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商人の息子 1


杖を作り終えた俺たちは昼食を食べ、それぞれ別行動をとる。俺は父様と共にアンドレ殿の店まで出かけることになっていて、アリスは約束していた聖水作りだ。最低でも百は作れと言ってある。そう簡単に終わるものではないが、アリスは杖を使って魔法が使えると喜んで請け負った。


屋敷を出る前にアリス言っていた、数回分の魔力を一気に放出できるように火力石の魔法式を書き換える。父様にも食事の席で話してみたら、面白いから是非ともやりなさいと言われ、応援された。なんなら俺よりも乗り気だった。僕にも後で使わせてくれと頼まれたので、改良した試作品を幾つか渡しておいた。


注文されていた火力石を百個と商談用に使う試作品、アリスの作った聖水を作る魔法道具の試作品。それらを馬車に積み、準備を終えた俺は見送りに出てきたアリスに振り返る。



「一人でできるか?」


「うん、聖水作るの慣れた。大丈夫。レオも頑張って」


「あぁ。…ところで、父様と母様のあれはいつ終わるのだ?」


「声掛けないとあと三十分はあのままだと思う」


「夫婦仲がいいようで何より。とは言っても、限度があるだろう…」



二人で玄関に立つ両親に呆れた目を向ける。両親は一時間ほど前から、恋人同士のように甘い言葉を掛け合いながら別れを惜しんでいるのだ。数時間すればすぐに帰ってくるにも関わらず。


「あぁ少しの間とはいえ君と離れてしまうなんて…僕は身が引き裂かれる思いだよ」「私もよ。貴方と離れるなんて寂しいわ。できるだけ早く帰ってきてね」「勿論だよ!一秒でも早く帰れるようにするからね」「ふふ。ありがとう。今日の晩御飯はビーフシチューにしようかと思っているの。アリスにも手伝ってもらうわ」「最愛の妻と娘の手料理を食べられるなんて僕はなんて幸せ者なのだろう」「大袈裟ね。毎日食べているじゃない」「君の料理は毎日でも食べ飽きるかとなんてないさ」「まぁお上手」



こういう風に。俺はごほん、とわざとらしく咳払いをする。こちらを見た父様に「そろそろ時間ではないでしょうか?」と笑みを浮かべて言うと、彼は名残惜しそうに妻から離れた。



「行ってくるよ」


「ええ、行ってらっしゃい」



母様とアリスに見送られ、俺と父様は屋敷を後にした。







「朝から二人とも忙しそうだったけど、何をやっていたんだい?」



馬車から窓の外を眺めている俺に、父様は話しかけてきた。優しい笑みを浮かべて、好奇心に目を輝かせている。その姿は少し魔法を学ぶ時のアリスを思い出した。


俺は唇を人差し指を当てる。



「秘密です」


「おや、教えてくれてもいいじゃないか。父様も仲間に入れてくれよ」


「子供の悪巧みですよ。可愛らしい、ね」


「悪巧み?」



ぱちぱち、と何度か瞬きをして、父様は不思議そうな顔をする。そして嬉しそうに破顔した。



「いい傾向だね。アリスとレオは昔からいい子たちだったから、少しくらい子供らしい悪戯とかをして欲しいなと僕は思ってたんだ。レオは最近ずっと大人っぽくなったし、大人でも思い付かないほど賢い意見を言う。アリスも同じだ。近頃のあの子はとても活発に楽しそうに走り回っている。子供の成長とは嬉しいものだよ。ちょっと寂しいけどね」


「…ありがとうございます」


「思う存分にやりなさい。火力石のこともそうだけど、レオはきっと沢山のことを考えれる子なんだろうね。それは人と違う才能だ。決して恥ずべきことじゃない。遠慮なんかしないで好きなように、思い付くことを試したらいいよ」



僕もそうやって色んなものを作っているからね、と父様は言う。


やはりこの人たちと話していると調子が狂う。無害な眼差しを向けられたことがないから、どう振る舞えばいいのか分からないな。落ち着かない。


俺はそんな考えを押し殺して、「はい、父様」と子供の笑顔を張り付けて答えた。



「そう言えば、アンドレの息子も今日は店に来ているそうだよ」


「アンドレ殿の…」


「確かレオよりも歳上だったかな。なかなかヤンチャな子だと聞いているけれど、仲良くなれるといいね」


「そうですね。仲良くできるといいのですが」



アンドレ殿との仲はできるだけ良好に保っておきたい。俺の魔法道具を高く評価してくれたし、俺の目から見ても彼はいい商人だから、今後も関係は続くだろう。毎回見知らぬ人間に魔法道具を売るよりも、信頼できる商人の店で取り扱ってもらう方がいい。


アンドレ殿の息子。アリスや俺とは違い、本当のお子様の相手。面倒だがこれからのためにも少しは上手くやらねばな。


馬車の窓から見える景色が森から町並みに変わってきた。俺は視線を外に向けて、魔法がない町というものを見る。主婦と思われる若い女性が、ティーポットに似た珍しい形の道具で花に水をやっていた。重い荷物を肩に担いだ男性が汗を流しながら歩いていた。子供たちも走り回ったり、人形でままごとをしたりしている。


本当にアリスが言った通り、魔法なしで生活しているのだということに驚き、そして魔法なしでもそこまで困った風でもないことにまた驚きを覚える。すべて手でやることを面倒だとは思わないのだろうか。


しかし、町はきちんと整備され、ゴミもなく衛生環境もいい。見た限り餓死者も死体もなく、スラムのようなものもない。治安もいい。窓から見える世界は、俺の知る町から随分と掛け離れた世界に見えた。



「珍しい?レオはあまり屋敷の外に出ることがなかったからね」



食い入るように町を見つめる俺を父様は微笑ましげに眺めていた。






ギィィ…と音を立てて、馬車がゆっくりと止まった。着いたね、と言って父様が立ち上がる。父様が馬車のドアを開けると、アクイラ家の屋敷ほどでないけれど、立派な赤茶色の煉瓦の建物があった。


先に馬車を下りた父様に続き、俺も馬車を下りる。建物の前にアンドレ殿が立っているのが見えた。



「ようこそおいでくださいました、アレク様、坊っちゃん」


「やぁ、アンドレ。待たせたかな?」


「いいえ、約束の時間前ですな。愛妻家のアレク様のことですから、夫人と別れるのが嫌でまた遅刻されるのかと思っていましたが」


「今日はレオにたしなめられてね。息子に注意されれば流石に行かねばならないだろう?」


「なるほど。坊っちゃんのお陰ですか」



アレク様は相変わらずですね、とアンドレ殿は苦笑し、俺に手を差し出してくる。



「お久しぶりです、坊っちゃん。またお会いできるのを楽しみにしていましたよ」


「はい、僕もです」



ある程度頭は回るが素直な子供を演じようと一人称を変え、人好きのする笑みを作って握手を交わす。父様たちやアンドレ殿の前では、アリスの時のように言葉を崩してはいないので、不審に思われることはなかった。



「では、店にご案内致しますね」



アンドレ殿の店はこの四階建ての建物すべてで、一階は平民や小さな店を営んでいる経営者たちが使うような比較的安めの商品、二階は商人や大きな店を持つ経営者用の商品、三階は貴族向け、四階はオーダーメイドなど特別な注文を受ける際に使う部屋と分けているらしい。俺たちはまず四階に案内された。


赤を基調とした暖かい雰囲気の部屋だ。家具も派手さはないけれども、いいものを使っているのが分かる。ソファに座ると、店の者が紅茶を持ってきて、焼き菓子と共にテーブルに置かれた。子供の俺がいるためか甘めのものが多い。困ったな、甘いものは得意じゃないんだが。



「では、紅茶でも飲みながら始めましょうか。坊っちゃんも自分の家だと思って気楽にしてくださいね」


「お心遣い感謝致します」



取り敢えず茶菓子は放って、紅茶に口をつける。いい茶葉を使っている。しかし、水のせいだろうか。他の香りが紅茶の香りを邪魔している気がした。


丁度いい。火力石の前に聖水の魔法道具の方を先に紹介してしまおう。



「美味しいですね。落ち着いていて僕好みの味です。ですが…申し訳ありません。僕の勘違いならばよいのですが、水が紅茶に合っていないのでは?」



一口飲んだ俺がそう言うと、アンドレ殿は目を見開いた。



「驚きました。その歳で紅茶の違いとその原因が分かるとは…。仰る通りです。アレク様と坊っちゃんのお屋敷の紅茶に比べると、どうしても劣ってしまうでしょう。茶葉はいいものを使っているつもりですが、町の水は井戸の水を使っています。勿論、沸騰させてきちんと飲めるようにはしていますが、お屋敷のものとは違うはずです」


「そうだね。僕の家は、魔法で少し特別な水になるようにしてるから。野菜を美味しく育てるためだけど、飲み水としても味はいいんじゃないかな」


「それでも他国の水に比べれば十分に美味しく飲めますがね…」



どうやら屋敷の水とこの町の水は違うらしく、それが紅茶の味の違いになっているようだ。



「実は以前アンドレ殿に伺っていた、水を浄化する魔法道具を作りまして。ご意見を聞かせていただけたら嬉しいです」



俺は火力石と共に持ってきた、アリスが作った魔法道具をテーブルの上に置く。見栄えがするように装飾を加えた瓶の中に、ふわふわと光が浮いている。



「レオ、もう新しい発明品を作ったのかい?」


「この光は一体どうやって使うのですか?坊っちゃん」



まさかこんなに早くに作るとは思わなかったのか、アンドレ殿と作ったということを聞いていなかった父様が驚いて、まじまじと瓶を見つめる。俺は微笑んで横にもう一つの瓶を置いた。



「こちらの瓶には、ただの泥水が入っています。池の水に土を混ぜて全く飲み水には向かないものにしています」



まずは効果を見せた方がいいとあらかじめ用意していたものだ。アンドレ殿に何か濁った水を用意してくれと頼んでもよかったけれど、商談をスムーズに進めるためには先に試せるものを持ってきた方がいいと思って用意した。


見るからに濁りきった水は飲みたいと思えるものではない。



「アンドレ殿が仰っていた、他国の国の飲み水もこのようなものでしたか?」


「ええ、そうですね。特に砂漠に近い国は泥水でもあるだけいい方です」



アンドレ殿は俺の言葉に頷く。なるほど。これをずっと飲まなくてはならないのはなかなか堪えるだろう。どうにかしたいと思うはずだ。



「やり方は簡単です。瓶の中にある小さな光を、浄化したい液体の中に入れる、それだけです。すみません。何か器を貸して頂いても?」



器に泥水を入れて、そしてその上で魔法道具の瓶を横に傾ける。光が瓶から出てゆっくりと水へと落ちた。水面に触れた瞬間に、波紋が広がり光はふわりと溶けていく。すうっ…と濁った水が透明な色へと変わっていった。



「このように、簡単に水を浄化することができます。火力石とは違い一回きりで使いきってしまうことは欠点ではありますが、代わりに一変に沢山の水を浄化することができるはずです」


「ほ、本当に手順はこれだけなのですか?」


「はい。味も変わっていると思いますよ」



俺が言うと、アンドレ殿は飲んでみたいと言った。元は泥水であったことは気にしないらしい。俺はそのまま渡そうとして、手を止めた。どうせなら味の違いをもっと実感してもらいたい。



「宜しければ僕がこの水を使って紅茶を淹れても構いませんか?変化をより理解して頂けると思うのです」



二人は勿論と了承してくれた。


道具を貸してもらい、火力石を使ってお湯を沸かす。ポットとカップに湯通しして、あらかじめ少し温める。ポットの中に茶葉を入れて沸騰したお湯を中に注いでいき、細かい茶葉だったので三分ほど時間を置いて、茶こしでこしながら、二配分の紅茶をカップを入れた。ゴールデン・ドロップと呼ばれる最後の一滴が入ったカップをアンドレ殿に渡し、残りの一杯も父様に手渡す。



「驚いたね。レオはいつの間に紅茶の淹れ方なんて学んだんだい?」



父様の質問には、「この前偶然本で読んだんです」と無難な答えで誤魔化しておいた。



「美味い!」



紅茶を口に含んだ途端に、カッとアンドレ殿は目を見開いた。そして目を伏せて、味わうように数回噛んだ後、ごくりと勿体ぶるように喉を動かして飲み込む。そして、そう声を上げた。「気に入って頂けたようで良かったです」と俺も微笑みを返す。



「いやはや、驚いたなんてものではありません。これまで多くの紅茶は飲んできましたが、ここほど美味しいと感じた紅茶はありません。とろりとした水の甘み。紅茶の香りを邪魔するものは何一つとしてない。それどころか紅茶の香りさえ良くなっている気もします。坊っちゃん、これは普通の水ではありませんね」


「ええ、普通の水ではありません。聖水ですよ」


「聖水?」



聞き慣れなかったのか、アンドレ殿が聞き返す。逆に父様ははっとしたような顔をした。



「聖水。文献でだけなら見たことがあるよ。聖なる力を溶かし込んだ水のことだ。呪いを祓ったり、魔の物を退治する際に有効だと書いてあったね。僕でさえ実物を見たことも、飲んだこともなかったのだけど」



こちらでは聖水は一般的ではないのか。前の世界では、勇者どもが必ず魔王退治に持ってくる品だったのだが。


食らえ、消滅しろ、聖なる力で消え去れ、と叫びながら水遊びのように、こちらに聖水をかけてくるので鬱陶しいったらなかった。すべて跳ね返してやっていたが。濡れ鼠になって呆然とする奴らはなかなか見物だった。



「父様の仰る通りです。ですがご心配なく。人間の身体に害になるものではなく、それどころか体調不良程度なら治る効能もあるでしょう。何よりも聖水は、人の舌にとっては甘露で美味い水ですから、飲料水としても好まれると思います」



どうでしょう?これならば旅にも重い水を持ち運ぶ必要はなく、どこでも美味い水を楽しむことができます。これならアンドレ殿の要望に合う品物ですか?俺はわざと聞き返した。



「期待以上ですよ!坊っちゃん、これもうちで取り扱っても構いませんか?!」


「はい、勿論です。よろしくお願い致します」



興奮したように立ち上がってアンドレ殿は言った。俺はにこりと笑った。



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