転機 6
「あのクソ馬鹿。呪い殺してやる…」
「気まぐれで魔力操作を教えてはいたが、まさかこの土壇場で習得するとはな」
俺が発見した時、セオドアは火の海の中だった。比喩などではなく、本当に火に包まれていたのだ。
しかし、驚くべきことにセオドアは灰とされることもなく、今もこうして俺の腕の中でアーラに呪いの言葉を吐いている。
そう、セオドアは魔力操作を習得し、いつか見た俺の結界の真似をして自分自身を覆っていたのだ。
「喜べ、セオドア。今まで魔力と無縁だった人間がこれほど早くに魔力操作のコツを掴むのは稀だ。お前の天性の才能だろう」
「それはどうも。ついでにあの馬鹿を呪う魔法も教えてくれる? そうだな、毎晩昆虫に襲われる悪夢を見せるとかさ。俺ならめちゃくちゃリアルに再現できると思うんだよね」
「そう怒るな。アーラも悪気があって置いていったわけではないとお前も知っているだろう」
「あのポンコツな脳みそを虫に食わせてやる…」
「復讐心はいつも人を狂わせるな」
普段は冷静な彼がここまで怒りを露にするのも珍しい。クスクスと笑えばじろりとセオドアに睨みつけられた。
周りの人間たちは避難と、消火、救出活動で忙しいらしく、こうして俺が言葉を喋る絵画と会話をしていても、気にかける者はいない。…いないはずだった。
「…?」
くんっと裾辺りの布を引っ張られ、俺はピタリと動きを止める。近づいてくる存在がいることを感じてはいまが、あまりにも無害な気配なため野良猫かなにかかと思っていたのだが。
「ルーク…?」
足元を見下ろせば、まだろくに二足歩行もできない赤子がこちらを見上げていた。
想像していなかった存在に俺は思わず目を丸くする。
「なんでお前がここにいる?」
抱き上げればルークはジタバタと暴れ出し、うーッ…!と唸りだす。俺にくっついている時は大抵静かだというのにこうして暴れるのは珍しい。
しかし、妙だ。町中が火事になっている今、赤子が一人だけで外を出歩く?
「マリーさんたちはどうした?」
俺がそう尋ねれば、ルークはピタリと動きを止めて、こちらをじっ…と見つめてくる。
「…」
マリーさんたちがルークを一人にするとは思えない。ましてやアーラではないのだから、赤子をどこかに置き忘れるなどあり得るはずがないだろう。
ならば、考えられる可能性は一つ。これもまた想像しにくいものではあるのだが、他の可能性が低すぎる。
「お前、一人で出てきたのか?」
ルークは静かにこちらを見つめている。
「動けない両親の代わりに?」
ルークはゆっくりと瞬きをする。その動きが俺の目には言葉を肯定しているように見えた。
どうしてルークが家を出ることができたのか。火の粉が舞うこの町で怪我一つ負わず、俺を見つけることができたのか。なにひとつとして分からないが、この推測は正しいのだろうと直感した。
「で、どうするの?」
俺たちの様子を見ていたセオドアが声をかけてくる。
「俺には…」
ほんの少し、過去の境遇が似ていただけの親子。交流はあるが、彼女との契約は既に完了しているし、もはや取引相手でもない。…赤の他人にこれ以上、労力を割く必要はない。
俺には関係ないことだ。切り捨てようとしたその時。
「…!」
ゾクリとした感覚を覚え、俺は反射的に自分たちを覆う崩御結界を展開した。
詠唱など唱える時間はないと判断し、無詠唱で雑に作ってしまったから、普段に比べればあまりにもお粗末なものだったけれど、魔力を惜しみなく使うことで防御力を上げる。
そして一秒にも満たない時間の内に。
ドンッ…!!
大規模な爆発が発生した。一つは俺たちが呑気に会話していた場所から目と鼻の先にある建物だ。瓦礫やら木片やらが飛んできて、結界の表面に勢いよく当たる。
消火活動のためにこの辺りで走り回っていた人たちは、ほとんどが燃えているか、爆散し飛んできた物が身体に刺さって大怪我を負っている。
パニックになっている者たちを横目で見ながら、さて、と俺は思案にくれる。
爆音は聴覚で確認できたものでも三つ以上。
起爆するまで俺が一切、気づかないほどの優れた魔力管理か…。
随分と質のいい爆弾だ。開発者とぜひとも話してみたいものだな。そんなことを思いながら、結界を解除し、セオドアに視線を落とす。
「このまま立ち話というのも少し難しい状況になってきたな。さっさと行くか」
「ふぅん? いいの?」
「なにが?」
「…ほんと頭がいいんだが悪いんだが」
セオドアは呆れたように溜め息をついて、ん、と俺の右手を指差す。
「気づいてないみたいだけど、咄嗟に守ってたよ。その子のこと。大事な子なんじゃないの?」
「は…?」
右手を見れば、ルークが怯えたように俺の身体に顔を押し付けている。
「身体にくっついていたから、反射的に結界内に入れてしまっただけだ」
「そんなの知ってるよ。俺が言ってるのは結界を張った後。爆発が起きた時、君、その子のこと守るような動きをしてたんだ。まぁ? 証拠もないし、証明する術はないけどね?」
「…」
「はいはい。お喋りな絵は黙りまーす」
最近アーラのことでからかっていたことを根に持っているのか、ふざけた口調で喋るセオドア。チッと舌打ちをすれば、引き際をわきえているコイツはにこりと微笑んで喋らなくなった。
「…」
俺が守った? ルークを?
アリスならばまだ分かる。アイツはリアに似ているから、咄嗟に癖で庇ってしまうことは十分にあり得るだろう。
だけど他人の赤子をどうして守る必要があるのだろう。アリスに監視されていて、見殺しにすれば口うるさく責められる状況というわけでもないのに。
コイツや、その両親がどうなろうと俺には関係がないはずなのに、この胸騒ぎがして落ち着かない感情はなんなのだろう。…気持ちが悪い。
「…今回だけだ」
このままは気持ちが悪い。だから、この感情を取り除くために行動する。
自分自身のためなのだと言い聞かせ、俺は行き慣れた薬屋がある方向へと進み始めた。
「損な性格だよね。知り合いを助けるのにも、わざわざ言い訳を探さなきゃいけないなんてさ」
セオドアがぽつりと呟いた独り言は聞こえないふりをした。