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画家 10


画商が帰ったことで、幽霊も動くことにしたのか、キィ…キィ…という音が立ち始めた。



「幽霊か。そう言えば、どうして画商の前ではポルターガイストを使わない?殺したいんだろう?」



彼が返事ができるようにテーブルの上に紙を置いて、俺が尋ねる。縄が動く音も鳴らせるようだが、こちらは音が鳴るだけで害はない。もし危害を加えるとするならポルターガイストだろう。ナイフかフォークでも浮かび上がらせて、画商の首に刺せばいいだろうに。



"刺激 危 ない 何や る か 分から ない あと 重い も のは むり"



書かれた文を見て俺は納得した。



「なるほど。下手にポルターガイストなんてしたら、画商を刺激してしまうかもしれないと。万が一にもアーラが殺されぬよう我慢していたと」



思い返してみると動かしていたのは、カップだけだった。それも完全に宙には浮かび上がらせてはいない。精々揺らす程度だ。怖がらせることはできる。でも殺すほどの力はない。



"そう"


「マジっすか。僕のため?幽霊の方って意外といい人なんですか?」


"君 可哀想 だから"



俺はアリスと顔を見合わせる。



「幽霊に同情されているぞ、アーラ」


「だね。アーラ」


「酷いですよ、二人とも!僕のどこが可哀想って言うんですか?!」


「頭」


「カモ、に、なりやすい、とこ」


"カモ ら れる ところ"



見事に一致した。なんでぇ?と泣き叫ぶアーラは放置して、俺は紙に「今日は幽霊と取引をしに来たんだ」と言う。"俺 と? カモ には な らな いよ"と返ってきた。随分と信用がないな、と苦笑する。



「お前に肉体を与えてやると言っても?」



数秒、何も書かれなかった。驚いたのか。



"ど やって "


「俺の魔法とアーラの絵を使って。なぁ、アーラ?」


「へ?僕、何も知りませんよ?!」



まさか話を振られるとは思っていなかったのか、アーラはびくりと肩を震わせた。俺はバッグを開けてスケッチと、幽霊の手記を取り出す。


そして、手記に挟まっていた小さなスケッチの絵を取り出した。端には自画像、と題名が書かれている。



「アーラにやってもらいことがある。その中の一つは、幽霊の生前の姿を絵に描くこと。これがお前の生前の姿なのだろう?」


"そう"


「アーラ。お前は鳥も上手いが、人物画もそれなりに描ける。スケッチで見せてもらったからな。この男を描いてくれ」


「えっ?いいですけど…絵を描いて何になるんです?」


「絵に幽霊の魂を閉じ込める」


「………はい?」


「だから、魂を閉じ込める」


"でき る の"


「理論上はできる。材料は必要だがな」



俺が言いきると幽霊は"対価 何"と返ってきた。アーラと取引した際、隣で見ていたから俺が無償で何かをしないということは分かっているのだろう。


話が早くて楽だな。少しくらい警戒されている相手の方が俺も慣れているし。アーラは別だった。警戒心がなさすぎて、逆に調子が狂う。



「対価は何も必要ない。この取引に応じてくれる時点でそれが対価だ」


"どう い うこ と"


「つまり、実験台になってくれと言っている。幽霊などそうそう会うこともない。ならば、幽霊の協力を借りて何かを行うことも今後ないかもしれない。霊を相手にした魔法は可能なのか、興味がある。魂を扱う魔法は高度だ。理論上はできるはずだが、失敗する可能性も勿論ある。だから実験例は少ないんだ。お前には成功例の一つになってもらいたい」


"失敗 し たら どうな る"


「よくてこのまま、悪くて消滅。それか、もしかしたら輪廻の流れに戻れるかもしれぬな。今のお前は、死んだら逝かねばならない場所から外れた存在。俺もその辺の知識は詳しくないが、輪廻を回り、またこの世に生まれ変わることもあるかもしれない」



死んでからまた赤子に生まれた記憶のあるアリスなら知っているかと思ったが、彼女も、気付いたらそうなっていた、と言って、死んで生まれる間の記憶はないらしい。


生者には死者の世界は分からないということだ。


俺は首を傾げながら幽霊に尋ねた。



「どうする?強制はしない。あくまでもこれは取引だ。脅しではない」



脅迫は得意だが、今は必要ない。俺がやりたいのは取引で、両者が対等な関係で契約を結ぶもの。本人が拒否すれば潔く引くつもりだった。



" や る"


「取引成立だな」



浮かび上がった赤い二文字に、俺は口角を上げた。


幽霊を絵に閉じ込める際、必要なものがある。まずは特別な絵の具。と、いうことでだ。


ナイフを取り出し、手袋をはめて試験管を取り出す。試験管のコルクを開けて、聖水をナイフの刃にかけ消毒。手袋をしているのは俺の肌に聖水がかからないためだ。


空の試験管を取り出して、もう片方の手で持つ。


準備は終わりだ。絵の具作りに取り掛かろう。



「アーラ。手を出せ」


「あ、はい」



出された手にナイフを添える。



「へ?」


「痛みは最小限に抑える。暴れるなよ。手元が狂う」



ナイフを軽く引き、薄い皮膚を切った。じわっ…と赤い血が溢れ出てくる。素早く血液を試験管に採る。



「いっ…たぁ…」



アーラが小さく悲鳴を上げた。



「…僕の血なんて何に使うんですか?というか、切る前に一言言ってくれません?」


「絵を描く人間の血が必要なんだ。それと、切る前に言えばお前は騒ぎ立てるかと思ってな。自分で切るのも下手そうだ」


「まぁ…確かに切れって言われたら抵抗しますけどぉ…」



描く人間の血は少量でいい。五滴ほど血液を集めたら解放してやった。



「止血はしてやる。あとは、アリス。頼むぞ」



治癒はできないが、血を止めることはできる。アーラの傷に軽く魔力を流すと、すぐに傷口から出血が止まった。


そして、事前に説明され横で待機していたアリスが、アーラの傷口に魔法をかける。




ーーーーー傷口に蜂蜜を。痛みに薬草を。苦しみに慈愛を。足りぬなら、魔力を差し出そう。我は癒しの手を持つ者なり。




彼女が手をあてると、切り傷が徐々に塞がっていく。アーラは感心した声を上げた。



「ほへぇ…すごいですねぇ、二人とも…」


"君 た ち 何者"


「少し知恵があるだけの子供だ。今の、俺たちはな」



家で特別に調合してきた液体を、血液が入った試験管の中に入れて混ぜる。前に集めた薬草や鉱石、そして火力石と至聖水で稼いだ金で買った材料を使って作ったものだ。


その後、別のナイフを取り出した。今度は聖水をつけず、家から持ってきた度数の高いアルコールで消毒をする。ナイフを自分の腕に添え、今度は深めに切った。痛みが走る。



「ヒイッ…痛そう…」



ボタボタッ…と赤黒い血が流れ出た。俺の腕なのに、まるで自分が切られたかのように、アーラが表情を歪める。



「君、痛くないんですか?」


「痛覚はある」


「いや、そういうことじゃなくて。腕を切ったのに眉一つ動かさないなんて…」


「何とも。無駄に痛がる必要もないだろう」


「メンタル強すぎません…?」



精神が強いかどうかではなく、痛みに慣れているかどうかの話だと思うがな。


高度な魔法を使う際、身体の一部を使うことが多い。中でも血液は最も手頃で取り出しやすいものだ。身体を巡るその液体は魔力がよく溶けていて、しかも最低限の生命維持に必要な量さえ残っていればまた体内で作り出される。


今回の魔法は、肉体を用意する者と、魂を入れる者が異なるので、アーラと俺の二人分の血が要る。特に大量に必要なのは、魂を入れる者の血。


傷口を指で広げ、止まることなく体外へと出ていく血を試験管の中へと入れていく。



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い…見てるだけで痛いですよぉ…指で傷口広げてるぅ…ドバドバ出てるぅ…」


「五月蝿いぞ」


「レオ。でも、もう止めた、方がいい。貧血起こす」


「まだ平気だが。…これくらいでいいか」



同様に魔力を流して止血をする。「治癒」とアリスが手を差し出してくる。治癒するから、傷を作った手を出せ、ということだろう。



「遠慮しておく」


「…どうして?」


「治癒魔法でも何でも、お前の魔力が使われる以上俺には逆効果だ」


「でも、痛そう」


「この程度、痛みの内にも入らない」



彼女は不満そうに頬を膨らませた。傷をそのままにするのが落ち着かないようだ。しかし彼女の魔力自体が俺には毒のようなもの。悪化するのが目に見えている。気付かぬふりをした。


次は脱色。このままでは全て血の色になってしまうからな。




ーーーーーー光の七色。七色の光。我は色からの逃れ者、我は色からの逃亡者。肉体に色は気付かず通り過ぎ、かの者の姿は目に見えぬ。



透明化の魔法を利用して色を落とす。バックから顔料を出す。絵の具は、のりと顔料から作られるのだ。しかし、色を何十種類も揃えるのは骨が折れるので、基本的な数種類だけでいいだろう。


容器を出してそれぞれの顔料を入れ、脱色した先ほどの液体と、のりである油で少量ずつ溶かして完成だ。



「できたぞ」



チューブに入れるのは面倒なので容器ごとアーラに渡す。



「え、くれるんですか?!僕に?!」


「何のための絵の具だと思っているんだ。お前が絵を描かねば、作った意味がないだろう」


「絵の具切れてたんで、すごい嬉しいです!ありがとうございます!!ハグしましょう!ハグ!…ぐぇ!」



感極まって抱きつこうしてきたので、俺は避けた。アーラは地面に倒れ、潰れた蛙のような鳴き声を上げた。








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