モナ・アーネットの過去 4
「何しに来たの?」
「…何となく興味が湧いたから」
私の態度のどこが気に入ったのか知らないが、懐かれたらしい。こんな地味な男に好かれても嬉しくないんだけど。
比喩ではなく文字通り、冷や水をぶっかけた三日後。お坊ちゃんが店に訪ねてきた。何の用だと尋ねれば、私に会いに来たと言う。
水をかけられたことに対して文句をつけに来た、という様子にも見えない。
「…被虐趣味?」
「? ひ…?」
「じゃないか。物珍しい女って気になっただけね」
本音を言えば入れたくはないが、金を持っているのは確か。
私自身にそこまで金への執着はなくとも、店側の人間としては、少しでも多くの金を落としてもらわねばならない。
渋々中に入れれば、彼は物珍しそうに店内をキョロキョロと見渡す。
「あんまり綺麗じゃないんだね」
その頬を一発殴らなかった私を誰か褒めて欲しい。
「どうどうジェニー。落ち着いて」
「やっぱり今すぐ叩き出しましょ。人の神経を逆撫ですることしかしないわ」
「貴方が嫌いなタイプだってことは分かったけど。客は客だから」
イライラする私を引っ込め、まずアナが彼の対応をすることになった。
「ハァイ。ごめんなさいね。貴方が普段行き慣れているような店のインテリアじゃなくって」
「これが普通なの…?」
「まぁね。これでもウチは綺麗な方だよ。もっと酷いところもあるから」
「ふぅん…」
これで綺麗…と呟きながら、古ぼけた椅子に腰かけるお坊ちゃん。アナはその様子に「初めて酒屋に入った子供みたい。可愛らしいね」と苦笑した。
「何か飲む?」
「…何でも」
「ふふ。じゃあ私が気に入っているやつね」
「…ねぇ。あの人に接客、お願いできる?」
「ありゃま。フラれちゃったわ。ジェニーをご指名?」
「うん」
「オッケー。あの子、ちょっとカリカリしてるけど悪い子じゃないから大目に見てあげてね」
そのまま二人は他愛ない話をしていたが、十分ほどするとそんな会話が聞こえてきた。アナがこちらに目配せをし手招きをしてくる。
「やっぱり私じゃ力不足みたい」
「私には役不足よ」
「言うね。でも仕事は仕事よ。割り切って」
アナは私を無理矢理、彼の隣座らせた後、「ごゆっくり♡」と離れていく。…ちょっと楽しんでいるわよね、あの子。
「で、何がしたいの?」
「別に。ちょっと君と話したかっただけ」
「私とねぇ…」
私の何がいいんだが。客の中には男勝りな性格が逆に面白い、と言ってくれる人もいるけど、あまり愛想がいい方ではないのは自覚している。
アナの方が余程聞き上手で、相手をするのが上手いはずなのに。
「…どうかな?」
「何が?」
「服。君の目から見て。まだ目立つ?」
改めて彼の服装を見れば、この前のことで学習したのか、普通の平民が普段使いしているような質素な服を着ていた。
「買ったの?」
「うん。前の服も、家にある一番地味なやつだったんだけど…。あの服の時はものすごく人に絡まれたから…」
「でしょうね。生地が見るからに高そうだったもの」
「生地…なるほど…」
「わざわざ買ったってことは、これからも使う予定があるってこと? ここら辺はお忍びで来るところとしては向いていないわ。もっと治安がいいところに行かないと」
一番安全なのは遊びになんて来ないことだけど、と親切心で忠告してあげたら彼はうつ向いた。
「…息が詰まるんだ。家は」
「そう。お金持ちも大変ね」
「素っ気ないね」
「大して興味もないもの。私には縁遠いものだし」
「…そっちの方が助かるよ。深く問いただされるのは嫌だから」
「私の態度がお気に召したならよかったわ」
「…前はごめん。初めてこういうところに来て、色んな人から声をかけられたものだから。疑心暗鬼みたいになっていたんだ」
謝罪の言葉を述べながらしおれている彼は、叱られた子犬みたいだった。へぇ、意外と素直、と驚いた。
お金持ちなら貧乏人に頭を下げたりしないんでしょうね、という勝手な偏見もあったのだ。
まぁ許してあげてもいい、と私が思えるくらいの誠意は感じられたので水に流してあげることにした。毒気を抜かれたとも言う。
「フェアじゃないから、一応こちらも謝罪しとくわ。水をかけてごめんなさいね」
「あぁ、うん。大丈夫」
「悪いけど弁償は無理よ」
そんなこと言わないよ、と彼は笑った。無愛想だと思っていたがちゃんと笑えるらしい。
その後酒を飲みながら話をした。酒に詳しくないから任せる、と言われたので、一番アルコール度数が低いものを渡してやった。
ちなみに、アナが先程勝手に注文しようとしていた酒は一番値段が高く、ついでにアルコール度数もかなり高いものだ。
厄介事を片付けたご褒美に、と私が奢らせた時に彼女も飲み「これから、私のお気に入りはこれよ」と宣言していたので間違いない。
おそらく少しでも金を搾り取ろうという魂胆だったのだろう。人に可愛がられやすい性格だが彼女はそういうところがある。
話を戻すが、そう、私が渡したのは確かに、一番、アルコール度数が低いもの…だったはずだ。
「家は…嫌なんだ…」
なのに、どうしてこんなに酔うのだろう。
テーブルに伏し、グズグズと泣き始めている男を見て私は溜め息をついた。まさかここまで酒に弱いとは。予想外だった。
しかも泣き上戸? うわ、面倒臭い。
「ちょっと…こんなので酔うなんて、今までどうやって飲んできたのよ」
「…は」
「何?」
「初めて…だから…」
「酒が? 嘘。貴方、何歳?」
「十六…」
私はアナの方を振り向いて尋ねる。
「酒を飲ませていいのって何歳からだったかしら?」
「この国では二十からじゃなかった? かなり遅いよね。まぁほとんど無視されてるし、年齢制限なんてあってないようなもんでしょ」
「だからって、ここまで酔われるのは困るわよ…」
「ちなみに私は十二歳から飲んでる」
「貴方は不健康すぎ」
「ジェニーだって十六から飲んでたじゃん」
「この仕事で仕方なくよ」
姿勢は悪いけどかなり背はあったので、普通に二十歳を越えていると思ってたんだけど。
なるほど、アナの感想は正しかったらしい。本当に酒屋に初めて入った子供だったのだ。十六で子供と言うべきかは迷うところだけれども。
「起きて。起きてってば」
「…う…」
「流石に眠られるのはまずいわ。貴方、家から抜け出してきたんでしょ。戻らないと大騒ぎになるわよ」
「…嫌」
「貴方の意思は聞いてないの。起きなさい」
「…嫌」
「嫌、嫌って。二歳児じゃないんだから」
「あ、あれね。イヤイヤ期。子育てで一番大変って噂のやつ。わぁ、幼児退行? ウケる」
「アナは黙ってて」
何度も肩を揺らして起こそうと試みるが、一向に立ち上がる気配がない。そろそろ店も閉める時間だ。
外に叩き出すか…と迷っていた時、アナが「ジェニーの部屋に泊めてあげれば?」と口を開いた。
「は?」
「家に帰りたくないんでしょ。一晩くらい泊めてあげればいいじゃない」
「嫌よ。絶対に嫌。どうして私が」
「一番ジェニーに懐いてるじゃない」
「客に特別とか作らないって決めてるの。仕事とプライベートは分ける主義なのよ」
「泊めるだけだって。それとも、その子に手を出すの?」
「誰が好き好んで、こんな子供を相手にするのよ」
「じゃあ、問題ないでしょ」
問題あるわ…と痛み出した額を押さえる。
「家は? お坊ちゃんなら一晩行方不明で大騒ぎよ。厄介事に巻き込まれるのは御免だわ」
「どうせこのままじゃ帰らないじゃない。こんな治安の悪い町で野宿させるの? 下手したら殺されるわよ」
その方が寝覚めが悪いんじゃない、とアナは悪戯っぽく笑った。