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博覧会 13 (三人称)


残酷な描写、嘔吐表現があります。苦手な方はご注意ください。



暫くは平和だった。なかなか計画通りネイサンを殺す機会が訪れないことを除けば、特に問題も起こっていない平穏な日々。


焦せる必要はない。急いてはことを仕損じるのだ。


そう思って毒を隠し持ち、その時が来るのを今か今かとモナが待っていたそんな時だった。


計画が大きく崩れることが起こったのだ。


それは使用人の一言だった。花瓶を落とした使用人だ。


元々モナの世話を担当していた使用人の一人だったが、あの花瓶の一件で顔を覚えるようになり、謝罪をされた後に、なんとなく話をする仲になったのだ。


そんな彼女との会話で、モナが「最近、よく体調を崩すのよね」と言った。体調を話題になった途端、その使用人は何か言いたげな顔をする。



「何かしら? 言いたいことがあるなら言っていいわよ」


「いいえ。考え過ぎかもしれませんし、私ごときが申し上げるなど…」


「遠慮しなくていいわ。別に私は貴方を雇っている主人でもないもの。ただの平民に、不敬に当たるかどうかなんて考えなくていいのよ」



モナがそう言えば、彼女は「あの。私の勘違いならば申し訳ないのですが…」と前置きしてから、おずおずと口を開いた。



「お子様ができたのでは?」



予想外の言葉に、モナは凍りついた。「は…?」と声が漏れる。



「以前、シェフから『ジェニー様は料理の好みが変わられた』と聞いていましたので。近頃のジェニー様の様子を見て、そうではないかと以前から思っていました」



そんなモナの様子に気付かず、使用人は話を続ける。



「歳の離れた妹がいるんです。妹ができた時の、昔の母と同じような症状でしたので…もしかしてと思い始めて」



心当たりが幾つかあった。そのどれもが妊娠の初期症状を当てはまる。そう気付いたと同時に血の気が引いていった。指先から冷たくなるような感覚がする。


モナは使用人の肩を掴んだ。そして、喉から絞り出すように声を出す。



「言わないで」



使用人は目を丸くした。何故、と彼女の口が動く。



「絶対に。ネイサンに言わないで。あの人だけじゃなくて、このことは誰にも言わないでちょうだい。いいわね」


「えっ、でも…」


「口止め料は後で払うわ。暫く一人にして」



他言しないと無理矢理頷かせて、困惑する彼女を部屋から追い出す。鍵をかけ一人きりになると、口元に手を当てた。



「…子供? 私に?」



信じられない気持ちだった。こんなことになるなんて考えたこともなかったのだ。



「薬も飲んでた。絶対という訳じゃないとは分かっていたけど…前の仕事の時だってなったことがないのに」



この屋敷に来る前にしていた仕事。その時からずっと薬を飲み続けている。子供ができないようにする薬。常に服用し続けるのは身体に悪いとは分かっていても、欠かさず飲み続けていたのに。



「…どうしよう」



思わず漏れた声は、自分とは思えないほど弱々しかった。


最初に思い浮かんだのは、自分を大事に育ててくれた母親だ。



「私はお母さんみたいに愛せない」



自分は母とは違う。あの人との子供なんて普通に愛せるはずがない。


ただの勘違いでは、と一瞬期待する気持ちが生まれるものの、女の勘というやつだろうか、脳が違うと否定する。勘違いじゃない。おそらく、本当に…。



「か、んがえ…考えないと。上手くやらないと。計画が狂う」



毒殺を行えばまず初めに疑われるのは自分。


財産目的か何かで犯行に及んだと詰め寄られるに決まっている。


それはいい。今までもそんな絶望的な状況をどうにかしてきたのだ。自分一人ならどうとでもなる。でも…この子はどうなるのだろう?


ネイサンが倒れれば? 自分は暫く身動きがとれなくなる。時間が立てばすぐに妊娠なんて知られる。逃げられない。


ここで生む? 貴族の子供として? それで、この子は父親は母親に殺されたのだと言われながら育つの?


では、今すぐ殺して逃げる? 逃げた後はどうなる。夫が死んで逃げた女となれば犯人だと断定される。貴族を殺したのだから追手が出されるだろう。


自分は一生追われる身になり、それで。


…母と同じように、自分の子の前で殺されるのだろうか。



「復讐の…邪魔に、なるなら…」



前の仕事ではそんな話は頻繁に聞いた。客に情が移って、用意を怠って、結局裏切られて泣き崩れる哀れな女たちを見てきたのだ。


沢山見てきたから、こうなったらどうするべきか、やり方は知っている。


どうして恋愛感情などという不安定なものに人生を賭けられるのだろうと、自分だけはそんな話とは無縁だろうと、そう思ってきたというのに。



「殺す人数が一人から二人になったところで、大して変わらない…」



そこまで言いかけて、昔の母との会話が思い出された。



『お母さん、私はお父さんがいなくても平気だよ。大好きなお母さんがいてくれたらね。寂しくないんだよ』


『ありがとう。私もモナのお母さんになれて幸せよ』



吐き気は込み上げてきた。


血を見た時と同程度の恐怖と、ストレスが心にのし掛かる。


片手で口元を覆い、テーブルの上の手拭いを取ろうと手を伸ばす。足がもつれて床に倒れた。


頭がズキズキと痛む。立ち上がろうとしても、手に力が入らない。


あぁまたか、と妙に冷静な自分がいた。本当にこの世界は思うようにはいかないものだ。


母を奪われ、ささいな幸せも奪われ、こんな使い勝手の悪い身体を与えられ、そして漸く上手くいきそうだったというのにまた邪魔が入る。


嫌になる。本当に。



「おぇ…」



堪えきれなくなって嘔吐した。床が吐瀉物で汚れる。


次第に暗くなっていく視界の中で、鍵がかかったドアが見えた。


一人で考えたいことがあるからと人払いをするのはよくあることだ。前とは違って発見は遅れるだろう。


…いっそのこと、このまま目覚めなければいいのに。


そんなことを思いながら、モナは意識を手放した。






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