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博覧会 18 (三人称)


明かりもついていない真っ暗な部屋の中で、ネイサン・ヒドルスはうなだれていた。


彼が座っている椅子の横には、彼が愛していた女性がベッドに横たわっている。その表情に苦悶の色はなく、眠っているのではないかと錯覚してしまいそうになる。


ジェニー・ストーンは死んだ。


突然、屋敷中の人間が昏睡するという異常な事態が起こり、そしてその間に彼女はひっそりと息を引き取ったのだ。


そしてネイサンが彼女に贈ったものは一つ残らず消えていた。


最初は他殺だと誰もが考えた。貴族に嫁入りした平民出の彼女を恨む人間は多かったし、高価な持ち物が消えているのなら強盗の可能性もあるだろうと思ったからだ。


しかし、その考えは彼女からの手紙がネイサンに届いたことによって消え去った。間違うはずもない彼女の筆跡で書かれた手紙。



「ジェニー…どうして君まで僕を置いていったんだ…」



彼女の死後から三日が経ち、絶望のどん底に落ちたネイサンを訪問する奇妙な客がいた。


小鳥だ。真っ黒な小さな小鳥が窓をその小さな嘴で小突き、手紙をネイサンに手渡すと、用は済んだとばかりに飛び去っていった。


手紙を読んで、これは悪夢なのかと思った。


せめて他殺であって欲しかった。彼女が…あの強い人が自ら命を絶ったなどと信じたくなかったのだ。


ネイサンは冷たくなった妻の手を握り、「卑怯じゃないか…」と言った。



「どれだけ欲してもくれなかった一言を、最後の最後になってくれるなんて…君は僕をどうしたいのかな」



愛してる、だなんて。ネイサンは呟く。


手紙じゃなくて君の口から聞きたかった。


卑怯な人だった。勝手に優しくしてきて、好きにさせておいて、いざ手を伸ばしたら「貴方のものになるつもりはない」と振り払われる。


なのに、こちらが傷ついている時には近づいてきて、また立ち上がれるように優しい言葉をかけてくれるのだ。


恋愛に駆け引きというものがあって、勝敗というものがあるのなら、自分は間違いなく全敗だろう。


それほどネイサンは彼女に依存し溺れていた自覚があった。



「僕にしか成せないことがある? 買いかぶり過ぎだよ」



彼女に手に指を絡めて、少しでも彼女に残った体温を感じられないかと力を込める。


彼女の手が握り返してくれることはなかった。



「僕が一人じゃ何もできない男だって、君が一番よく知っているだろう? 君が隣にいてくれたから強くなれた。両親が死んでも立ち止まらずに歩いてこれた。その君がいなくなってしまったら、僕はどうやってこの先を歩いていけばいいんだい?」



床に散らばった灰を見て溜め息をつく。その灰は先ほどまで手紙の形をしていたものだった。


ネイサンが読み終えたと同時に、紙は焼け灰になってしまったのだ。


最後までつれない人だ、と苦笑してネイサンは微笑んだ。



「手紙の一つも遺してくれないなんて冷たいんじゃないかな。ねぇ、ジェニー。君がどうして死を選んだのか僕には分からない。手紙を読んだけど馬鹿な僕にはさっぱりだ」



だからね、と彼女の手を握り締める。



「君に直接聞きに行くことを許してくれないかい? 君がいない世界なんて、僕にはもう…」



そう言いかけた時だった。ドアがノックされる音が静かな部屋に響いた。


ネイサンは涙を拭って、「誰?」と冷たく尋ねる。


聞き覚えのある使用人の声だった。ジェニーが可愛がっていた子のはずだ。彼女は怯えたように震えた声で「あの…お会いしたいという方々が…」と言った。



「人に会う気分じゃない。今日は帰ってもらってくれ」


「ですが…」


「妻の死を悼む時間も僕にくれないのかい? 当主というのは、心がある人間には務まらない役目なのかな」



遠回しに邪魔をするなと言えば、使用人は黙り込んで「…失礼致します」と去っていく。


言い過ぎただろうかと後悔が広がるが、今更追いかける気にはならなかった。



「八つ当たりだなんて子供っぽい真似、もう卒業したと思ってたんだけどなぁ…」



でも、もういい。もういいんだ。


彼女のような大人になりたかった。だけど、その尊敬する人は消えてしまった。ならばもう大人らしく振る舞う必要もない―――。



「本当にいいのかしら?」



背後からそんな声がして、ネイサンは勢いよく後ろを振り返った。


視界に入ったのはプラチナブロンドの髪。亡くしたばかりの妻の面影がある、美しい女性だった。



「貴方は…誰だ…?」


「貴方のそんな姿、あの子は望んでいなかったわ。いらっしゃい。貴方を待っている人がいる」



そう言って手が差し伸べられる。


困惑しながらもネイサンが手を重ねれば、まるで雲を掴んでいるかのような感覚がした。


これは一体何だろうか。人の肌に触れた感触がないのに、脳が触れていると判断している。


声だって耳から聞こえているというよりは、まるで心の中に直接訴えかけてきているような…。


彼女に導かれるままに、ネイサンは足を進める。夢でも見ているようだった。


彼女はあるドアの前で立ち止まり、そしてネイサンの背後へと回る。



「そのドアを開けた先に広がる光景こそが、あの子が貴方に見せたかったものよ。…行ってらっしゃい。貴方の歩む未来が明るいものでありますよう」



そんな言葉と同時に、とんっと背中を軽く押された。


そして次の瞬間には彼女の姿は消えていた。


ネイサンは暫く誰もいなくなった廊下を眺めていたが、少し迷った末に、ドアノブに手をかけた。


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