博覧会 14 (三人称)
今回はパソコンで書いてみたので、?の後のスペースなど、いつもと違うところがあると思います。
目を開けると視界一杯に美しい星空が広がっていた。
モナは目を見開き、「ここは…」と呟く。土と草の香りがして、肌に心地のよい風を感じる。
自分は屋敷で気を失ったはずなのに、どうしてこんなところにいるだろうと首を傾げたところで、「目が覚めましたか」と声をかけられた。
地面に寝転がる自分を覗き込む子供が見えた。自分が知っている人間の中で、こんな不気味な子供は一人だけだ。
「レオ・アクイラ…」
「こんばんは。漸く妹の目を盗んで逃げだすことに成功しました」
レオはモナの横に腰を下ろし、茶化すような口調で言う。
結構苦労しましたね…と遠い目をしながら言う彼の横顔を、モナはぼんやりと見つめた。
「ここはどこなの?」
「貴方の住む屋敷から遠く離れた草原です。近くに村もないので、静かで気に入ってるんですよ」
「どうして私をここに…?」
「あの屋敷は貴方にとって窮屈そうに見えたので。秘密話をする場所としても向いていませんしね」
どうやら自分は勝手に連れて来られたらしい。しかし、了承もなく連れ去られたことに怒りは湧かなかった。
それどころか、助かった、と屋敷から出られて安堵している自分がいた。あの場所は自分にとってあまりにも思うところがある場所だから。
モナはレオから視線を外し、身体を起こして空を見上げた。
「いい場所ね。センスがいいわ」
「ありがとうございます」
「…貴方の毒のことだけど、まだ使っていないの」
「おや、何故ですか? 注文通りの品物にしたはずなんですが…」
「いいえ、貴方の責任じゃないわ。貴方は約束通りの品物を送ってくれた。感謝している」
レオはますます分からないと言いたげな顔をしている。
毒に問題がないのならどうしてさっさと使わないのだろうと不思議に思っているのだろう。その通りだと思う。
殺すべきだと思っていたし、今度こそ殺す覚悟もできていた。何があってもこの決心は揺るがない――そんな自信があったはずなのに。
「子供ができたみたいなの」
「それは…おめでとうございます、と申し上げてよいのでしょうか」
「よくはないわね。計画のことを考えると」
モナは苦笑いをしながら、自分の腹を撫でる。
「馬鹿よね。子供ができたというだけで、決心が鈍ってしまったの」
自分が母親になるなんて想像したこともなかった。だから、どうしてよいのか分からない。
「…では毒殺は中止に?」
「できないわ。私が生きている限りあの人への憎しみは消えないもの。だから…そう、ちゃんと気持ちの整理をつけなくてはね」
正解はモナにだって分かっている。
ここで暗殺を諦めて、過去のことを水に流して、今までの不幸に目をつぶり今ある幸せに目を向けること、それがきっと正しいことだ。
そして、この躊躇いを振り払い計画を遂行することはきっと不正解なのだろう。
「間違っていることを分かっていても、母のことを思うと諦めきれないわ」
このままじゃ母が報われない。彼女の人生は奪われて虐げられるばかりのものだったはずだから、せめて彼女の死だけでも意味のあるものにしてあげたかった。
レオは静かにその話を聞いていたが、「同じく復讐心に駆られた者として、一つ言っておきたいのですが」と前置きして、彼は口を開いた。
「相手を殺しても死者が生き返ることはありませんよ」
「そんなこと…」
「分かっていますか? 本当に?」
「何が言いたいの?」
「復讐を成し遂げた時、心に広がるのは達成感でも安堵でもなく、ただ虚しさだけだということです」
分かりきったことでしょう? とレオは続ける。
「今までは怒りを向ける相手がいたから自分を保つことができた。それを殺してしまえば、何に怒りをぶつければいいのか分からない。復讐なんて劇や小説なんかでは大層なものように書かれていますが、貴方が思うよりもずっと面白みがない、つまらないことですよ」
復讐心があるから自分を保っていられる、その言葉にはモナも思い当たるものがあった。
順風満帆な人生とは言い難かった。失意のどん底に落ちたこともあるし、そこから這い上がってこられたのは「このまま何もせずに死ぬわけにはいかない」と自分を奮い立たせることができたからだ。
母が守ってくれたこの命を無駄にはしない、必ず仇を討ってみせる、そう思っていたから今日まで生きて来られたのだ。
あの人を殺したら自分はどうなってしまうのだろう、とモナは思った。仇を討って、怒りを覚える必要もなくなった生活など想像もつかなかった。
「貴方はどうだったの?」
「僕ですか?」
「私と同じだったんでしょう。貴方がつまらないと言い切った復讐はどんなものだったのか興味があるわ」
モナがそう言えば、レオは顎に手を当てて思い出すような素振りをした。「今思えば、無鉄砲もいいところでしたね」と笑いながら彼は言う。
「無鉄砲? 感情のままに動くタイプには見えないけれど…」
「買いかぶりすぎですよ。モナさんの方がよっぽど上手く立ち回っています」
「つまり、平民が貴族を殺すよりすごいことをしようとしたわけね」
「すごいかは分かりませんが、貧民街の子供が王族に喧嘩を売ったんです。一夜にして有名人になりましたね。命知らずの馬鹿としてですけど」
「…それは、また面白い冗談ね」
「さぁどうでしょう? 冗談だと思いますか?」
「冗談じゃないのなら比喩かしら。だって貴方はかの有名なアクイラ家の子供でしょう。貴族の生まれなのに、貧民街の子供だなんて変な話だわ」
「信じなくても構いませんよ。大した話ではありませんから」
モナはじっとレオを見つめたが、彼は変わらず穏やかな笑みを浮かべているだけだ。どこまでが作り話で、どこまでが本当なのかモナには分からなかった。
「あぁ、誤解しないでください。説教をしたい訳ではありません。貴方が取引相手である限り、僕は最大限貴方の意思を肯定し、力になれるように努力いたします」
不気味な子供はそう言って、モナが答えを出すことを待っている。人を殺してはいけないと諭す訳でもなく、さっさと殺せとそそのかす訳でもない。
モナがどんな決断をしたとしても、彼は「素晴らしい答えですね」と考えの読めない笑顔で褒めるのだろう。
そこまで考えてモナは黙り込んだ。本当にネイサンを殺したいという言葉が咄嗟に出てこなかった。
「…分からないのよ」
思わず口から漏れたのは、心の奥底に隠してきた本音だった。
「分かってる。分かってるの。あの人が悪い訳じゃない。だって母が殺された時、あの人は三歳だったのよ。そんな子供にどうやって人殺しを止めろと言うの」
「…」
「両親が犯した罪を子供に背負わせるなんておかしい。私が力になりたいと思った“お坊ちゃん”はそんな人間じゃなかった。彼の親のような人じゃなかった」
「でも仕方がないじゃない…」とモナは続けた。
「父親は勝手に事故で死んだ。母親は…殺そうと思ったけど、殺せなかったの。刃物を持って寝ている彼女を突き刺そうとしたら、血まみれの母の姿を思い出して、身体が動かなかった。彼女は飛び起きた。それでナイフを持つ私から逃げようとして…階段から落ちて死んだ。私が手を下す前に、母の仇だった二人は死んでしまった!」
最初は…殺すのは母親だけで済ませるはずだった。ネイサンを殺すにはあまりも情が移ってしまっていたから、母親を殺した後は彼の元を去ろうと思っていた。それが最後の優しさのつもりだった。
計画が失敗したのは、自分の甘さが原因だ。アナが…ジェシカが言っていた通りだった。ずっと憎んでいたはずなのに、いざ殺そうと言う時になって躊躇ってしまったのだ。
殺せない、殺したくない、どうしてこんなことをしなければならないの。そう自問自答している内に、憎い相手は勝手に死んでしまったのだ。
だから、行き場を失った怒りをネイサンに向けるしかなかった。二人の分も、彼に苦しんで欲しかった。
でも…だけど…と心情を吐露するモナにレオはニコッと笑って言った。
「貴方は人を殺せませんね」
嫌味にも感じない、ただ事実を言うだけのような言い方だった。モナは、は…と呆ける。
「残念です。博覧会で出会った時の貴方は確かに覚悟があった。でも今は難しいでしょう」
「そんなこと…ないわ…」
「無理ですよ。どうやっても。自然と消えてしまった殺意は思い出せば済むことですが、一度“折れてしまった”殺意は使い物になりませんから、やるだけ無駄です。失敗することが目に見えている。決断を肯定するとは言いましたが、失敗すると分かっているものに協力するほど、僕はお人好しではありませんよ」
かっと頭に血が上った。
今までの葛藤や努力を馬鹿にされたように感じたのだ。
貴方に何が分かるの、とモナは言い返そうとした。