博覧会 7
「父様。恨まれている、というのは?」
「さっきの人のことは忘れていいよ。人をからかうのが生き甲斐のような迷惑極まりない人だから」
父様から詳しく聞こうと思ったのだが、はぐらかされてしまう。やはり俺やアリスが知らない事情があるようだ。
「珍しいですね」
「…何がだい?」
「いえ、父様が嫌悪感を表に出すなんて珍しいなと思いまして」
基本的に穏やかな人だ。物腰は柔らかいし、普段ならば不快に思うことがあっても、ここまで露骨に嫌がるような顔はしない。
本当に珍しい、とただ驚いただけなのだけれど、父様はその言葉をどう受け取ったのか、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「………ごめんね。ピリピリしていて。せっかくレオもアリスも楽しみにしていた博覧会だというのに。楽しまなくてはね」
「それは構わないのですが…」
会場を回っていると、周りの人間たちがこちらの様子を伺うような視線を向けてくる。
「悪夢の子」「可哀想な子」「例の、噂の」
俺と父様を見つめ、そんな言葉を囁いている。
悪夢はアリスから話を聞いたから分かる。だが、可哀想とはどういう意味だろうか。
悪夢の内容が俺の前世のものであるならば、父様には全く関係ないはずなのだけれど…。
父様はその後も、時々誰かを探すように周りを見渡すという行動を見せていた。そして、はっとした顔をして立ち止まる。
「父様?」
「ごめん。ちょっと知り合いがいたみたいだ。レオはアリスたちと回っていてくれるかい? 僕もすぐに行くから」
そう言い残して、早足で去っていく。
さて、どうしようか。言いつけ通り母様たちと行動してもいいのだけれど、ここまで隠されると逆に気になってくる。
母様とアリスの方を振り返れば、展示品に夢中のようだ。今ならば少しくらい離れても気付かれないだろう。
俺は父様の後を追うことにした。
父様が話しかけたのは、若い女性だった。プラチナブロンドが印象的な女性だ。
父様は彼女に声をかけて、二人は人気のない外へと出ていく。おや…と俺は意外に思った。
へぇ、若い男女が二人きりとは。母様に誤解されても仕方がない行動だが、もしや隠し事とはそういうことなのだろうか。予想とは違ったけれど、それはそれで面白そうだ、と思って見つからないように後をつける。
「何か私にご用?」
「しらばくれるのは止めてくれるかな」
「まぁ、覚えていてくださったのね」
「本題に入らせてもらうよ。君の仕業だろう? レオの噂を広めたのは」
物陰から聞き耳を立てていると、そんな会話が聞こえてきた。
「あら、嫌だわ。私がしたっていう証拠でもあるの?」
「…」
「ふふ。冗談よ。そう、依頼を断った腹いせにね。ちょっと私の社交界での影響力を知ってもらえたらなと思ったの」
女性がおかしそうに笑う。
「使用人はちゃんと教育しておいた方がいいわよ。主人が舐められてると、あの人たちは何でもペラペラ話すもの。仕事を辞めた後でも情報を漏らさないように、ちゃんと釘を刺さないとね」
「…僕のことは"人殺し"でも何でも好きに呼んだらいいさ。でも子供を巻き込むのは筋違いだろう」
「ええ。そうね。可哀想な子。親が馬鹿なせいで苦労してる。世間から白い目で見られてしまう。年頃になっても噂が尾を引いて、縁談には苦労するかもしれないわね」
…なるほど。話を聞くに、使用人から聞いた話を広めたのは彼女らしい。そして、以前父様は彼女から依頼を頼まれたことがあり、それを断ったせいでこうなっていると。
「もう一度聞くわ。私の依頼、受けてくれないかしら」
「断るよ」
迷う素振りもなく、キッパリと父様は女性の頼みを断った。気を悪くした彼女は眉根を寄せる。
「…次は、噂で済ませる気はないわよ?」
「僕はもう人を殺す道具は作らない。そう決めているんだ」
「…本気?」
「本気だよ。どれだけ金を積まれても、どんな条件でもそれだけはしない」
暫く二人は無言で見つめ合っていた。睨み合っていた、の方が適切かもしれない。あそこだけ冷ややかな空気が流れている。
沈黙を破ったのは、女性の方だった。
「…そう。自分の無意味な信念のために、妻子を危険に晒すの。本当に馬鹿な人」
そして、失望したような口調で言う。
「家族に手を出したら容赦はしない。僕が持つ財力、貴族としての権力、全てを使って君を潰す」
「楽しみにしているわ」
父様の脅しにも屈せず、彼女は不敵に笑っていた。
「父様。何の話をされていたのですか?」
「レオ?!」
彼女と別れ、会場へと戻ってきた父様に俺は声をかけた。父様はぎょっとした顔をし、「何故ここに?」と咎める口調で尋ねてくる。
「駄目じゃないか。アメリアの側から離れないようにって言っていただろう?」
「すみません。ですが、どうしても気になりまして」
口先だけの謝罪を述べ、「それで、どんなお話だったのですか?」と尋ね返すと、父様は言葉を詰まらせた。
「…レオは知らなくていいことだよ」
やはり言わないか。仕方がない。
「それはそれは。"父様が若い女性の方と、二人きりで親密げに話されていた"と、母様にご報告を」
「待って?! レオ、それは誤解を生む! それはすっごく誤解を生むから?! 神に誓って浮気とかではないから?!」
告げ口しよう。にこやかな笑顔を張り付けて母様の元へ行こうとすると、父様に肩を掴まれて全力で止められた。
「では教えてくださいますね?」
「いや、でも…」
「父様?」
「…ごめんね」
言えないんだ、と悲しげに微笑む父様。
「僕は…レオたちに嫌われたくない。まだ言う勇気がないんだよ」
そう言って父様は俺の視線に合わせるようにかがみ、「本当にごめんね」と俺の頭を撫でる。
「君はどうか、馬鹿な父親を反面教師にして、幸せな生活を送って欲しい。…できれば、何も知らないまま」
「さ、行こうか。アメリアたちも待ってる」と何もなかったかのように父様は立ち上がり、前を歩き出す。
…嫌われるも何も、事情を説明しなければ混乱するだけだと思うけどな。父様の背中を見つめながら、俺は溜め息をつく。そこまでは考えが至っていないようだけれども。
普通の子供であれば、無言の肯定だと捉えて"父親は人殺し"なのだとショックを受けるところだぞ。俺とアリスだからこそ問題はないだろうが。
俺は窓の外に目を向けた。プラチナブロンドの髪の女性。
…あちらの方がまだ話を聞けそうだ。