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モナ・アーネットの過去 3


それから十三年後。私は二十歳になっていた。


私は酒屋で働いていた。酒屋とは言っても、基本的な飲食の提供の他に、若い女が別の意味での接客…まぁ所謂、娼館の真似事のようなこともしている店。


幼くして親を失い、その後も頼れる人を病気で亡くした私には、十分な教育を受けている暇などなく、こういう店で働くことしか選択肢がなかった。


こう聞くと酷く思えるのかもしれないが、私にはそこまで不満はなかった。


ビジネスとして割り切ってしまえばどうってことはない。豪華ではなくとも餓死しない程度には食べさせてもらえるし、冬には薪が使える部屋で過ごせて、あたたかいベッドで眠ることができる。



「ジェニーにも浮いた話の一つや二つくらいあるでしょ?」


「残念ながら、答えはノーよ」


「美人なのに。勿体無い」


「馬鹿ね。想い人がいるのにこんな仕事してたら、心が壊れちゃうでしょ」


「ま、それは言えてる。繊細な子ほど続かないからねぇ」



もう何年も一緒に働いているアナは、そう言って口から煙を吐き出しながら「例の子、男に裏切られたんだってさ。泣いてたよ。可哀想にね」と悲しげに笑う。



「身体に毒だからパイプをふかすのは止めた方がいい、っていつも言ってるでしょ」


「いいんだよ。肺に毒を溜め込んで、ポックリ死ぬの。痛みは少ない方がいいじゃない」


「縁起でもないわよ」


「眠るように死ねるのが理想」


「こら。止めなさいってば」



私がパイプを取り上げれば、彼女は分かりやすく唇を尖らせた。そして悪戯っぽく微笑んで、煙を私の顔に吹き掛ける。



「…どう? 口説かれた感想は?」


「貴方の冗談って笑えないわよ」


「ジェニーの冗談も面白くないけど。人のこと言える?」


「貴方よりマシよ。それって客にやってこそ意味があるものじゃない」


「まぁね」



休憩時間の間、そう談笑していると店の外から大声がした。ちらりと窓に目を向ければ何やら揉めているらしい。



「…全く。ああ言うのは、人気の少ないところでやって欲しいわ」


「同感ね」


「ジェニー」


「嫌」


「まだ何も言ってないけど」


「どうして私なの」


「貴方がこの店で一番口が立つでしょ。それに私のパイプを奪った罰」



じゃ私は仕事に戻るわ、とにこやかに微笑んでアナは去っていく。嫌な仕事を押し付けられた、と私は溜め息をついた。








「営業妨害よ。揉めるならせめて店から離れたところでやってちょうだい」



騒いでいたのは三人だった。二人が一人を取り囲んでいたのだ。


その一人は、こんな治安の悪い町には不釣り合いな服を着ている。


比較的地味な服を選んでいるようだが、明らかに値が張るものだろう。見たところ、いいところのお坊ちゃん。


そして残りの二人は、おそらく金でも巻き上げようとしているといったところか。



「ジェニーじゃねぇか」


「あら、お久しぶりね」



その二人の片方は知り合いだった。二、三週間前に客として来た男だ。


酔った後のうざ絡みが面倒だと思ったからよく覚えている。名前は忘れたけど。



「悪いけど、少し離れてくれる? うちの可愛い女の子たちが怯えてしまうわ」


「これくらいで怯えるような女か?」


「私を基準にしないでちょうだいな。大声が苦手な子もいるのよ」



男は露骨に面倒臭そうな顔をする。予想していたので私は彼に近付いて、耳元で囁いた。



「それとも、前に貴方が話していた秘密。町中の噂にして欲しい?」


「あ"? 何だよ、それ?」


「あら。酒が入ると記憶がとぶタイプ?」



色々話してくれたのに、と甘い声で言う。心当たりがあったのかパッと男は目をそらした。


「ちっ…。白けた。行くぞ」と吐き捨ててから、もう一人の男と去っていった。


一段落してふぅと息を吐く。ハッタリが効いてよかった、と内心笑う。


秘密を話していたなんて嘘だ。あの客はただただうざいだけだった。


しかし、人間は誰しも隠し事の一つや二つはあるもの。あんな風に言えば、心当たりなんてすぐに思い当たるだろうと思ってのことだった。


さて、と私は最後の一人に目を向ける。


なんともまぁ冴えない男、というのが第一印象だった。服こそはいいものの地面にうつ向いている癖があるのか姿勢は悪いし、何より雰囲気が暗い。



「…何が目的?」


「ボソボソと喋られても聞き取れないわ。もっと大きな声で喋って」



声も喋り方も暗い。褒めるところが何一つとしてないわね、と思いながら私がそう言えば、男は気分を害した様子で「だから…」と苛立った声で続ける。



「僕なんかを助けるなんて、何か目的があるんだろう。何? お金が欲しいならさっさと金額を言って…」



あ、私、コイツのこと嫌いだわ。


そう思ってからの私の行動は早かった。男が最後まで言い切る前に、店のドアを開けてアナを呼ぶ。



「アナ。水」


「あいよ」



そして手渡されたグラスを受け取り、男に水を浴びせてやった。



「…えっ?」



まさか水を浴びせられると思っていなかったのか、男は間抜けな声を上げる。その様子を私はふん、と鼻で笑ってやった。



「ムカつくわね。貴方。金のためなら誰もが動くとでも思っているの?」



こんなムカつく奴なら絡まれるのも当然ね、なんて思いながら。



「私は店の子たちのために動いたのよ。貴方を助けた訳じゃない。自意識過剰も程々にしたら? 濡れ鼠のお坊ちゃん」



シッシッと追い払う手振りをした後、未だにぽかん…と呆けている男を放置して店の中へと戻る。様子を見ていたアナが、からかうように口笛を吹いた。



「流石。ご褒美何がいい?」


「一杯でいいわ。けど一番高いやつね」


「ちぇ。私もまだあれ飲んだことないのに」



まさかこの後、その濡れ鼠が店に足繁く通うようになるなんて、この時の私は夢にも思わなかった。



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