ハンバーグ作り
アンドレ殿の店から帰った俺は屋敷に着くと、まず父様に説教をされた。何でも俺が頼らなかったことが彼は気に入らなかったようだ。隣に大人がいる時は遠慮なく頼ること、余程のことがない限りは危険だと分かっていることに首を突っ込まないことなど。まるで小さな子に言い聞かせるように、父様は俺に言う。
「とにかく無理はしないこと。分かったね?」
「いえ、あの…」
「分かったね?」
「はい…?」
決して大きな声を出している訳でもない。屈服させるような威圧感がある訳でもない。それなのに、有無を言わない力が父様の言葉にはあって、俺は何となく頷いていた。アリスといい、この両親といい、どうにも調子が狂う。しかも悪意は一切ないのだからどう対処すべきなのか迷うのだ。
俺が一応は頷いたことを見て、父様は「うん。じゃあ、お説教は終わり」とにこっと穏やかな笑みに戻る。
「話は変わるけど、あの至聖水はどうやって手に入れたんだい?僕が渡した材料では作れないだろう。アンドレとも不思議だと言い合っていたんだ」
「アリスに手伝ってもらったものですよ。俺は手を貸しただけです」
「アリスが?」
ええ、と俺は答える。至聖水に関しては、ほとんどアリスが作ったと言っていい。俺がやったことと言えば、作り方を教えたことくらいだ。それもアリスはすぐに身に付けたしな。
「アンドレ殿の話を聞いてこういうものが作りたい、というイメージがあったのですが、俺だけの力ではどうにもならなくて。アリスに手伝ってもらったんです」
こればかりは仕方がなかった。俺が無理矢理作ろうとすれば、産み出されるのは肉体を溶かす毒物だけだ。
「…もしかして、レオが馬車で言っていた悪巧みってこのことかな?」
「その中の一つではありますね。作ってみたいものが多くて。アリスも喜んで手伝ってくれました」
「アリスも成長しているんだね」
成長している…というか、元々肝は座っていたが、それに加えて俺の行動を見て要らぬ知恵を付けたというか。今ではハンバーグを脅しの材料に、俺を顎で使おうとするのだから、なかなか度胸のある奴だと思う。
あぁ、ハンバーグと言えば。母様にレシピを教えてもらう約束をしていたのだった。
母様との約束を思い出した俺は、予定を開けて、料理を教えてもらうための時間を作った。魔法道具の開発や杖の微調整で忙しかったのだが、ハンバーグならば、優先順位はそれらよりも上だ。早くあの美味い料理の作り方を覚えておきたい。
朝食の仕度をしている母様に頼むと、「勿論、いいわよ。お昼はレオの好きなハンバーグにしましょうか。一緒に作りましょうね」と言ってくれた。
今日中にやるべきことを終えて、俺は部屋を出て台所に向かう。そこにはワンピース姿にエプロンをかけたアリスが立っていた。母様は付け合わせに使う野菜でも取りに行ったのかアリス一人だけだった。彼女はぼんやりと窓を眺めて時間を潰していた。俺に気付いて、「レオ」と声をかけてくる。
「何故アリスもここにいる?」
「母様の手伝い。よくやってる。でもまだハンバーグは作ったことない。だから私も」
「そうか」
アリスも共に作ることになった。俺が記憶を取り戻す前から、アリスは母様の料理を手伝っていたそうだ。そう言われれば邪魔だと追い返す訳にもいかない。
先に準備をしておこうと、手を洗い、使う調理器具を出していく。「これ」とアリスに黒のエプロンを渡された。俺も着ろということらしい。服に汚れがつくのも嫌なので素直に受け取って身に付ける。
「レオは、料理できるの?」
「人並みに。不味くはないが、特別美味い訳でもない程度の味だ。前は食に興味がなかったからな」
「そう」
「アリスは?」
「…分からない。下手ではないと思う。前にクッキーを父様にあげた。泣きながら喜んでくれたから、食べれる味では、あると思う。本当に泣いてた」
「身内の贔屓目か?」
「さぁ」
クッキーをもらって父様は泣いたのか。感情豊かだな。そんな感想を覚えつつ、アリスと話していると母様が帰ってきた。予想通り畑に行っていたようだ。手には大きな袋を持っていて、野菜が沢山入っている。
「母様、持ちますよ」
「あら、ありがとう。レオ。小さな紳士さん」
アリスもそうだが、母様も女性の中でも小柄な方で、力が弱い。今にも落としそうに震えている手から袋を取って持ってやると、母様は「まぁ」と言って喜んだ。
「さて、じゃあ作り始めましょうか」
ハンバーグの作り方はシンプルだった。材料も高価なものは必要ない。家庭的な料理だ。
まずはハンバーグに入れる玉ねぎをみじん切りにして、事前に炒める。母様は前に渡した火力石を既に使いこなしたようで、慣れた手付きで火をつける。器具に油をしいて、火は中火。じっくりと熱していくと甘みが増すのだそうだ。「変に早くやろうとしては駄目なの。手間をかけて丁寧に。それが美味しいものを作るコツよ。簡単だけど馬鹿にしてはいけないわ」と母様は言う。
なるほど。少し魔法道具の開発に似ているかもしれない。あれも時間をかけねばいいものは作れないし、焦ってやると質が悪いものばかりができる。落ち着いて、一つ一つの作業を丁寧にやっていく。淡々と作業を進めるだけなので、面倒だと言う奴もいるのだが、小さなことをちゃんとやっていくのが一番成功率が高いのだ。
「狐色になったら、一度火を止める。少し熱を取っておくの。次はひき肉ね。アリス、そこから取ってくれるかしら」
母様が指指したのは、台所の端に設置してある大きめの箱だ。何だろうか、と思っていると、母様が教えてくれた。
「父様が作ってくれた魔法道具よ。氷魔法で中を保存に適した温度にしているんですって。ほら開けてみたら、冷気が漂っているでしょう?」
アリスと開けてみると、言う通りだった。箱の中だけが、冬の気温のように冷やされている。箱は棚のようになっていて、肉や魚など低い気温で保存が必要な食材が入れてあった。
父様はこんなものまで作っていたのか。畑やこの魔法道具など、あの人はこういう生活に使うものを考えつくのが上手い。
「私がこういうものが欲しいって言ったら、父様ったら、徹夜で作ってくれたのよ。今にも寝落ちしそうな顔で『き、君のために…』と言い終わると、ぱったりと倒れちゃって。普段から可愛い人だけど、あの時は特別可愛かったわね」
…父様も変わっているが、それを受け流せる母様もなかなか強者だな。
ボウルにひき肉を入れて、炒めていた玉ねぎも入れる。パン粉、牛乳、塩などを加えて、ボウルの中身を手で練り混ぜていき、ハンバーグのタネを作る。
「握るように混ぜたり、全体をかき混ぜるように混ぜるの。こうやってね」
「変な感触。冷たい」
「アリスもハンバーグは作るの初めてだものね。面白い触感でしょう?」
混ぜ終わると、一つ一つの形を作っていく。子供の手なので、丁度いい大きさにするのには苦労したが、母様が作ったものを手本に、何個か丸めていくとコツを掴んだ。力を入れすぎると形が崩れてしまうので気を付けなくてはならない。
次は焼く作業だ。最初は母様が焼いて、それ以降はアリスと俺にやらせてくれた。並べて中火で焼いていくと、ジュウジュウと音をたて始める。片面に焼き色がついたら、火の勢いを弱め、中にしっかりと火が通るようにする。ひっくり返して、もう片面。蓋を閉じて蒸し焼きにする。肉が焼けるいい匂いが台所に漂ってきた。
俺たちが焼いている間、「つまみ食いしましょうか。父様には内緒よ?拗ねてしまうもの」と母様がその前に彼女が焼いていたハンバーグを、俺たちの口に放り込んでくれた。
噛めば噛むほど出てくる肉汁。表面のこんがりとした固い食感と、中のじゅわっ…とした柔らかい食感が全く飽きさせない。何度食べても美味い。
「美味しいです。本当に」
「ふふ。レオはハンバーグが好きねぇ。美味しそうに食べてくれると私も嬉しくなるわ」
「私も好き。美味しい」
「あらあらまぁまぁ、なんて可愛いのかしら。私の子供たちは」
アリスはともかく、俺に可愛いという形容詞は合わないと思うが。母様もやはり変わっているらしい。
ハンバーグを焼き終えて、それぞれが自分で焼いたハンバーグを食べることになった。母様は、「父様を呼んでくるわね」と台所を出ていった。調理は想像していたよりは簡単だったな、と思いながら俺は自分のハンバーグを口に運ぶ。一口噛んで…そして、眉を寄せた。
(違う)
違う。味が違うのだ。
「どうしたの?レオ。険しい顔」
アリスが俺の様子に気付いて尋ねた。
「アリス、俺のハンバーグを食べてみてくれないか」
「…?何故?」
「味が違うんだ。母様が作ったものと」
違うの?アリスは不思議そうな顔をしつつ、フォークを切り分けていたハンバーグの欠片に刺して、食べる。もぐもぐと口を動かした後、「一緒…だと思うけど」と言った。
「いや、違うんだ。何か、小さいが決定的な何かが違う。コクの深さ?香り?材料は一緒だ。では、形が悪かったのか?火が上手く通らなかった?いや、焼き方か?」
母様のハンバーグは味見をさせてもらっている。彼女のものは確かに前に食べたものと同じ味だった。材料も同じ、違いが出るとすれば、形が良くなかったからか焼き方の違いくらいだ。
母様が焼いていた姿を思い起こすが、何かしている風ではなかった。普通に焼き色を見て、ひっくり返して、蓋をして、焼き終わる。俺も同様のことをしたはずなのに、この違いはどこから生まれたのだろう。
「…レオのも美味しい、よ?」
「駄目なんだ。これは俺が作りたかったものじゃない。母様の味と同じものじゃないと満足できない」
「細かい」
「何とでも言え。納得できないものは納得できない」
何が駄目だったのだろう。俺はアリスの前に置かれた皿を見る。自分のものと同じ見た目だが、あれはどうなのだろう。
「お前のも食べてみても構わないか?比べる対象は多い方がいい」
「うん。どうぞ」
「感謝する」
アリスに許可をもらって、彼女のハンバーグを食す。そして、俺はピシャリと固まった。
「どうしたの?」
「…」
「レオ?美味しくなかった?」
「…」
「吐く?ぺっ、する?」
自分の料理が不味かったのかと、アリスは手拭いを差し出してきた。嫌ならばこれに吐いてしまえ、という気遣いらしい。だが、その気遣いは全くの無用だった。
「母様の…よりも、美味い?」
アリスのハンバーグは、母様のハンバーグよりも俺好みの味だった。俺のとも勿論違う。言葉では上手く言い表すことができない些細な違いがあった。
俺は、きょとんと呆けている彼女に詰め寄る。
「何か手を加えたか?どうやってこの味を作った?」
「してない。丸めて焼いただけ」
「本当にか?」
「うん」
嘘をついているようには見えない。そもそも、アリスが嘘をつくメリットはない。では言っていることは嘘偽りなく、真実だということになる。ただ丸めて焼いただけ。その行為一つで、味が変わったということになる。
俺は椅子から立ち上がり、アリスにも立ち上がるように言う。
「もう一度作ってくれ。俺の目の前で」
「もう一度?作ったのに?」
「あぁ、一挙一動を見る。じゃないと分からない。偶然できたのか、それとも偶然ではないのかも確かめたい」
好奇心が刺激された。一つの料理で、同じ材料同じやり方で、ここまで違いが生まれるなんて。興味深い。是非とも調べたい。
「でも…作ったハンバーグ…」
「俺が責任をもって食べる。無駄にはしない」
「でも、面倒…」
アリスは乗り気ではないようだった。当たり前と言えば当たり前のことだ。作り終わったばかりだというのに、もう一度作れと言われているのだから。だが、俺だってここまできて知らないまま放っておくことはできない。少し考えてアリスに一つの提案を持ちかけた。
「では、こうしよう。お前が俺の前でもう一度ハンバーグを作ってくれたら、この前アリスが触りたがっていた翼を触らせてやろう。森に移動する時に使った翼だ。触りたがっていただろう?」
「やる」
「交渉成立だな」
俺とアリスは固い握手を交わした。俺はハンバーグのために。アリスはフワフワのために。
「…で、焼く」
「焼くタイミングはこれでいいのか?」
「多分。いいと思う」
「ふむ。熱さは覚えた。後で正確な数字で記録するか。いいぞ、続けてくれ」
「ひっくり返す」
「これでか?少し早いのでは?」
「今、この瞬間。ベスト」
「根拠は?」
「勘」
「…今」
「一秒前と何が違う?俺の目には変わらないように見えるが」
「火を見た感じで、今、終わらないと駄目」
「何故?」
「勘」
結論を言うと、アリスの料理は全く参考にならなかった。何せ、ほとんどを勘だよりにしているのだ。油の量、ハンバーグを入れるタイミング、焼く時間、ひっくり返すタイミング、蓋をするタイミング、開けるタイミング、焼き終えるタイミング。全て。時間を測ってみたが、二回目三回目と焼かせると数秒ズレが出ている。
本人にも理由は分からないらしく、「今、と思ったタイミング」でやってるから、正確に何秒と意識はしていないらしい。俺は湿度や温度の変化を感覚的に察して、無意識の内にその環境でできる最良の方法を取っているのでは、と推測した。
分かったことは、世界で一番美味いハンバーグを作れるのは、アリスということだけだった。




