モナ・アーネットの過去 9
あの場所が気に入ったのか、お坊ちゃんはよく子供たちの家に顔を出しているようだった。
最初は「何を話していいか分からないから」と私に付き添いを頼んでいたが、それも三度目からはなくなって、自分一人で彼らの元に通っていた。
何がしたかったのか分からなかったけれども、子供たちからは悪い話は聞いていないし、特には迷惑になるようなこともしていないらしい。
ならば私が止める理由はない。そもそも何か心境の変化のきっかけになるかと思って、あそこに案内したのだ。
大人がとやかく言うよりも、素直な子供の言葉の方が響く時がある。
彼にとって必要なことなのだろう、とそのままにしておいた。
「『ありがとう』って言われたんだ。花冠の作り方が分からないみたいだったから、一緒に作ってあげたら」
「よかったわね。それでどう思ったの?」
「…嬉しかった。お金を渡した訳じゃなくて、大したことをした訳でもないけど。僕自身の力で、誰かに感謝してもらえることができるんだって分かったから…うん、すごく嬉しかったかな」
「そ、いい傾向ね」
元気が有り余っている子供と接しているからか、ハキハキと喋るようになった。
外に出るようになって体力もついてきたのだろう、顔色もよくなり、健康的になった気がする。
「今日は子供たちとこんな会話をした」と楽しそうに話す彼の話を、私は聞いてやった。
「孤児院を建てたい?」
「うん。どう思う?」
そんな中、身寄りのない子供たちに清潔で安全な居場所を用意してあげたいと相談されたのは突然のことだった。
店に来た彼にいつものように紅茶を出す。彼は難しい顔をしたままペンを動かしていた。
紅茶をテーブルに置いても、一向に手をつける素振りがなかったので、「早く飲まないと覚めるわよ」と忠告してやれば、漸くお坊ちゃんは顔を上げた。
そして至極真面目な顔で、「君の意見を聞きたいんだけど」と話し始めたのだ。
きっかけは、仲良くしていた子が死んだこと。子供たちのリーダーのような存在だった子だ。
「事故死だって。原因は詳しくは教えてもらえなかったんだけど…」と眉を下げる彼を見て、随分と仲良くなったのだな、という感想を抱く。
あの子の死因は事故死じゃない。殺されたのだ。生活が苦しくなったから大きな店に盗みに入る、という計画をあらかじめ私は聞いていた。
あそこの店には悪い噂が絶えないから止めるべきだと何度も言ったが、「冬になる前に金を貯めないと。薪もいるし、食べ物もいる。俺らはいいけどさ、チビたちが死んじまうだろ?」と言って聞く耳を持たなかった。
そして店で捕まり、彼は仲間を庇って殺されたのだ。共に盗みに入って彼に逃がされた子からそう聞いている。
この様子だとお坊ちゃんは知らないのだろう。子供たちは教えたくなかったのだろうか。盗みに手を染めたと知られて、彼に失望されたくなかったのだろうか。
「ジェニ―は事故について何か知ってる?」
「…いいえ。私も詳しくは知らないわ」
「そう…」
「それで、孤児院の話だけど。本気?」
「勿論本気だよ。ただこればかりは僕だけの力じゃどうにもできなくて。どれだけ計算しても、僕一人で用意できる額じゃない」
「でしょうね」
孤児院の運営だってただじゃない。建物はもう使われていないものを安く借りるとしても、あの人数をすべて引き取るとなれば、食費だけでもかなりの金額になる。
「貴方の家は?」
「…正直期待できない。他人の子供に使うって知ったら、銅貨一枚だって出さないと思う」
お坊ちゃんは迷う様子もなくはっきりと言い切る。なるほどね…と呆れつつ、どうするべきかと思い悩んだ。
「でも、その金額は現実的じゃないわ。貴方がもっと大人になって、家のお金を自由に使える立場になってからでは駄目なの?」
「でも…その間に、犠牲になってしまう子も出てくるだろう。できるだけ早く始めたいんだ」
「…今更よ。貴方があの子たちに会う前から、こんな感じだった。毎年冬に誰かが死ぬのも、ある日突然誰かがいなくなるのも。貴方が責任を感じることじゃないわ」
「分かってるよ。それでも、約束したんだ。死んだあの子と」
約束って? と私は聞き返した。
「『自分に何かあったら、皆を守って欲しい』って。『図々しいお願いなのは分かってるけど、頼れる人がもういないんだ』って言われた」
「自分勝手なお願いね」
「そうかな。僕が彼の立場でも同じことをするよ。もし僕が貧乏で、守らなければならない弟や妹たちがいて、そして近くに裕福な暮らしをしている知人がいたら。きっと頭を下げてでも、後のことを頼むと思う」
少しだけ分かるようになったんだ、と彼は言った。
「毎日を生きる大変さも教えてもらった。お金が全てじゃないけど、お金でしか解決できない問題があるってことも。だから僕は恩返しがしたい。色んなことを教えてもらった代わりに、僕の立場でできる一番いい恩返しがしたいんだ」
だから…そうだね。親とも相談してみるよ。これが僕のやりたいことなんだって。それがきっと一番早くて、確実な方法だから。
彼はそう言って、弱々しく笑った。私は止めなかった。結局、その方法しか私たちには残されていないだろうと分かっていたからだ。
それから一ヶ月経っても、彼は店に顔を見せなかった。