とある夫婦の過去 3
ちなみにですが、マリーが持っている髪留めに彫られている花は、チューリップをモデルにしています。
それからルーカスは村の薬師のもとに弟子入りして、私に薬を作ってくれるようになった。
「ちゃんと先生にも見てもらったから! 変なものは入ってないから安心して!」と差し出される薬を飲んで、感想を言う。そして改善するためにまた新しい調合を試す。
彼は何故か私の嘘を見抜けるようで、せっかく頑張ってくれているのだからと「とても効きそうだわ」と言えば、眉間にしわを寄せて「マリー、僕に気遣いは必要ないよ。君に合う薬を作っているんだ。素直な感想を教えてくれ」と言われてしまった。
嘘を重ねれば重ねるほど、ルーカスは苦虫を噛み潰したような表情をするので、私は自然と思うままのことを言うようになった。
何百回、何千回と二人で試して。
「美味しい…」
「え? 前と同じぐらい飲みにくいと思うんだけど…」
少し方法を変えてみようとハーブティーを試していた時のことだった。初めて美味しいと思える薬に出会ったのだ。
ルーカスは私の言葉が信じられないようで、「ちょっと失礼」と私が飲みかけていたティーカップを優しく奪い、口に含んで味わうように口を動かす。
「っ! ふふっ…!!」
もしょもしょ…と口を動かしていたと思ったら、彼の顔がどんどん暗く沈んでいく。どうやら彼の口に合わなかったみたいだ。
クスクスと笑っていると、「酸っぱくて最初は変な甘さがあるのに…後味がすごく苦い…」と彼は感想を言った。独特の匂いもあるし…と憎々しげにティーカップを見つめるルーカスに、私はまた声を上げて笑う。
「分かった。マリー、さては君、また嘘をついているだろう」
「あら、私の言葉をお疑い?」
「人を傷つけない優しい嘘も含めるのなら、君はとんでもない嘘つきだろう。僕は知っているんだからね」
「流石、私の愛しい主治医様。私のことをよくご存知ね」
「…可愛いことを言っても誤魔化されないから」
頬を膨らませて必死に不機嫌そうな顔を作ろうとしているけれど、口角が上がってしまっているのが隠せていない。こういうところが可愛いのだけれど。
ルーカスをからかうと楽しいと知ったのは最近だ。愛を伝えるのはまったく抵抗がなく照れたりもしたいのに、受け取るのは苦手なようで、時折こうした可愛い反応を見せてくれる。
「嘘じゃないわ。なにかしら。なんだか、こう、身体にしっくりくる気がするの…」
「身体に合うってことかな…。分かった、次から暫くはこの調合を基本にしてみよう」
それからはルーカスが私の体質に最適な調合を見つけるまで早かったように思う。調合を少しずつ変えてよりしっくりくる、また飲みたいと思える方を試す。
強い効果のある薬ではないから、短期間で劇的によくなったということはなかったけれど、少しずつ少しずつ私の身体は元気を取り戻していった。
そしてそれから一年が経って、私は自由に外を歩けるようになった。幼い頃のことを考えれば奇跡とも言える変化だ。
「どう?」
「風が気持ちいいわ。あと…窓から見るよりも、なんだか外の世界が綺麗に見える…」
「…そうか。それはよかった」
初めてといえるまともなデートはたったの三十分。
私は平気だと言ったのだけれど、ルーカスが身体を冷やすのはよくないと上着を羽織らせて、そのまま家に連れ帰られてしまったのだ。
不満気にベッドに横になる私に、「これからはいつだって行けるんだ。ちょっとずつ慣らしていこう」とルーカスは苦笑した。
最初は三十分だった外出が、一時間になって、二時間になって、三時間…少しずつ増えていく。その分、私も体力がついて遠くの場所まで行けるようになっていった。
「好きです! 俺と花祭りに参加してくれませんか?!」
一人で自由に外を出歩けるようになったある日、そう話しかけられた。私は目を丸くして、ルーカス以外にも物好きな人っているのね、という感想を抱く。
話しかけてきたのは、私の家から少し離れたところにある森に住んでいる木こりの家の青年で、確か年齢は私よりも一年、上だったはずだ。
今まではあまり話したことがなかったけれど、最近は体調もよく、忙しいルーカスの代わりに薬草を取りに森に出かけていた。
初対面の時から感じよく挨拶をしてくれる人だと思っていたけれど、どうやら私に気を持ってくれていたらしい。
「花祭りに?」
花祭りは春に行われるこの町の恒例行事だ。屋台が出たり、簡単な劇が上演されたりと様々な催しがあるけれど、一番の目玉は祭りの最後に、夫婦や恋人の人たちが人の輪の中心に集まって踊りを披露するというもの。
花祭りに誘うということは、つまりそのダンスに誘うということ。恋人になって欲しいという告白と同義。
目の前の彼は顔を真っ赤にして、「マリーさんさえよければ…」と言う。その姿は誠実そうでとても好感が持てるものだったけれど、私の心は既に決まっていた。
「ごめんなさい。もう一緒に行く人は決まっているから」
ルーカスからはまだ祭りの誘いはきていない。大方、人が集まる場に連れ出して私の身体に負担がかかってしまわないか心配して誘えていないのだろうと思っている。
「…ルーカスですか」
「知り合いなの?」
「知り合いというほどでは。でも、村中の噂ですよ。何年も好きな子のところに通い続けて、その子の病気を治すために薬師まで志してる。こんなに一途な奴は見たことがないってね」
小さな村だからプライベートというものはほとんどない。
ルーカスも隠してはいないようだし、何人かには知られているのだろうと思っていたけれど、まさかそこまで有名だとは思っていなかった。
「そう…ちょっと恥ずかしいわね」と微笑む私に、彼もつられて笑う。
「元々、勝ち目はないんだろうなって分かってたんで。聞いてくれてありがとうございます。…こんなこと、信じてもらえないかもしれないけど。二人のことを噂で聞いた時、めちゃくちゃいい関係だなって思ったんですよ。二人のこと応援してます」
「えぇ、ありがとう。とても嬉しいわ」
そんな会話をして薬草を摘んでから家に帰ると、部屋に盛大に拗ねている顔をしたルーカスが仁王立ちしていた。
私が目をパチパチとさせて「どうしたの?」と尋ねる。ルーカスは無愛想に「…別に」と答えた。ここまで不機嫌な彼は珍しい。
「…」
「…」
「…」
「…ええっと、ルーカス? なにを怒っているのか言ってくれないと分からないわ」
「…祭り」
「お祭り?」
「…花祭り。参加するの、僕は反対だから」
一体なんの話だろうと私は首を横に傾げる。反対されるもなにも、彼との間で花祭りの話をしたことはないはずだ。
今まで参加など夢のまた夢だと思ってきたけれど、今年は体調もいいし初めて参加できるかもしれない。確かにそう思っていたけれど、口にしたことはないし、急に脈絡もなく花祭りの話になる理由が分からない。
「ルーカス? いい子だから、どうしてそう言うのか教えてちょうだいな」
「やっと体調が安定してきたんだ。今、気を抜くのは危ないたろう。それに君は人混みにも慣れてない。もし気分が悪くなったらどうするんだ。看病に慣れてる僕ならともかく、マリーの体質のことをなにも知らない男にマリーを任せられるもんか」
「ええっと、ルーカス。とても言いにくいのだけど…」
「とにかく僕は反対! 君になにを言われても反対だから!!」
言ってやったぞ、とフンッと顔を背けるルーカス。
その姿がまるで子供のようで、私は思わず笑ってしまった。
「ルーカス? 貴方の本音は?」
「…村の誰かが、マリーを花祭りに誘ったって聞いた。すっごくモヤモヤする。行って欲しくない。大人げない男だって笑いたきゃ笑えばいいさ」
ブスッとした顔のままルーカスがぽつりと呟く。私はその可愛い姿にキュンとしてしまった。
床に顔を伏せるルーカスの頭を抱きしめ、よしよしと撫でてあげる。あぁ、もう、貴方って本当に可愛い人ね。
「…なに」と言うルーカスに、「断ったわ。ちゃんと。私は貴方と一緒に花祭りに行きたいと思っているもの」と言えば、彼はパッと顔を上げた。
「本当…?」
「嘘なんて言ってどうするの」
「僕を慰めるために嘘をついているんじゃないよね」
「まさか。信じてもらえないなんて悲しいわ。私、良心が痛みながらもちゃんと勇気を出して断ったのよ。感謝の言葉くらいあってもいいんじゃないかしら」
私がそう言うと、今度はルーカスに強く抱き締められる。肩に彼の頭が埋まって、耳元でぼそりと「…嬉しい」と呟く声が聞こえた。
本当に可愛い人だと思った。
花祭りで可愛い髪留めをもらった。まだ見習いの立場である彼の給料は決して高くはないはずだが、必死に貯めて買ってくれたらしい。
「初めて店で見た時に一目惚れしたんだ。マリーと同じだ」
私のためになにかを贈りたいと思ってくれたこと、その気持ちがとても嬉しかった。
「マリー、僕と結婚してくれ」
プロポーズをされた。変に飾り立てない、素朴な言葉が心に響いた。
「マリーとルーカスを見ていると、結婚っていいものだって思えるわ。お幸せにね」
親しい友人にそう言われた。とても幸せだった。
そう、貴方と出合ってからの日々は幸せの連続だった。
ルーカス、ずっと私に寄り添って支えてくれた大切な人。
私に家族という宝物をくれた人。
愛してる。ずっと、ずっと…この一生をかけて貴方のことを愛し続けるわ。
ねぇ、ルーカス。本当にありがとう。
「マリー…起きて。せめて君とルークだけでも…生きてくれ…」
パチパチと火が燃える音がする。
暗闇の中で、ルーカスの声が聞こえた気がした。