学校 11
「美味っ…?! えっ、都会のレストランってこんな美味いものが食えんの…?」
「そんなに焦らなくても食事は逃げないので、ゆっくり食べてくださいね」
「恩に着ます! 本当に! この恩は絶対に忘れないんで!」
「はは。楽しみに待っています」
俺たちは部屋に荷物をおいて、アンドレ殿のおすすめだというレストランに来ていた。
ちなみに今晩泊まる予定の部屋は豪華とは言えないが、十分な広さがあり、なにより掃除が細かいところまで行き届いた清潔な場所だった。店員の接客も気持ちのよいものであったので、アンドレ殿が贔屓にする気持ちも分かるな。なかなか居心地がいい。
ライアンは今日一日なにも食べていなかったそうで(金がなかったので)、がつがつと飲み込むように運ばれてくる料理を平らげて行っている。
品がないなと軽蔑の目を向けながら俺が隣で静かにスープを口にしていると、「それにしてもさ」とライアンは思い出したように口を開いた。
「金持ちなんだろうなとは思っていたけど、まさかお前が貴族だったとはな。言われてみれば、確かに所作?とかに品があったわ」
「今のお前にまさに足りないものだな」
「は?」
「学校でそんな食い方をやってみろ。次の日には更に孤立することになるから気をつけろよ」
「お前、マジで失礼だな。なんで俺がひとりぼっちになる前提なんだよ」
「…知らないのか」
「なにを?」
「悪い知らせを今聞くのと、学校に着いてから自分で実感するのどちらがいい?」
「え、怖い怖い怖い。脅すようなことを言うなよ」
どうやらライアンは平民があの学校で肩身の狭い思いをするのだと知らないらしい。
まぁ、コイツは精神が妙に図太いことが最大の長所と言ってもいいくらいなので、エヴィのような心配は必要ないだろうけれど。
「あの蜘蛛事件の二の舞だけは嫌なんだけど…」と顔を青くさせるライアンに、「安心しろ。それよりはマシだ」と言えば、「なんだ。じゃあいいや」と返された。楽観的な奴はメンタルケアをしなくていいから楽でいいな。
「おやおや」
「どうかいたしました?」
「いえいえ、坊っちゃんのそのような姿は初めて見たものですから。気を許せる友人がいるようで、私は安心しました」
「…お見苦しいところを」
「まさか。私のことは気にせずに続けてください」
「父様、今だから言っちゃいますけど、この人マジで性格終わっていますよ」
「黙れ、サルト」
「痛い!!! 素がバレたからって急に吹っ切れないでください」
「ははは。愚息とも仲良くしてくださって親としてありがたい限りです。なにかと我が儘なところがありますので、どんどん教育してやってください」
「それが父親の言葉ですか?! 人の心がないんですか?! この悪魔に自分の子供を差し出すと?!」
「とても賑やか。楽しいね、レオ」
「うるさすぎて少々、鼓膜が痛くなってきたがな」
アリスはニコニコしながら「これだけ賑やかなのは久しぶりだから嬉しい」と言う。
確かに別荘に引っ越してから大分、父様たちも前のように振る舞えるようになったとはいえ、食卓の雰囲気はどこか暗いようなところはあったか。
単純にあまり町に出ることがなく、話す話題が庭にどんな花が咲いたとか、どんな魔法道具が発明できたとか、そういう限られたものしかなかったというのもあると思うが。
「そういえば、坊ちゃんにはアーラ君もお世話になっていると聞きました。彼は元気にしていますか?」
「アーラですか? えぇ、つい先日家を尋ねましたが、楽しそうに絵の制作に励んでいましたよ」
「それはよかった。実はアーラ君とは二年前の事件をきっかけに文通するようになりましてね。それまでは連絡を取り合っていなかったものですから、今は二、三か月に一度のそのやりとりがひそかな楽しみになっているんです」
「それはいいですね。彼の手紙にはどのようなことが書かれていたのですか?」
「最近は日常のちょっとしたことを書いてくれています。最初は私に遠慮して、なにやら難しいことを書こうとしていたみたいですがね。あの子はあまり文章を書くのが得意ではないので、それではなにを言いたいのか読解するのが難しくて…もっと気楽に書いて欲しいと頼んだら、ようやく自分のことを書いてくれるようになりました」
「なるほど」
「あの子は家庭環境が悪かったせいか、自己肯定感が低いところがあるのです。ですので、なかなか自分のことを話してくれないところがありまして、いい子なのですけど、そういう部分は少し困ってしまいますね」
「アーラが?」
「おや…もしや坊っちゃんに対しては違うのでしょうか?」
アーラとはそれなりに長い付き合いになると思うけれど、彼と話していて、本心を隠されていると感じたことはないな。というか、アイツに隠し事をするなんて可能なのか。
アイツは壊滅的に嘘が下手だったと記憶しているが…。
俺が困惑していると、アンドレ殿は「あぁ…よかった」と安堵したように微笑んだ。
「私にとって、あの子はずっと…ずっと下手な愛想笑いを浮かべて『大丈夫です』という言葉を繰り返すような子でした。涙ひとつ私の前では流してくれませんでした。両親が死んだ時でさえ、あの子は私を頼ろうとせず、自分の母が私に作った借金を必ず大人になって返す、本当に申し訳ないと暗い目をして、青白い顔で頭を下げるような子だったんです」
「それは…驚きですね。アーラが時々、誰かにものを送っていたことは知っていましたが、まさか借金を返していたとは」
「あの子の母は私の妹ですからね。身内なのだし、借金など気にしなくていいと何度も言ったのですけど、責任感の強い子なので、いつか必ず返すからと聞かなくて…。きちんと食べているといいのですが…」
「とりあえず餓死はしていないようなので、大丈夫だと思いますよ」
「ふふ。それは嬉しい知らせですね。抱え込みやすいところがあるので、坊っちゃんにはきちんと甘えられているようでほっとしました」
仲良くしてあげてください、とアンドレ殿は微笑む。
アーラが言いたくなさそうなので、彼が生まれ育った家庭環境はあまり詳しくは知らないのだけれど、話を聞くにどうやらかなり複雑らしい。
まぁ、誰しも隠し事の一つや二つあるものだろう。特に知らなくても不便に感じたことはないので問題はない。
「坊ちゃんやアレク様には本当に多くのものをいただいております。感謝してもしきれません」
「それはこちらの台詞です。二年前の事故の件で、どれだけアクイラ家が貴方の存在に救われたことか」
「勿体ないお言葉です。今までの恩に報いるためだと思えば、なに一つ苦労だと思ったことはありませんよ」
アンドレ殿は嬉しそうに顔を綻ばせ、深々と頭を下げた。




