モナ・アーネットの過去 13
「…メリッサ・アーネット?」
彼女はふらふらとした足取りでこちらへと近付いてくる。母の知り合いなのだろうかと私が尋ねかけたその時だった。
「いっ?!」
彼女は私の髪を掴み、強く引っ張った。
あまりに予想外の行動に私は避けることもできず、髪がブチブチと何本か抜ける音がする。
「よくも私たちを呪ったわね?!」
「何のこと…っ…」
「満足かしら?! 貴方は昔からそうだった! 傲慢で、自分勝手で、死んでもなお私を不幸に陥れる!」
訳が分からない。母が彼女に何をしたと言うのだろう。
彼女は私の頭をつかんでガクガクと揺すり、終いには「殺してやる! 今すぐ、私の手で!」と叫んで、私の頭をテーブルの角にぶつけようとした。
「母さん」
殺される―――そう思ったところで、お坊ちゃんが彼女の手を掴んで止めてくれた。
「彼女の名前はジェニーだ。妄想に振り回されて暴れるのはいい加減止めてくれ」
「違う…この女はメリッサよ…」
「母さん」
「だってこの髪…髪があの女にそっくりなんだもの…」
「他人の空似だよ」
お坊ちゃんの声は、私が聞いたこともないほど冷たいものだった。親に対してではなく、面倒な他人をあしらうような態度だ。
彼の母は目に涙を浮かべ、お坊ちゃんの胸に寄りかかる。「ネイサン…」と彼女は我が儘な子供を言い聞かせるような優しい口調で言った。
「貴方は騙されてるの。こんな女は不幸しか呼び寄せない。貴方が幸せになれることなんかない」
「…」
「こんな疫病神、今すぐに屋敷から追い出しなさい。いい子だから…」
黙って聞いていれば不幸を呼び寄せるだの、疫病神など、随分言ってくれるわね。
苛立った私は言い返そうと口を開きかけて…お坊ちゃんの顔を見て、口を閉じた。
「ごめんね、ジェニー。時間の無駄だった」
お坊ちゃんは抱き付く母親の手を振り払い、「不愉快な思いをさせてごめんね」と私に微笑む。
「…いいの?」
「構わないよ。いつもこんな感じなんだ。いちいち反応していたら疲れてしまう」
そう、と私は簡単な返事を返した。
息子に拒絶された母親は、呆然と私たちのことを見つめている。自分がされた仕打ちを理解できないのだろう。
哀れな人だと思った。この親子の仲を取り持とうなんて微塵も思わないけれど。
そのまま私たちは部屋を後にした。
「…ねぇ、メリッサ・アーネットという女性は誰なの?」
彼の母親が憎々しげに呼んでいた、私の母の名前。
彼女の様子から二人は複雑な関係があったようだが、母から貴族と交流があったなんて話は聞いていない。
一体どういうことなのだと、母であったことは隠してそれとなく探りを入れる。
「さぁ…僕も詳しくは知らないんだ。もう亡くなっているみたいだけど」
「…亡くなったってどうして分かるの? 何年も会っていないみたいだったわ」
「手紙のやり取りでもしていたんじゃないかい?」
「仲が悪い相手と? どんな文通よ」
「はは。ジェニーがそんなに興味を持つなんて珍しいね。何か気になることでも?」
「…まさか。ただ、人の隠し事や秘密を知るのが大好きなだけよ」
「いい趣味だね」
「あら、貴方も皮肉が返せるようになったのね。どうもありがとう」
それでどうして相手の生死が分かったの、と再度尋ねる。
どうしても知りたい。でも、知りたくない気もする。
知ってしまったら…もし、私の予想が当たってしまったら、もう後戻りはできなくなるという予感がしたから。
そこまで考えて、私はふと彼の手に目が留まった。
特徴的な装飾が彫られた指輪。
私は息を呑んだ。
「その指輪は?」
「これ? あぁ、家の中だと当主がつけなきゃいけない決まりなんだ。代々僕の家に受け継がれてきたものだよ。とはいっても、父の代に一回盗まれたらしいから、本物かどうか怪しいところなんだけどね」
何でもないことのように彼は言う。
私は深く息を吐いて、努めていつも通りの声を作り「お坊ちゃん」と呼び掛けた。
「貴方の名前を、聞いていいかしら? 今までは住む世界が違うから、あまり関わらない方がいいと思ってたんだけど…家まで来てしまったら今さらでしょう?」
笑顔を張り付けて、冷静に、もし予想が当たっても動揺したことを相手に気付かれないように、気を付けてそう尋ねる。
「それもそうだね。ネイサンだよ。ネイサン・ヒドルス」
「…そう。珍しいファミリーネームね」
「そうかな?」
「ええ、一度聞いたら忘れられないような名前だわ」
本当に忘れたくても、忘れられない名前だった。
ねぇ、ネイサン。私はね、七歳の頃から貴方たちに会いたくてたまらなかったのよ。…母を喪ったあの日から。