博覧会 10 (三人称)
朝起きれば、未だに慣れない豪華な部屋が目に入る。
モナは溜め息をついて、身体をベッドから起こした。
「ジェニー様」
時間になれば使用人がやって来て、着替えの手伝いをしてくる。
一人でやるから大丈夫だとここに来てすぐの頃は断っていたけれど、どれほど言おうと聞いてもらえることはないと分かってからは、素直にされるがままになった。
姿見に映るのは、自分とは思えないような服装をした女だ。
フリルや細かい刺繍が張り付けられたドレスを着ていて。殺したい男のためにめかしこんでいて。
どんな服装をしたとしても生まれが変わる訳じゃないのに、みっともなく貴族の真似事をしようとしている女みたい。
そんな自分の姿に、嫌悪感が湧いてくる。
「こんな派手なドレス、私には似合わないわね」
「いいえ。よくお似合いですよ」
「…そう。ありがとう」
仕立て屋が丁寧に仕立てた高価なドレスだ。だがモナは本当はこういう服が苦手だった。重いし、動きにくいし、汚れないように気を付けなければいけない。
汚れれば上手く落とせばいいと考えていた、ただの平民であった頃が懐かしい。
…でも、もうすぐだ。あの子供に毒の注文をした。あの話し通りの毒が手に入ったら、こんな生活もしなくてよくなる。そう自分に言い聞かせる。
「あの人は?」
「孤児院へ行くと、朝早くからお出かけになりました」
「また? 二週間前に行ったばかりじゃない」
「今日は違う孤児院へ向かうそうです」
よく飽きないわね、と話を聞いて呆れる。
モナの夫ーーネイサンは恵まれない人々のところへ行っては、食べ物や金銭を恵んであげるという活動をよく行っていた。
朝食を食べた後は、本を読んで時間を潰す。それ以外は趣味程度の手芸や散歩しかやることがないからだ。掃除の手伝いさえさせてもらえない。
暇だと思う。貴族の娘は小さい頃からこんな生活なのだろうか。野原を駆け回った経験もなく、ただ屋敷で静かに過ごすことを求められる。
子供の頃のモナだったら耐えきれずに心を病んでいたに違いない。一生鳥籠の中で過ごす小鳥ってこんな気分なのかしら、とモナは思った。
夕方になるとネイサンが帰ってきた。馬車から降りた彼の頭には何故か花冠が被せられている。作り慣れていない者が作ったのか、その形は少し歪だ。
「ただいま、ジェニー」
「お帰りなさい。その花冠は?」
「孤児院の子が作ってくれたんだ。『いつもありがとう』って。似合ってる?」
「素直に似合ってる、とは言い難いわね」
「あはは。やっぱりごつい男がつけても映えないか」
似合っていないと遠回しに言えば、ネイサンは苦笑して自分が被っていた花冠をモナの頭に載せる。
「…何?」
「うん。綺麗な君ならよく似合う」
「それはどうも」
モナは溜め息をついてから、花冠を外して彼に手渡す。「後で花瓶に生けてもらおうかな」と嬉しそうにしながら、ネイサンはそれを丁寧に受け取った。
「また慈善活動に行ってきたの。いつも大変ね」
「いいや。本来これが僕たち、貴族の義務さ。何も苦痛じゃないよ」
そう言った後に、彼は悲しげな表情を浮かべる。
「もっとも今はノブレス・オブリージュの精神を忘れてしまった貴族たちばかりだけどね。恥ずかしいことだよ。今でも慈善活動を積極的にやっているのは、僕やアクイラ家の当主くらいじゃないかな」
「ご立派だこと。でも平民はそんなことをしても、貴族のことなんて好きにならないわ。感謝はしても一時的なものだけ。貴方が何か失望させるようなことを犯せば、恩も忘れて『やっぱりアイツも貴族なんだ』って陰口を言うわよ」
「君はさっぱりしてるなぁ。そんなところも君の魅力だけど」
本当のことだわ、とモナは鼻を鳴らす。
ネイサンは「いいんだ。別に褒めて欲しくて、やっている訳ではないから」と言って、手に持つ花冠を撫でた。
「パン屋が人の空腹を満たす美味しいパンを焼くように、靴屋が人の足を守るいい靴を作るように、人は誰かのために自分の役割を果たさなければならない。その役割に優劣なんてないんだよ」
「…」
「僕はたまたま貴族の家に生まれた。だから貴族としての役割を果たしているだけ。貴族だから偉いなんてことはないはずなんだ」
「…綺麗事ね」
「そうかなぁ。愛しい人には賛同してもらいたいんだけど」
「どうして私が貴方の我が儘を聞かなければならないの。私が間違ってると思えば間違ってるって言うわよ」
「ジェニーらしい返しだね」
モナの嫌みに気を害した様子もなく、ネイサンは穏やかにそう言った後、何かを思い出したような顔をした。
「そうだ。そのアクイラ家で変な噂が立っているのは、ジェニーも聞いているかい?」
「…ええ」
「全く…『魔法道具で殺された者の怨霊たちが、子供に取り憑いて苦しめている』だなんて。馬鹿げた噂だ」
「随分とアクイラ家の肩を持つのね。知り合いだったかしら?」
「知り合いという程じゃないよ。昔、挨拶をしたことがあるだけさ。ただ僕も父親に苦労させられた経験があるから、彼には親近感を覚えてしまうのかもしれないね」
モナは唇を噛み、黙り込んだ。ふつふつと心の内から込み上げてくる怒りを、あと少しの辛抱なのだと抑え込む。
「子供たちから木の実をもらったんだ。シェフに渡して食後のデザートにしてもらおう。…ジェニー? どうかしたのかい?」
「…いいえ。何でもないわ」
笑顔を張り付け、モナはそう返事を返した。