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とある夫婦の過去 2

 

彼とたくさん話をした。


家族のこと、日常のこと、将来のこと。


たくさん話して彼の考え方を知った。


彼は紛うことなき善人だった。悩んだり苦しんでいる人を放っておけなくて、人の美点を見つけるのが上手くて、そしてすごいと思ったことはとても素直に口に出す。


彼の隣は居心地がよくて、同時にとても息苦しい。


彼のことを知れば知るほどに、私は自分のことを恥じるようになっていった。



「マリーは優しいね」



そう言われる度に、そんなことはないのだと泣き叫んでしまいそうになった。









十歳になって私はひどく体調を崩すようになった。


まるで呪いのようだと思う。少しずつ、少しずつ私の生気が吸い取られていく呪い。



「こほっ! …ッ!」



手足が痺れるように痛む。私は唇を噛んで、自分の腕を抱いた。



「大丈夫…大丈夫よ、きっとすぐによくなるから…」



私が好んで読む物語のほとんどはハッピーエンド。だってそうしないと読んだ人が泣いてしまうから。


どんな不幸なことが起こったって、最後に幸福が待っているのだとしたら人は耐えることができる。


苦い経験は最後の甘い幸福を存分に味わうために必要なもので、「あの経験があったから今の自分がいる」と思うことができる。


だから、救いのない、悲しくて苦しいだけのお話なんて私は大嫌い。


この人生にはなんの意味があったのだと後悔しながら死ぬだなんて、考えるだけで辛いもの。


私は自分の人生を悲劇になんかしたくなかった。ドラマチックな展開も、観る人があっと驚くような逆転劇も必要ない。


ありきたりなで平凡な人生でいいから、穏やかでささやかな幸せに満ち足りた人生を送りたかった。この世界に生まれてよかったと自分の生き方に満足して死にたかった。


病に侵されて、一生をベッドの上で過ごしただけの人生なんて、そんなのあんまりじゃない。


 

「こんなところで死にたくなんかない…」



両手で顔を隠して私は涙を流す。その時だった。


バサッと物が落ちる音がして、私ははっとして顔を上げる。


 

「マリー…」 



ルーカスだった。彼は顔を青くさせて、地面に落としてしまった花束を拾う。



「さっきの言葉は…?」


「…なんでもないわ」


「なんでもなくはないだろう。話してくれ。なんだって相談してくれって言っただろう」



ルーカスは私の手を取って眉を下げ、懇願するように言う。


いつもならば安堵を覚える彼の言葉に私は苛立ちを覚えた。


彼の瞳が、彼の表情が、彼の態度が今の私には哀れみが滲み出たものに見えたからだ。



「…ッ、貴方には関係ないでしょう」



日に日に悪化する体調に私は焦りを覚え始めていた。


息を吸うようにしていた、明るく優しく振る舞う私の演技。…私の処世術。


それができなくなるほどに私は心の余裕を失っていたのだ。


言ってしまって後悔が胸に広がる。顔を上げてルーカスを見れば、彼は傷ついたような顔をしていた。



「ルーカス…」



違うの。こんなことを言いたかったわけじゃない。


ただ今は一人にしていて欲しくて。暫くそっとしておいて欲しいとそう言いたかっただけなのに。


なのに、咄嗟に出てきた言葉は更に彼を傷つけるものだった。



「どうせ健康な貴方に私の気持ちなんか分からないわ」



あぁ、言ってしまったと思った。


ありがたいと感謝の気持ちと同時に、いつも心の奥底で感じていたドロドロとした醜い感情。嫉妬。劣等感。


こんな醜い自分を彼にだけは知られたくなかったのに。私のことを大好きだと言ってくれたこの人にはずっと隠し通しておきたかったのに。


誤解を解こうと口を開きかけるけれど、頭が真っ白になって上手く言葉が出てこない。口を開いて、閉じて、という行動を繰り返して、私はぐっと唇を噛んだ。


気まずい静寂を破ったのはルーカスの方だった。



「…ごめんね。お節介が過ぎたみたいだ。今日は帰ることにするよ」



彼はそう言って「また明日来るから」と去っていく。彼の背中を見送って、私は罪悪感に押しつぶされそうになった。



「違うの…」



涙が溢れてきて、私は泣き崩れる。


彼に失望されたのだと思ったからだ。



「…ごめんなさい」



ごめんなさい。本当は…本当は、私は貴方が褒めてくれるようなできた人間じゃないの。


ただ優しいフリをしているだけで、心の中は不満や嫉妬でいっぱいで、それを必死に作り笑顔で隠している。


優しいフリをしているのは、人から好かれたいから。


人から好かれたいのは、そうしないと私は一人で生きていけないから。


こんな身体じゃ誰かの助けを借りないと生きていけない。


親から好かれて、知人に好かれて、そうしてようやく私は毎日を過ごすことができる。



「ごめんなさい」



私は私のために、ずっと演技をしている。


ルーカスに弱音を話す時だって、この仮面を外したことはなかった。


いつも人の顔色はかり伺って、大して楽しくもないのにニコニコしていて、善人の仮面を被って心の中では自分のために人を道具みたいに扱っている。


私はそんな醜い人間なの。


ルーカス。貴方のことも、きっと私は利用している。


私は、本当は…貴方が隣にいていいような人間じゃないの。



「…」



涙を拭って、私はベッドに横になった。


泣いても仕方がないわよ、と頭の片隅でもう一人の自分が呟く。


泣いても悲しんでも、神様は私の身体を治してくれなかった。だから強く生きなくちゃ。


明日になったらルーカスに謝ろう。大丈夫。きっと上手くいくわ。今日は駄目だったけれど、明日になったらちゃんといつも通りを演じることができるようになるから、だから、きっと大丈夫。


そう言い聞かせて、私は一人で眠りについた。







次の日、ルーカスは約束通り会いに来てくれた。



「ルーカス…昨日は…」



ドクドクと忙しなく動く心臓を教えて、必死に落ち着いた声色を作る。


優しい彼はきっと許してくれる。浅ましくも、そんなことを期待して謝罪をしようとすれば、その前にルーカスが「ちょっと待って!」と私の言葉を遮った。


ルーカスは私の手を取って、ぎゅっと優しく握ってくれる。



「昨日、君に言われてから僕も考えたんだ」


「…」


「マリー。僕は薬師になるよ」


「…え?」



予想外の言葉に私は目を丸くする。


彼は真剣な顔をして話を続けた。



「今のままじゃ僕は君の力になれない。だから、勉強して君の身体に合う薬を必ず作ってみせる」


「…無理よ。お医者様だって原因不明だって言っていたんだもの」


「原因が分からないからなんだって言うんだ? 分からないなら、分かるまで努力すればいいじゃないか」



マリー、とルーカスは優しい声で私を呼ぶ。



「僕が君の薬を作るよ。君を待たせてしまうかもしれないし、上手く調合できなくて迷惑もたくさんかけてしまうかもしれないけれど、でも絶対に最後まで諦めないって約束する。だから僕の我が儘に付き合って欲しい。今の通い婚もロマンチックで素敵だと思うけど、僕は君ともっと色んなデートをしたいんだ」


「どうして…そこまでしてくれるの…?」


「マリーはそればかりだね。僕がそうしたいだけだと言っても全然信じてくれない」



まったく…とルーカスは苦笑して、うーんと顎に手を当てる。


そして「あぁ!」と手を叩いてにこりと笑った。



「惚れた弱みというやつさ!」



パチンッとウインクをされて私は思わず面食らう。そして吹き出して笑ってしまった。


あぁ、この人には敵わないわ、とそう思った。




この世界の薬師は医者と少し違う職業と思ってください。


医者のように診察もしますし、そのような処置もしたりするのですが、やり方は比較的、民間療法に近いと思っていただけるとありがたいです。




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