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モナ・アーネットの過去 11


彼は、父の代わりに家を継ぐことになったようだった。やることが山のようにあるらしく、店に顔を見せることもなくなった。


ただ、子供たちにだけは、時間を見つければ会いに来ているようだった。



「なぁ、姉ちゃん」


「何?」


「兄ちゃんを止めてやってくれよ。もう見てられねぇ」


「…」


「俺らのために動いてるのは分かるけど、あのままじゃ兄ちゃんが倒れちまう。俺らが言っても駄目だったからさ。姉ちゃんの言葉なら聞くと思うから」


「貴方たちを助けたいと思ったのは、彼自身の意思よ。そしてそのためにどう動くのかも彼の自由。私が口を出すことじゃないわ」


「…じゃあ兄ちゃんが働きすぎて、病気になってもいいって言うのか?」


「…そこまでは言ってないわ」


「そういうことだろ」



私が眉をひそめれば、「今のは言い方が悪かった。ごめん」と謝られる。



「最初は世間知らずな偽善者だとか思ってたけど、あの人は本当に心から俺たちのことを心配してくれるんだ。…でも、もういいよ。もういいんだ」


「…」


「孤児院もいらない。援助だって必要ない。誰かを不幸のどん底に突き落としてまで、俺たちは裕福になりたいとは思わない。…兄ちゃんにそう伝えてくれ」



子供の一人にそう言われた。他の子たちも同じ気持ちだろう。


この子たちは別に誰も恨んでいない。唯一恨むとすれば、世界そのものに対してだ。


自分たちに降りかかった不幸は偶然のもので、誰かに責任を押し付けるものではない。


ましてや自分たちによくしてくれるお坊ちゃんに償って欲しいものでもない。


もう諦めているのだ。私たちは。世界はそういうものなんだと、そんな残酷な世界の中で私たちは苦しみながら生きていくしかないんだと諦めている。


…諦めていないのは、彼だけだ。






「ジェニー姉ちゃん、今すぐ来てくれ!!」



店に子供が来たのは、それから少ししてのことだった。呼吸を整える暇もなく、真っ青な顔で「兄ちゃんが! 兄ちゃんが倒れた!」と叫ぶ。


その言葉を聞いて、私もすぐに店を飛び出した。


案内された場所にいたのは、意識を失ったお坊ちゃんだった。急いで呼吸をしているかと確認する。ただ疲労で倒れただけだと分かって安堵の息を吐いた。



「お、俺たち…どうすればいい…?」


「この人を私の部屋に運ぶのを手伝ってちょうだい。彼に必要なのは休息。それだけよ」



お坊ちゃんの顔を覗き込んで、ここまで…と私は息をのむ。まるで病人のようだ。子供たちがあれだけ止めさせてくれと言っていた理由が分かった。


子供たちに手伝ってもらって、彼を自分の部屋に入れる。ベッドに寝かせ、「人の気配がたくさんあると起きるかもしれないから」と子供たちには退出してもらった。



「…どうして貴方がここまでするの」



ただの他人だ。金持ちと貧乏人。人より優位に立てる人間と、見下されるしかない人間。


彼が私たちを助けなくてはならない義務はない。


馬鹿な人だ。正直な人だ。素直な人だ。…本当に目が離せない人だ。


そこまで考えて、私は彼のことを自分が思っていたよりもずっと気にかけていたのだと分かった。


これが恋愛感情なのか、親愛なのか、他の何かなのかは分からないが、彼に好意的な感情を向けている。


私は、はぁ…とため息をついて「本当に、仕方がない人」と静かに笑った。



「ジェニー…?」



お坊ちゃんが目を覚ましたのは、それから数時間してのことだった。


身体を起こそうとしている彼を、私は無理矢理、ベッドに押し戻す。



「倒れたのよ。あの子たちが私を呼びに来たの」


「あぁ…ごめん。心配かけたね」


「酷い顔色よ。前よりもっと酷くなってる」


「はは…あんまりゆっくりできなくて」



無理して笑おうとするお坊ちゃん。いつの間にこんな癖がついたのかしら、と私は呆れた。


疲れきっている彼のためにあたたかい食事と飲み物を渡し、「で、最近はどうなの?」と私は話を振った。


ようやく家での仕事に慣れてきたところだとお坊ちゃんは話した。


父の死に関して親戚たちが色々と言ってきたが、その勢いも少しずつ弱まってきた。家のことと並行して孤児院の話も進めているが、こちらはあまり進展がない。そういう話だった。



「…なんて、暗い話ばかりしていたら、また君に怒られてしまうかな。虫料理は遠慮したいよ」


「お望みなら急いで用意してあげるけど?」


「ごめんってば」



お坊ちゃんは苦笑して、そして目を伏せた。



「やっぱり、ジェニーと話していると落ち着くな」


「…?」


「何でだろう。最初から初めてあった気はしなかったんだけど、こうして久々に会う度に思うんだ。懐かしさとか、親しみやすさみたいな。…遠い親戚だったりしない?」


「ぞっとするわね」


「そう言わないでよ」



私が正直な感想を言えば、お坊ちゃんは思わずといったように吹き出し、「相変わらず冷たいなぁ」と言った。



「ジェニーが僕の家に来てくれたら楽しいだろうね」



そんな言葉が聞こえた。予想していなかった言葉に「…は?」と私は聞き返す。


お坊ちゃんも自分が何を言ったのか理解できなかったのか、私を見て目を丸くした後に、自分の口に手を当てた。



「あ、えっと、違う! 変な意味じゃなくて! ジェニーがいてくれたら、家も明るくなるだろうなってそう思っただけだから!」


「…」


「…お、怒った?」



怒られると思ったのか、お坊ちゃんは眉を下げて、申し訳なさそうに私の顔色を伺う。


暫く無言でいれば、話したくもないほど苛立っていると勘違いしたのか「謝る! 謝るから…」と目に見えてオロオロしだした。


私はそんな彼から顔を背けて、「…まぁ」と口を開く。



「このままじゃ貴方のことだからまた倒れそうだし。少しくらいなら、貴方の慈善活動に付き合ってあげてもいいけれど」



次はお坊ちゃんが固まる番だった。「…え?」と聞き返し、「ジェニー。それって…僕の家に来てもいいって言ってる…?」と尋ねてくる。



「迷惑なら別にいいけどね」


「迷惑じゃない! 来てくれたら僕も嬉しいけど…え? 本当に?」


「今の貴方、放っておけないのよ。私がこんなにお節介だったなんて自分でもびっくりだわ」



「でも、貴方の他に家にはお母様もいるんでしょう。少しの間お世話になっていいか、彼女の許可ももらって来てちょうだい」と私が言えば、彼は嬉しそうに頷いた。





ほんの少し、数週間だけの滞在のつもりだった。


彼が抱え込んでいる仕事を一部だけでも手伝えたらいい…それが無理でも、気晴らしに世間話をする話し相手くらいになれると思ったから。


そんな思い付きのせいで、人生の歯車が狂うことになるなんて、この時の私は思いもしなかった。




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