博覧会 9
モナさんが殺したいというのは、意外な人物だった。
「夫の方を?」
「そうよ。夫とは言っても、私は平民出身でね。彼は貴族で身分差がありすぎるから、愛人とか火遊びの相手みたいな立ち位置よ」
痴話喧嘩か何かだろうか。可愛さ余って憎さ百倍とはいうが。
彼女の立場を考えるに、正式な妻として迎えてくれないから殺してしまいたいという気持ちが生まれてもおかしくはないけれど…色恋で殺意を覚えるタイプには見えないけどな。
「貴方が知っている毒というのは?」
考え込んでいると、そう尋ねられた。実物を見せた方が早いかと思い、俺は自分の袖をまくる。服の下に隠れていた赤い蜘蛛が腕から指へと移動してきた。
「話を聞く限り、深紅毒虫蜘蛛の毒が適していると思います。解毒剤がない訳ではありませんが、いくら権力のある貴族といえども用意するのは困難でしょう」
「…珍しいペットね」
「蜘蛛がお嫌いで?」
「まさか服の下から蜘蛛が出てくるとは思わなかったものだから。ちょっと驚いただけよ。説明を遮ってごめんなさい。続けていただける?」
「この毒を更に濃縮したものをご用意します。一、二週間ほどで並みの人間であれば死に至ります。主な症状は高熱だけですから、病気だと片付けられやすい」
ライアンの村では苦労したが、深紅毒虫蜘蛛は暗殺用の毒にとても向いている。
あの村人たちのように、最初は微熱から始まり、ただの風邪だと軽く考える。三十九度を越えた辺りから危機感を覚え始めるが、その時点では既に手遅れになっているだろう。
感染する病気だと思われれば、使用人たちも熱心には看病をしなくなるはずだ。自分にうつされればたまったものではないからな。
「また、元々生き物が持つ毒ですからね。散歩などで噛まれた場合だってあり得ます。毒だと知られて疑いをかけられても、言い逃れしやすいかと」
「貴方のその蜘蛛を貸してもらう、ということはできないのかしら?」
「申し訳ありません。まだ飼育している数が少なくて。一匹でも死なれると増やすのが難しくなりますので」
無理だと分かっていたのか「そう」と彼女はあっさりと引き、「その効果が本当なら、まさに私が探していたような毒だわ」と言葉を続ける。
「でも、まさか何の条件もなしにくれるなんてことはないでしょう?」
話が早くて助かるな。商談がスムーズに進む。
俺は笑顔を浮かべて、指を二本立てた。
「条件が二つほど。一つ目は何があろうと僕が関わっていると言わないこと。一応普段はただの子供として振る舞っていますので、厄介事に巻き込まれるのは御免です。この毒も貴方が自分で用意した。僕は一切関わっていないということにしていただきたい」
「でしょうね。それくらいならお安いご用よ」
「本当に?」
「あら、お疑い?」
「取引をした後に条件を破られるのが嫌いなものですから。慎重にならざるを得ないんです」
「こう見えて口は軽くないの。この暗殺は完全に私の私情ですしね。犯人だと掴まった時は大人しく死ぬわ」
簡単に承諾した彼女は俺は疑いの目を向ける。口先だけならばどうとでも言える。
多少俺のことが知られても忘却魔法でどうにかできるが、忘れさせるためにあちらこちらと走り回るのは疲れる。
一応脅しておくか、と考えたその時。モナさんが口を開いた。
「ふふ。そんな風に怖い顔をしなくても、得体の知れない貴方を騙すなんて真似はしないわ。もし破ったら死ぬ方がマシという目に遭いそうだもの」
でしょう? と尋ね返される。念押しは必要なかったようだ。
「賢明な判断ですね」
「こちらも他言無用でお願いするわ。私だってできるなら捕まりたくないのよ」
「はい、それは勿論」
俺は立てていた指を一本折った。
「二つ目。当たり前ですが、代金はいただきますよ」
「無償でもらえるとは思っていないわ。いくらかしら?」
俺が提示したのは、決して少額ではなかった。普通の平民であれば十何年と働いてやっと買えるような金額だ。
しかし彼女は価格交渉をすることなく「ではその額で」と頷く。
「ご用意できますか? かなり高くはありますが」
「金持ちの愛人がすることっていったら、恋人を散財させることって決まってるじゃない。殺す代わりに色々買わせたわ。手持ちの宝石やアクセサリーを売れば、それくらいの金額にはなるでしょう」
「よろしいので?」
「殺したいと思った男からもらったものよ? 元々ああいうものに興味はないし、売り飛ばすのに躊躇いもないわ。それに今回は多少高いくらいでいいの」
「というと?」
「この毒に効果がなかったらクレームは入れさせてもらうわ。もし連絡がつかないようなら…」
あぁ、なるほど。俺も脅されている訳か。
金は払う。条件も呑む。こちらは誠意を尽くしたのだから、失敗したら分かっているだろうなと。
「どうぞお好きに」
「…家族共々ちょっと痛い目に遭ってもらうわよ、と言いたかったのだけど、必要なかったみたいね」
考えることは同じらしい。まぁ平民が貴族社会で生きていくためには、これくらいの気概や慎重さが必要であるのだけれど。
俺たちは互いに苦笑し、大きな条件などは決まったので後は細々としたものを決めていく。話はある程度纏まり、取引が成立した。
「最後に。これは条件でも何でもなく、興味本位の質問なのですが。…夫を殺したいと思った理由をお聞かせいただいても? 勿論、差し支えなければで構いません」
別れ際。俺はそう尋ねた。最初は今の現状に対する不満から夫を殺したいのかと思っていたけれど、彼女の話を聞くに違うようだと察せられた。
純粋に興味が湧き、構わないなら教えてくれないかと質問する。モナさんは空を見上げ、何かを思い出しているような声で呟いた。
「…母の仇よ」