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転機 16

出発の日がやってきた。「ついに、来ちゃたね」と馬車を見て、隣に立っていたアリスが寂しそうに言う。


父様たちは屋敷に忘れ物がないか最終確認をしに行ったところだ。彼らが帰ってくればすぐに出発することになっている。



「ここに帰ってくるのは数年後か。それも具体的に何年かは決まっていないらしいから、状況によってはもう一生戻ってこないかもしれないな」


「うん。でも、もう大丈夫」


「そうか」


「屋敷の、中の、思い出の場所、ちゃんと覚えてきたから。忘れないように」



寂しくなったら思い出すから平気、とアリスは少し口角を上げて言う。強くなると宣言して以来、彼女は時折、こうしたことを言うようになった。


強がっているわけでもなさそうなので、彼女なりに成長しようとしているのだろう。俺としても面倒が減るのは喜ばしいことだ。



「レオ」


「なんだ」


「平気、だけど。それでも、いつか、戻ってこれるといいね」


「あぁ、そうだな」



俺が肯定の言葉を返せば、アリスは満足そうに頷いた。


そして俺たちは森の方を見て、うん?と首を横に傾げる。見知った気配がこちらに近づいてくることに気がついたからだ。


アリスに会いに来たのだろうかと横を見るが、彼女もまた予想外だったようで不思議そうな顔をしている。はて、一体どこで俺たちがここを出ることを知ったのやら。



「アリス!!! レオ!!!」



五分ほどして、そんな大声と共に森の木々の間からエヴィが姿を現した。随分と急いで来た様子で、ぜぇぜぇ…と忙しなく肩で呼吸をしている。



「どうかしたのか?」


「はぁはぁ…どうか、したのか、じゃないわよ!! 今日引っ越すってアーラさんに聞いたんだけど!」


「あぁ、そういえば、今日町の様子を見に行くと言っていたな」


「私、引っ越しなんて聞いてないわよ!」


「言ってなかったからな」


「言いなさいよ! 馬鹿!!!」



会って早々にキレられて、俺たちは思わず「えぇ…」と呆ける。彼女と会うのは火事が起こって以来初めてなのだが、彼女もマリーさんたちと同様に思うところはあるだろうと、アリスも接触しないように気を遣っていたのだ。


だからこそ、まさかこんな再会になるとは思っていなかった。会うとしても、もっと先のことになるだろうと思っていたのに。


エヴィは息を整えた後、乱れた髪を直し、フンッとすました顔をして話し始めた。



「聞いたわ。マリーさんがアンタたちに『もう会いたくない』って言ったんでしょう?」


「あぁ、そうだが…?」


「そうね。うん。じゃあ、アンタたち私に手紙を書きなさい! 特にレオ! アンタは絶対に強制よ!!」



不躾にもビシッとこちらを指さして、命令口調で言ってくる彼女に、は?と俺とアリスは再び困惑する。


いや、待て。なにがどうしてお前に手紙を書く話になるんだ。



「エヴィ。お前、この前の事故で頭でも打ったのか? それとも、ついに知能が取り返しのつかないレベルにまで下がったのか?」


「ほんっとうに失礼ね、アンタ。違うわよ。私がアンタたちの間に立ってあげようって言ってんの」


「仲直りでもさせる気か? やめておけ。俺たちはともかく、それはマリーさんにとっては逆効果だぞ。お前まで嫌われかねない」



俺が眉をひそめてそう言えば、エヴィは機嫌を損ねたように頬を膨らませた。



「違うわ。手紙は私だけが読む。マリーさんたちにも渡さないし、別に隠す気はないけどわざと知らせるようなつもりもない」


「はぁ? じゃあ、お前はなにがしたいんだ? 文通ならアリスとだけやればいいだろう」 


「駄目よ。アンタもやるの」



だって、とエヴィは続ける。



「私がなにもしなかったら、アンタたちの縁ってこれで切れちゃうじゃない」


「…?」


「マリーさんはね、今、余裕がないの。私も親を亡くしたから分かるけど、これから一、二年はずっと引きずるでしょうね。ああいう時って、人を遠ざけたくなるの。『いいから放っておいて!!』って叫びだしたくなるわ」


「あぁ…?」


「だけど、やっと余裕が出てきた時に後悔することもあるのよ。あの時こうしておけばよかったって。私も身に覚えがあるの。お母さんたちが死んですぐの時、助けてくれようとした人がいたのに、私はその手を振り払っちゃった。そして気づいたらその人たちはいなくなってたわ」


「エヴィ?」


「マリーさんは優しいからきっと自分のことを責めちゃうでしょう。あの人にあんな惨めな思いはして欲しくないの」



過去のことを思い出しているのか、エヴィは唇を噛み、苦しげに言う。そして彼女を拳を握り、意を決した様子で言った。



「だから…だから、それまで私がアンタたちの繋がりになっていてあげる。アンタたちが切ろうとした縁を、離れないように持っていてあげる。…また繋がりたいって思うその時まで、後悔はしてもまだ取り返しがつくように」




ーーーーーーもし君が“縁を切りたくない”という人に嫌われてしまったらどうするんだい?


 


彼女の言葉に聞いて、父様に言われたことを思い出した。縁が切れてしまったのならもう諦めるしかない、自分はそういった内容のことを答えたはずだ。


だって、いらないものを持ち続けるのは疲れるし、無駄なものはできる限り早めに切り捨てた方がいい。…そうやって俺は今まで生きてきたんだから。



「エヴィ。悪いが、俺は…」


「そう言うと思ったわよ、クソ野郎」



俺の言葉を遮るように悪口を吐かれると同時に、胸に叩きつけるように紙の束を渡される。


さっきから態度が悪いにも程があるぞ、と睨みつけるが、エヴィは気にもせず、さっさと読めと視線で促してきた。


紙にはレシピのようなものが記されていた。パッと流し見ただけだが、特にこれがなにか思い当たるものはない。



「ルーカスさんが、マリーさんのために調合したハーブティーよ。なにかあった時のために、写しを一つ私が預かってたの。お祖父ちゃんに汚されないために土の下に埋めてたから、火事でも平気だったのよ」


「…これがどうした?」


「それ、アンタにあげるわ。言っとくけど私が持ってるものはそれだけで、メモとかもとってないから」


「…」


「他にもう一個写しがあるとは聞いてるけど、マリーさんが持ってるのかも知らないし、もしかしたら火事で焼けたのかもしれないわね。あ、ちなみにマリーさんはハーブティーの調合できないわよ。ルーカスさんが全部やってたんですって」



俺の逃げ道を塞ぐように、矢継ぎ早にエヴィは言葉を紡ぐ。


俺はハーブティーのレシピに視線を落とした。複雑な行程がいくつも含まれていて、この調合にたどり着くまでにあの人が誰だけ試行錯誤を重ねたのか、その苦労を伺うことができる。


レシピがあったとしても、作業には細心の注意が必要で、並の薬師ではこれを完璧に作るのには随分と苦労するだろう。


ましてや、重症者ばかりのこの状況で、ハーブティーの調合なんて面倒なものを引き受けてくれる人間はいるはずがない。




ーーーーーー二人を、頼む。…約束だよ。




最後にこんなものまで残していくなんて、あの人は本当に卑怯な人だ。



「それを捨てても破いても、どう扱っても自由だけど、アンタ、こういうのは嫌いでしょう。人が傷ついてるのを無視するのと、自分の行動のせいで人が死ぬのは別の話だものね」


「…マリーさんの容態は」


「隠してるけど、結構キツそうよ。ルークを守らなくちゃいけないから、気力でどうにかしてるみたいだけど」


「…俺にこれを作れと?」


「別にそんなこと言ってないわよ? まぁ、手紙と一緒に送るっていうのなら、もらえるものはもらうのが私のモットーだし、受け取ってあげるけど。そうね。捨てるくらいなら有効活用したいから、私が作ったことにしてマリーさんに渡そうかしら」


「性格が悪いな」


「ふふん。そんなに褒めなくてもいいのよ」



そう言ってエヴィは勝ち誇ったように「協力しなさいよ。アンタだって、あの人たちに恩を感じたことはあるでしょう?」と笑い、そして、ぽつりと「…あの人をひとりぼっちにさせないで」と小さく呟いた。


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