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転機 13


「難しい話ですよねぇ」



アーラは筆を動かしながらのんびりとした口調でそう話し始めた。テーブルの上には紅茶が置かれているが、淹れてから彼がまったく手につけていないせいですっかり冷え切ってしまっている。


彼の横で本を読んでいた俺は、一瞬、これはコイツの独り言だろうか、それとも俺に話しかけているんだろうかと考えを巡らせた。


普通に考えれば俺に声をかけたととるべきなのだろうが、アーラは基本、絵を描いている最中に独り言以外を話さないのだ。



「ありゃ。もしかして、読書のお邪魔しちゃいました?」


「いや、お前が筆を持っている時に話しかけてくるなんて珍しいなと思ってな」


「やっと全体像がまとまったので。ちょうど集中が切れたんですよ」


「ふぅん。お前は筆を持ったは最後、完成するまで動き続けると思っていたんだが」


「僕は機械じゃないですよぉ。人間なんで普通に気分転換とかもしたくなります」



アーラは愉快そうにクスクスと笑って、近くに置かれていた紅茶を手に取った。


時間が経てば湯は冷えるということは完全に失念しているのか、既に水ほどの温度になっている紅茶にふぅふぅと息を吹きかけている。



「で? なんの話だ? 言っておくが、お前の基準での『難しい』は信用してないぞ」


「え~? レオ君酷くありません?」


「そういうことは自分の行動を見てから言え」



俺が呆れたようにそう言えば、アーラはキョトン…としながら紅茶をすする。そして驚いた猫のように目を丸くした後、カップの中を何度も覗き込み、「冷えてる…」と分かり切ったことを言った。



「お前がそれを淹れたのは三時間前だぞ」


「え? 五分前じゃなくて?」


「その異常な集中力だけは褒めてやる」



「ついさっき淹れたばかりだと思ったんだけどなぁ」と首を横に傾げるアーラに、コイツは変わらないな、と俺は毒気を抜かれる。


俺とアーラがいるのは町から少し離れた森の中にあるテントの中だ。火事でアーラの家はすべて焼けてしまったし、避難所は人が多すぎて怖いとアーラが泣きついてきて、結局、この森の中で野宿をすることになったのだ。


簡易的なテントや火力石、至聖水などを与えたとはいえ、風呂も台所もない不便な場所なのだが、アーラは特に気にしていないらしく、それどころか「綺麗な鳥が観察しやすくていいところですよね」とかなり気に入っているらしい。


家や全財産が燃えたことに関しても、「レオ君が画材を恵んでくれたので! それ以外は正直、どうでもいいです!」とニコニコ笑っていたので、怒りもなにも、本当になんとも思っていないらしい。


世界中の人類がコイツくらい単純であれば、世界は案外、今よりもずっと平和になるのかもしれないと俺は思った。



「家を見に町に行ったんですけどね、町の人、皆ピリピリしているんです」


「だろうな」


「爆弾を作ったのってレオ君のお父さんなんでしたっけ?」


「あぁ」


「なんだか、難しいなぁって思いまして。僕は家族も友人もいないので、今回の事故で大切な人たちを喪った町の人たちの悲しみは分かりません。でもレオ君のお父さんも別にしたくてしたわけじゃないですか。どっちも言い分も理解できる分、誰も悪くないのになぁって思っちゃって」


「爆弾を設置した奴は処罰されてもいいと思うがな」


「確かに…。あ、でもお父さんの話だと、その人たちも戦争で家族を喪ったんでしたっけ?」


「…驚いた。その通りだ。お前、人の話をちゃんと覚えていられたんだな」


「失礼ですね。僕だってこれくらいはできるんですから」



アーラはうーんと唸りながら、紅茶をすする。



「皆、自分の言い分があって『仕方がなかったんだ』って思っているんでしょうね。だけど、相手にはその言い分が見えないから『自分たちを攻撃した』って思っちゃう。やっぱり、悪い人なんていないんだと思います」


「お前らしい考えだな。だが、アーラ。お前だって実の両親を殺されたら、そう穏やかに言っていられないだろう?」


「僕の両親は僕のことなんて微塵も興味がない人たちでしたから。僕が泣いたところで『鬱陶しい』と嫌がられるだけですよ」


「…それに俺はどう反応するのが正解だ?」


「あ、本当に気にしていないのでスルーして大丈夫ですよ。あんまりよく覚えていませんが、多分、一人で歩けるようになってからは僕も僕で勝手に家を抜き出して、絵を描いていたと思いますし。逆に干渉がなくて気楽なものでした。確かに昔は寂しかったのかもしれないですけど、僕も途中から興味がなくなったのでお互い様です」


「そうか」


「レオ君は怒ります?」


「どうだろうな。アリスは間違いなくキレるだろうが。アイツが本気で起こったらどうなるのか、考えただけでも恐ろしい」


「あぁ、普段優しい人ほど起こると怖いっていいますものねぇ」


「沸点が高い奴は、普段怒らない分、堪忍袋の緒が切れた時の行動力がすごいからな。額から血が滲むまで頭を地面にこすり付けさせて誠心誠意謝罪させ、自尊心や人の矜持というものを徹底的に破壊した後、最終的に共に自爆に一票」


「レオ君の冗談ってほんと独特ですよねぇ」


「俺はお前がキレたらどうなるのかにも興味があるが」


「えぇ? 昔はともかく今は、別に普通に怒るだけですけど」


「笑いながら、相手に酒をぶっかけた人間がよく言う」


「あれは体調が悪かったからって言ったじゃないですか! 黒歴史を掘り返さないでください…!!」



思い出したくない過去なのか、アーラは「ひぃぃぃ!!」と奇声を上げて悶えている。


愉快だなと思いながらその発作を眺めていれば、三分ほど経って、ようやく彼は落ち着きを取り戻した。


「話題…話題を変えましょ? 縫いぐるみの子の話はいったん置いておいて…」とぼそぼそと言うので、望み通り「親との交流が少なかったということは分かったが」と話を戻してやった。



「殺されたら悲しいと思う人間はいなかったのか? 寂しい人生だな」


「両親の代わりに僕に優しくしてくれた人がいましたよ。でもその人は『人を恨め』なんて言いません。そうですね、先生ならきっと、『お前みたいな馬鹿は人を恨むなんて器用なことはできないから、さっさと俺のことなんか忘れて、絵でも描いて、飯食って寝ろ。お前の頭はポンコツだから大抵の悩みはそれで解決する』っていうんじゃないでしょうか」



その言葉に俺は耐えきれずに噴き出した。



「いいアドバイスじゃないか。お前の師は人をよく見ている」


「ふふ、実はちょっとレオ君に似ているんですよ。普段は人の話をいい感じに聞かなくて、言いたいことをズバズバ言ってくるところが」



だからレオ君とは話しやすいのかも、とアーラは納得したように顔を明るくさせた。そして、ふふんと胸を張って「そう思うと、僕の人生も捨てたもんじゃないですね」と言う。



「先生が死んだ時は泣いたので、きっとレオ君が死んだら僕はまた泣くと思います。死んだら悲しいと思える人が二人もいるんです、十分に幸せな人生ですよ」


「…そうか」


「はい!」


「俺もまぁ、お前のことは馬鹿で愛嬌のある大型犬くらいには思っているぞ。必要最低限の世話さえしてやれば、文句を言わない従順なところもいい」


「僕、一応、人間なんですけど…」



アーラが困ったように苦笑するのを見ながら、「死んだら悲しいと思える人がいることが幸せか。そういう考えもあるんだな」と俺はぼんやりと思った。


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