスを指差すと、アーラは安堵の溜め息をついた。
「よかったぁ…」
「あぁ。…それで、俺はお前に言っておけねばならないことがある」
「何です?」
心当たりがないのかアーラは首を横に傾げる。俺はそんな彼に近付いて頭を下げた。
「すまなかった」
アリスたちが驚く気配がした。恐らく俺が謝れるとは思っていなかった、というところだろう。アーラはどうか知らないが、サルトやアリスは俺に対して随分と偏ったイメージを持っているようだからな。
「この件で、できる限りお前を守ると約束した以上、俺は最善を尽くさねばならなかった。しかし実際には知的好奇心を優先して気を失い、画商の来訪の際にお前を守らなかったことは、誤魔化す余地もなく俺の失態だ」
俺は対等な立場での取引や契約、約束を重んじる。
世界は不公平だ。理不尽だ。信じた者から裏切られても、時には殺され、仲間だと言った口で次の日には他人だと言う。裏切り、裏切られ、騙し、騙され。それが当たり前だ。
間違っていると吠えても世界は変わらず、残酷な現実を受け入れず順応できない者から、餌食になって搾取される側に回る。俺も生まれてすぐに世界のルールを理解して、規則に沿って生きるようにした。
しかし、すぐに面倒だと感じるようになった。日常的に行われる腹の探り合い、騙し合いに嫌気が差したのだ。
だからやり方を変えた。世界は不公平だ。だからせめて。自分が結んだ、対等な立場同士の取引には俺は誠実に向きおうと決めた。取引内容に嘘は吐かない。不利になることを積極的に話すことはしないが、聞かれれば隠すことなく答える。
取り決めを守るなら手は出さない。例えその取引で自分がいいように使われる結果になったとしても、相手の思惑に気付けなかった自分が悪い。
だが、約束を違えれば罰を与える。どれだけ親しい人が相手だとしても。…そして、それは自分自身にも当てはまる。
アーラを画商から守るよう努力すると言った。運よくアーラが怪我を負うことはなかったが、彼が命の危機を感じている時に惰眠を貪っていたのは、約束を違える意思があると見なされてもおかしくない。
俺は懐からナイフを取り出し、アーラに柄の方を差し出した。それと共に自分の右手も差し出す。
「俺の腕、切り落としていいぞ。契約違反の代償だ」
「丁重にお断りさせていただきます!!」
瞬時に断られ、えっ、と一瞬固まった。が、すぐに気を取り戻し「何故?」と理由を問う。
「こっちの台詞なんですけど?!何がどうして腕を切り落とす話になったんですか?!」
「契約違反、職務怠慢への罰」
「結構前から思ってたんですけど、レオ君物騒すぎますよ。知ってます?人の四肢ってね、一度失ったら生えてこないんです。髪とは違うんですよ。髪も毛根が死滅した人は一度失ったら生えてこないんです。つまりですね、自分の身体大事にしましょ?!」
「夢の中で、自分の肝臓を食っていたお前に言われたくないんだが」
「夢でしょ夢!!現実は違いますよ」
「腕が嫌なら足でも構わない」
「レモンティーが嫌ならミルクティーでもいいよ、くらいの気軽さで言わないでほしいんですけど?!」
ナイフを手渡そうとする俺と、頭イカれてます?!と叫びながら、ナイフを突き返してくるアーラ。じゃあ自分で切り落とすから箇所を指定してくれ、と言えば、全力で止められる。
大人しくしていたアリスも話を聞いて、アーラの味方をし、何故か黙って俺の背中をペシペシと叩く。叩いてはいるが、全く痛くない。これは俺への攻撃になるんだろうか。やり返した方がいいのだろうか。一体何がしたいんだ。
「つまり、纏めると。俺の身体の一部が欠損することが耐えられないのか?お前の身体でもないのに?」
「そうですね…簡単に言えば…」
本気か?と尋ねる。君こそ本気ですか?と尋ね返される。
どうやら俺が罰を受けることを望んでいないらしい。かといって、全く罰を受けないとなると俺が困る。前世で山ほど契約違反者たちを痛め付けてきた俺が、実際に契約違反を犯したら罰を受けない。許されることではないはずだ。
「では、こうしよう」
ーーーーー鳥よ、お前たちの翼を貸せ。
背中に魔力を集めて、鳥の翼を生やす。手を沿えると触れた感覚がする。そのまま力を込めて、ボキリッと翼の骨を折った。一瞬の痛み、その後に襲うじわじわと熱さを伴った痛みを感じ、「…っ」と息が止まる。
「腕の骨折と同程度の痛みだな。アーラ、ナイフを返してくれ。腕の代わりにこれを切断する」
この生やした翼は第三の腕のようなもの。先日アリスに説明したことだ。翼を折れば腕が折れたような痛みを覚えるし、翼を切れば腕を切ったような感覚がする。
しかも魔法を解けば翼はなくなり、その代わりに肋骨のどこかが折れたり内臓に負荷がかかるだろうが、外見は四肢が欠けるほど目立ちはしないだろう。
痛みがあるのだからある程度の罰にはなるし、アーラが望んだように身体の一部が欠損する訳でもない。これで文句はなかろう。
ん、と催促するように、手を広げるが一向にナイフが渡されない。不審に思って見れば、アーラはプルプルと震えていた。
「何っ、やってるんですかっ?!」
肩に手を置かれ、ガクガクと揺すられる。
「えっ、ちょっ、翼っ、はっ???翼生やせるなんて聞いてないんですけどっ!え???君って人間ですよね?鳥と人間のハーフとかじゃないですよね?なんで翼生やせるですか?いや、何故かなんてどうでもいいです。何、折ってるんです?え?その翼、めっちゃ理想的な比率と形なんですけど。僕でも見たことがないくらい、神の最高傑作としか思えないくらいのバランスなんですけど。え?その理想的な比率を?レオ君は?今?折ったんですか?え?比率は?崩れたんですけど?君、自分がやったことの罪深さ分かってます?一つの芸術作品を台無しにしたも同然なんですよ?神への冒涜ですよ?」
「早口はよせ。聞き取れない。ナイフを返してくれ」
「ナイフを返したらどうする気ですか?」
「翼を切断する」
「は???これ以上罪を重ねると?嫌ですよ。嫌です。拒否します。これ以上芸術的な美しさが損なわれるなんて、僕には耐えられないです。ナイフを渡すくらいなら死んだ方がマシですよ。黒曜石みたいな色を?血で汚すんですか?マジで馬鹿ですか?自然が生んだ最高傑作を?これ以上ないくらいの理想的な翼を?切るって?無理です。画家の端くれとして完璧なまでの芸術作品を壊されるなんて許容できませんもししたら僕は末代まで君を呪いますマジで呪いますから幽霊にでも何でもなってやりますよバッチこいですよだから翼を折らないでください切らないでくださいお願いしますマジでお願い申し上げます」
「長いな。息継ぎできてるか?」
あまり揺すらないで欲しい。折れているから少し動くだけでも普通に痛む。痛みに慣れているとはいっても、俺だって痛みを感じていない訳じゃないんだ。
目をかっぴらいたままものすごい剣幕で早口に説明をするアーラに、うんうん、と適当に相槌を打つ。
お前が狂おしいほど鳥と翼を愛していることは分かったから、さっさとナイフをくれないか。
最終的に、アーラが床に額をこすりつけ、「罰とかマジでいいですから本当に翼とか腕とか切るの止めてください特に翼は」と泣きながら懇願し、契約違反の罰はできなかった。
アーラはまだ生きているので、元々完全な契約違反ではなかったこと、取引相手であるアーラ本人の強い懇願もあり、結局見逃すことになったのだ。
ちなみに、一部始終を見ていたアリスと幽霊は、アーラの剣幕に引いていた。




