転機 7
見慣れた薬屋は炎に包まれていた。かろうじて建物の形こそ保っているがあと一時間もすれば崩れ落ちるだろう。
パチパチと音が鳴る。炎は赤く燃え上がり、近くによると皮膚からその熱が伝わってくる。
運良く爆発にこそ巻き込まれなかったようだが、周囲の住宅にも既に火は移っており、ここら一帯が焼け野原となるのも時間の問題のようだった。
「…」
妙な胸騒ぎが消えることはない。
俺はルークを見下ろし、流石に赤子はこの中にいれることはできないなと判断する。
「…俺はなにをしているんだろうな。リア」
らしくもなく見知らぬ赤子に同情し、そして今、その親の安否を確認するために燃える家の中に入ろうとしている。
人の死に慣れている。死者に対して最低限の敬意を払うことはあるけれど、それでも赤の他人を必死に守ろうとするなど今までの俺ならばあり得ないはずだった。
平和ボケをしているつもりはなかったが、この有り様ではなにも言い返すことができない。
「セオドア」
「はぁい。子守はもうお手の物だよ」
「頼む」
「あとでちゃんと魔力を分けてよ。これが完全になくなったら俺はどうなるのか分からないんだから」
「あぁ」
まだ完璧とは言えないがセオドアが簡単な結界を張れることは確認済みだ。
俺も結界は張るけれど、もし万が一結界が壊れることがあったとしてもセオドアがすぐに張り直すことができるだろう。
火の影響が比較的少ない場所にルークを下ろし、その近くにセオドアを置く。
「三十分で帰ってきてよ。結界を張るならもうあと十分が限界だから」と疲れた様子で言うセオドアに、「すぐに戻る」と返し、二人を囲うように二重防御結界を張る。
そして自分自身の身体にも薄く結界を張り、火が燃え移らないようにした。焼け死ぬことはないが、これは身体への負担が大きすぎる。早めに済ませた方がいいだろう。
そして俺は燃え盛る家へと足を踏み入れた。
「…行ったかな」
レオの背中を見送ったセオドアは小さく溜め息をつく。そして隣でぼんやりと自分の家を眺める赤ん坊を見て、ぼそりと呟いた。
「これはただの幽霊の独り言だけどさ」
ルークは聞こえていないのか、なんの反応も示さない。
「死んでから時々人と違うものが見えるようになってね。人の魂の形っていうのかな、そういうのが分かるようになったんだ。魂は人それぞれ違うし、肉親であっても似通っていないことがほとんどなんだけど、ある程度の共通点みたいなものはあるんだよ。普通の魂なら大抵こうなっているっていうのがね」
こんなこと普通の赤ん坊にとっては意味不明な話だろうな、と思いながら言葉を続ける。
「あの子と、あの子の妹の魂って、ぐちゃぐちゃなんだ。生きているのが不思議なくらい歪な形にされていてるのに、絶妙なバランスを保って命を繋いでる。まるでセンスのない芸術家が偶然作り上げることができた奇跡の最高傑作みたいだ。こんな風に思うのは俺が画家だからかもしれないけど」
セオドアはにこりと笑い、「まぁあの子の場合は自分で実験体になって色々いじったってことも有り得そうだけどね」と言う。
「君も、随分と苦労したんだね。君の前世は知らないし、君にその記憶があるのかは知らないけど、あの子と同じくらい好き勝手にされたみたいだ。それを元に戻すのに何十回生まれ直す必要があるんだか」
ちらりとルークの様子を伺うが、ルークはこちらを見ようともしない。
当たり前だ。こんな難しい話など理解ができる年齢ではない。…普通の赤ん坊であれば。
「それでちょっと疑問なんだけど」とセオドアは言った。
「どうして君とあの子の魂は、そんなに気味が悪いほど似ているのかな?」
ルークが初めてこちらに顔を向ける。
無垢な赤ん坊は、人語を話す絵画なんて心底不思議だというように、ことりと首を横に傾げた。
「魂っていうのはそれぞれ違うんだ。肉親であってもほとんど似ていない。あの子と妹の子なんて双子なのにまるで正反対ってくらい違うしね。だけど君たちはいじられる前は本当に瓜二つの魂だったんじゃないかと思うくらいに似ている。君を見た時、あまりにも似すぎていてゾッとしたんだ。こんなこと異常だよ」
セオドアは構わず話を続ける。
「あの子が君のことを気にかけるのも分かるよ。合わせ鏡のようにそっくりな魂が目の前にあるんだ。魂そのものを見ることはできなくても、無意識の内に惹かれて、言語化できない親近感を覚えるのも無理はない」
つまり知りたいことはさ、とセオドアは微笑んだ。
「君とあの子の関係ってなんなのかなって気になったんだよね。もし君にも前世の記憶というものがあるのなら、ぜひとも教えて欲しいな。あの子は秘密主義だから素直そうな君に聞いた方が早そうだ」
ルークはニコニコと笑ってこちらへと手を伸ばしてくる。
さてどういう反応を返してくるかな、と様子を見ていたセオドアはそのまま、ぎゅうっと抱き締められて「ヒッ!」と困惑した声を上げた。
もちもちした腕に抱き締められ、そして徐々にまるいもちもちした顔を近づけられ…。
「あぅああ!!!」
「待って待って待って待って。唾液はやめてほんとやめて。なんでもするからそれだけはやめてお願いします」
「んっべ…!きゃあ〜!!」
「嘘でしょ…最悪…」
ルークはどうやらセオドアを音が出る玩具かなにかだと思ったようだった。
縫いぐるみのようにぎゅうぎゅうと抱き締められたと思ったら、べろべろと舌で舐め回される。セオドアは唾液でべちょべちょになった。
ルークはなにが面白いのかきゃらきゃらと笑っている。腹を壊しても知らないから…とセオドアは遠い目をして放置することにした。
これなら前世の記憶があるレオの相手をする方が、何倍もマシだなと思いながら。
「あの子の両親は小さい頃には既にいなかったらしいよ。…君は違う運命だといいね」